13

静まり返った部屋の中、ベッドに腰掛けたまま閉じられた扉を見つめていた。
酷い言葉を投げつけた自分に吐き気がする。
信じられないとばかりに自分を見つめたイルカの顔が脳裏から離れなくて、自己嫌悪からぐっと奥歯を噛み締めた。
もっと早く彼が部屋を出て行ってくれたなら。
それ以前にイルカがここを訪れる前に里を離れていたら、あんなことまで言って彼を傷つける事も無かったのに・・。
いや、これは八つ当たりだ。
自分に都合のいい勝手な考えに、更に陰鬱とした気分になった。
黒い瞳に映った己の醜い表情に嫌悪感がこみ上げてくる。あの顔を、イルカはずっと記憶に刻みつけるのだ。

「・・サイアク・・・」

押し寄せる後悔に頭を抱えても、もう遅いのだと痛感する。
一度口から発した言葉は二度とは戻らないし、この関係を続けることも許されない。
そう、許されないのだ。

「・・・・・」

押し殺したような溜息をついて、カカシは数週間前の出来事を思い返していた。



*****



ジッという乾いた葉の焼ける音が静寂の中で僅かに響いた。ゆっくりと吸い込んだ煙が肺を満たし、再び同じ速度で吐き出される。
眉間に深い皺を刻んだまま煙を吐く三代目火影の面前で、ふわふわと天井へと昇っていくそれをカカシは黙って見つめていた。
幾ばくかの時が流れただろうか。鋭い眼球だけをぎょろりと動かした老人が、コツンと一度煙管で机を叩いた。

「・・まだ、足を洗うつもりはないか?」

その言葉に、カカシは狗面の中から片目だけで僅かに頷いてみせた。
正規部隊とは明らかに異なる装束に身を包み、表情は特殊部隊を意味する獣の面に覆われている。

「ここが性に合っていますから」
「そう思い込んでいるだけやもしれんぞ」
「冗談を」

四代目に命を受けてから数年。骨の髄まで染み付いた血の臭いは、もうすっかり自らのものになってしまっている。
それを今更上忍師などと。
クククッ。面の中でそう笑えば、眼の前の皺だらけの顔がくしゃりと歪む。

「そろそろ後進の指導にあたってもバチは当たらんと思うがの」

四代目亡き後もオレを暗部として使い続けたあなたがそれを言うのか、と。仮面の下で嘲るような笑みを浮かべ、心の中でそう皮肉る。
この血だらけの手で、まだ何も知らない子供達に何を教えろというのだろう。
伝えられるとすれば効率よく敵を屠る術だけだ。
受け継がれるべき火の意志など、到底伝えられるわけもない。
そういうのは自分のような狂人ではなく、そう、彼のような・・・。

「・・・・・」

太陽の下で大口を開けて笑う姿を思い出す。
生死の境を彷徨う戦場で、殺気立った暗部の前に喜びと感謝に咽び泣きながら駆け寄ってきた。
なんのてらいもない、およそ忍びとは思えない屈託の無さに驚いて。
無碍に振り払ってしまった過去の自分に苦笑する。
命のやり取りしかない戦場で育ったカカシとはまるで違う、出会ったこともない人種。
傷一つない宝石のような存在に一度は恐れおののいて、それでも気になって仕方なかったヒト。
だから最初は興味本位。
そう自分に言い聞かせて触れてみれば、その輝きに魅了されて後は底のない沼のように足元を掬われずぶずぶと深みに嵌っていった。
カカシの一挙手一投足に戸惑う仕草が可愛い。
コロコロと変わる無防備な表情も。
纏う空気が心地よくて、何かと理由をつけてはイルカの傍にいたくなった。
そうして彼もまた、自分と同じように心の内に癒えぬ傷を抱えていると知った時。
守ってやりたいと思ったのだ。

幸運なことに身体の相性も抜群だったしね。

などと下世話な事まで思い出してニンマリしていたものだから、三代目の口から彼の名前が出た時に、らしくもなくカカシは聞き返したのだ。

「・・えっ・・?」
「―――うみのイルカの事じゃが」

何かを探ろうとする視線に不穏な空気を感じて、わずかに神経が尖る。

「・・・アノヒトがどうかしましたか?」
「最近何かと懇意にしているそうだな」

第一線から引いたとはいえ火影の眼はまだ死んではいない。
カカシはそこから視線を逸らさずに素知らぬふりで肩をすくめた。

「なんのことでしょう」
「・・・ふむ」

狸と狐の化かし合いとはよく言ったものだが、うすら惚けたカカシの言葉に少しも表情をかえないまま三代目が煙管の管を指先でなぞる。

「わからぬか」
「ええ、さっぱり」

訝しむ言葉に、そういえば受付でのやり取りを見られていたかとカカシは面の下で僅かに眉を寄せた。

「まぁ良い。そのうみのイルカじゃが、暫く一楽にも顔を出しておらんようでの」

ぷかりと吐いたドーナツ型の煙が、なんでもない世間話を装おうとするのに警戒して神経を必要以上に尖らせる。
火影を名乗る者が、只の与太話などする筈もない。いったいこの老獪は何を探ろうとしているのだろう。

「それがなにか?」
「三度の飯より一楽が好きな男が珍しいとは思わんか?」
「いくら好きでも飽きることもあるでしょう」
「そうかの・・。儂はまた悪い虫でもついたのかと心配していたのじゃが」

ぎょろりと動く眼球が射すくめるように真っ直ぐ見つめるのに、思わずピクリと眉間が反応する。
つまりはその虫はオレだとでも言うつもりか。

「火影様ともあろうお方が一介の忍びに眼をかけ過ぎではありませんか? ましてや彼はもう子供でもないでしょ」

部隊長として隊を指揮できる中忍だと。やんわり牽制すれば、意表をつかれたように眼を見開いた老人が相好を崩した。

「・・贔屓がすぎるのも悪い癖じゃ。しかし、儂はあやつがまだこんな小さな頃から面倒を見ていての」
「・・・・・」
「幼い頃に両親を亡くした子じゃ。出来るならばなるべく早く家庭を持ち、この里を支えていって欲しいと思っておる」

百戦錬磨の男とは思えない優しい表情。その深い愛情をたたえた言葉に、心の奥底がチリリと嫌な音を立てる。
それでも。

「・・それがオレに何か関係が?」

惚けるつもりで発した言葉に火影がピクリと眉を釣り上げた。

「聡いお主がわからんわけもなかろう」

穏やかな口調とは裏腹に、刺すような視線を受けて思わず言葉を飲み込んだ。
つまりは全て調べあげたうえで、火影はここにオレを呼び付けたというわけだ。

「手を引け、と・・・?」

乾いた唇から放たれた言葉は、静まり返った火影室の中で酷く嗄れて響いた。

「互いにもっと相応しい相手がおろう」

皺だらけの手がコツコツと机の上を叩き、この話は終わりだと無情に告げる。

「納得できかねます。何の権限があってあなたがそんな・・・」
「お主の意見は必要ない。どうせ弄ぶつもりでアヤツの懐に潜り込んだのじゃろう」

人聞きの悪い。
確かに最初はちょっとした興味本位と軽い気持ちだったが、今は。
―――今は・・・?

「・・・っ・・」
「イルカには儂が相応しい相手を選ぶつもりじゃ。」
「――・・待ってください。火影様」
「ありがたいことに引く手も数多・・そんな男に暗部のお主がまわりをうろついておったら、あちらが良くは思うまい」

暗殺を常とする血なまぐさい部隊を快く思うものなどいない。
たとえそれが同じ忍びであったとしても。

「イルカの幸せを考えるなら、一刻も早くヤツから手を引け。・・・情に深いアヤツのこと、納得するのにも時間もかかろう。未練など残らぬように――・・、よいな」

有無を言わさぬ眼光に、鉤爪のついた掌を握りこむ。
これで話は終わりだとでも言うように視線を伏せ、机を煙管で叩けば僅かな音をたてて火影室の扉が開かれた。
これ以上は、きっと何を言ってもこの老獪は耳を貸すことをしないだろう。
彼が里長である以上逆らうことは許されず、諾々と従うほかないのだ。

「・・・承知しました」

声は。
自らが発したものとは思えないほど遠くから聞こえた。
踵を返すカカシの背中を黙ってみつめた火影が、重い溜息とともに言葉を紡ぐ。

「お主のことも、同じように思っておるよ」

まるで独り言のように呟く火影の声は、扉から去りゆくカカシの耳に届くことは無かった。
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