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 この状況をなんと言ったら良いのだろう。
 里の最高権力者を面前に控え、隣には胡散臭い銀髪の上忍という立ち位置に、イルカはわずかに困惑して眉をしかめた。
 今年アカデミーを卒業する生徒たちの上忍師が決まったと聞いたばかりだ。
 その上忍師の中に、はたけカカシがいるということも三代目から伝えられていた。
 はたけカカシといえば、里が誇る上忍で白い牙を父親に持つ木の葉きってのエリート。その名はビンゴブックにも載る有名人だが、下忍試験では一度も合格者を出さなかったという厳しい男だ。そのカカシが初めて下忍になることを許したのがナルトたちだった。
 正直言って嬉しかった。
 自分が送り出した子供たちが、認められたのだ。誇らしいと言っても良い。
 ナルトには特に目をかけていたから、合格を知ったときは安堵と同時に思わずガッツポーツをしてしまったぐらいだ。
 俺の生徒達は立派な木の葉の忍になるんだぞと大声で叫び出したい気持ちのままおしかけた火影室に、あろうことかこの男がいたのだ。
 
「…………」

 まさかこんなところで会うなんて。
 回れ右をしたイルカを呼び止めたのは三代目だったが、沈黙は長く続いている。
 イルカは所在なさげに視線をさまよわせると、チラリと隣の男を盗み見た。
 覆面忍者というだけあって、片目しか露出していない顔からは表情を読み取ることはできない。ポケットに両手を突っ込んだ猫背気味の立ち姿はだらしなく、噂に聞くような凄腕の忍者にはとても見えなかった。 
 それにしても、この場に留められるとはいったいどういうことだろう。
 よもやナルトの上忍師になることを撤回するなどという話ではないだろうな。
 不穏な空気が不安ばかりを掻き立てる。イルカが沈黙に耐えきれず口を開こうとしたとき、ぷかりと紫煙を吐き出した三代目が袂から一通の封書を取り出した。

 「……うみのイッカクから預かっておった手紙を渡そうと思ってな。カカシ、お主宛てじゃ」
 「オレにですか?」
 「とうちゃ…いえ、父が手紙を?」

 意外だった。
 イルカの知る父はどちらかとういうと豪放磊落な性格で、「言葉よりも拳で語る」を地で行く男だ。報告書ですらめんどくせぇとばかりに母親に任せていたような父が手紙など書くとは思えない。しかもその相手が自分の息子と歳もそう変わらないカカシだなんて。

 「拝見します」

 上忍だった父親がカカシと知り合いだというのは考えられないこともないが、カカシの様子からみて手紙をしたためるほど親しい間柄だったとは思えなかった。

 「えらく古びた手紙ですね。それに封印までかけられているということは、禁術かなにかでしょうか?」
 「いや、おそらくただの手紙……、遺言といったほうが良いかの」
 「オレに遺言ねぇ」

 手にとったカカシが手紙を解こうと印を結ぶと、パシンっと空間を弾くような音がした。

 「……解術できない?」
 「解術者に指定されているのは、そこに居るうみのイルカじゃ」
 「え───…?」

 三代目の声とともに、カカシが振り返るのが見えた。
 額当てと覆面の間に見える不健康そうな白い肌。いま初めて認識したとばかりに、眠たげな瞳がイルカを捉えた瞬間鋭さを帯びた。
 まるで大きな鉤爪に心臓を鷲掴みにされたような衝撃。イルカは無意識に息を詰め、はっ、と浅く呼吸を吐いた。

 「なに……?」

 ドクリ、ドクリと心臓が大きく震えて跳ねる。下腹から熱い何かがせり上がってくるような感覚。体中の毛穴が開き、汗が吹き出していくような気がした。
 あぁ、だめだ。
 この人は。
 火照った身体から、甘い芳香が立ち上るのを感じる。このままではいけない。眼を逸らせと警鐘が響くのに、蛇に睨まれた蛙の如く自分を見つめるカカシから視線が離せない。
 じりじりと後退るイルカに、カカシが無表情のまま近づいてきた。

 「解術をお願いできますか」
 「は、……あの……」
 「手伝いましょうか」
 「いえ、あの。出来ます」

 震える指先で印を結ぶ。汚れて黄ばんだ手紙が、カカシの手の中でふわりと解けるのを感じた。

 「なんと書いてある」
 「たった一文ですね。『互いの寄る辺とならんことを願う』」
 「ふむ」
 「どういった意味でしょう」
 「とぼけおって。聡いお前がわからぬわけはなかろう」
 「あ~、この人ってオメガですよね。それってつまり、オレに……?」
 「……頼まれてくれるか」
 「待って、待ってくださいっ! 頼むっていったいどういうことですか?」

 いきなり第三性を暴露されたばかりか、遺言とやらでイルカ本人の意思を無視したまま進んでいく会話に頭の整理が追いつかない。

 「お主も鈍いやつじゃな。カカシと番になれということじゃ」
 「はぁ!?」

 一体何がどうなってそんな話になるんだ。
 第一カカシがそんなことを了承するとは思えない。

 「どうじゃ、カカシ」
 「そうですねぇ」

 ガリガリと頭を掻いたカカシが、チラリとイルカを見やって眉をひそめる。
 面倒だなと、隠された顔に書いてあるような気がした。

 「こ、こんな遺言気にしていただかなくて結構ですっ。はたけ上忍にだって選ぶ権利はありますし、もちろん俺にだって──」

 ある、と続けようとしたところでカカシが首筋へと顔を寄せてきた。ふわりとアルファの匂いが鼻先をくすぐる。イルカは飛び上がらんばかりに慌てて距離をとった。

 「じゃあ聞くけど、アンタはどうするの? その匂い、今でも抑えられていないようだけど」
 「それは、薬を飲めば……」
 「薬ねぇ」

 強がりだとバレているのだろう。イルカ自身、歳を重ねるごとにヒートが強烈なものになっていくのを感じていた。薬はすでに容量を超えてしまっている。

 「誰か心に決めた人でもいるんですか?」
 「そんな人、いるわけないじゃないですかっ!」

 否定して、しまったと口を塞いだ。
 発情のビークは二十代前半から長くて十五年。新しい世代を生み出すための相手を求めてヒートは激しさを増すだろう。でもその期間を無理やりにでも薬で乗り切ることが出来れば問題ないはず。
 嘘でも相手ががいると言っておけば回避できたかもしれない事態を前に、イルカは思わず舌打ちをした。

 「くそ……」
 「オレは構いませんよ」
 「は?」
 「あなたの番になっても。火影様もわかっていて、オレにこの手紙を見せたんでしょう?」

 振り返るカカシに、三代目が苦々しい表情で頷くのが見えた。

 「でも、はたけ上忍は……」

 トップクラスのエリート忍者。里のくノ一はもとより、望めば大名の姫君だって娶れるという男がよりにもよって中忍の、同性のオメガだなんて。
 それとも三代目に命じられれば、自分の番など誰でもいいということか。
 自己犠牲も甚だしい。
 それよりなにより俺の気持ちが置き去りにされたままじゃないか。

 「……物好きですね」

 皮肉たっぷりに口にしたイルカに、カカシの眉がピクリと跳ね上がるのが見えた。途端に冷えた空気に戸惑っていると、一気に間合いを詰められて息を呑む。

 「オレに皮肉を言える状況ですか?」
 「………っ」
 「アンタは自分がどんな匂いをさせているのか、わかっていない」

 呆れ果てた声で、選り好みできる立場なのかと短く告げられる。

 「なにを、言って」
 「フリーのオメガがどうなるか、知らないわけじゃないでしょう。他国の忍や上忍、あぁ…ナルトもアルファでしたっけ? ま、オレはアンタが誰に犯されようと知ったこっちゃないですけど」

 可愛い教え子に犯されるのはどんな気分なんでしょうね。
 クスリと鼻で笑われて、殴り掛かりそうな拳を握りしめた。
 あなたに耐えられますか? と、耳元で悪魔が囁く。
 ピークを迎えたオメガの誘惑に、幼いアルファが抵抗できるはずがない。きっと貪られる。そしてその後には、深い後悔と罪悪感が残るだけなのだ。
 それに、その行為はきっとナルトを深く傷つけてしまう。
 そんなこと耐えられるわけがないじゃないか。

 「どうします? 俺と番ますか?」

 選択肢などないというのに、選べと迫られる。

 「俺は……」

 硬く握った拳をほどき、喉から絞り出すようにして了承の言葉を紡ぐ。
 目の前に立つカカシの表情は読めないけれど、口布で隠された口元を意地悪く歪み、自分をせせら笑っているのだろうと思った。


*****


 じゃあ、こちらで戸籍課に届け出ておきます。
 という言葉とともに、はた迷惑な父の遺言はカカシにあっさりと受け入れられてしまった。
 受理されればあの「はたけカカシ」と書面上は番になるわけだが────。
 できることなら撤回したい。
 ご丁寧に火影の御朱印まで頂いた以上、それは叶わぬことだと知っていながらも、つい恨み節を口にしたくなる。
 だいたい挨拶程度しか交わしたことのないオメガと番になろうだなんて、どんな神経しているんだよあの人は。
 戦忍なんてやっているやつはやっぱり頭のネジがどこかずれているのか?
 おかしい。
 どう考えたっておかしいし、いくら息子がオメガだからって男と番わせようなんて思いつく父親もどうかしちまっている。
 勘弁してくれよ父ちゃん。
 どうせ遺言を書くんだったら、カカシではなくどうして可愛い息子に残してくれなかったのか。

 「………」

 口から漏れるのは重苦しいため息ばかり。流石に気になったのか、隣に座っていたイワシが書類を纏めながらチラリと視線をよこしてみせた。

 「どうしたよイルカ、そろそろ発情期か?」
 「イワシ……お前な……」

 普段だったら、すぐさま鉄拳制裁が発動するであろう誂いにもため息で応えてしまう。
 そう、そこが問題なのだ。
 発情期なんて来た日にはそれどころじゃない。俺はあの、素顔も見たことのない人に抱かれてしまうんだろうか。

 「冗談じゃねぇ……」

 めちゃくちゃ嫌な想像をしてしまい、イルカは虚ろな笑みを浮かべたまま力いっぱい机に額を打ち付けた。
 部屋中に響き渡ったゴツンっという盛大な音に、受付中がぎょっとした視線を向けるが関係ない。
 イルカには、ぼんやりとだが夢に描いていた人生設計があった。
 オメガなりに優しくて可愛い嫁さんをもらって、子供は二人ぐらい、小さくとも庭のあるマイホームを建てて…などと考えていた甘い未来がガラガラと音をたてて崩れていくのを感じる。

 「イルカッ!?」
 「おいっ、大丈夫かっ?」
 「…………」

 つんっとこみ上げてきたものが目の縁にじんわりと溜まっていく。イルカがずずっと鼻水をすすり上げるのに、同僚たちが何だなんだとばかりに集まってくる。

 「なに泣いてんだよ…」
 「具合が悪いなら医務室連れてくぞ」
 「……んでもねぇ……」
 「なんでもないって、おまえ……」
 「本当になんでもねぇから」

 まさか里の高名な忍者に嫁にもらわれることになりました、なんて自分の口から言えるわけもなく。机に突っ伏したままふるふると首を振るイルカに、同僚たちが困惑気味に顔を見合わせる。

 「取り込んでいるところ悪いが受付頼む。ってか、そこに伏せてんのはうみのか? どうした?」
 「タバタ上忍っ!」
 「──お疲れ様です!」
 「なんでもありません。書類お預かりします」
 「頼む」

 眼に張った涙の膜をぐいっと手の甲で拭うと、書類を手にいつもの笑顔を貼り付ける。
 そうだ。忍たるものいついかなる時も冷静であれと教えてきたはずだろう? 今は仕事のことだけを考えるんだ。そう言い聞かせ、綴られた文字を何度も視線で追う。間違いがないことを確認したあと、署名と処理済みの判を押した。

 「問題ありませんね。任務お疲れさまでした」
 「おう。で? 大丈夫なのか?」

 少しだけ眉を寄せたタバタに、小さく頷いてみせる。そうかと笑った上忍が、少しだけ考える素振りをしたあと顔を寄せてきた。

 「お前この後、暇か?」
 「え──?」
 「一緒に飯でもどうだ?」

 長期任務明けで最近里に帰還したタバタは、仕事はできるものの少々荒っぽいところのある男だと噂で耳にしていた。飲み会の席で強引に女やオメガを口説く話は有名で、受付連中の間では二人きりで飲みに行くのは避けたほうがいいとして要注意人物の印をつけられている男だった。

 「すみません……今日はちょっと」

 頭を下げたイルカに、タバタが憮然として溜息をつく。

 「なんだよ、予定ありか」
 「そういうわけじゃないんですけど」
 「あぁ、アレか?」

 いきなり首筋の匂いを嗅がれて、ギョッとして立ち上がった。ガタンッ! と椅子が後ろに倒れた音に、報告所内がシンと静まりかえる。

 「───なに、すんですか……っ!」
 「悪い。いい匂いがすると思ってな」

 ピリリと張った緊張感をものともせず、タバタが悪びれずに笑って手を伸ばしてくる。

 「どうした? 座れよ」
 「い、えっ」
 「うみの?」

 嫌だ。
 触れられたくない。
 そう思った瞬間─────。

 「あ~、ここでしたか。探しましたよ、うみのさん」
 「はたけ上忍!」
 「お疲れさまっす!」

 受付の様子に気づいていないのか、のんびりとした口調で近づいてきたカカシに、張り詰めていた周りの緊張が一気に緩む。

 「はい。書類、無事受理されましたよ」
 「は?」
 「何すっとぼけた顔してるんですか。番契約届出書です。さっき提出してきますって言ったでしょ。あと、これね」

 ひらりと目の前に出された一枚の紙切れ。退寮届、と書かれた用紙を受け取って愕然とした。

 「え……退寮……?」
 「総務からです。早急に独身寮を引き払って引っ越してくれって」
 「そんなっ! 困りますっ!」
 「なに言ってんの。困るのはうみのさんじゃなくて総務でしょ。オレも番をいつまでも独身寮に住まわせておくほど寛容な男じゃないんで、つべこべ言わずにさっさと引っ越してきてくださいね。あ~、もしかして新居を用意してほしいってことですか?」

 やだなぁ、それならそうとはやく言って下さいよ。恐ろしいばかりの笑顔を浮かべているが、その瞳が反論はゆるさないと告げている。

 「……おい、番契約届って」
 「お前、はたけ上忍と番になるのか?」
 「なんだよ、なんだよっ! いつからそんなことになってたんだよっ!」

 いつからも何も、さっき決まったところです。
 なんて言えるわけもなく、集まってきた同僚たちが茫然自失で立ち尽くしたイルカを揉みくちゃにする。
 待ってくれ。早い、早すぎる。いくら火影が証人だからって、そんなに早く受理されるものなのか?
 大事な人生を決めるもんだぞ。
 もっと精査して、審査とか、審査とか、とにかく審査を慎重にしてくれよ!!

 「おめでとうございますっ! はたけ上忍!」
 「ありがとね」
 「駄目じゃねぇかイルカ。内勤のくせに忙しい上忍に提出させるなんて」
 「いや、俺は……」
 「いーの、いーの。オレが提出したいって言ったんだから」
 「すみません、はたけ上忍。イルカはちょーっと鈍いけど本当に良いやつなんで、幸せにしてやってください」
 「ん」

 同僚たちの祝辞にカカシがへらへらと笑って応えるのを魂が抜けた状態で見やる。
 アンタそんなに気安い雰囲気でしたっけ? と、先程の高圧的な態度が脳裏を駆け抜けていく。
 あぁ、だめだ。色んな事がありすぎて、頭がちゃんと働かない。

 「ってか、いつから付き合ってたんすか?」
 「付き合うも何もオレたち許嫁だから」
 「は?」
 「許嫁だって!?」
 「ね、うみのさん」

 ふわりと笑ったカカシが、同僚たちに埋もれたイルカを助け出す。ざらついた手甲の感触。指を絡めて握られた掌からじわりと熱が伝わってくる。そのまま指の先で擽るような仕草をされて、血液が一気に頭まで駆け上がった。

 「ちょ、はたけ上忍っ!」

 あきらかに性的な意味を持った愛撫に全身から汗が吹き出しそうになる。

 「カカシ、おまえ……」

 いつのまにかタバタとイルカを遮るように立っていたカカシが、名前を呼ばれて思い出したように背後を振り返った。

 「あれ、タバタ。まだ居たんだ?」

 浮足立つ部屋の中、小鳥の鳴き声というには物騒すぎる警告音が微かに耳に響く。

 「そういうわけだから、ヒトの番にちょっかいかけないでちょうだいね」
 「───……ッ!」

 そう言ってへラリと笑ったカカシの肩越しに、タバタの表情がくしゃりと歪むのを見た。
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【恋は銀色の翼にのりて】
恋は銀色の翼にのりて
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Home Sweet Home
もう一度あなたと恋を
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