いらっしゃいと招かれた家の中は、忍の家かと疑うくらい開放的な空間だった。
明るくて広い玄関から続くリビング。磨かれたフローリングの上にはいかにも高級そうなソファが鎮座し、テレビだってイルカの家のものとは比べ物にならないくらいの大きさだ。それなのに、不要な物がないというのはこんなにも開放感を感じさせるものなのだろうか。
「お、おじゃまします」
イルカはキョロキョロとあたりを見渡して、ピカピカのフローリングへと足を踏み入れた。
「うわ…っ!」
大きなガラスが嵌め込まれた窓から見える里の景色に思わず歓声を上げる。爽やかな風と暖かな日差しが差し込む部屋は、イルカが暮らしていた湿気た独身寮とは天と地ほどの差があった。
請け負う任務によって報酬に差があるのは知っていたが、まさかこれほどとは。
生活のランクが違う。
ただただポカンと部屋を見渡すイルカに、先を歩いていたカカシがちょちょいっと指先で扉を指し示した。
「トイレと風呂はそこの扉で、台所はこの部屋の奥へ入ったところにあります。あとは寝室しかないんだけど……」
「え? じゃあ俺の部屋って……」
「それなんですよねぇ」
チラリ。イルカが抱えたダンボールを受け取ったカカシが中を開いて首をかしげる。
「荷物はこれだけですか?」
「はい」
「本当に少ないね。これは?」
小さな巾着を指さされて思わず掌で隠した。
「薬です。その…」
「あぁ、抑制剤ね」
「はい」
電化製品や生活必需品は全て揃っていると聞いていたから、イルカのものは売り払うか同僚たちに引き取ってもらった。イルカが独身寮から持ってきたのは仕事で使う教材や巻物、それに僅かな着替えだけだ。
「じゃ、アンタは空いているスペースを好きに使ってくれていいから」
どうせオレは里にはあまり居ないし。そう言って、奥の部屋の扉を開いてイルカを手招きする。
カーテンのしまった薄暗い部屋の中はベッドと机が置いてあった。窓際にはいくつかの写真立てと、ウッキーくんと命名された観葉植物。
観葉植物に名前をつけているとか。くすりと笑いそうになって、部屋の中に充満する匂いにピクリと身体が反応する。
部屋を締め切っているせいで、全身を包み込むようなアルファの匂いに目眩をおこしそうになる。
「……っ…」
「ここが寝室で、あ~……」
しっかりしろ。引きずられるなと奥歯を噛み締めているイルカの隣で、カカシが失敗したとばかりに声を上げた。
「買い換えるの忘れてた」
「……?」
「さすがに男二人じゃこのベッドは狭いですよねぇ」
「は?」
「おや、平気なの?」
キョトンという顔をしたカカシの言葉を反芻する。
今なんて言った? 男二人で、ベッド……?
「もしかして、ここで一緒に寝るつもりなんですか……っ!?」
冗談だろ。そう言いかけたイルカの目の前で、カカシが至極真面目な顔で頷いた。
「そうだけど。って、まさかアンタ、オレに床で寝ろとでも?」
いやいや。どこの中忍が上忍にむかってベッドを譲れなんて恐れ多いことを言うんだよ。そもそもここはカカシの家で、イルカは居候の身だというのに。
「俺が床で寝ますんで布団だけ貸してください」
「いいけど。ヒートのときはどうするつもり?」
床じゃ背中が痛いでしょう。なんて妙な心配をしだした上忍の足を、
「もう黙っててください!」
イルカは怒りに任せて踏みつけた。
*****
だだっ広い部屋の一角を間借りして作ったスペースは、どう考えても部屋のインテリアを損ねている。支給服こそ寝室のクローゼットを借りられたものの、取り出した巻物の置き場所を考えあぐねて結局ダンボールの中にしまい込んだ。
やはり棚の一つでも持ってくるべきだったか。
なんて考えて、この部屋にはそぐわないと頭を振る。諦めてため息を付いた時、イチャパラを閉じたカカシが近づいてきた。
「腹へってませんか?」
言われて気づいたとばかりにクルルと腹の虫が鳴る。
そういえば、退寮手続きや引っ越しで朝食も食いっぱぐれていたか。
「よかったら俺がつくりますよ」
「良いの?」
「居候なのでそれぐらいは」
「じゃ、お言葉に甘えて。食材は冷蔵庫に入っているのを適当に使ってくれて構いませんから」
それだけ言うと、カカシは興味を失ったとばかりにソファにごろりと横になった。片手には先程まで熱心に読んでいたいかがわしい本。愛読書なのか、本棚には指南書や他の書物などと一緒にシリーズ一式が並んでいた。
まさかナルトたちの前でも読んでいるんじゃないだろうな? 一抹の不安を抱えつつ、冷蔵庫の中を覗く。
ストイックな上忍らしく、沢山の野菜や果物が並べられた中で高級そうな木箱を見つけて取り出した。
「うわっ」
開けてびっくり。思わず声を上げてしまうほど綺麗なサシが入った霜降り肉を前に、無意識でゴクリと喉が鳴った。
「こんなもんが冷蔵庫に入っているとか、さすが上忍……」
「なにそれ」
「わっ!」
ひょいっと背後から顔を出したカカシが堪えきれないとばかりにくくくっと喉を鳴らす。
「いきなり背後に立たないでくださいよっ」
「あ~、スミマセン。あまりにじっと見てるもんで何かなと……って肉ですか」
「肉です」
「それがどうかした?」
小首をかしげたカカシが、冷蔵庫から冷えたペットボトルを取り出す。プシュッという空気の抜ける音に目をやると、カカシおもむろに口布を下げた。
「げっ」
「……なに、その反応」
失礼なとばかりに、目の前の美丈夫が顔をしかめる。その顔さえ見惚れてしまうほど整っていて、危うく高級牛肉を取り落しそうになった。
「すみません。初めてお顔を拝見したもので」
「?」
「ムカつくくらいオトコマエですね」
「……そりゃどーも」
興味がないのか、言われ慣れているのか。薄い反応を返したカカシがイルカが手にした木箱を覗き込む。
「すき焼きでもしますか?」
「昼間っからっ!?」
「昼飯でも別に構わないでしょ」
さらりと口にしたカカシに、木箱を抱えて詰め寄った。
「構いますよっ! 良いですか、すき焼きってのは、ちょっとした記念日に家族揃って食べる特別な料理なんです。ましてやこんな上等な肉……っ」
「記念日みたいなもんですよね」
「は?」
「家族も揃ってるし」
イルカとカカシ。互いを指し示す指の動きにつられて視線が動く。
「ん?」
男から見ても十分すぎるほど端正な顔が、見惚れたイルカへと近づいてくる。
鼻先が耳の裏をかすめる感触。
「──ヒ……ッ!」
スンッと匂いを嗅ぐ仕草に、イルカは手にした木箱を取り落した。
「ひどいじゃない」
「はたけ上忍が悪いんですよ」
上忍ならばあれぐらい余裕で避けられたはずだから、絶対にわざと直撃させたに違いない。足の甲を厭味ったらしく撫ぜたカカシに、イルカは知らぬ顔をして鍋から肉をつまんだ。
「上忍に怪我させるなんて、任務に支障が出たらどうするつもりよ」
負傷したであろう場所は赤味もすっかり消えて、今は僅かにかすり傷が見えるばかりだ。
それをネチネチといつまでも。
しつこいにしても程がある。
「だいたい匂いを嗅ぐなんて普通でしょ」
「普通じゃありませんっ! むしろ失礼です」
ぷりぷりと怒りながらも醤油と砂糖で甘じょっぱく味付けされた肉に卵を絡めると、白飯を包んで口の中に放り込む。ほろり、ととろける食感とともに、甘い肉の風味が鼻から抜けていく。幸せというのはこういうことを言うんだなと、あっという間に消えてなくなる肉を噛み締めた。
「うま……」
カカシの無礼もうっかり許してしまいそうになる旨さ。はっきり言って、こんなに上等の肉を食べるのは生まれて初めてだ。
「やべぇ、旨すぎ」
「そりゃ良かった」
口いっぱいに頬張るイルカを横目にカカシがビールを口にする。ニコリと極上の笑顔で微笑まれて、慌てて視線を器に戻した。
「でも匂いを嗅いだことは許していませんから」
「なにそれ。タバタにも嗅がせていたくせに」
「あれはタバタ上忍が勝手にっ!!」
「ほら、やっぱり嗅がせていたじゃない。というか、警告していましたよね。ほんっと危機感がないんだから」
「う………」
火影室でカカシに言われた事を思い出し、思わず怯んだ。
あんな事は受付でのアクシデントの一つに過ぎないと言い切れないのがオメガの辛いところだ。あれがもし人気の少ない夜間や早朝だったら?
ごくん。一気に味気なくなった肉を飲み込んで、茶碗を置いた。
そもそもイルカがアルファに襲われたとして、ベータだらけの受付では抵抗できる者など居ないのだ。
「………」
カカシが良いか悪いかは置いておいて、契約を結ぶにはいい機会だったのかもしれない。
「そういえば名前どうします?」
「は?」
「アンタのことはイルカさんで良いの? ナルトたちはイルカ先生なんて呼んでましたっけ」
先生、なんてちょっとエロいですよねぇ。
のほほんとビール片手に馬鹿なことを言い出したカカシに呆れて顔を上げた。
「はたけ上忍」
「番になるんだから階級呼びは却下」
「じゃあカカシ……さん」
「呼び捨てでもオレは構わないけど」
「そういうわけにはいきません」
「おかたいねぇ、イルカせんせ」
やっぱりエロ。なんて、ふざけているのかいないのか測りかねると眉を寄せたイルカに、カカシがふと真面目な顔をしてにじり寄ってきた。
「……な、なんですか……」
「そろそろ緊張も解れましたか?」
誂いを取っ払った静かな声色。イルカを見つめる眼がゆっくりと細められ、自分が知らずに気を張っていたのだと知る。そして、それをカカシに見透かされていたことも。
白くて長い指にぎゅっと手を握られて、視線がカカシと繋がれた手の間で彷徨う。気づいたら、カカシが探るような顔でイルカを見ていた。
憂いをたたえた目元にすっと通った鼻筋。酷薄なそうな口元の下には小さな黒子。顔を縦に切る裂傷があるとはいえ、口布と額当てを取っ払ったカカシの顔はどうして隠しているのかと不思議になるほど整っている。イルカには嫌味にさえ感じる素顔だが、それを今口にできる余裕はなかった。
「………ッ…」
触れられたところから熱が灯り、内側へと向かって広がっていく。
ずくりと腰が疼く感覚に、イルカは無意識で内腿を擦り合わせた。唇から漏れる呼吸が浅くなり、心臓が早鐘を打ったように大きく鼓動する。
熱い──、そう感じたイルカの前で、カカシが息を吸い込むのがわかった。
「いい匂い」
「やめ……っ」
「先生の匂い嫌いじゃないけど、先生はどう?」
「な、に…?」
「オレの匂い、好きですか?」
強引に繋いだ手を引っ張られ、前のめりになった身体が倒れかかる。当然のように受け止めたカカシの頬が擦り合わされて、首筋に唇が触れた。耳元にかかる吐息と、カカシ──アルファの──匂いに激しく脳が揺さぶられる。このまま縋り付いてしまいたい衝動を抑えて、拳でカカシの胸を叩いた。
「は、はなしてくださ──……」
「どうして?」
問われて言葉に詰まる。
血液が爪先から駆け上がってくる感覚とともにじわりと汗がにじむ。このままでは駄目だ。流されてしまいそうになると藻掻くのに、抱いた腕は離すまいと強くなるばかりだ。
「も…、発情…しちまいそうになる……」
絞り出した声に、耳元で小さく息を呑む音が聞こえた。
「なにそれ……凄い誘い文句」
誂い半分の言葉とは裏腹に、カカシが苦笑しながらイルカを解放する。
「別に…誘っていませんし、番にしてほしいとも思っていませんから」
憎まれ口をたたいてみたものの、鼻先をふわりと香るアルファの匂いに項が熱くなる。銀糸の髪の隙間から、何かを耐えるみたいに刻まれた眉間の皺が見えた。
俺相手になんて顔してんだよ、この人…。
それが切羽詰まった雄の顔に見えて、イルカは火照りの引かない身体を抱えたまま慌てて視線をそらした。
───じゃあ、俺は?
カカシからみた俺は、いったいどんな顔をしているのだろう。
そんな事を考えた瞬間、後ろからどろりと溢れ出したものに気づいて泣きたくなった。
明るくて広い玄関から続くリビング。磨かれたフローリングの上にはいかにも高級そうなソファが鎮座し、テレビだってイルカの家のものとは比べ物にならないくらいの大きさだ。それなのに、不要な物がないというのはこんなにも開放感を感じさせるものなのだろうか。
「お、おじゃまします」
イルカはキョロキョロとあたりを見渡して、ピカピカのフローリングへと足を踏み入れた。
「うわ…っ!」
大きなガラスが嵌め込まれた窓から見える里の景色に思わず歓声を上げる。爽やかな風と暖かな日差しが差し込む部屋は、イルカが暮らしていた湿気た独身寮とは天と地ほどの差があった。
請け負う任務によって報酬に差があるのは知っていたが、まさかこれほどとは。
生活のランクが違う。
ただただポカンと部屋を見渡すイルカに、先を歩いていたカカシがちょちょいっと指先で扉を指し示した。
「トイレと風呂はそこの扉で、台所はこの部屋の奥へ入ったところにあります。あとは寝室しかないんだけど……」
「え? じゃあ俺の部屋って……」
「それなんですよねぇ」
チラリ。イルカが抱えたダンボールを受け取ったカカシが中を開いて首をかしげる。
「荷物はこれだけですか?」
「はい」
「本当に少ないね。これは?」
小さな巾着を指さされて思わず掌で隠した。
「薬です。その…」
「あぁ、抑制剤ね」
「はい」
電化製品や生活必需品は全て揃っていると聞いていたから、イルカのものは売り払うか同僚たちに引き取ってもらった。イルカが独身寮から持ってきたのは仕事で使う教材や巻物、それに僅かな着替えだけだ。
「じゃ、アンタは空いているスペースを好きに使ってくれていいから」
どうせオレは里にはあまり居ないし。そう言って、奥の部屋の扉を開いてイルカを手招きする。
カーテンのしまった薄暗い部屋の中はベッドと机が置いてあった。窓際にはいくつかの写真立てと、ウッキーくんと命名された観葉植物。
観葉植物に名前をつけているとか。くすりと笑いそうになって、部屋の中に充満する匂いにピクリと身体が反応する。
部屋を締め切っているせいで、全身を包み込むようなアルファの匂いに目眩をおこしそうになる。
「……っ…」
「ここが寝室で、あ~……」
しっかりしろ。引きずられるなと奥歯を噛み締めているイルカの隣で、カカシが失敗したとばかりに声を上げた。
「買い換えるの忘れてた」
「……?」
「さすがに男二人じゃこのベッドは狭いですよねぇ」
「は?」
「おや、平気なの?」
キョトンという顔をしたカカシの言葉を反芻する。
今なんて言った? 男二人で、ベッド……?
「もしかして、ここで一緒に寝るつもりなんですか……っ!?」
冗談だろ。そう言いかけたイルカの目の前で、カカシが至極真面目な顔で頷いた。
「そうだけど。って、まさかアンタ、オレに床で寝ろとでも?」
いやいや。どこの中忍が上忍にむかってベッドを譲れなんて恐れ多いことを言うんだよ。そもそもここはカカシの家で、イルカは居候の身だというのに。
「俺が床で寝ますんで布団だけ貸してください」
「いいけど。ヒートのときはどうするつもり?」
床じゃ背中が痛いでしょう。なんて妙な心配をしだした上忍の足を、
「もう黙っててください!」
イルカは怒りに任せて踏みつけた。
*****
だだっ広い部屋の一角を間借りして作ったスペースは、どう考えても部屋のインテリアを損ねている。支給服こそ寝室のクローゼットを借りられたものの、取り出した巻物の置き場所を考えあぐねて結局ダンボールの中にしまい込んだ。
やはり棚の一つでも持ってくるべきだったか。
なんて考えて、この部屋にはそぐわないと頭を振る。諦めてため息を付いた時、イチャパラを閉じたカカシが近づいてきた。
「腹へってませんか?」
言われて気づいたとばかりにクルルと腹の虫が鳴る。
そういえば、退寮手続きや引っ越しで朝食も食いっぱぐれていたか。
「よかったら俺がつくりますよ」
「良いの?」
「居候なのでそれぐらいは」
「じゃ、お言葉に甘えて。食材は冷蔵庫に入っているのを適当に使ってくれて構いませんから」
それだけ言うと、カカシは興味を失ったとばかりにソファにごろりと横になった。片手には先程まで熱心に読んでいたいかがわしい本。愛読書なのか、本棚には指南書や他の書物などと一緒にシリーズ一式が並んでいた。
まさかナルトたちの前でも読んでいるんじゃないだろうな? 一抹の不安を抱えつつ、冷蔵庫の中を覗く。
ストイックな上忍らしく、沢山の野菜や果物が並べられた中で高級そうな木箱を見つけて取り出した。
「うわっ」
開けてびっくり。思わず声を上げてしまうほど綺麗なサシが入った霜降り肉を前に、無意識でゴクリと喉が鳴った。
「こんなもんが冷蔵庫に入っているとか、さすが上忍……」
「なにそれ」
「わっ!」
ひょいっと背後から顔を出したカカシが堪えきれないとばかりにくくくっと喉を鳴らす。
「いきなり背後に立たないでくださいよっ」
「あ~、スミマセン。あまりにじっと見てるもんで何かなと……って肉ですか」
「肉です」
「それがどうかした?」
小首をかしげたカカシが、冷蔵庫から冷えたペットボトルを取り出す。プシュッという空気の抜ける音に目をやると、カカシおもむろに口布を下げた。
「げっ」
「……なに、その反応」
失礼なとばかりに、目の前の美丈夫が顔をしかめる。その顔さえ見惚れてしまうほど整っていて、危うく高級牛肉を取り落しそうになった。
「すみません。初めてお顔を拝見したもので」
「?」
「ムカつくくらいオトコマエですね」
「……そりゃどーも」
興味がないのか、言われ慣れているのか。薄い反応を返したカカシがイルカが手にした木箱を覗き込む。
「すき焼きでもしますか?」
「昼間っからっ!?」
「昼飯でも別に構わないでしょ」
さらりと口にしたカカシに、木箱を抱えて詰め寄った。
「構いますよっ! 良いですか、すき焼きってのは、ちょっとした記念日に家族揃って食べる特別な料理なんです。ましてやこんな上等な肉……っ」
「記念日みたいなもんですよね」
「は?」
「家族も揃ってるし」
イルカとカカシ。互いを指し示す指の動きにつられて視線が動く。
「ん?」
男から見ても十分すぎるほど端正な顔が、見惚れたイルカへと近づいてくる。
鼻先が耳の裏をかすめる感触。
「──ヒ……ッ!」
スンッと匂いを嗅ぐ仕草に、イルカは手にした木箱を取り落した。
「ひどいじゃない」
「はたけ上忍が悪いんですよ」
上忍ならばあれぐらい余裕で避けられたはずだから、絶対にわざと直撃させたに違いない。足の甲を厭味ったらしく撫ぜたカカシに、イルカは知らぬ顔をして鍋から肉をつまんだ。
「上忍に怪我させるなんて、任務に支障が出たらどうするつもりよ」
負傷したであろう場所は赤味もすっかり消えて、今は僅かにかすり傷が見えるばかりだ。
それをネチネチといつまでも。
しつこいにしても程がある。
「だいたい匂いを嗅ぐなんて普通でしょ」
「普通じゃありませんっ! むしろ失礼です」
ぷりぷりと怒りながらも醤油と砂糖で甘じょっぱく味付けされた肉に卵を絡めると、白飯を包んで口の中に放り込む。ほろり、ととろける食感とともに、甘い肉の風味が鼻から抜けていく。幸せというのはこういうことを言うんだなと、あっという間に消えてなくなる肉を噛み締めた。
「うま……」
カカシの無礼もうっかり許してしまいそうになる旨さ。はっきり言って、こんなに上等の肉を食べるのは生まれて初めてだ。
「やべぇ、旨すぎ」
「そりゃ良かった」
口いっぱいに頬張るイルカを横目にカカシがビールを口にする。ニコリと極上の笑顔で微笑まれて、慌てて視線を器に戻した。
「でも匂いを嗅いだことは許していませんから」
「なにそれ。タバタにも嗅がせていたくせに」
「あれはタバタ上忍が勝手にっ!!」
「ほら、やっぱり嗅がせていたじゃない。というか、警告していましたよね。ほんっと危機感がないんだから」
「う………」
火影室でカカシに言われた事を思い出し、思わず怯んだ。
あんな事は受付でのアクシデントの一つに過ぎないと言い切れないのがオメガの辛いところだ。あれがもし人気の少ない夜間や早朝だったら?
ごくん。一気に味気なくなった肉を飲み込んで、茶碗を置いた。
そもそもイルカがアルファに襲われたとして、ベータだらけの受付では抵抗できる者など居ないのだ。
「………」
カカシが良いか悪いかは置いておいて、契約を結ぶにはいい機会だったのかもしれない。
「そういえば名前どうします?」
「は?」
「アンタのことはイルカさんで良いの? ナルトたちはイルカ先生なんて呼んでましたっけ」
先生、なんてちょっとエロいですよねぇ。
のほほんとビール片手に馬鹿なことを言い出したカカシに呆れて顔を上げた。
「はたけ上忍」
「番になるんだから階級呼びは却下」
「じゃあカカシ……さん」
「呼び捨てでもオレは構わないけど」
「そういうわけにはいきません」
「おかたいねぇ、イルカせんせ」
やっぱりエロ。なんて、ふざけているのかいないのか測りかねると眉を寄せたイルカに、カカシがふと真面目な顔をしてにじり寄ってきた。
「……な、なんですか……」
「そろそろ緊張も解れましたか?」
誂いを取っ払った静かな声色。イルカを見つめる眼がゆっくりと細められ、自分が知らずに気を張っていたのだと知る。そして、それをカカシに見透かされていたことも。
白くて長い指にぎゅっと手を握られて、視線がカカシと繋がれた手の間で彷徨う。気づいたら、カカシが探るような顔でイルカを見ていた。
憂いをたたえた目元にすっと通った鼻筋。酷薄なそうな口元の下には小さな黒子。顔を縦に切る裂傷があるとはいえ、口布と額当てを取っ払ったカカシの顔はどうして隠しているのかと不思議になるほど整っている。イルカには嫌味にさえ感じる素顔だが、それを今口にできる余裕はなかった。
「………ッ…」
触れられたところから熱が灯り、内側へと向かって広がっていく。
ずくりと腰が疼く感覚に、イルカは無意識で内腿を擦り合わせた。唇から漏れる呼吸が浅くなり、心臓が早鐘を打ったように大きく鼓動する。
熱い──、そう感じたイルカの前で、カカシが息を吸い込むのがわかった。
「いい匂い」
「やめ……っ」
「先生の匂い嫌いじゃないけど、先生はどう?」
「な、に…?」
「オレの匂い、好きですか?」
強引に繋いだ手を引っ張られ、前のめりになった身体が倒れかかる。当然のように受け止めたカカシの頬が擦り合わされて、首筋に唇が触れた。耳元にかかる吐息と、カカシ──アルファの──匂いに激しく脳が揺さぶられる。このまま縋り付いてしまいたい衝動を抑えて、拳でカカシの胸を叩いた。
「は、はなしてくださ──……」
「どうして?」
問われて言葉に詰まる。
血液が爪先から駆け上がってくる感覚とともにじわりと汗がにじむ。このままでは駄目だ。流されてしまいそうになると藻掻くのに、抱いた腕は離すまいと強くなるばかりだ。
「も…、発情…しちまいそうになる……」
絞り出した声に、耳元で小さく息を呑む音が聞こえた。
「なにそれ……凄い誘い文句」
誂い半分の言葉とは裏腹に、カカシが苦笑しながらイルカを解放する。
「別に…誘っていませんし、番にしてほしいとも思っていませんから」
憎まれ口をたたいてみたものの、鼻先をふわりと香るアルファの匂いに項が熱くなる。銀糸の髪の隙間から、何かを耐えるみたいに刻まれた眉間の皺が見えた。
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