6

「やっぱりというかなんというか」

おおよその見当が付いていなかったわけじゃない。
親を失い、身寄りのなくなったイルカが唯一身を寄せた場所といえば、ここぐらいしか思い浮かばなかったのも事実だ。
先代火影屋敷。
先着した忍犬の後を追ってたどり着いた先で、重厚な門戸に囲まれた屋敷を見上げて立ち止まった。
至る所にトラップがかけられたその屋敷は、プロフェッサーと呼ばれた三代目火影亡き今も招かれざる客からの侵入を拒んでいる様に思えた。
今はオレもそれに当てはまるのか。
カカシが近づくたびに反応するトラップに失笑しながら、さてどうするべきかと考える。
仕込まれた罠を回避するには少々手間がかかるものの、やれないこともない。
しかし、それよりも。

「よぉ」

カカシが来ることを見込んでいたのだろう。
門戸に背を預け、口の端からゆっくりと紫煙を吐き出した旧友が、カカシの姿を認めてニヤリと唇を吊り上げた。
雄々しく蓄えた口髭。めんどくせぇが口癖の男はゆったりとした動作で近づきながら、咥えたタバコを上下に揺らしてみせる。

「まさか本当に来るとはな」

内心の動揺を隠しながらも笑いだけは浮かべてみせる。
猫面の暗部から式を受け取った時はまさかと思った。
解消したとはいえ番の印を持つイルカのフェロモンに反応するアルファがいるなど、実際のところ半信半疑だったのだ。

「あの人は?」
「親父が作った隠し部屋の中だ。安心しろ、誰も近づくことは出来ねぇ」

ヒートが終わるまでは。
カカシに対する牽制も込めてそういうと、屋敷とは別の方向へ顎をしゃくってみせる。

「まぁ、ちょっと付き合えや」
「そんな暇ないんだけど」
「いいじゃねぇか。たまには二人で酒を酌み交わすのも悪かねぇだろ」
「どうせ呑むならお前じゃなくて、可愛い子と呑みたいねぇ」
「可愛い? オメェのいう可愛いってのはいったい誰のことだ。まさか俺の可愛い弟分ってこたぁねぇよな」

軽口を叩きながらも、その眼光は一歩も先へは進ませないと告げている。
あぁ、面倒臭いな。
このままここを突破して、三代目の隠し部屋とやらに乱入するのも悪くない。そう思った時だった。

「まったく、おっかねぇな」

笑い声とともに吹き出した大男の姿に、カカシは不機嫌さを隠さないまま目を細めた。

「…会えないの?」
「会ってどうする? ヤツを番にすることは出来ねぇぞ」
「そんなこと、アスマに関係ないでしょ」

抑制剤を飲んだ今ならば、先程のような醜態は晒すことはないだろう。
だからといって、あの状態のイルカを前に何をしようというのか。

「いいから。とりあえず一緒に来い」
「うるさ…」
「お前が知りたいことも、教えてやれるかも知れねぇ」

地面に投げ捨てたタバコを踏み消したアスマが、靴先で地面を蹴りつけながらカカシを振り返る。

「どうすんだ? アイツのヒートが終わるまで、ここでずっと待つつもりか?」

本物の案山子みたいにな。
皮肉交じりの言葉。それが叶わないことを知っているからこそとるべき道は今のところたった一つだ。
自分の知らないイルカのことを教えてくれるというのなら。

「……アスマの奢りだからね」
「ハッ、稼いでやがるくせにオメェはよぉ」

付いてこいと笑いながら踵を返すアスマの背を追い、カカシは橙色の灯りが灯る屋敷を後にするのだった。


*****


「相手は誰?」

いきなりか。
コップに酒も満たさぬまま開口一番そう口にしたカカシに、アスマは注ごうとした酒瓶を傾けたまま不機嫌さを隠そうともしない男をマジマジと見やった。

「なに」
「いや? そんなに気になるかと思ってな」
「……アスマが言ったんじゃない」

知らないことを教えてくれると言ったのはアスマの方だ。
そうでなければ今、こんな風に肩を並べて酒など呑もうなど思いもしなかった。

「そうだったな」

相変わらず食えない男である。
カカシより一回り大きい身体を揺すってクククと笑った男は、とりあえず呑めとばかりに酒をカカシの前に差し出した。
気心のしれた女将が切り盛りする小料理屋は、週末ともあってそれなりの賑わいを見せている。
空いているか? というアスマの一言で通されたのは店の最奥にある小さな個室だったが、どこに耳があるかはわかったものではない。
さて、何から話せば良いのか。
箝口令が敷かれているというわけではないけれど、イルカにとっても、またその相手にとってもデリケートな問題であることは確かなのだ。

「知りたいのはイルカの番、か?」
「そうだね」

番持ちのオメガが、アルファを誘うことなどありえない。
しかし、ヒートに陥ったイルカのフェロモンに翻弄されて危うく乱暴してしまうところだったカカシとしては、笑い事では済まされない話だ。

「オメェが想像しているとおりだ」
「想像通りって……、番を解消されたってこと…?」

満たした酒に口も付けずに取り出したタバコに火を付けたアスマが、ため息混じりの紫煙を吐き出す。
何度か躊躇うように視線を彷徨わせた後、苦虫を噛み潰したような顔で静かに口を開いた。

「ま、そういうこった」
「―――ッ!」

瞬間、ビリリと走った身を切るような空気に、喧騒に包まれていた店内が水を打ったように静まり返る。
自然とこちらを窺う気配の数に、アスマの鋭い拳骨が飛んできた。

「バカヤロウ、こんなところで殺気なんてだしてんじゃねぇ」
「だって、それじゃイルカ先生は…ッ!」
「いいから抑えろっ!」

一触即発の雰囲気の中、それでも周りの気配を察したカカシが憮然とした顔で透明の液体が入ったコップに手を伸ばす。そのままやけくそのように一気に喉の奥に流し込んだ。

「オメガが番を解消されればどうなるかなんて、アノヒトが知らないわけないでしょ」
「…あぁ」
「じゃあなんでっ!」

ガツン。打ち付けるように机に落とされたコップに、引き攣れた線が走る。
無理やり嚥下した酒が臓腑を焼き尽くすように熱くなる。どうしてこんなに自分が憤っているのか。その理由もわからないままカカシは目の前のアスマを睨めつけた。

「もともと事故みたいなもんだったんだ」
「…事故?」

オメガのヒートは予測出来るものではない。だからこそ幼い頃から教育し、間違いが起こらぬように抑制剤を携帯して不測の事態に備えるものだ。それを、教師であるイルカが怠るとは思えなかった。

「アイツはああ見えて意外と奥手でな」

思い出してでもいるのだろうか。
唇の端だけで笑ったアスマが手にしたタバコを灰皿に置き、つまみ程度にと注文した枝豆をぽいっと口の中に放り込む。

「二十歳を超えても一度も発情したことがなかったらしい」
「それがなんだってのよ」

そんなことが聞きたいわけじゃない。
そう口にしようとしたカカシを、まぁまてと視線が制した。

「自分は大丈夫、なんて過信。誰もが一度は経験するんじゃねぇか」
「だから、何?」
「その日はたまたまヒートに陥った生徒がいたそうだ」

初めてのヒート。怯えて泣き喚く生徒に、イルカは自分の抑制剤を分け与えた。まさかその日に自分も初めての発情を味わうなんて夢にも思わずに。

「発情して動けなくなったオメガがどうなるか、お前も知ってるだろう」
「………」

カカシ自身、発情したオメガに誘惑された経験を持つアルファだからこそ、アスマの問に答えられずに口を噤んだ。

「ましてや初めてのヒートってヤツは質が悪くてな。まだ幼いオメガなら、身体から発するフェロモンは大した事はないらしいが、あいにくイルカの身体は生殖するのに問題ないほど育ちきってたもんだからよぉ」

ベータも巻き込んじまうほど強烈だったらしいぜ。
吐き捨てるように言ったアスマのセリフに、嫌悪の色が走る。

「そいつらに、マワされたとでもいうの…?」

バカを言うなと笑ってほしくて、わざと嘲笑するように口にした。だけどアスマの舌打ちに、それが冗談では済まされなかったことを知る。

「嘘でしょ」
「なに驚いてやがる」
「だってそんなことっ」
「戦場でもねぇのにってか? 確かに里は戦場じゃねぇが、オメガにとっちゃどこも安全な場所とはいえねぇだろ」
「そ、だけど」

アスマの言葉に、冷静さを失っている自分を思い知る。だけど目の前で溌剌とした笑顔で笑っていたイルカとは、どうしても結びつかなかった。

「…じゃあ、その中に先生の番が?」
「いいや」
「どういうこと?」
「襲われかけたイルカを、通りがかったアルファが助けた」
「………」

後はお決まりのパターンてやつだ。ボソリと吐き出された声をどこか遠くで聞いた。
なし崩し的に番にされて、一方的に解消された。
オメガはアルファに逆らうことが出来ない運命だからこそ、イルカはそれを受け入れるしかなかったのだろう。

「………だったら、その元番ってやつを殺せば……」
「物騒なことを言うんじゃねぇっ! いいか、この里で同胞殺しなんてやってみろ、いくらお前だってただじゃすまねぇ」
「だってそうじゃなきゃ、先生は死ぬまで…」

番に捨てられた苦しみの中で生きていくのだ。
それがどういうことなのか知っているからこそ、口をついて出た言葉だった。

「…これはイルカの問題だ。オメェが口出しすることじゃねぇ」
「わかってるよそんなこと」

わきまえろ。
暗にそう告げられて、唇を噛んだ。

「わかってる」

もう一度口にして、イルカに触れた指先に眼を落とした。そこはまだ、じんわりとした熱を帯びているように思えて。

「発情したあの人の項に触れた時、全身が痺れたような気がした」
「痺れた?」
「あんなの他の誰にも感じたことなんてない。アノヒトだけなんだ」
「おい…」
「だからきっと、イルカ先生とオレは」
「はっきり言いやがれ。ってこたぁなんだ。魂の番ってやつだとでも言うのかよ?」

たぶん、と―――。

言葉の割には迷う様子もなく頷いたカカシに、どうしてこんな因果な運命に翻弄されるのだとアスマは頭を抱えたくなった。
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