「眠ったのか」
「もうぐっすり」
頑なにカカシのベッドで眠ることを固辞したイルカは、ベッドマットこそ敷いてあるものの、固いフローリングの上で外套に包まり爆睡中である。
「警戒心がないと言うか、オメガのくせに随分と神経図太いよねぇ」
忍だから床で寝るのは苦にならないとはいえ、あれだけ脅してやったというのに少しは身の危険を感じないものなのだろうか。
「……それともオレなんて眼中にないってこと?」
くうくう。安らかな寝息をたてて眠る姿に、カカシがそれはそれで面白くないけれどとぼやく。
「カカシよ…、こやつはみたところオスじゃが」
「そうだねぇ」
「本気でこのオスと番になるつもりか?」
「オスが好きなのか、カカシ」
「あはは」
まじまじ。忍犬達に怪訝な顔で覗き込まれて思わず笑ってしまった。
カカシの肩口に乗りイルカを見下ろしていた忍犬が、軽やかに床に着地する。とんっという小さな着地音に、イルカが軽く身じろぎした。
「この人、うみの隊長の忘れ形見なんだって」
「うみのイッカクか」
「そ。パックンは会ったことあるでしょ」
「暑苦しい男じゃったな」
しかつめらしい顔を更にしわくちゃにしたパックンに笑いが漏れる。
思い出すのは、いかつい顔にユーモラスなちょび髭をたくわえた上忍の姿だ。けして洗練された戦いをする忍ではなかったけれど、統率力があり皆に慕われる男だった。
共に戦地に赴いたのは一度だけ。カカシがサクモを亡くしてしばらく経った頃だったか。
『俺にもおめぇぐらいの息子がいるんだ』
そう言って、照れくさそうに笑っていた。
『いつまでも甘ったれで、父ちゃん、父ちゃんって俺の後を付いてまわってよぉ。今日だって一緒に任務に行くって言って拗ねて泣きやがる。まだアカデミーも卒業してねぇくせにだぞ』
すでに中忍であるカカシからしてみれば、いまだアカデミー生の息子とやらは甘ったれた子供にしか思えなかったのだが、可愛くてたまらないとばかりに語る顔に小さく頷いた。
『顔だって俺に似てべらぼうに可愛くてな』
アンタに似て可愛いはないでしょ。
ちょび髭を指先で撫でる姿に、思わず突っ込みそうになるのをなんとか我慢する。
『父ちゃんみたいな上忍になるんだっ、なんて眼をキラキラさせて言いやがる』
いかつい面をくしゃくしゃに破顔させた顔が、揺れる焚き火に照らされていた。
『……おめぇにぴったりだと思うんだ』
なにが? とは敵襲を知らせる呼笛に問い返すことは出来なかった。
その後木の葉に九尾が襲来し、うみのイッカクと顔を合わせる機会は永遠に失われてしまったのだが。
「うみのさん」
あなたの息子は上忍でこそないけれど、仇である九尾を憎まず導ける強い忍なりましたよ。
すよすよと幸せそうに眠るイルカに彼の父親の姿がかぶる。その横顔が得意そうに笑った気がした。
カカシは眠るイルカの髪を掻き上げると、顔を横切る傷痕を撫ぜた。イッカクが何をもってカカシにぴったりだと言ったのかはわからないが、顔だけ見ればどこにでもいそうな平凡な男だ。
「ま、可愛いと言っちゃ可愛いかな?」
「気に入ったのか」
「悪くはないでしょ」
「……拙者には人間の美醜はわからん」
フンッと鼻を鳴らしたパックンが、フローリングからイルカを抱えあげようとしたカカシを見上げる。
「ん…っ」
「ハイハイ、まだ寝ててちょうだいね」
むずがるイルカの腕を首へとまわさせると、温かい身体がぎゅっとしがみついてきた。ふわりと甘い匂いが鼻腔を刺激する。
「寝室へ連れて行くのか」
「どうせオレはこれから任務だし、床の上じゃ可哀想でしょ」
イルカを抱えたカカシが寝室の扉を開くのに、カツカツとフローリングの床を引っ掻いて忍犬達も後ろへ続く。
「一緒に寝るのか、カカシ」
「交尾するのか」
「ははっ、直接的だねぇ」
足元にまとわり付く忍犬たちを、イルカを抱えたままひょいひょいと避けて歩く。
「ところでカカシよ。お主、薬は飲んでいるのか?」
「……飲んでなきゃ任務なんて行けないーよ」
カカシに匂いを嗅がれ、ハリネズミの如く毛を逆立てて威嚇していた姿を思い出して苦笑した。
起こさないようにイルカをベッドへ寝かせれば、離れた腕が捕まるものを探して再び縋り付いてきた。
女のように柔らかくも優しくもない身体だけれど、イルカから立ちのぼる芳香は密着すればするほど甘くなる。
「───……っ!」
発情期が近いのだろう。抑制剤を飲んでいてさえ感じる濃密な匂いにうっかり兆しそうになって笑った。
「ねぇ、パックン。番ってなんだろうねぇ」
「なんじゃ、いまさら」
「……大事なものはもう作らないつもりだったのに」
呟いて、イルカの首筋に顔を埋め、甘い匂いを胸いっぱいに吸い込む。
「ほんと、任務どころじゃなくなりそうで困る」
「交尾か! カカシっ!!」
「俺たちここに居たらまずいワン!」
「お主ら、いったい何を言っておるんじゃ」
これじゃ蛇の生殺しだと天を仰いだカカシに、パックンが呆れた顔で呟いた。
*****
「来たな。新婚さん」
「新婚っていうな」
教員室での聞きたいけれど聞いてはいけない雰囲気とは違って、気心がしれた受付は容赦がない。
「どうよ、カカッさんとの生活は?」
「もう番にはなったのか?」
番ってなんだっけな。と、いろいろ疲れ果てた頭で考えた。
初めてカカシの家で寝泊まりした朝、知らぬ間にベッドへ移動させられていたのには驚いたけれど、目覚めたときにカカシの姿はすでになかった。
「あのヒト、忙しすぎてあんま家にも帰ってこねぇからな」
教師であるイルカと、単独任務と上忍師を兼任するカカシとでは基本的に生活時間帯がすれ違う。一緒に食事をしたことは何度かあるものの、会話は日常のたわいない話やもっぱらナルトたちの任務のことで、イルカはカカシとそういった雰囲気になることを避けていた。もちろん番云々の話よりも、カカシから子供たちの成長を聞くことのほうが嬉しかったというのが本音なのだけれど。
「すでに飽きられたとかお前……、まぁ、イルカだもんなぁ……」
なんだその哀れみを含んだ視線は。
そもそもが半分は脅されて結んだ契約なんだから、勝手に振られたことにすんじゃねぇ。
「はたけ上忍なら昨日も急ぎの任務が入ってたぞ。あぁ、あった。これとこれ…あー、これが最後かな」
交代要員の同僚が、書類の束から任務依頼書を取り出して見せる。
単独のAランク。どうやらカカシは帰還もせずに、出ずっぱりで任務を請け続けているらしい。なるほど顔を合わせないはずだと頷いた。
「新婚にも任務を振り分けるとは、里もえげつねぇな」
「まったくだ。イチャイチャする暇もないなんて気の毒すぎるぜ」
「恥ずかしい言い方すんな。だいたいカカシさんと俺は別にそんなんじゃねぇし」
「そんなのって?」
「うるせぇな、ごちゃごちゃ言ってねぇで仕事しろっ」
興味津々。明らかにからかわれているのがわかっているから、イルカは相手にするのをやめて席についた。未整理の書類に手を伸ばし、手早くランクごとに振り分けていく。請け手の少ない高ランクの任務をどう采配するかは受付の腕次第なのだが、昨今の情勢不安で里も人手不足におちいっている。さてどうすべきかと思案していると、隣でイワシが小さな唸り声をあげた。
「それ、Sランクか?」
「あ~、まぁな」
頭を悩ませるのはやはり同じらしい。互いに顔を見合わせ合い、どうしたもんかと同時にため息をつく。
「というか、いいのかよ。ここに居て」
「なにがだ?」
先程の同僚たちの誂いにも参加していなかったイワシの言葉に首を傾げる。
「しばらく受付の仕事は免除してもらえてただろ? その、そろそろアレも始まるってんで」
アレという言葉に眉をしかめた。
「構わねぇよ。どっちにしろカカシさんが任務じゃしょうがねぇし」
「カカシさん……、ね」
「んだよ」
意味深な笑いを浮かべたイワシが、照れ隠しに睨みつけたイルカに首を振る。
「割り振っておいてなんだけど、あの人ぐらいなんだよな。Sランクを文句も言わねぇで請けてくれるの。しかも上忍師の仕事も兼任とか、本当なら身体がいくつあっても足りねぇってのに」
「しかも休み無しだろ?」
「ほんと、助かるよなぁ」
「はたけ上忍、さまさまだっての」
「………」
確認した依頼書の内容は、どう考えても完遂まで数日はかかる案件だ。
身を削って任務に出ているカカシを思いやるどころか、快適な空間を一人っきりで満喫などと一瞬でも喜んでいた自分が恥ずかしい。
帰還日にはなにか精のつくものでも用意しておこう。
反省したイルカの前に、報告書の束が差し出された。
「……イルカ?」
「───タバタ上忍っ! お疲れさまです」
「おう、こっちに出勤していたんだな」
筋骨隆々とした身体つきからは想像もつかない繊細な文字で書かれた書類に目を通すと、素早く受領印を押す。
「確認しました。早速ですが、次の任務をお伝えしてもよろしいですか?」
「あ~、やっぱ休みなしか」
「申し訳ありません。お疲れなのは重々承知しているんですけど、なんせ猫の手も借りたいほどの人手不足で」
「そうだなぁ……」
依頼書を捲ったイルカの手を、タバタが掴んだ。その強さに驚いてイルカが顔を上げる。
「カカシは任務中か?」
「えぇ」
「なら一杯付き合えよ」
「は?」
「付き合ってくれたらその任務、請けてやるよ」
「交換条件ですか」
「あぁ」
「俺なんかの酌で良いなんて、どんだけ安い任務なんですか」
「なぁ、イルカ。どうせ帰っても一人なんだろ?」
「タバタ上忍そいつは…っ!!」
掴まれた手が痛い。止めに入ったイワシを制し、痛みで顰めそうになるのをかろうじで笑顔にとどめた。
「スミマセン。先程カカシさんから帰還する旨の式を受け取りましたので」
どうしてだろう。
今日は戻ってこないとわかっているのに嘘をついてしまった。
「悪かったな。うまく庇ってやれなくて」
ボソリと呟いたイワシの肩を、気にするなと叩いた。
「アレぐらいあしらえなきゃ受付業務なんてやってらんねぇだろ」
受付には様々な忍がやってくる。任務帰りで殺気立った者を宥めたり、任務失敗して落ち込む者を慰めて奮起させるのも受付の仕事だったりするのだ。
「上手くあしらえてるうちは良いんだけどよ」
「タバタ上忍か? イワシは心配し過ぎだっての。こんなこと何度かあっただろ?」
いくら抑制剤で匂いを抑えていても、鼻のいい者はどこにでもいる。危ない目に合ったことがないとは言わないけれど、一応の危機回避能力は身につけているつもりだ。
「今回は引き下がってくれたから良かったけど、気をつけてくれよ。しっかし、狙われているのがお前っていうのがもう笑うに笑えねぇっていうか……」
「おい」
ため息交じりに呟かれた言葉に、思わず突っ込んだ。
「俺は別にアルファと番たいわけじゃないからな。知ってるだろ、俺が気立ての良い可愛い嫁さんをもらう夢を持っていたことを」
「叶わぬ夢か」
「叶わぬって言うな」
ゴツっと拳で叩いたところで、受付の扉から顔をのぞかせた人物に目を見開いた。
「あれ? 先生、まだ居たの?」
「カカシさんこそ、戻ってこられたんですか?」
まさか本日中の帰還はあるまいと思っていたが、嘘が誠になったらしい。とはいえ、室内に入ってきたカカシの姿に思わず絶句した。
一言で言うならドロドロのボロボロ。外套は破れて汚れきっているし、綺麗な銀髪は泥と埃にまみれてくすんでいる。
でも、そんなことよりも───。
「どこか怪我を!?」
べっとりと血糊がこびりついた忍服に、衝動的にカカシの両腕を掴んだ。
「あ~、ちがいます。これはただの返り血で」
無傷だと告げる言葉にホッと息をついた。
「無事のご帰還、お疲れさまでした」
「どーも。はいこれ、報告書ね。お願いします」
「お預かりします」
「いや~、まさか先生が残っているとは思わなくて。急いで帰ってきた甲斐がありました」
「俺もこんなに早い帰還になるとは思いませんでしたよ」
嫌味に聞こえたか。一瞬ヒヤリとしたものの、カカシが嬉しそうに目を細めた。
「そりゃ、新妻放っておくわけにはいかないでしょ」
カカシの言葉に、ざわついていた受付の視線が集まる。イルカも書類を確認していた手を止めて、恐る恐るカカシを見上げた。
「……にいづまって。その薄気味悪いセリフ、もしかしなくても俺のことでしょうか」
「先生以外誰が居るの? あ~、でも新妻ってなんかエロいですよね」
イチャパラなんかを愛読しているせいか、時々言動がおかしいと感じるのはこの際無視しよう。
それよりも、こんな男を里が誇る上忍だと思っていたなんてどうかしていた。訂正する。ただの変な人だ。
「不備も記載漏れもありませんね。お疲れさまでした」
「で、それは次の依頼書?」
コツン。タバタに渡しそびれた依頼書を指先で突かれて思わず両手で隠した。
「違うの?」
「………」
紛うことない依頼書だ。それもSランク。たった今、Aランクの任務を完遂させて戻ってきたカカシに振り分けるべき任務ではない。
「請けてもいいですよ」
「いえ」
渡せと要求したカカシに首を横に振る。
「依頼をどう振り分けるのかは受付に一任されていますので」
「どうせ請ける人が居ないんでしょ」
「それはこちらが判断します。俺は今、カカシさんに必要なのは休息だと考えます」
だって、見るからに顔色が悪い。負傷していないとは言っているが、明らかにチャクラが足りていないのがわかる。
「そんな身体で任務に出られて失敗されては困りますから」
「………言うじゃない」
一瞬火花が散ったかと思った。
ヒヤリと冷えた空気に受付が息を呑んで見守っているのがわかるが、イルカもここで引くわけには行かない。汚れて疲弊した身体に足りないチャクラ。今にも倒れそうなくせに何が次の任務だ。
砂塵にまみれて汚れた外套をイルカは力任せに掴んだ。本調子ならイルカの動きに反応できないはずもない男があっけにとられた顔をして立ち尽くしている。ほら見たことか。イルカは苛立ち紛れに外套を剥ぎ取った。
瞬間、ふわりと空気中に舞った雄の匂いに身体が素直に反応する。気づいたカカシが舌打ちして顔を逸らすのを見て、イルカは汚れた外套をギュッと胸に抱きしめた。
「これは…、こちらで処分します。新しい支給服は手配しておきますので、カカシさんはシャワーでも浴びてさっぱりしてきてください」
「……アンタねぇ」
「つべこべ言わず、さっさと行く!」
感情をあまり見せない男の戸惑った顔というのは見ものだ。イルカはなにか言いたげな顔のカカシを回れ右させると、乱暴にその背を叩いた。
「もうぐっすり」
頑なにカカシのベッドで眠ることを固辞したイルカは、ベッドマットこそ敷いてあるものの、固いフローリングの上で外套に包まり爆睡中である。
「警戒心がないと言うか、オメガのくせに随分と神経図太いよねぇ」
忍だから床で寝るのは苦にならないとはいえ、あれだけ脅してやったというのに少しは身の危険を感じないものなのだろうか。
「……それともオレなんて眼中にないってこと?」
くうくう。安らかな寝息をたてて眠る姿に、カカシがそれはそれで面白くないけれどとぼやく。
「カカシよ…、こやつはみたところオスじゃが」
「そうだねぇ」
「本気でこのオスと番になるつもりか?」
「オスが好きなのか、カカシ」
「あはは」
まじまじ。忍犬達に怪訝な顔で覗き込まれて思わず笑ってしまった。
カカシの肩口に乗りイルカを見下ろしていた忍犬が、軽やかに床に着地する。とんっという小さな着地音に、イルカが軽く身じろぎした。
「この人、うみの隊長の忘れ形見なんだって」
「うみのイッカクか」
「そ。パックンは会ったことあるでしょ」
「暑苦しい男じゃったな」
しかつめらしい顔を更にしわくちゃにしたパックンに笑いが漏れる。
思い出すのは、いかつい顔にユーモラスなちょび髭をたくわえた上忍の姿だ。けして洗練された戦いをする忍ではなかったけれど、統率力があり皆に慕われる男だった。
共に戦地に赴いたのは一度だけ。カカシがサクモを亡くしてしばらく経った頃だったか。
『俺にもおめぇぐらいの息子がいるんだ』
そう言って、照れくさそうに笑っていた。
『いつまでも甘ったれで、父ちゃん、父ちゃんって俺の後を付いてまわってよぉ。今日だって一緒に任務に行くって言って拗ねて泣きやがる。まだアカデミーも卒業してねぇくせにだぞ』
すでに中忍であるカカシからしてみれば、いまだアカデミー生の息子とやらは甘ったれた子供にしか思えなかったのだが、可愛くてたまらないとばかりに語る顔に小さく頷いた。
『顔だって俺に似てべらぼうに可愛くてな』
アンタに似て可愛いはないでしょ。
ちょび髭を指先で撫でる姿に、思わず突っ込みそうになるのをなんとか我慢する。
『父ちゃんみたいな上忍になるんだっ、なんて眼をキラキラさせて言いやがる』
いかつい面をくしゃくしゃに破顔させた顔が、揺れる焚き火に照らされていた。
『……おめぇにぴったりだと思うんだ』
なにが? とは敵襲を知らせる呼笛に問い返すことは出来なかった。
その後木の葉に九尾が襲来し、うみのイッカクと顔を合わせる機会は永遠に失われてしまったのだが。
「うみのさん」
あなたの息子は上忍でこそないけれど、仇である九尾を憎まず導ける強い忍なりましたよ。
すよすよと幸せそうに眠るイルカに彼の父親の姿がかぶる。その横顔が得意そうに笑った気がした。
カカシは眠るイルカの髪を掻き上げると、顔を横切る傷痕を撫ぜた。イッカクが何をもってカカシにぴったりだと言ったのかはわからないが、顔だけ見ればどこにでもいそうな平凡な男だ。
「ま、可愛いと言っちゃ可愛いかな?」
「気に入ったのか」
「悪くはないでしょ」
「……拙者には人間の美醜はわからん」
フンッと鼻を鳴らしたパックンが、フローリングからイルカを抱えあげようとしたカカシを見上げる。
「ん…っ」
「ハイハイ、まだ寝ててちょうだいね」
むずがるイルカの腕を首へとまわさせると、温かい身体がぎゅっとしがみついてきた。ふわりと甘い匂いが鼻腔を刺激する。
「寝室へ連れて行くのか」
「どうせオレはこれから任務だし、床の上じゃ可哀想でしょ」
イルカを抱えたカカシが寝室の扉を開くのに、カツカツとフローリングの床を引っ掻いて忍犬達も後ろへ続く。
「一緒に寝るのか、カカシ」
「交尾するのか」
「ははっ、直接的だねぇ」
足元にまとわり付く忍犬たちを、イルカを抱えたままひょいひょいと避けて歩く。
「ところでカカシよ。お主、薬は飲んでいるのか?」
「……飲んでなきゃ任務なんて行けないーよ」
カカシに匂いを嗅がれ、ハリネズミの如く毛を逆立てて威嚇していた姿を思い出して苦笑した。
起こさないようにイルカをベッドへ寝かせれば、離れた腕が捕まるものを探して再び縋り付いてきた。
女のように柔らかくも優しくもない身体だけれど、イルカから立ちのぼる芳香は密着すればするほど甘くなる。
「───……っ!」
発情期が近いのだろう。抑制剤を飲んでいてさえ感じる濃密な匂いにうっかり兆しそうになって笑った。
「ねぇ、パックン。番ってなんだろうねぇ」
「なんじゃ、いまさら」
「……大事なものはもう作らないつもりだったのに」
呟いて、イルカの首筋に顔を埋め、甘い匂いを胸いっぱいに吸い込む。
「ほんと、任務どころじゃなくなりそうで困る」
「交尾か! カカシっ!!」
「俺たちここに居たらまずいワン!」
「お主ら、いったい何を言っておるんじゃ」
これじゃ蛇の生殺しだと天を仰いだカカシに、パックンが呆れた顔で呟いた。
*****
「来たな。新婚さん」
「新婚っていうな」
教員室での聞きたいけれど聞いてはいけない雰囲気とは違って、気心がしれた受付は容赦がない。
「どうよ、カカッさんとの生活は?」
「もう番にはなったのか?」
番ってなんだっけな。と、いろいろ疲れ果てた頭で考えた。
初めてカカシの家で寝泊まりした朝、知らぬ間にベッドへ移動させられていたのには驚いたけれど、目覚めたときにカカシの姿はすでになかった。
「あのヒト、忙しすぎてあんま家にも帰ってこねぇからな」
教師であるイルカと、単独任務と上忍師を兼任するカカシとでは基本的に生活時間帯がすれ違う。一緒に食事をしたことは何度かあるものの、会話は日常のたわいない話やもっぱらナルトたちの任務のことで、イルカはカカシとそういった雰囲気になることを避けていた。もちろん番云々の話よりも、カカシから子供たちの成長を聞くことのほうが嬉しかったというのが本音なのだけれど。
「すでに飽きられたとかお前……、まぁ、イルカだもんなぁ……」
なんだその哀れみを含んだ視線は。
そもそもが半分は脅されて結んだ契約なんだから、勝手に振られたことにすんじゃねぇ。
「はたけ上忍なら昨日も急ぎの任務が入ってたぞ。あぁ、あった。これとこれ…あー、これが最後かな」
交代要員の同僚が、書類の束から任務依頼書を取り出して見せる。
単独のAランク。どうやらカカシは帰還もせずに、出ずっぱりで任務を請け続けているらしい。なるほど顔を合わせないはずだと頷いた。
「新婚にも任務を振り分けるとは、里もえげつねぇな」
「まったくだ。イチャイチャする暇もないなんて気の毒すぎるぜ」
「恥ずかしい言い方すんな。だいたいカカシさんと俺は別にそんなんじゃねぇし」
「そんなのって?」
「うるせぇな、ごちゃごちゃ言ってねぇで仕事しろっ」
興味津々。明らかにからかわれているのがわかっているから、イルカは相手にするのをやめて席についた。未整理の書類に手を伸ばし、手早くランクごとに振り分けていく。請け手の少ない高ランクの任務をどう采配するかは受付の腕次第なのだが、昨今の情勢不安で里も人手不足におちいっている。さてどうすべきかと思案していると、隣でイワシが小さな唸り声をあげた。
「それ、Sランクか?」
「あ~、まぁな」
頭を悩ませるのはやはり同じらしい。互いに顔を見合わせ合い、どうしたもんかと同時にため息をつく。
「というか、いいのかよ。ここに居て」
「なにがだ?」
先程の同僚たちの誂いにも参加していなかったイワシの言葉に首を傾げる。
「しばらく受付の仕事は免除してもらえてただろ? その、そろそろアレも始まるってんで」
アレという言葉に眉をしかめた。
「構わねぇよ。どっちにしろカカシさんが任務じゃしょうがねぇし」
「カカシさん……、ね」
「んだよ」
意味深な笑いを浮かべたイワシが、照れ隠しに睨みつけたイルカに首を振る。
「割り振っておいてなんだけど、あの人ぐらいなんだよな。Sランクを文句も言わねぇで請けてくれるの。しかも上忍師の仕事も兼任とか、本当なら身体がいくつあっても足りねぇってのに」
「しかも休み無しだろ?」
「ほんと、助かるよなぁ」
「はたけ上忍、さまさまだっての」
「………」
確認した依頼書の内容は、どう考えても完遂まで数日はかかる案件だ。
身を削って任務に出ているカカシを思いやるどころか、快適な空間を一人っきりで満喫などと一瞬でも喜んでいた自分が恥ずかしい。
帰還日にはなにか精のつくものでも用意しておこう。
反省したイルカの前に、報告書の束が差し出された。
「……イルカ?」
「───タバタ上忍っ! お疲れさまです」
「おう、こっちに出勤していたんだな」
筋骨隆々とした身体つきからは想像もつかない繊細な文字で書かれた書類に目を通すと、素早く受領印を押す。
「確認しました。早速ですが、次の任務をお伝えしてもよろしいですか?」
「あ~、やっぱ休みなしか」
「申し訳ありません。お疲れなのは重々承知しているんですけど、なんせ猫の手も借りたいほどの人手不足で」
「そうだなぁ……」
依頼書を捲ったイルカの手を、タバタが掴んだ。その強さに驚いてイルカが顔を上げる。
「カカシは任務中か?」
「えぇ」
「なら一杯付き合えよ」
「は?」
「付き合ってくれたらその任務、請けてやるよ」
「交換条件ですか」
「あぁ」
「俺なんかの酌で良いなんて、どんだけ安い任務なんですか」
「なぁ、イルカ。どうせ帰っても一人なんだろ?」
「タバタ上忍そいつは…っ!!」
掴まれた手が痛い。止めに入ったイワシを制し、痛みで顰めそうになるのをかろうじで笑顔にとどめた。
「スミマセン。先程カカシさんから帰還する旨の式を受け取りましたので」
どうしてだろう。
今日は戻ってこないとわかっているのに嘘をついてしまった。
「悪かったな。うまく庇ってやれなくて」
ボソリと呟いたイワシの肩を、気にするなと叩いた。
「アレぐらいあしらえなきゃ受付業務なんてやってらんねぇだろ」
受付には様々な忍がやってくる。任務帰りで殺気立った者を宥めたり、任務失敗して落ち込む者を慰めて奮起させるのも受付の仕事だったりするのだ。
「上手くあしらえてるうちは良いんだけどよ」
「タバタ上忍か? イワシは心配し過ぎだっての。こんなこと何度かあっただろ?」
いくら抑制剤で匂いを抑えていても、鼻のいい者はどこにでもいる。危ない目に合ったことがないとは言わないけれど、一応の危機回避能力は身につけているつもりだ。
「今回は引き下がってくれたから良かったけど、気をつけてくれよ。しっかし、狙われているのがお前っていうのがもう笑うに笑えねぇっていうか……」
「おい」
ため息交じりに呟かれた言葉に、思わず突っ込んだ。
「俺は別にアルファと番たいわけじゃないからな。知ってるだろ、俺が気立ての良い可愛い嫁さんをもらう夢を持っていたことを」
「叶わぬ夢か」
「叶わぬって言うな」
ゴツっと拳で叩いたところで、受付の扉から顔をのぞかせた人物に目を見開いた。
「あれ? 先生、まだ居たの?」
「カカシさんこそ、戻ってこられたんですか?」
まさか本日中の帰還はあるまいと思っていたが、嘘が誠になったらしい。とはいえ、室内に入ってきたカカシの姿に思わず絶句した。
一言で言うならドロドロのボロボロ。外套は破れて汚れきっているし、綺麗な銀髪は泥と埃にまみれてくすんでいる。
でも、そんなことよりも───。
「どこか怪我を!?」
べっとりと血糊がこびりついた忍服に、衝動的にカカシの両腕を掴んだ。
「あ~、ちがいます。これはただの返り血で」
無傷だと告げる言葉にホッと息をついた。
「無事のご帰還、お疲れさまでした」
「どーも。はいこれ、報告書ね。お願いします」
「お預かりします」
「いや~、まさか先生が残っているとは思わなくて。急いで帰ってきた甲斐がありました」
「俺もこんなに早い帰還になるとは思いませんでしたよ」
嫌味に聞こえたか。一瞬ヒヤリとしたものの、カカシが嬉しそうに目を細めた。
「そりゃ、新妻放っておくわけにはいかないでしょ」
カカシの言葉に、ざわついていた受付の視線が集まる。イルカも書類を確認していた手を止めて、恐る恐るカカシを見上げた。
「……にいづまって。その薄気味悪いセリフ、もしかしなくても俺のことでしょうか」
「先生以外誰が居るの? あ~、でも新妻ってなんかエロいですよね」
イチャパラなんかを愛読しているせいか、時々言動がおかしいと感じるのはこの際無視しよう。
それよりも、こんな男を里が誇る上忍だと思っていたなんてどうかしていた。訂正する。ただの変な人だ。
「不備も記載漏れもありませんね。お疲れさまでした」
「で、それは次の依頼書?」
コツン。タバタに渡しそびれた依頼書を指先で突かれて思わず両手で隠した。
「違うの?」
「………」
紛うことない依頼書だ。それもSランク。たった今、Aランクの任務を完遂させて戻ってきたカカシに振り分けるべき任務ではない。
「請けてもいいですよ」
「いえ」
渡せと要求したカカシに首を横に振る。
「依頼をどう振り分けるのかは受付に一任されていますので」
「どうせ請ける人が居ないんでしょ」
「それはこちらが判断します。俺は今、カカシさんに必要なのは休息だと考えます」
だって、見るからに顔色が悪い。負傷していないとは言っているが、明らかにチャクラが足りていないのがわかる。
「そんな身体で任務に出られて失敗されては困りますから」
「………言うじゃない」
一瞬火花が散ったかと思った。
ヒヤリと冷えた空気に受付が息を呑んで見守っているのがわかるが、イルカもここで引くわけには行かない。汚れて疲弊した身体に足りないチャクラ。今にも倒れそうなくせに何が次の任務だ。
砂塵にまみれて汚れた外套をイルカは力任せに掴んだ。本調子ならイルカの動きに反応できないはずもない男があっけにとられた顔をして立ち尽くしている。ほら見たことか。イルカは苛立ち紛れに外套を剥ぎ取った。
瞬間、ふわりと空気中に舞った雄の匂いに身体が素直に反応する。気づいたカカシが舌打ちして顔を逸らすのを見て、イルカは汚れた外套をギュッと胸に抱きしめた。
「これは…、こちらで処分します。新しい支給服は手配しておきますので、カカシさんはシャワーでも浴びてさっぱりしてきてください」
「……アンタねぇ」
「つべこべ言わず、さっさと行く!」
感情をあまり見せない男の戸惑った顔というのは見ものだ。イルカはなにか言いたげな顔のカカシを回れ右させると、乱暴にその背を叩いた。
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【恋は銀色の翼にのりて】
恋は銀色の翼にのりて
恋の妙薬
とある晴れた日に
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もう一度あなたと恋を
夜に引き裂かれても
恋は銀色の翼にのりて
恋の妙薬
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ひとりにしないで(オメガバース)
緋色の守護者(ファンタジー)
闇を駆け抜ける力(人外)
特別な愛の歌(ヤマイル風カカイル)
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Beloved One(オメガバース)
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