カカシの家に足を踏み入れる瞬間、とても緊張した。
もし女の気配が少しでもしたなら、イルカは自分が何を言ってしまうか分からなかったからだ。
カカシを思うくの一は、何もサツキだけではない。
サクヤを儲けた時ですら、イルカのことなど関係ないとばかりに秋波を送るくの一がいたことも事実なのだから。

「・・・・・」

通された部屋の中を視線だけでグルリと確認して、気付かれないようにスンっと匂いを嗅いだ。
小さな子どもの汗臭いような匂いにホッとする。
まだ大丈夫なのだと、泣きだしたくなるような気分が込み上げてきて、小さく息をついた。

「ビールと、あと日本酒・・・焼酎はいま切らしてて・・・」
「そんなッ! お構いなく」
「何かつまむ物でも作ろうか?」
「いえ、これだけで」

言いながら、帰る途中で買った乾き物を持ち上げた。

「んー、でも先生、食事まだでしょ?」
「それを言うならカカシさんだって」
「オレは別になんでも・・・って、お前は必要だよねぇ・・」
「あう」

お腹空いたとばかりに台所までとてとてと歩いてきたサクヤが、冷蔵庫の前でぽてんと座り込む。

「俺、サクヤの食事つくります」
「あ~、悪いね。実は何を食べさせていいか分からなくて・・・」

指差す先には離乳食の瓶が積み上げられている。

「柔らかいものなら普通の食事でも大丈夫ですよ」
「そうなの?」
「もちろん、刺激物や味の濃いものは駄目ですけど」
「へぇ・・」

どうりで離乳食の食事に不満気だったわけだと納得した。

「味気ないもんねぇ」
「ふふっ」
「・・・・・」

笑ったイルカの柔らかい表情に眼を奪われた。
冷蔵庫に張り付いたサクヤを抱き上げたイルカが、ちょんっとサクヤの鼻先をつつく。

「でも、今日は手の込んだものは作れねぇから、うどんだな」
「うよん」
「卵も一つ入れような」
「う」

喜ぶサクヤがパチパチと手を叩くのに、微笑んだ。
家に来ることを頑なに固辞していたイルカに、『サクヤが居ると外に呑みにいけない』や、『昔はよく呑みに行ってたのに』などと言い募って、強引に連れ込んだカカシだったが、隣でサクヤと楽しそうにしている様子を見ると何だか心が浮き立ってくる。

「待ってろよー」
「あい」
「あ、カカシさん。作ってる間にサクヤを風呂に入れてもらえませんか?」
「え?」
「食べたら直ぐに寝ると思うんで・・・って・・、すいません・・」

出すぎた真似だと口をつぐんだイルカに、いいよと笑った。
手際の良さに感心しつつ、本当に面倒を見てもらっていたんだなぁと今更ながらに思う。

「じゃあ行こうか、サクヤ」
「ぷー」
「何ふくれてるのよ。まだ飯は出来てないでしょ」
「風呂だぞー、サク。好きだろ?」

ほらっとイルカに促されて、渋々と言った様子でやって来たサクヤに苦笑したカカシが、風呂場に消えていくのを見ながら鍋の湯を沸かした。
その間につまみを何品か作ろうと思いつく。

「カカシさーん。冷蔵庫の中身使ってもいいですか?」

風呂場へと声をかけ、どうぞという声を確認して冷蔵庫を開ける。
茄子がちゃんと入ってることに笑ってしまった。
パックで手早くとった出汁の中に調味料をたらり。
ついでに自分たちの分もと、袋から取り出した麺を放り込んで、溶いた卵を糸状に垂らしたら出来上がりだ。
作った簡単なつまみを並べ、冷ますためにサクヤ用の小さな器にうどんを細かく切って入れてやりながら、二人が風呂からあがるのを待った。

「いー」
「ち、ちょっとまって、サクヤ」
「あ・・っ」

濡れネズミで出てきたサクヤを追いかけて、カカシが慌てて脱衣所から出てくる。
一応タオルを纏ってはいるが、数日振りに見る鍛えられた身体にドキッとした。

「・・・サクヤはこっちで拭きます」
「あ、ごめんね」

透けるような肌が、湯で温まってピンク色に染まっている。
バスタオルを受け取って、頭からワシャワシャと揉みくちゃにしながら拭いてやった。

「ぷぅ」
「せんせ、これサクヤの服」
「あ、はい」

りんごみたいに真っ赤になっているサクヤの頬を撫ぜて、受け取った服を着せてやった。

「うよん」
「ん、食べような」
「食い意地はっちゃって」

もう出来上がっているうどんに釘付けのサクヤに笑って、三人で食卓へ向かった。



*****



食事の後、早々にウトウトと船を漕ぎ出したサクヤを寝かしつけた後は大人の時間だ。
小さな虫の鳴く音と、優しく頬を撫でる風が心地いい。
つまみに作ったナスの蒸し物に醤油を垂らし、パクリと口に放り込むと、じんわり染み出してくる薬味の大葉と生姜の風味が口の中に広がった。

「なんか久しぶりですねぇ」
「・・そう、ですね」

本当は久しぶりなんかじゃないんだけどな・・・なんて思いながらイルカも相槌を打った。
ついこの間まで、こんなふうに一緒に呑んでいた。
薬物耐性のあるカカシは、少々の酒ぐらいじゃほとんど酔っ払ったりしないが、いつもこうやってイルカと晩酌をするのが日課だった。
そんなことを思うたび、カカシが記憶を失ったことをもどかしく思う。
コップに注いだ酒を傾け、くぅくぅと寝息をたてているサクヤが時折鳴らす変な音に微笑み合った。

「鼻、詰まってる?」
「風邪は引いてないと思いますけど・・・」

眠る顔を覗き込むイルカが、確認しながらそう言う。
顔が可愛いと、眠ってる顔も可愛いなぁなんて、我ながら親バカだ。

「わかんないことだらけで・・」
「・・・え?」
「どこで泣き出すかとか、何が言いたいのかもさっぱり」
「あぁ~」

困った顔で眉毛を下げたカカシに笑った。

「カカシさんにも苦手なものが」
「・・苦手っていうか、関わりが無かったからね」

子どもといえば七班ぐらいで、なんて言葉に頷いた。
ナルト達を受け持つまで、下忍の認定をしなかったぐらいだ。

「・・・子供はお嫌いでしたか?」
「そんなこともないよ。まさか自分になんて思いもしなかっただけで」
「・・・・・」

望んだのはアンタだと、思わず口にしそうになって思い切り酒を煽った。

「じゃあ、誰か女性に面倒を見てもらったら良いんですよ」

カカシさんならよりどりみどりですよ。
なんて、コップの底に残った酒をチビリと舐めながら、心にもないことを言う。
そんなことは嫌だと心のなかで叫んでいるのに、酒に酔った口はスルスルと滑ってしまう。

「そうねぇ・・・」

気づいたカカシに酒を注いでもらいながら、溢れそうなコップに口をつける。

「あーやっぱ、木の葉の雫はうめぇ」

大好きな酒だ。
辛口でスッキリとした喉越しのなかに独特の花のような風味が広がる。
けれど、今日はなぜかやけに辛さが喉に染みた。

「好きでしたよね、これ」
「へ・・・?」
「あれ? 違いました?」

首を傾げたカカシが、何かを思い出そうとする素振りに胸がドクリと波打った。

「・・・・好き、です」

だから、こうして一緒にいることが辛い。
どうして忘れたのかと、今にも詰ってしまいそうだ。

「え?」

熱に潤んだ瞳が、酒のせいだと誤魔化されてくれるだろうか?
驚いた顔をしたカカシに、ニイっと笑って一升瓶を指さした。

「木の葉の雫」

高いからあんまり買えねぇし。
そう言ったイルカに、カカシが吹き出す。

「ゴチになります」
「どーぞ、存分に呑んでね」

笑うカカシもそう言いながら残った酒を飲み干した。

ーーー幸せだった。

今だってけして不幸なんかじゃない。
こうして酒を酌み交わす良き友人に戻っただけの話じゃないか。
そう自分に言い聞かせて、もうこの手に戻ることはない過去に見切りをつけようと思う。
諦めることだって大事なんだと、子供にはけして言わない言葉も、大人になった自分には言い聞かせたって良いじゃないか。
そうして、いくら呑んでも酔えない酒をひたすら呑み続けたイルカは、コテンと机に突っ伏してそのまま眠ってしまった。



*****



「それは畳んだところだから遊んじゃ駄目だぞー」
「あう」

寝転んだ畳の上で、ぼんやりと片目だけを開いて声のする方を窺った。
縁側に、干しっぱなしだった洗濯物がキチンと畳んであり、その上にサクヤが乗っていた。
洗いざらしの布の感触が気持ち良いのか、ゴロゴロと転がって遊んでいる。
・・・犬か。
可笑しくなって微笑んだ。
庭先には揺れる尻尾。
楽しげに洗濯物を干す鼻歌交じりのその姿に、既視感を覚える。
いつかどこかで見たような・・・それは、とても幸せな記憶だった。

記憶・・・?

そう思ってふと考える。
そんな記憶など自分にあっただろうか?

「あっ! 駄目だって言っただろッ!」
「やーの」

イルカに見つかって、怒られたサクヤがへにょりと眉毛を下げて慌てて洗濯物の山から降りる。
庭から戻ったイルカが、縁側にいるサクヤを抱き上げ顔をしかめた。

「めーぇッ」

ぱちんと頬を叩くサクヤに、イルカがぷっと吹き出す。

「サクがめっだろ」
「いー、めっ」
「・・ったく。飯作るから待ってろ」
「あう」

畳に降ろされたサクヤが、台所に歩いて行くイルカの後をついていく。

「まごー」
「卵焼きな。好きだもんなサク」
「う」
「・・米はあるし、後は魚と味噌汁かな」

足元にまとわりつくサクヤを上手に避けながら食事の支度をするイルカを見つめ、カカシはまたも既視感に捕らわれる。
何だか胸が締め付けられて、その光景から眼が離せなくなった。

「よし、完成」

魚の焼けた香ばしい匂いが部屋中に広がる。
食卓に出来上がった食事を並べるイルカの声を聞いて、サクヤが眠ったふりをするカカシの側まではいはいでやってきた。

「かー」
「サク、駄目だぞ。まだ起こしちゃ」

サクヤを追いかけて来たイルカが、ぺちぺちと顔を叩こうとするのをやんわりと押しとどめた。

「め?」
「いつもこんなにぐっすり寝てることもないだろ?」
「あう」
「だからもう少しだけ寝かせてあげような」
「ねんね?」
「そう」

さあ、飯だとサクヤを促したイルカが、振り返ってカカシの寝顔を見つめた。

「・・よく寝てる」

小さく笑い、ふわりと髪に触れる優しい指先にドキリとした。
跳ねた髪にそっと触れ、何度も愛しげに撫でつける。
イルカがどんな顔をしているのか知りたくて、カカシはゆっくりと瞳を開くと、手を伸ばしてその腕を掴んだ。

「わっ!!」
「・・・・・」
「・・お、起きて・・・ッ?」

そのまま抱き込むように畳へ転がし、驚愕に目を見開いたままのイルカの顔を覗きこんだ。
うっすらと開かれた唇が浅い呼吸を繰り返し、黒い瞳が熱を持って揺れている。

「・・・・・」

言葉もなく見つめ合ったまま互いの唇が微かに触れると、重なる柔らかい感触に堪らなくなった。
カカシの薄い体臭と触れる体温に、押さえつけた気持ちがあっさりと引きずられていく。

「・・・・・」

イルカは潤んだ黒い瞳を伏せると、差し出した舌先でカカシの唇をペロリと舐めた。
触れたい。抱かれたい。
いつものように、耳元で好きだと囁かれて愛し合いたい。
頬に触れ、少し固い銀髪に指先を絡めたまま、啄むように甘噛みした唇が密かな音をたてる。

「ん、っん・・ん・・・」

鼻から抜けるようなイルカの甘い吐息と、熱くて柔らかな舌が貪るように求めてくるのに応えてやりながら。

「・・っ、イルカ、せんせい・・?」

夢中で口付けるイルカに、カカシは戸惑いながら名前を呼んだ。

「ーーーーーッ!」

ビクリと体を震わせ、カカシの腕の中から離れたイルカの顔が、一瞬にして青ざめる。
頬を染め、うっとりとしていた表情が、驚くカカシを見てクシャリと歪んだ。

「・・あ、・・おれ・・・」

いま、何をしていた?
信じられない思いで首を振り、唾液に濡れた唇を掌で覆う。

「せんせ・・?」
「・・すいませ・・」

今にも泣き出しそうな表情に、腕をのばした瞬間。
踵を返したイルカが、脱兎の如く家から飛び出していく。

「・・・えッ!! ちょっと・・!!」

あっという間に消えてしまった後ろ姿に、カカシは呆然としたままガリガリと頭を掻いた。

「・・えー、っと・・・」

まだ柔らかな感触の残る唇を指先でなぞりながら、小さく呟く。

「かーっ!」

カカシの側にやって来たサクヤが、何やら怒っている様子にも気付かずに、カカシは暫く呆けたようにその場所に座り込んでいたのだった。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。

1頁目

【恋は銀色の翼にのりて】
恋は銀色の翼にのりて
恋の妙薬
とある晴れた日に

【Home Sweet Home】
Home Sweet Home
もう一度あなたと恋を
夜に引き裂かれても

2頁目

【幼馴染】
幼馴染
戦場に舞う花

【白銀の月よ】
白銀の月よ
愛しい緑の木陰よ
それゆけ!湯けむり木の葉会

あなたの愛になりたい

3頁目

【その他】
Beloved One(オメガバース)
ひとりにしないで(オメガバース)
緋色の守護者(ファンタジー)
闇を駆け抜ける力(人外)
特別な愛の歌(ヤマイル風カカイル)
拍手文