「いいか、サク。俺が合図したら・・・」
「あう」

一体何をやっているのだろう。
忍具の手入れをしながら、先程から一生懸命何かを話し込んでいる二人を横目にみた。
サクヤと顔を突き合わせて真剣に教えこむイルカの様子は可愛いものだ。

「ちがうぞ! この合図だ」

上手くいかなかったのだろう。
片目を二回瞑って咳払いをするイルカの姿をサクヤは食い入るように見つめている。

「わかったか?」
「う」

頷く様はキリリとして頼もしい。

「じゃあ、いくぞ」

掛け声とともにその合図とやらを繰り出す。
ヘニャっと泣き顔になり、うぇぇんと声を出したサクヤに、イルカがそうだ!と大仰に褒めそやした。
褒められて得意になったのか、仕上げとばかりにその黒真珠のような瞳からポロポロと涙まで零してみせる。

「凄いじゃねーかッ!! サクッ!!」

そんなサクヤをイルカはギュッとだきしめてグリグリと髪を撫でていた。
いいな。
少しだけそんなことを思ってカカシは抱きしめられているサクヤを見る。
オレだって、そこまで褒めてくれるなら涙ぐらいいくらでも出せるのに、などとバカなことを考えてみる。
褒められて嬉しいのか、サクヤは嬌声をあげてイルカの腕の中で大はしゃぎだ。

「カカシさんッ! やっぱりサクは賢いですよッ!!」

サクヤを抱いたまま興奮気味にカカシの側までやってきたイルカは、腕の中のサクヤに賢いな、いい子だなと言葉をかけながら、満面の笑みだ。

「あう~」

褒められたらやはり嬉しいのか、サクヤが照れたようにその可愛しい顔を綻ばす。

「ちょっと教えただけなのに、飲み込みが早くて。やっぱりカカシさんの子供ですね」
「・・・・・」

こんな歳で普通は覚えられないですよと、嬉しそうな顔でニッコリ。
サクヤが何か出来るたび、イルカはよくそう言う。
反対に、いたらない時は自分の子だから・・・と自らを卑下するのだ。
カカシはむしろ逆だと思うのだが、なかなかイルカはそれを認めようとはしない。

「・・・で、・・・なんでそんな事を覚えさせてるんですか?」

嘘泣きなんて、およそ教育者が指導すべきこととは思えない。
不思議に思っていたことを口にしただけなのに、イルカはウッと怯むと、きまり悪げに鼻の頭を掻いた。

「・・・実は・・・」

言いにくそうに。
モゴモゴと口にして、チラリとカカシを見る。
そんなに話しにくいことなのかと訝しんだカカシに、イルカは意を決したように口を開いた。



*****



イルカの話はこうだ。
産まれてからこの方、忍びの素質がないと言われ続けてきたサクヤだったが、実は物凄い潜在能力を持っていると世間に知られることとなり、木の葉の上層部はサクヤの英才教育を申し出てきたというわけだ。
それにイルカは激しく反発した。
子供は子供らしく!が、イルカの教育方針だ。
昨今は早くから英才教育をと望む親も多いが、まだ一歳時にも満たないサクヤには必要ないとイルカは思っている。
あれほどサクヤの不出来を悩んでいたというのに、素質があるとわかった途端イルカはそれを隠そうとしたのだ。
しかし、そんな思いとは裏腹に、サクヤはスポンジが水を吸うように術を吸収していく。
隠し通すことなど到底無理だ。
ましてや人前で術を使うなという言いつけを、我慢出来るわけもない。
ことイルカを嫌な目に合わせる者には容赦がなかった。
幼児故に技自体はそんなに巨大なものではないが、水遁で報告書を水浸しにし、押し流すこと数回・・・もちろんその中にはイルカも含まれている。
イルカに嫌味を言ったくの一を土遁で地中に落とすこと何十回。
もう、完全な問題児である。
あれから少しは言葉も覚えてきたが、言語を使わなくても音印という特殊な印を使用するサクヤを止める術はない。
そんなわけであれよあれよという間にサクヤの能力は里のご意見番達の耳に留まることとなったわけである。

「・・・それでなんで嘘泣きを・・・?」
「それは、その・・」

言いにくそうに言い淀む。
腕の中のサクヤがキョトンとした顔でイルカを見上げるのにも、気まずそうに視線を逸らした。

「今度、上層部の方々との面会があるんです」

確かそんな話も出ていたなぁと、ぼんやり思う。
話半分で聞いていたために詳しくは覚えていないが。

「・・その時にサクヤを連れて来いと」
「あぁ」

お偉方の考えそうなことだ。
あわよくばその日のうちにでもイルカから引き離して暗部に教育させようなどと考えているのだ。
そうなった場合、もうここへ戻ってくることは難しいだろう。

「それで嘘泣きですか?」

ついつい笑いが漏れてしまうのは仕方ない。
イルカらしいといえばイルカらしいが、そんなお涙頂戴ぐらいであのお歴々が諦めるとは思えない。

「・・・やっぱり駄目でしょうか・・?」
「ん~、そうねぇ」

がっくりと項垂れるイルカが少し気の毒で、カカシも困った顔になる。
それに、カカシとて大事な我が子を手放す気は毛頭なかった。

「ま、やらないよりはマシぐらいですかね」

そんな風に呟いて、ギュッとサクヤを抱きしめるイルカを見やった。
悲しむイルカを見るのはカカシの本意ではない。
それに折角授かった可愛い我が子を、里の都合で横取りされるのは業腹だ。

「カーシィ」

研ぎ澄まされた忍具を仕舞い、ご機嫌で手を伸ばすサクヤを受け取ってポンポンと背中を叩く。
ペタペタと頬に手をやる愛息子に微笑んだ。
そっくりな自分たちを幸せそうな表情で見守るイルカのためだ。
何とかするのが自分の役目ではないか。

「さーて・・・」

呟いて脳裏で画策する。
腕の中のサクヤの耳にだけ聞こえるように、頬を寄せてカチカチと歯を鳴らした。

「う」

ピクンと反応したサクヤに目を細めて頷くと、カカシはニコリと笑った。



*****



呼び出された火影室。
ホムラ、コハル、ダンゾウを筆頭に、その他もろもろの里を支えてきた老人たちの前で、イルカは顔を真赤にして声を荒らげていた。

「俺は絶対反対です!」

そんな何時にないイルカの様子に、サクヤは不安そうな顔で必死にしがみついている。
話というのは、イルカが心配していたとおり、サクヤの英才教育のため暗部施設への入居だった。
絶対に譲るまいとするイルカの剣幕に、苦々しい表情を浮かべる御意見番たちが重い溜息をつく。
しかし、どれだけ頑張ろうが里の決定となってしまっては一介の忍びであるイルカに逆らうことは出来ない。
それをわかっているからこそ最後のあがきとばかりに反抗憤怒の表情まで浮かべて憤っているわけだ。
そんな様子を面白そうに見ていた五代目火影は、隣にいるカカシに向かって口を開く。

「カカシ、お前の意見を聞こうじゃないか」

答えなどわかっているだろう綱手の言葉に、そうですねぇとのんびり応えて。

「サクヤの教育については、妻に全権を委ねていますから」
「ーーー誰が妻だッ!!」

怒鳴ったイルカに、カカシは少しだけ驚いた顔をすると頬を赤らめてモジモジとしだした。
今にも机の上にのの字でも書きそうな勢いだ。

「え・・・そりゃ・・・イル」
「もういいです」
「あっ! せんせが気に入らないならオレが妻でも・・・」
「そういうことを言ってるんじゃありません!」

間髪入れずに叫んだイルカが、軽蔑の眼差しでカカシを睨んだ。

「そんな・・・」

思わず情けない声が漏れるカカシに、綱手がニヤニヤと笑い、ご意見番達が呆れたように頭を抱えた。

「とにかく、サクヤはこのまま俺が育てます・・・お願いします。育てさせてください」

どうか引き離さないでくれと。
サクヤを腕に抱きしめたまま深々と頭を下げる。
必死さが伝わってきて、見ている方が切なくなるほどだ。
しかし、老人たちも諦めてはいなかった。
里があてがう女全てを拒み、もう望んでも叶うまいと諦めていたカカシの子供だ。
白い牙の遺伝子を継ぐサクヤを忍びとして大成させたいのだろう。
確かに、元々の素質の違いはある。
凡人に天才が理解できないように、天才には凡人を理解することは難しい。
カカシにしたってそうだ。
天才と謳われた幼少時代、同年代の子供たちとは忍びの技、体術、全てにおいてカカシに敵うものはなかった。
非凡なサクヤが同年代の子供たちと同じように生活するのは難しいかもしれないとも思う。
しかし、何が幸せなのかはわからない。
そう、わからないのだ。

「・・・はたけサクヤを暗部施設にて教育することは、里の決定とする」

うたたねコハルの無情な言葉が耳に響いた。
グッと唇を噛みしめるイルカが、腕の中のサクヤを渡すまいと力を込めるも、情け容赦なく老婆の腕が小さな身体を奪い取った。

ーーーさぁ、合図だ。

そんな様子を見ていたカカシが思う間もなく、サクヤの顔が悲しげに歪んだ瞬間。

「ウギャァァァァーッ!!!!」

練習とはかけ離れた叫び声がサクヤの口から飛び出した。
まるで断末魔のような叫びに、まだ合図も出していないイルカが、ギョッとして泣き叫ぶサクヤに目をやる。
老婆の腕の中で反りくり返り、手足をばたつかせてイルカの元へと戻ろうと激しく泣くサクヤに、イルカが慌てて手を伸ばす。
しかし、その手はコハルによってスルリとかわされた。

「いーッ!!!」

手を差し出したままのイルカに背を向け、コハルは泣き叫ぶサクヤを腕に火影室を出ていこうとする。

「・・サク・・ッ!!」

叫んで追いかけようとしたイルカを、カカシはその腕を掴んで止めた。

「カカシさんッ」

責めるイルカの視線が痛い。
しかし、今は逆らうべきではない。
首を左右にふるカカシに、瞳を絶望に染めたイルカの身体から力が抜ける。
続いて部屋を後にする御意見番達の背を、イルカは唇を噛み締めて見送った。



*****



抜け殻とはこういったことを言うのだろうか。
火影室から帰ってきてから、ボンヤリと座り込んでいる。
時折聞こえる重苦しい溜息と、鼻を啜る音がなんとも痛ましい。

「元気出して。なんならイルカ先生の好きな一楽にでも食べに行きましょう」

元気づけるための言葉も、恨めしげに睨みつける視線が厳しい。

「・・・カカシさんは、辛くないんですか?」
「そりゃまぁ」
「自分の腹を痛めた子じゃないから、冷たいもんですね」

恨みがましい言葉に思わず黙りこむ。
確かに腹は痛めてないが、カカシだってサクヤのことは大事な愛息子だ。
さて、どうやって慰めればいいものかと思案する間もなく、ポロリと零れた涙にギョッとした。

「イルカ先生・・・」
「・・・あんなに泣いて・・」

連れ去られる時のサクヤの様子が思い出される。
あんな泣き声、初めて聞いた。
意外としつこい性格だから、今頃コハルや暗部達は手を焼いていることだろう。

「・・こんなことなら、不出来だって言われてたままで良かったのに」
「・・・・・」

部屋の片隅で膝を抱えて座り、零れた涙を隠すように顔を突っ伏した。

「大丈夫ですよ」
「いい加減な慰めはよしてください」

ガバっと顔を上げたイルカに睨みつけられる。
この状態が続くとさすがのカカシだって辛い。
言葉を失うカカシに、眼を潤ませたイルカがすいませんと呟く。

「イルカ先生・・・」
「カカシさんが悪いわけでもないのに、八つ当たりしました」
「良いよ。八つ当たりでも何でもして」

それでイルカの気が紛れるなら。
優しい言葉に再度謝罪が漏れる。
抱き寄せられて抗うこともなくその胸に顔を寄せた。
カカシの忍服に涙も鼻水も染み込ませて、イルカは声を殺してしがみついた。

「・・・こんな時になんですけど・・」
「・・・?」

何でしょうと顔をあげたイルカの瞳に、何とも形容しがたい表情をしたカカシの顔が映る。

「・・久しぶりの、二人きりですね」
「・・・はい・・?」

サクヤが産まれてからずっと、こんなことはなかった。
手のかかる甘えたなサクヤだから、イルカをほとんど独占されていたと言っても良い。
それについては文句はないが、やはり少しは構ってほしいと思う日がなかったといえば嘘になる。
デレッと眉尻を下げるカカシに、イルカが目を見開く。

「な・・・ッ、こんな時に何を言ってるんですかッ!!」
「だからこんな時にって言ったじゃないですか~」
「何を馬鹿なッ!」
「だってーーー」

怒って腕の中から抜けだそうとするのを逃すまいと力を込める。
ジタバタと腕を突っぱねるのを気にすることもなく思いっきり抱きしめた。

「考えてみれば、直ぐにサクヤが産まれたから、甘い新婚生活ってのも経験してませんし」
「甘い新婚生活って、何ですかッ!!」

そういや出産前の蜜月も報復任務だったと、思い出して眉を顰める。

「この際、思いっきり新婚生活ってのを堪能しましょうよ」

ねっ、っと笑ったカカシの頭に、ゴツンっとイルカの拳骨が飛んだ。

「ーーーーば、馬鹿なこと言ってんじゃねぇッ!!!」

グラリと頭が揺れるほどの強烈な拳だった。
むろん上忍であるカカシに避けられないはずもないのだが。
甘んじて受け、打たれた頭を抱えたカカシに、腕の中から抜けだしたイルカが立ち上がって踵を返した。

「イルカせんせぇ~」
「・・・飯にします」

縋るカカシに厳しい一瞥を向け、台所へ向かおうとした時、コツンと玄関を叩く音がした。

「・・・?」

こんな時間に誰だと思う暇もなく、次は強めに扉が叩かれる。

「はい」

返事をして扉を開いたイルカの眼に、獣面の暗部とその腕の中でスヤスヤと眠るサクヤが飛び込んできた。

「ーーーサクッ!!」
「あ~、もう帰って来ちゃったの」

驚くイルカとは対照的に、のんびりとしたカカシの声が背後から聞こえる。

「・・・どうして・・」

眠るサクヤを奪い取るように腕の中に取り戻して、もしや怪我でもしたんじゃないかと確認する。

「その子に怪我はありません」
「・・へ・・?」
「派手にやったでしょ」

意味深なセリフに、何をとカカシを見やった。

「負傷者は十数人に及び、暗部施設はほぼ壊滅です」

重苦しく吐かれた言葉に、ハハッとカカシが笑う。

「やるじゃない。ーーーそれで?」
「・・・はたけサクヤが成長するまで、施設での教育は断念すると、上からの通達です」
「りょうかーい」

クスクス笑いながら、眠るサクヤの髪を撫ぜた。

「じゃ、アンタも帰んな」

あくまで呑気な声色だが、瞳は剣呑な光を放っていた。
頷いて音もなく消えた暗部の姿に、腕の中のサクヤとカカシの顔を交互に見る。

「・・・時間稼ぎだけどね」
「・・・・・」
「オレもまだこの歳からの暗部入隊は早過ぎると思います」

遅かれ早かれサクヤはその強大すぎる力ゆえに暗部入りするだろう。
でも、いまはまだイルカの愛情に包まれているべき時期だ。

「・・・サクヤに、何を教えたんですか・・・?」
「ん~、まぁいろいろと」

誤魔化すカカシがニヤリと笑う。

「こうなることがわかっていたなら、教えてくれれば良いじゃないですか」

どうりで余裕の態度だったわけだ。
目の前のニヤけた男にムッとするも、そのお陰でサクヤはここに戻って来られたのだ。

「わかってたらあれだけの演技は出来ないでしょ?」
「・・・そりゃあ、まぁ・・」

あっさりサクヤを渡せば、あの百戦錬磨のタヌキたちに何かあると勘ぐられるのはわかりきっている。

「親子の別れに、オレも思わずもらい泣きしそうでしたよ」
「何言ってんですか」
「しっかし、暗部の連中ももうちょっと頑張って欲しかったんですけどねぇ」

こんなに早く帰ってくるなんて、せっかくの新婚生活が一瞬でしたとぼやきながら頭を掻いた。

「馬鹿なこと言わないでください」

頬を膨らますイルカに、笑ってサクヤを覗き込む。

「・・・よく寝てる」
「ええ」
「それにしても・・・暗部施設壊滅ってッ」

ブッっと吹き出したカカシが、よくやったとばかりに頭を撫ぜる。
そんな楽しげな様子に、イルカも苦笑して腕の中のサクヤを見つめた。



*****



その後、壊滅状態の規模を知ったイルカが、言葉をなくして青ざめたのは言うまでもない。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。