5

「なに、この匂い」

理解できない。
今のカカシの心情を現すとしたら多分この言葉が一番的を射ているだろう。
畳の上に横たわり、耐えられないほどの甘い匂いを全身から発しているのは、さきほどまで軽口を叩いていた男だ。
そんな男が、今は全身からカカシを誘惑する匂いを撒き散らしながら涙している。
脳の奥まで揺さぶられるような甘い匂いに、無意識に喉がゴクリと鳴った。

「…どういうこと?」

まるで獲物を見つけた獣のように目の前に横たわるイルカにフラフラと引き寄せられる。
発情に濡れた眼で見つめられれば、なけなしの理性をまるごと奪われてしまいそうになった。

「……来ないで…」

か細い声で拒否する言葉を吐いているというのに、誘われていると感じる。
イルカがジリジリと後ずさりすればするほど、舞い上がる芳香に翻弄されて目眩がしそうだ。
あれはお前のオメガだと、本能が耳元で囁く。
淫らな躰を力づくで押さえつけて暴き、熱く濡れた場所に自らの昂りをねじ込み、思うさま犯せと。
指先に吸い付くような肌の感触を思い出すだけで、唇の端から荒い息が漏れる。
目の前のオメガに発情を促され、自分がいつになく興奮しているのがわかった。

「どうして逃げるんですか?」

カカシが一歩踏み出すたびに、イルカが歯を食いしばり僅かに腰を揺らす。
それがどうしようもなく焦らされているようで、土足で押し入った部屋のなか、悲痛な声を上げたイルカに手を伸ばした。

「ヤ、ァ…――ッ!!」

身体を捩って逃げようとするイルカを押さえつけ、指先が血の滲んだ項に触れた瞬間、電流が身体中を駆け巡るような衝撃を受けた。
だけど戸惑ったのは一瞬で、頬を上気させたイルカが濡れた眼をして見上げているのを、靄がかかったような視界の中に見る。
どうしてそんなに怯えた顔をしているの?
オメガなんて皆同じでしょ。
嫌だなんて言うのは口先だけで、無理矢理にでもまぐわえば簡単に欲望に流される。
濡れそぼった秘部を穿ち、強引に突き上げれば狂ったように喜びの声をあげる生き物じゃない。
それに。
誘ったのはアンタの方でしょ。なんて、馬鹿げたアルファの常套句が脳裏をよぎった。
弱々しく繰り出してくる手を掴み、一括りにして頭上に縫い付ける。
近づけた唇を躱されて、思わず舌打ちしそうになった。
あぁだけど、その吐息さえ芳しいなんて笑ってしまう。

「カカシさ……やめ、て…ッ…ねが…い…」
「なにをいまさら」
「おれに、触らないで…ッ!」

拒絶する言葉も、今は誘われているとしか思えなくて。
まるで放り投げられた水中でイルカが藻掻きながら何かを叫んでいるのを、嘲笑うかのように顔を寄せた。

「薬は…? せんせ」
「くす、り…」
「そ、クスリ」
「ん……ぁ…、か、かばんの中に…あ、ぁ…ッ!」
「へぇ…。飲まなかったの」
「ちがぁ…っ!」

飲まなかったのではない。急激なヒートに襲われて飲めなかったのだ。だけどそれが致命的だったとは誰よりもイルカが痛感していることだ。

「じゃあ、仕方ないよね」

一縷の望みを見出した瞳の中に絶望が浮かぶのにせせら笑った。どうしてこんなに凶暴な気持ちになるのかわからない。
目の前のオメガを自分のものにしたい。それはアルファなら誰もが思う本能だ。
見上げるイルカの潤んだ眼の中に、残忍なアルファの顔が映る。
震える声でやめてと何度も口にする言葉とはうらはらに、涙の滲んだ頬が情欲に赤く染まっていくのがおかしかった。

「だめだーよ」
「い、や…」

拒絶など聞き入れられないと近づけた顔の先で、イルカが必死に顔を背ける。

「ちょっと…」

それはないんじゃないと笑いながら口にすれば、組み敷いた身体が突然激しい痙攣を起こす。
異変に慌てて身体を起こし、パチパチとイルカの頬を叩いた。

「…どうしたの?」
「は、吐く…」
「えっ!?」

思わず飛び退けば、イルカが身体をくの字に曲げて口元を覆った。くぐもった声と波打つ背中。必死で嘔吐感を堪えているのだろう。喉元が何度も上下し、口元を覆った手の甲には白い筋が浮き上がる。

「先生…?」

尋常でない様子に手を伸ばそうとした瞬間、視界の先に上がった白煙に思わず眉を顰めた。
カカシを牽制するような圧倒的なチャクラ。敵意こそ感じないものの、本能に支配されたアルファの動きを止めるほどのそれは、カカシがよく知った者の気配だった。
まさかあの男がここに? などど考える間もなく、白煙の中から浮かび上がった猫面にカカシはやはりと苦々しげに顔を歪めた。

「…おまえ」
「うみの中忍から離れて下さい」

およそ感情など持ち合わせていないかのような淡々とした口調に、以前の自分を思い出して唇の端が吊り上がる。
カカシの目の前には、昔なじみの暗部がイルカを背に庇うようにして立ちふさがっていた。
まるで指一本でも触れることを許さないとでもいうかのような姿に、言い様のない感情がこみ上げてくる。
それが怒りなのか、それとも。
わからないままでいるカカシの前で、テンゾウが口元を押さえて蹲るイルカを抱え起こす。

「………ア…ッ…」

自力で起き上がることさえ出来ないほどの激しいヒートだ。触れられるだけで走る快感に、翻弄されたイルカの唇から悲鳴じみた切れ切れの嬌声が漏れる。
抱えられ、朦朧としたイルカの視線が何かを探すようにゆらゆらと部屋の中を彷徨う。涙で潤んだ瞳に、立ちすくんだままの自分が映った瞬間、くしゃりと歪められた顔に胸が締め付けられるような思いがした。

「――…イルカ先生」
「うみの中忍、薬です。飲み込めますか?」
「う…っ…、ん……」

濡れた唇を押し広げ、薬を手にしたテンゾウの指が熱い口内に入り込むのに苛立ちが募る。舌先が拒むように押し返すのがやけに淫らに感じた。

「ちゃんと飲んで下さい」
「…アァ、…ッ」

テンゾウの手が、容赦なくイルカの顎を固定して喉の奥にまで薬を押し込む。苦痛と快楽がない混ぜになった表情にゾクリとした。今すぐにでも男の腕からイルカを奪い返し、ゆっくりと上下する喉元にむしゃぶりつきたい。
そんな気持ちを押し殺すように、カカシは唇からゆっくりと息を吐き出した。

「どうしてお前がここに?」

テンゾウがここに現れたときから疑問に思っていたことだ。
火影直属の部隊に所属する者が、一介の中忍の監視及び保護にあたっていたとは思えない。イルカがいくらオメガであろうとも。
しかし目の前の暗部は問には答えず、代わりに盛大な溜息を漏らした。

「いい加減、その物騒なチャクラを沈めていただけませんか」
「…なに」
「勘弁して下さいよ」
「は…?」
「……先輩ほどの人が気づいていないなんて」

冗談。
呆れたような口調に、初めて自分がいかに冷静さを失っていたかに気づく。
醜態を晒したとは思わないが、いちいち癇に障る物言いに体裁悪くガリガリと頭を掻いた。

「まずはうみの中忍の処置が先です。話はその後で」
「おい――」

言うが早いか、イルカを腕の中に抱え直すと手早く印を結ぶ。
再び面前で舞い上がった白煙から、一瞬にして二人の姿が消え去るのを追いかけるようにしてカカシも親指に歯をたてた。

「口寄せの術」

まだ匂いが残っている内に。

「テンゾウと、イルカ先生を追って」
「承知」

目の前に現れた忍犬にそう言うと、カカシも部屋を後にするのだった。
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