「あー・・・イルカさん・・?」
名前の主といえば、頭から被ったシーツの中。
こんもりと山になった塊に呼びかけて、カカシはガリガリと頭を掻いた。
こんな状態になったイルカを見るのは何度目だろうか?
いつもなら、からかって怒らせてシーツの中からイルカを引きずり出すカカシだが、今日だけは違う。
そっとシーツの山に触れて、隠れた身体が震えないことを確認した。
「・・・服、ここに置いておきますね」
襲撃者によって無残に引き裂かれた残骸だけを纏っているだろうイルカへ声を掛けて、カカシは腰掛けたベッドから立ち上がろうとした。
「・・サスケの・・」
シーツの中から聞こえるくぐもった声に、視線を向ける。
しっかりと包まれた身体はあまりに小さく頼りなくて、思わず抱きしめそうになるのをぐっとこらえて言葉の続きを待った。
「・・傷は・・?」
「大丈夫・・・大した事ありませんよ」
「本当に・・?」
「ヤワには鍛えていませんから。心配ならそこから出てきて確認してみたらどうですか?」
「・・・・・」
カカシが促してみるものの、再び押し黙ってしまったイルカに小さな溜息を付いた。
圧倒的な力でもって襲撃者を撃退した男は、ただシーツにくるまったまま姿を見せないイルカ一人にオロオロしながら様子を窺っている。
奴らがここへ現れたのは誤算だった。
まさかこんなに早くこの屋敷が割り出されるとは思っても見なかった。
自分が思う以上にイルカとの生活に浮かれていたのかもしれないなと、自嘲気味に唇を歪め、もし間に合っていなかったらと思うと歯噛みせずにはいられない。
イルカが無事で良かった。
もしイルカの身に何かあったなら、あれぐらいでは済まされなかったと自分の犯した過ちも忘れてギリリと奥歯を噛みしめる。
手放したくない。けれど、もうそんな事も言っていられない状況になったことだけは確かだ。
決意を込めて立ち上がったろうとして、つんのめる感覚に視線を向ける。
「・・・・・?」
シーツから手だけを伸ばして、イルカがカカシの服をギュッと掴んでいた。
「・・・・・」
「・・お・・私は・・昔・・あなたに、会ったことが・・?」
それは、確信のない問いかけ。
否定も肯定もしないカカシは、ただ黙ってその指先に触れた。
「・・何か思い出したんですか?」
思い出した。そんなカカシの言葉にやはりと思う。
サスケが殺されそうになった時、脳裏に浮かんだ朧気な光景は、きっと真実なのだ。
それでも、シーツから顔を出したイルカが不安げに首を左右に振った。
「・・そ」
見つめるカカシの視線が悲しげで、イルカもクシャリと顔を歪めた。
この男も、【クラマ】の封印を狙った襲撃者と同じ。
いくらイルカが好きだと思っても、この男にとってイルカはただの利用するべき器でしかないのだ。
「・・・・」
瞬きと共にポロリと零れた涙がシーツに落ちる。
用意した服をイルカの肩へかけてやりながら、カカシがその涙を掌で拭った。
「イルカさん・・?」
カカシが欲しているのは【クラマ】の力だというのに。
戯れに抱いただけの女に、どうしてそんなに優しい顔をするのだろう。
「・・・・・」
瞳を閉じて、蹲ってしまったイルカを抱き寄せる。
もう潮時だ。
このままイルカを手元に置いておくわけにはいかないと。
頭ではわかっているものの、手放したくないと心が否定する。
腕の中で小さく体を震わせるイルカの髪に顔を埋め、カカシは決別の寂寥感に苛まれながら唇を開いた。
「・・・あなたが、好きです」
口にした言葉に、腕の中のイルカがピクリと身体を強張らせる。
好きです。
ーーーー好きです、だって?
抱きしめられた腕の中で、イルカは何度も頭を振った。
嘘だ。
カカシが求めているのはイルカの中に封じ込めれた力だ。
それを、そんな陳腐な言葉で丸め込もうなんて。
ふ、っと嗤いながら唇をきつく噛みしめる。
ふざけるな。
腕の中からゆっくりと顔をあげ、カカシを睨みつけた後吐き捨てるように言い放つ。
「そうまでして、・・・が、欲しいんですか?」
「・・・え・・?」
「俺が、何も知らないとでも・・っ」
挑むような口調に、思わずカカシの動きが止まる。
触れようとして伸ばされた手を振り払って、イルカがベッドから飛び出した。
目指すのは机の上の古ぼけた小箱。乱暴に蓋を取り払い、その中の巻物を取り出す。
ざっと紐解いたそれを、カカシの眼の前へと放り投げた。
「ーーークラマ」
「・・・・・」
何の感情もない声で、イルカがそれだけを口にする。
カカシは僅かに瞠目しただけで、ゆっくりとイルカを見据えた。
「・・勝手に部屋の物を漁るなんて、令嬢のわりに育ちが悪い」
「無理矢理攫ってきた悪党が何を仰る。この禁書だって、どこから盗み出してきたものか・・」
わからないと続けようとして、カカシの鋭い視線に息を呑んだ。
「ーーー違います」
「・・・・?」
「これは、オレがある人から預かった物です」
ちなみに形見なんですけどねと、巻物に手を伸ばしクルクルと巻き直しながらそう言ったカカシが少し寂しげに笑う。
そんなカカシに首を振って、イルカが口を開いた。
「・・・あなたの目的は【クラマ】のチャクラ。そうですよね」
「・・・・・」
答えないカカシに腹の底から身体中が冷えていく。
こんな冷たい声が出るなんて、自分でも思わなかった。
「身体をあわせれば情がわく? 好きだと言われて心が動くとでも?」
「・・・・・」
「俺が、あなたにチャクラを委ねると思ったんですかッ!?」
叫んだイルカに、カカシがくくっと口先で笑った。
隻眼の瞳がすうっと細められ、獲物を狙うような鋭さを帯びる。
そうだ。
これこそが、この男の本当の顔。
ゾクリと背筋を這う本能的な恐怖に、イルカが喉を鳴らした。
「イルカさんは勘違いをしています」
「何が、ですか?」
「オレが本当に力を求めるなら・・・そんなまどろっこしいことなんてしません」
「・・・・・・」
「さっきの襲撃者と同じように、あなたを殺してでも奪いますよ」
そう言ったカカシがまっすぐにイルカを見据えた。
傷を負い、引き攣れたようになっている左眼がゆっくりと開く。
そこから現れた赤い瞳に、イルカは驚愕して眼を見開いた。
男が隻眼でなかったこともだが、それ以上に。
その赤い瞳に刻まれた文様。
それは、紛れも無くクラマの封印だった。
「ど、うして・・その封印が・・・」
この男の瞳に刻まれているのだろう。
これと同じものをイルカも負っている。
襲撃者が奪おうとしたチャクラの封印。それは普段は現れることのない背中の傷跡に刻み込まれているものだ。
慄くイルカに、カカシが色違いの瞳を緩ませる。
「ーーー少し、話をしても良いですか?」
そう呟いて、カカシが微笑む。
言葉を紡ぐために開かれた唇を、イルカは呆然としたまま見つめるしかなかった。
*****
その日、カカシは大きな木の上に座り込んで、あくびを噛み殺していた。
要人の警護という退屈な任務だ。
そもそもその要人というのが他国にもその名を轟かす強者で、およそ警護の必要性を感じないのがいけない。
波風ミナトとうずまきクシナ。
コノハの四代目火影夫妻である。
彼がこの屋敷へと足繁く通うのにはわけがある。
臨月間近の火影の妻は、出産の為、彼女に連なる一族であるうみのの屋敷へと身を寄せていたからだ。
幼い頃から類まれなる剣の才能に恵まれていたカカシは、ミナトの愛弟子であり、彼が指揮する暗殺戦術特殊部隊、通称暗部の隊員でもあった。
「・・・・」
クワァっと押さえきれない欠伸を一つ。
自然と溢れてくる涙を拭い、屋敷の中を覗き見る。
爽やかな笑顔を振りまいている彼からは、危険のきの字すら感じることはない。
退屈。
本来ならありがたい話なのだが、ひたすら何の危険もない警護の仕事に飽き飽きしていたところであった。
「・・・・?」
だから、ふと目線を反らせた視線の先に、蹲った黒い塊を見つけた時、カカシはおや? とつい興味をひかれたのだ。
その小さな黒い塊は、熱心に地面を這いつくばり、何かを見つけては手に持った小瓶にそれを入れていた。
どうやら同じ年頃の子供のようだと思ったら、何だかワクワクした。
「何してるの?」
「わっ!!」
ぽいっと瓶に詰めてはニンマリ。
ご機嫌で収集していたその少年は、急に眼の前に現れたカカシに、驚愕して尻もちをついた。
それもそのはずで、カカシは本来なら人目につかないように隠密に行動する暗部である。
そのいでたちは戦闘服そのものだし、顔は表情を読み取られないように獣の面で覆っている。
少年は驚愕に見開かれた瞳でカカシを見たまま、ポカンと口を開けていた。
「ねぇ、なにしてるの?」
あまりにも呆気にとられたままの少年に焦れて、カカシが再度問う。
「・・・狗さん」
「狗?」
質問と全く違う答えが帰ってきて、少々カカシは苛ついた。
頭悪そう。
これが少年に対して思った最初の感想だった。
「違うでしょ。それ」
少年の持っている小瓶を指差し、何やらもぞもぞと蠢く何かに仮面の中で眉をしかめる。
「これ? ダンゴ虫」
「ダンゴ虫?」
「そうだよ」
よく見れば、小瓶の中で蠢くものは大量に集められたダンゴ虫の塊だった。
おえっ。
意外に繊細なカカシが心のなかでえづく。
「それ・・集めてなにするの?」
「・・・・?」
「薬? それとも・・・毒・・・とか」
見た目だけなら毒だな。
そう心のなかで頷くものの、眼の前の少年はキョトンとした表情である。
「なにもしねぇよ」
「は? じゃあ何の為に集めてるのよ」
「楽しいから」
「はぁ?」
今度はカカシがキョトンとする番である。
「こいつ、触ったら丸くなるんだぜ」
石を動かし、あ、また見つけた! と喜んで指先で摘み掌に乗せ、ツンツンと指先で突く。
クルリと丸まった虫にケタケタと笑った。
それがどうしたんだと思わないでもないが、あまりにも楽しそうな様子についカカシも手を伸ばす。
鉤爪の付いた手袋のままモゾモゾと這いまわる虫をそっと突いた。
再びコロリと転がる虫に、少年が満面の笑みを浮かべる。
「なっ! おもしれーだろ?」
「・・・・・」
仮面の中で、屈託のない笑顔を見せる少年をじっと見つめながらカカシは小さく頷いた。
「他の虫は?」
「へ?」
「集めないの?」
思わずそう呟いて、木の上を見上げる。
ヒュンッと飛び上がり、樹液を吸うために木の幹にしがみついていたカナブンを捕まえた。
「こういうの」
木の枝に足を絡ませ、ぶら下がりながら少年にカナブンを見せる。
少年といえば、驚いたような表情で眼を見開いたあと、大きく飛び上がった。
「すげーッ!!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる少年に、一回転して降りてきたカカシがカナブンを手に握らせてやった。
「狗さん、すげーなッ!!」
「カカシ」
そう言いながら顔を覆っていた仮面を外す。
「・・・・・」
その下から現れたカカシの顔を、少年が眼も口も開いたまま惚けたように見た。
「だから、名前。カカシっていうの」
「カカシ・・・?」
「お前は?」
「・・・イルカ」
「じゃ、イルカ。それあげる」
「良いのかッ!?」
ポウッとしていたのは一瞬で、やったー! と弾んだ声をあげたイルカがダンゴ虫を集めた小瓶をひっくり返し地上に落とした。
バラバラと落ちていく大量の黒い物体は正直気持ち悪かったが、あえて見ないように視線を逸らす。
「カナブン、かっけー」
ご機嫌なイルカがいそいそと空になった小瓶にカナブンを入れる。
透明な瓶の中で、カナブンが鮮やかなエメラルドグリーンの輝きを放った。
「お前、ここの子?」
太陽に透かしてキラキラと輝くカナブンに見惚れていたイルカに声をかける。
そうだよと答えるイルカが、屋敷の中を指さした。
「あそこにいるのが父ちゃんと、母ちゃん」
大きな窓の側、ちょうどミナトと談笑している男女が見えた。
「ふうん。お前、良いところの子なんだ」
「そうなの?」
「火影と話してる」
「へー」
全く興味が無いように呟いて、それからむうっと頬をふくらませた。
「お前じゃなくてイルカだからな」
そう言って、ぷりぷりとしながら唇を尖らす。
「名前聞いておいて、お前ってなんだよ」
「イルカ」
「・・・・・」
「イールーカ」
茶化す素振りのカカシを、ジロッと睨んではプイッと顔を背ける。
子供っぽい仕草にふふっと笑いが漏れた。
「ごめん。ちゃんと呼ぶよ」
許してと笑うカカシに胡乱げな視線を寄せる。
「もうお前って呼ぶなよ」
「うん。だからまた会ってくれる?」
「?」
「遊びに来るから」
「ここに?」
頷くカカシに、イルカがニコリと笑う。
「俺も木に登りたい」
「教えるよ」
「カナブン捕れる?」
「カブトムシだって捕れるよ」
「カカシ、スゲーッ!!」
喜んで飛び上がったイルカに、任せておいてと頷いた。
同じ年頃の子供がいなかったカカシには、イルカの反応はとても新鮮なものだった。
あまりにも朗らかで天真爛漫。
太陽の匂いに溢れたイルカの、健康的な笑顔は、特殊な部隊に身をおくカカシにとって、とても魅力的だった。
その日から、火影がうみのの屋敷を訪れる時は、必ずカカシも護衛としてついていった。
カカシを探してキョロキョロと庭を見回すイルカを態と木陰に隠れて見つめるのも好きだったし、共に虫捕りをしたり、二人で芝生のうえに寝転がって昼寝もした。
その頃にはイルカの両親とも面識を持ち、庭先でおやつの時間なるものを体験することもあった。
ある日、庭にいないイルカを探して屋敷の中に忍び込んだカカシは、ベッドの上で眠るイルカを見つけた。
そっと傍まで近寄り、小さな寝息を確認する。
意外と長い睫毛が陰を作り、赤く熟れたさくらんぼのような唇からは、少しだけ涎が垂れていた。
ふふっと笑ってイルカの横に潜り込むと、唇へと指を伸ばし、ちょんっと突いてその弾力を感じる。
「・・・・・」
ふいに、触れてみたい衝動にかられたのは、ちょっとした好奇心からだ。
カカシは自分の顔を近づけると、規則正しい寝息を漏らすイルカの唇に自らのそれを重ねてみた。
ぷにっとした柔らかさにパチパチと眼を瞬く。
眠る前に何か食べたのか、呼気からはほんのり甘い匂いがした。
ちゅっと、再び触れさせた唇は、なんだかわけのわからない感情に揺さぶられて歯止めがきかなくなる。
イルカの甘い匂いを嗅いでいたくて、カカシは何度もその唇に吸い付いた。
「・・ん・・・カカシ・・?」
「ーーーーーッ!!」
いつの間に目覚めていたのだろう。
イルカがまだ寝ぼけ眼で名前を呼んだ。
驚いて身体を離したカカシが、何も言えずにただイルカを見つめると、その顔がふにゃりと笑う。
「・・イルカ・・・」
「・・・カカシ・・俺の口吸った・・」
ぼんやりとした表情のままそう言うと、まだ眠いのか眼をこする。
ふわぁっと大きな欠伸をして、伸ばした指先でカカシの頬を引っ張った。
「・・まだ子供なのにぃ」
「子供じゃないよ」
「子供だよー」
へへぇと笑いながら何度もカカシの頬を引っ張る。
ムッとするカカシに、眉を顰めるとキリッとした表情を作って窘める。
「大人じゃなきゃしちゃ駄目なんだぞ」
「・・・大人になったらしていいの?」
「いいよ」
迷いもなく即答するイルカにプッと吹き出した。
「じゃあするから」
「いーよ」
「イルカが嫌だって言っても」
「言わないよ」
「オレ以外とはしないで」
「・・・? いいよ」
「絶対だよ」
「カカシ以外とはしなーい」
「約束」
「うん」
まだしっかりと覚醒しきっていない、ぽやんとした顔でイルカが小指を差し出す。
しっかりと絡めた小指からは、ポカポカと温もりが伝わってきて、何だか胸が切なくなった。
互いに頷き合って、約束の指切りを結ぶ。
どうかこの小さな約束が破られませんように、と。
まだ恋心と呼ぶには幼すぎる淡い気持に気づかぬまま、それでもカカシは強く心に願った。
名前の主といえば、頭から被ったシーツの中。
こんもりと山になった塊に呼びかけて、カカシはガリガリと頭を掻いた。
こんな状態になったイルカを見るのは何度目だろうか?
いつもなら、からかって怒らせてシーツの中からイルカを引きずり出すカカシだが、今日だけは違う。
そっとシーツの山に触れて、隠れた身体が震えないことを確認した。
「・・・服、ここに置いておきますね」
襲撃者によって無残に引き裂かれた残骸だけを纏っているだろうイルカへ声を掛けて、カカシは腰掛けたベッドから立ち上がろうとした。
「・・サスケの・・」
シーツの中から聞こえるくぐもった声に、視線を向ける。
しっかりと包まれた身体はあまりに小さく頼りなくて、思わず抱きしめそうになるのをぐっとこらえて言葉の続きを待った。
「・・傷は・・?」
「大丈夫・・・大した事ありませんよ」
「本当に・・?」
「ヤワには鍛えていませんから。心配ならそこから出てきて確認してみたらどうですか?」
「・・・・・」
カカシが促してみるものの、再び押し黙ってしまったイルカに小さな溜息を付いた。
圧倒的な力でもって襲撃者を撃退した男は、ただシーツにくるまったまま姿を見せないイルカ一人にオロオロしながら様子を窺っている。
奴らがここへ現れたのは誤算だった。
まさかこんなに早くこの屋敷が割り出されるとは思っても見なかった。
自分が思う以上にイルカとの生活に浮かれていたのかもしれないなと、自嘲気味に唇を歪め、もし間に合っていなかったらと思うと歯噛みせずにはいられない。
イルカが無事で良かった。
もしイルカの身に何かあったなら、あれぐらいでは済まされなかったと自分の犯した過ちも忘れてギリリと奥歯を噛みしめる。
手放したくない。けれど、もうそんな事も言っていられない状況になったことだけは確かだ。
決意を込めて立ち上がったろうとして、つんのめる感覚に視線を向ける。
「・・・・・?」
シーツから手だけを伸ばして、イルカがカカシの服をギュッと掴んでいた。
「・・・・・」
「・・お・・私は・・昔・・あなたに、会ったことが・・?」
それは、確信のない問いかけ。
否定も肯定もしないカカシは、ただ黙ってその指先に触れた。
「・・何か思い出したんですか?」
思い出した。そんなカカシの言葉にやはりと思う。
サスケが殺されそうになった時、脳裏に浮かんだ朧気な光景は、きっと真実なのだ。
それでも、シーツから顔を出したイルカが不安げに首を左右に振った。
「・・そ」
見つめるカカシの視線が悲しげで、イルカもクシャリと顔を歪めた。
この男も、【クラマ】の封印を狙った襲撃者と同じ。
いくらイルカが好きだと思っても、この男にとってイルカはただの利用するべき器でしかないのだ。
「・・・・」
瞬きと共にポロリと零れた涙がシーツに落ちる。
用意した服をイルカの肩へかけてやりながら、カカシがその涙を掌で拭った。
「イルカさん・・?」
カカシが欲しているのは【クラマ】の力だというのに。
戯れに抱いただけの女に、どうしてそんなに優しい顔をするのだろう。
「・・・・・」
瞳を閉じて、蹲ってしまったイルカを抱き寄せる。
もう潮時だ。
このままイルカを手元に置いておくわけにはいかないと。
頭ではわかっているものの、手放したくないと心が否定する。
腕の中で小さく体を震わせるイルカの髪に顔を埋め、カカシは決別の寂寥感に苛まれながら唇を開いた。
「・・・あなたが、好きです」
口にした言葉に、腕の中のイルカがピクリと身体を強張らせる。
好きです。
ーーーー好きです、だって?
抱きしめられた腕の中で、イルカは何度も頭を振った。
嘘だ。
カカシが求めているのはイルカの中に封じ込めれた力だ。
それを、そんな陳腐な言葉で丸め込もうなんて。
ふ、っと嗤いながら唇をきつく噛みしめる。
ふざけるな。
腕の中からゆっくりと顔をあげ、カカシを睨みつけた後吐き捨てるように言い放つ。
「そうまでして、・・・が、欲しいんですか?」
「・・・え・・?」
「俺が、何も知らないとでも・・っ」
挑むような口調に、思わずカカシの動きが止まる。
触れようとして伸ばされた手を振り払って、イルカがベッドから飛び出した。
目指すのは机の上の古ぼけた小箱。乱暴に蓋を取り払い、その中の巻物を取り出す。
ざっと紐解いたそれを、カカシの眼の前へと放り投げた。
「ーーークラマ」
「・・・・・」
何の感情もない声で、イルカがそれだけを口にする。
カカシは僅かに瞠目しただけで、ゆっくりとイルカを見据えた。
「・・勝手に部屋の物を漁るなんて、令嬢のわりに育ちが悪い」
「無理矢理攫ってきた悪党が何を仰る。この禁書だって、どこから盗み出してきたものか・・」
わからないと続けようとして、カカシの鋭い視線に息を呑んだ。
「ーーー違います」
「・・・・?」
「これは、オレがある人から預かった物です」
ちなみに形見なんですけどねと、巻物に手を伸ばしクルクルと巻き直しながらそう言ったカカシが少し寂しげに笑う。
そんなカカシに首を振って、イルカが口を開いた。
「・・・あなたの目的は【クラマ】のチャクラ。そうですよね」
「・・・・・」
答えないカカシに腹の底から身体中が冷えていく。
こんな冷たい声が出るなんて、自分でも思わなかった。
「身体をあわせれば情がわく? 好きだと言われて心が動くとでも?」
「・・・・・」
「俺が、あなたにチャクラを委ねると思ったんですかッ!?」
叫んだイルカに、カカシがくくっと口先で笑った。
隻眼の瞳がすうっと細められ、獲物を狙うような鋭さを帯びる。
そうだ。
これこそが、この男の本当の顔。
ゾクリと背筋を這う本能的な恐怖に、イルカが喉を鳴らした。
「イルカさんは勘違いをしています」
「何が、ですか?」
「オレが本当に力を求めるなら・・・そんなまどろっこしいことなんてしません」
「・・・・・・」
「さっきの襲撃者と同じように、あなたを殺してでも奪いますよ」
そう言ったカカシがまっすぐにイルカを見据えた。
傷を負い、引き攣れたようになっている左眼がゆっくりと開く。
そこから現れた赤い瞳に、イルカは驚愕して眼を見開いた。
男が隻眼でなかったこともだが、それ以上に。
その赤い瞳に刻まれた文様。
それは、紛れも無くクラマの封印だった。
「ど、うして・・その封印が・・・」
この男の瞳に刻まれているのだろう。
これと同じものをイルカも負っている。
襲撃者が奪おうとしたチャクラの封印。それは普段は現れることのない背中の傷跡に刻み込まれているものだ。
慄くイルカに、カカシが色違いの瞳を緩ませる。
「ーーー少し、話をしても良いですか?」
そう呟いて、カカシが微笑む。
言葉を紡ぐために開かれた唇を、イルカは呆然としたまま見つめるしかなかった。
*****
その日、カカシは大きな木の上に座り込んで、あくびを噛み殺していた。
要人の警護という退屈な任務だ。
そもそもその要人というのが他国にもその名を轟かす強者で、およそ警護の必要性を感じないのがいけない。
波風ミナトとうずまきクシナ。
コノハの四代目火影夫妻である。
彼がこの屋敷へと足繁く通うのにはわけがある。
臨月間近の火影の妻は、出産の為、彼女に連なる一族であるうみのの屋敷へと身を寄せていたからだ。
幼い頃から類まれなる剣の才能に恵まれていたカカシは、ミナトの愛弟子であり、彼が指揮する暗殺戦術特殊部隊、通称暗部の隊員でもあった。
「・・・・」
クワァっと押さえきれない欠伸を一つ。
自然と溢れてくる涙を拭い、屋敷の中を覗き見る。
爽やかな笑顔を振りまいている彼からは、危険のきの字すら感じることはない。
退屈。
本来ならありがたい話なのだが、ひたすら何の危険もない警護の仕事に飽き飽きしていたところであった。
「・・・・?」
だから、ふと目線を反らせた視線の先に、蹲った黒い塊を見つけた時、カカシはおや? とつい興味をひかれたのだ。
その小さな黒い塊は、熱心に地面を這いつくばり、何かを見つけては手に持った小瓶にそれを入れていた。
どうやら同じ年頃の子供のようだと思ったら、何だかワクワクした。
「何してるの?」
「わっ!!」
ぽいっと瓶に詰めてはニンマリ。
ご機嫌で収集していたその少年は、急に眼の前に現れたカカシに、驚愕して尻もちをついた。
それもそのはずで、カカシは本来なら人目につかないように隠密に行動する暗部である。
そのいでたちは戦闘服そのものだし、顔は表情を読み取られないように獣の面で覆っている。
少年は驚愕に見開かれた瞳でカカシを見たまま、ポカンと口を開けていた。
「ねぇ、なにしてるの?」
あまりにも呆気にとられたままの少年に焦れて、カカシが再度問う。
「・・・狗さん」
「狗?」
質問と全く違う答えが帰ってきて、少々カカシは苛ついた。
頭悪そう。
これが少年に対して思った最初の感想だった。
「違うでしょ。それ」
少年の持っている小瓶を指差し、何やらもぞもぞと蠢く何かに仮面の中で眉をしかめる。
「これ? ダンゴ虫」
「ダンゴ虫?」
「そうだよ」
よく見れば、小瓶の中で蠢くものは大量に集められたダンゴ虫の塊だった。
おえっ。
意外に繊細なカカシが心のなかでえづく。
「それ・・集めてなにするの?」
「・・・・?」
「薬? それとも・・・毒・・・とか」
見た目だけなら毒だな。
そう心のなかで頷くものの、眼の前の少年はキョトンとした表情である。
「なにもしねぇよ」
「は? じゃあ何の為に集めてるのよ」
「楽しいから」
「はぁ?」
今度はカカシがキョトンとする番である。
「こいつ、触ったら丸くなるんだぜ」
石を動かし、あ、また見つけた! と喜んで指先で摘み掌に乗せ、ツンツンと指先で突く。
クルリと丸まった虫にケタケタと笑った。
それがどうしたんだと思わないでもないが、あまりにも楽しそうな様子についカカシも手を伸ばす。
鉤爪の付いた手袋のままモゾモゾと這いまわる虫をそっと突いた。
再びコロリと転がる虫に、少年が満面の笑みを浮かべる。
「なっ! おもしれーだろ?」
「・・・・・」
仮面の中で、屈託のない笑顔を見せる少年をじっと見つめながらカカシは小さく頷いた。
「他の虫は?」
「へ?」
「集めないの?」
思わずそう呟いて、木の上を見上げる。
ヒュンッと飛び上がり、樹液を吸うために木の幹にしがみついていたカナブンを捕まえた。
「こういうの」
木の枝に足を絡ませ、ぶら下がりながら少年にカナブンを見せる。
少年といえば、驚いたような表情で眼を見開いたあと、大きく飛び上がった。
「すげーッ!!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる少年に、一回転して降りてきたカカシがカナブンを手に握らせてやった。
「狗さん、すげーなッ!!」
「カカシ」
そう言いながら顔を覆っていた仮面を外す。
「・・・・・」
その下から現れたカカシの顔を、少年が眼も口も開いたまま惚けたように見た。
「だから、名前。カカシっていうの」
「カカシ・・・?」
「お前は?」
「・・・イルカ」
「じゃ、イルカ。それあげる」
「良いのかッ!?」
ポウッとしていたのは一瞬で、やったー! と弾んだ声をあげたイルカがダンゴ虫を集めた小瓶をひっくり返し地上に落とした。
バラバラと落ちていく大量の黒い物体は正直気持ち悪かったが、あえて見ないように視線を逸らす。
「カナブン、かっけー」
ご機嫌なイルカがいそいそと空になった小瓶にカナブンを入れる。
透明な瓶の中で、カナブンが鮮やかなエメラルドグリーンの輝きを放った。
「お前、ここの子?」
太陽に透かしてキラキラと輝くカナブンに見惚れていたイルカに声をかける。
そうだよと答えるイルカが、屋敷の中を指さした。
「あそこにいるのが父ちゃんと、母ちゃん」
大きな窓の側、ちょうどミナトと談笑している男女が見えた。
「ふうん。お前、良いところの子なんだ」
「そうなの?」
「火影と話してる」
「へー」
全く興味が無いように呟いて、それからむうっと頬をふくらませた。
「お前じゃなくてイルカだからな」
そう言って、ぷりぷりとしながら唇を尖らす。
「名前聞いておいて、お前ってなんだよ」
「イルカ」
「・・・・・」
「イールーカ」
茶化す素振りのカカシを、ジロッと睨んではプイッと顔を背ける。
子供っぽい仕草にふふっと笑いが漏れた。
「ごめん。ちゃんと呼ぶよ」
許してと笑うカカシに胡乱げな視線を寄せる。
「もうお前って呼ぶなよ」
「うん。だからまた会ってくれる?」
「?」
「遊びに来るから」
「ここに?」
頷くカカシに、イルカがニコリと笑う。
「俺も木に登りたい」
「教えるよ」
「カナブン捕れる?」
「カブトムシだって捕れるよ」
「カカシ、スゲーッ!!」
喜んで飛び上がったイルカに、任せておいてと頷いた。
同じ年頃の子供がいなかったカカシには、イルカの反応はとても新鮮なものだった。
あまりにも朗らかで天真爛漫。
太陽の匂いに溢れたイルカの、健康的な笑顔は、特殊な部隊に身をおくカカシにとって、とても魅力的だった。
その日から、火影がうみのの屋敷を訪れる時は、必ずカカシも護衛としてついていった。
カカシを探してキョロキョロと庭を見回すイルカを態と木陰に隠れて見つめるのも好きだったし、共に虫捕りをしたり、二人で芝生のうえに寝転がって昼寝もした。
その頃にはイルカの両親とも面識を持ち、庭先でおやつの時間なるものを体験することもあった。
ある日、庭にいないイルカを探して屋敷の中に忍び込んだカカシは、ベッドの上で眠るイルカを見つけた。
そっと傍まで近寄り、小さな寝息を確認する。
意外と長い睫毛が陰を作り、赤く熟れたさくらんぼのような唇からは、少しだけ涎が垂れていた。
ふふっと笑ってイルカの横に潜り込むと、唇へと指を伸ばし、ちょんっと突いてその弾力を感じる。
「・・・・・」
ふいに、触れてみたい衝動にかられたのは、ちょっとした好奇心からだ。
カカシは自分の顔を近づけると、規則正しい寝息を漏らすイルカの唇に自らのそれを重ねてみた。
ぷにっとした柔らかさにパチパチと眼を瞬く。
眠る前に何か食べたのか、呼気からはほんのり甘い匂いがした。
ちゅっと、再び触れさせた唇は、なんだかわけのわからない感情に揺さぶられて歯止めがきかなくなる。
イルカの甘い匂いを嗅いでいたくて、カカシは何度もその唇に吸い付いた。
「・・ん・・・カカシ・・?」
「ーーーーーッ!!」
いつの間に目覚めていたのだろう。
イルカがまだ寝ぼけ眼で名前を呼んだ。
驚いて身体を離したカカシが、何も言えずにただイルカを見つめると、その顔がふにゃりと笑う。
「・・イルカ・・・」
「・・・カカシ・・俺の口吸った・・」
ぼんやりとした表情のままそう言うと、まだ眠いのか眼をこする。
ふわぁっと大きな欠伸をして、伸ばした指先でカカシの頬を引っ張った。
「・・まだ子供なのにぃ」
「子供じゃないよ」
「子供だよー」
へへぇと笑いながら何度もカカシの頬を引っ張る。
ムッとするカカシに、眉を顰めるとキリッとした表情を作って窘める。
「大人じゃなきゃしちゃ駄目なんだぞ」
「・・・大人になったらしていいの?」
「いいよ」
迷いもなく即答するイルカにプッと吹き出した。
「じゃあするから」
「いーよ」
「イルカが嫌だって言っても」
「言わないよ」
「オレ以外とはしないで」
「・・・? いいよ」
「絶対だよ」
「カカシ以外とはしなーい」
「約束」
「うん」
まだしっかりと覚醒しきっていない、ぽやんとした顔でイルカが小指を差し出す。
しっかりと絡めた小指からは、ポカポカと温もりが伝わってきて、何だか胸が切なくなった。
互いに頷き合って、約束の指切りを結ぶ。
どうかこの小さな約束が破られませんように、と。
まだ恋心と呼ぶには幼すぎる淡い気持に気づかぬまま、それでもカカシは強く心に願った。
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1頁目
【恋は銀色の翼にのりて】
恋は銀色の翼にのりて
恋の妙薬
とある晴れた日に
【Home Sweet Home】
Home Sweet Home
もう一度あなたと恋を
夜に引き裂かれても
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【幼馴染】
幼馴染
戦場に舞う花
【白銀の月よ】
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愛しい緑の木陰よ
それゆけ!湯けむり木の葉会
あなたの愛になりたい
幼馴染
戦場に舞う花
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白銀の月よ
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それゆけ!湯けむり木の葉会
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【その他】
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