温かな暖炉とベビーベッド。
天蓋から降りるカーテンをそっと開いて中を覗いてみれば、最初に目に留まるのはキラキラと輝く銀髪だ。
透き通るように白い肌には薄っすらと桃色のほっぺ。淡い薔薇の花弁のような唇は突き出すように閉じられている。
繊細な細工が施されたリネンに包まれて、赤子はすやすやと小さな寝息をたてて眠っていた。
「来てたのかい?」
不意に背後から声を掛けられて、イルカはゆっくりと声のする方を振り返った。
「・・お久しぶりです。サクモさん」
「久しぶり。執事の話だと、あと数日はかかるかと思ったんだけどね」
「えぇ、そのつもりだったんですが・・」
そう言って、再度ベッドの中の眠る赤子に視線を戻す。
「産まれたって知ったら、居てもたってもいられなくて」
そういって、小さな指先にそっと触れた。
触れた人差し指を、小さな手がきゅっと握る。僅かに伝わってくる温もりに、知らずその顔には微笑みが浮かんだ。
「カカシって言うんだよ」
「・・・カカシ」
そう名前を呟けば、瞼を縁取る銀髪がピクリと震える。
もぐもぐと唇を動かし、乳を吸う仕草を見せる赤子にふふっと笑い声が漏れた。
「可愛い」
「オレもこんな風にあなたに見られていたのかと思うと、少し気恥ずかしいな」
照れたように頭を掻くサクモの姿が、記憶の中にある遠い人を思い出させた。
今はもうこの世には居ない人だけれど、彼の血はこうしてまたイルカに優しく温かだった日を邂逅させてくれる。
「えぇ。あなたもとても可愛かったですよ」
「それはどーも」
悪戯っ子のような視線を向けてそう言えば、眠る我が子の髪をくしゃりと撫ぜてサクモが笑う。
こうしてはたけの家に産まれた赤子を見るのはカカシを含めて三人目だった。
「奥様は?」
「本宅にいるよ。慣例に従ってカカシも少し大きくなるまではこの離れで乳母と暮らすことになる。イルカくんが一緒に面倒を見てやってくれると助かるな」
「・・できればそうしたいのですが」
「今回はどれぐらい滞在できそうなのか、聞いてもいいかな?」
その言葉に、少しだけ躊躇する。
人とは違う生をもつイルカにとって、一つの場所に留まることは致命的だった。
こうして居場所を与えられていてさえイルカの秘密はサクモ意外知ることはなかったし、万が一他の誰かに知られた場合、ここへ戻ってくることは二度と叶わなくなってしまう。
だから。
「長く留まると、離れがたくなるので・・・」
そう言って態と言葉を濁したイルカに、サクモはただ頷いて返した。
「まぁいい。今夜は一杯呑もうか」
くいっとグラスを傾ける仕草のサクモに、破顔した。
「本宅へ戻らなくても良いんですか?」
「千手に任せているからね、少々羽目をはずしても妻は機嫌をそこねたりしないよ」
渋面を作る執事の顔を思い出しつつそう言えば、隣でイルカがクスリと笑う。
「では、お付き合いします」
「いいウィスキーが手に入ったんだよ」
「あなたと酒を酌み交わす日が来るなんて」
「それだけオレも歳を重ねたってことかな」
「大声で泣いていらしたのが、つい昨日の事のようですけどね」
「昔の話はしないでくれ。今日はイルカくんがもう呑めないって泣くまで呑ませるつもりだから」
「それは・・望むところです」
「後で謝っても知らないよ」
「あははっ、サクモさんこそ」
そう言って笑うイルカの黒い瞳が緩く弧を描く。
「じゃあ行こうか」
「えぇ・・・またね、カカシくん」
ぷくぷくの頬を優しい指先が滑れば、まだ何も知らない我が子が触れた指先の冷たさに少しだけ身じろぎする。
サクモが幼い頃から少しも変わらない見た目を持つ青年は、とても爽やかで人当たりの良い笑みを浮かべているのに、いつもどこか儚げだった。
*****
「こんなところに居たっ」
荘厳な光に包まれた礼拝堂の中に響いた声に振り返る。軋んだ音を立てて開かれた扉を見やると、カカシが慌てたような表情をしているのを認めて微笑んだ。
けして狭くはない館の中を探しまわったのだろう。少しだけ乱れた呼吸に苦笑する。
またあなたが知らない間にどこかへ行ってしまうんじゃないかと思うと、心配でたまらないんだーよ、と。イルカを腕に抱いてそう言うカカシの姿が脳裏に浮かぶ。
正体を知られた時、逃げ出そうとしたのが今でもトラウマになっているらしい。
何度もこの離れに顔を出すカカシは、眷属となった今でさえイルカの姿が見えないとこうして息せき切って館中を探しまわるのだ。
その様がまるで親を探す雛鳥のようだと思っている事は彼には秘密だ。
「今日のお仕事は?」
「ーー・・っ、終わりましたよ」
一瞬詰まった答えに眉を顰めた。
今頃屋敷では、残された仕事を片付けているだろうヤマトの怒り狂った顔が思い浮かんで、心のなかで手を合わせる。
けして無能な領主ではないカカシだが、いかんせん面倒なことは仕事のできる執事に押し付ける悪癖があった。
「嘘はいけませんよ、カカシさん」
「イルカさんが屋敷に居を移してくれれば、万事解決するんですけどねぇ」
「スミマセン。ここが気に入ってるんです」
三代目が用意してくれた館だ。
カカシにボロ屋と呼ばれるほどには古びてはきたが、なんといっても愛着がある。
でもそれを言うとまた機嫌が悪くなるんだよなぁ、と。何事も三代目と張り合おうと頑張るカカシの姿を思い出して苦笑した。
優雅な立ち居振る舞い。見ているだけでうっとりするほどのいい男なのに、何故か彼はイルカの方こそそうなのだと主張する。
眼が悪いのではないかと言えば、カカシは心底驚いた顔をして「イルカさんは本当に自分の事をわかってないね」と呆れた声をあげた。
「それは?」
燕尾色の革で包まれた本を目ざとく見つけ、一気に声色が刺々しくなる。
三代目との記録に使われた日記の事をカカシがよく思っていないことなど知っている。
けれどこれは。
「サクモさん・・・あなたのお父上との記録ですよ」
「父さんの?」
「まだ書きかけだったので、持ち歩いていたんです」
「へぇ」
こんなに早く亡くなるとは思わなかったから、サクモとの思い出は少なく、頁は漸く半分を超えたばかりだ。
「あなたのことも、ここに」
蝋燭の灯りの下で頁を開いてみせれば、興味を引かれたのか覗き込んでくる。
「産まれたと知らせを受けて、直ぐに駆けつけたんです」
「・・・・・」
「今まで見たどの赤ん坊よりも可愛くてね、いつまでも見ていたいくらいでした」
そう言って見上げれば、赤面した白い肌と、僅かに緩んだ口元。
照れてるのがなんとも愛おしくて、思わずその頬に手を伸ばした。
「あなたはサクモさんにもよく似ていますね」
「そりゃ、親子ですから」
「そうでした」
頬に触れた指を掴まれて、掌に口付けられる。
あの日、差し出した指を握った小さな手が、今はイルカを包み込むように大きく力強い。
ほわんと見つめるイルカの姿に、眉を顰めるカカシが頭を抱えた。
「・・カカシさん・・?」
「つくづくこの顔が嫌になります」
「?」
はーっと盛大なため息をついて、ガリガリと頭を掻くカカシが困惑した様に眉を下げる。
勿体無い。誰もが羨む整った顔立ちなのにと口にしようと思えば、鼻先を弾かれた。
「父さんとは何も無かったんでしょうね?」
「は?」
「全くあなたときたら、三代目に似てりゃ誰でも良いんですか?」
「な、何を言って・・」
「曾祖父さんといい、父さんといい・・一体オレは何人の先祖に嫉妬すりゃいいのよ」
最後の方はほぼボヤキだ。
そんな姿が可愛くて、ついつい笑ってしまえば苦虫を噛み潰したような顔のカカシが唇を尖らせた。
「あなたが一番ですよ、カカシさん」
「え・・っ」
「言ったでしょう、初めて会った時からって」
互いを認識しあったのはカカシが本宅で暮らし始めてからだけれど、イルカの記憶にはちゃんと残っている。
まさかあの赤ん坊とこんな関係になるなんてその時は思わなかったと言ったら、また機嫌を損ねるだろうか?
「でももうこれは必要ないものです」
そう言って、燕尾色の革のカバーがかけられた日記を愛おしげに指先で撫ぜた。
「・・・イルカさん?」
頁をめくり、古びたインクが滲んだ紙の上に指先を滑らせる。
懐かしい人たちとの思い出と足跡。
一人残されるイルカにとって、これは彼らと共に生きた証だった。
だけど。
「・・・もう、必要ない」
ステンドグラスから差し込む色とりどりの光に照らされたカカシの姿に、神の姿を見つけた気がしてイルカはうっとりと目を細めて微笑む。
痛々しい傷痕が残る顔を見上げれば、優しい唇が降りてくる。
縋るモノなど何もなかったけれど、今は。
「あなたがいるから」
慈しみ合う比翼の鳥のように、片時も離れることなく共に歩いて行こう。
果てしない時の中を、二人で。
天蓋から降りるカーテンをそっと開いて中を覗いてみれば、最初に目に留まるのはキラキラと輝く銀髪だ。
透き通るように白い肌には薄っすらと桃色のほっぺ。淡い薔薇の花弁のような唇は突き出すように閉じられている。
繊細な細工が施されたリネンに包まれて、赤子はすやすやと小さな寝息をたてて眠っていた。
「来てたのかい?」
不意に背後から声を掛けられて、イルカはゆっくりと声のする方を振り返った。
「・・お久しぶりです。サクモさん」
「久しぶり。執事の話だと、あと数日はかかるかと思ったんだけどね」
「えぇ、そのつもりだったんですが・・」
そう言って、再度ベッドの中の眠る赤子に視線を戻す。
「産まれたって知ったら、居てもたってもいられなくて」
そういって、小さな指先にそっと触れた。
触れた人差し指を、小さな手がきゅっと握る。僅かに伝わってくる温もりに、知らずその顔には微笑みが浮かんだ。
「カカシって言うんだよ」
「・・・カカシ」
そう名前を呟けば、瞼を縁取る銀髪がピクリと震える。
もぐもぐと唇を動かし、乳を吸う仕草を見せる赤子にふふっと笑い声が漏れた。
「可愛い」
「オレもこんな風にあなたに見られていたのかと思うと、少し気恥ずかしいな」
照れたように頭を掻くサクモの姿が、記憶の中にある遠い人を思い出させた。
今はもうこの世には居ない人だけれど、彼の血はこうしてまたイルカに優しく温かだった日を邂逅させてくれる。
「えぇ。あなたもとても可愛かったですよ」
「それはどーも」
悪戯っ子のような視線を向けてそう言えば、眠る我が子の髪をくしゃりと撫ぜてサクモが笑う。
こうしてはたけの家に産まれた赤子を見るのはカカシを含めて三人目だった。
「奥様は?」
「本宅にいるよ。慣例に従ってカカシも少し大きくなるまではこの離れで乳母と暮らすことになる。イルカくんが一緒に面倒を見てやってくれると助かるな」
「・・できればそうしたいのですが」
「今回はどれぐらい滞在できそうなのか、聞いてもいいかな?」
その言葉に、少しだけ躊躇する。
人とは違う生をもつイルカにとって、一つの場所に留まることは致命的だった。
こうして居場所を与えられていてさえイルカの秘密はサクモ意外知ることはなかったし、万が一他の誰かに知られた場合、ここへ戻ってくることは二度と叶わなくなってしまう。
だから。
「長く留まると、離れがたくなるので・・・」
そう言って態と言葉を濁したイルカに、サクモはただ頷いて返した。
「まぁいい。今夜は一杯呑もうか」
くいっとグラスを傾ける仕草のサクモに、破顔した。
「本宅へ戻らなくても良いんですか?」
「千手に任せているからね、少々羽目をはずしても妻は機嫌をそこねたりしないよ」
渋面を作る執事の顔を思い出しつつそう言えば、隣でイルカがクスリと笑う。
「では、お付き合いします」
「いいウィスキーが手に入ったんだよ」
「あなたと酒を酌み交わす日が来るなんて」
「それだけオレも歳を重ねたってことかな」
「大声で泣いていらしたのが、つい昨日の事のようですけどね」
「昔の話はしないでくれ。今日はイルカくんがもう呑めないって泣くまで呑ませるつもりだから」
「それは・・望むところです」
「後で謝っても知らないよ」
「あははっ、サクモさんこそ」
そう言って笑うイルカの黒い瞳が緩く弧を描く。
「じゃあ行こうか」
「えぇ・・・またね、カカシくん」
ぷくぷくの頬を優しい指先が滑れば、まだ何も知らない我が子が触れた指先の冷たさに少しだけ身じろぎする。
サクモが幼い頃から少しも変わらない見た目を持つ青年は、とても爽やかで人当たりの良い笑みを浮かべているのに、いつもどこか儚げだった。
*****
「こんなところに居たっ」
荘厳な光に包まれた礼拝堂の中に響いた声に振り返る。軋んだ音を立てて開かれた扉を見やると、カカシが慌てたような表情をしているのを認めて微笑んだ。
けして狭くはない館の中を探しまわったのだろう。少しだけ乱れた呼吸に苦笑する。
またあなたが知らない間にどこかへ行ってしまうんじゃないかと思うと、心配でたまらないんだーよ、と。イルカを腕に抱いてそう言うカカシの姿が脳裏に浮かぶ。
正体を知られた時、逃げ出そうとしたのが今でもトラウマになっているらしい。
何度もこの離れに顔を出すカカシは、眷属となった今でさえイルカの姿が見えないとこうして息せき切って館中を探しまわるのだ。
その様がまるで親を探す雛鳥のようだと思っている事は彼には秘密だ。
「今日のお仕事は?」
「ーー・・っ、終わりましたよ」
一瞬詰まった答えに眉を顰めた。
今頃屋敷では、残された仕事を片付けているだろうヤマトの怒り狂った顔が思い浮かんで、心のなかで手を合わせる。
けして無能な領主ではないカカシだが、いかんせん面倒なことは仕事のできる執事に押し付ける悪癖があった。
「嘘はいけませんよ、カカシさん」
「イルカさんが屋敷に居を移してくれれば、万事解決するんですけどねぇ」
「スミマセン。ここが気に入ってるんです」
三代目が用意してくれた館だ。
カカシにボロ屋と呼ばれるほどには古びてはきたが、なんといっても愛着がある。
でもそれを言うとまた機嫌が悪くなるんだよなぁ、と。何事も三代目と張り合おうと頑張るカカシの姿を思い出して苦笑した。
優雅な立ち居振る舞い。見ているだけでうっとりするほどのいい男なのに、何故か彼はイルカの方こそそうなのだと主張する。
眼が悪いのではないかと言えば、カカシは心底驚いた顔をして「イルカさんは本当に自分の事をわかってないね」と呆れた声をあげた。
「それは?」
燕尾色の革で包まれた本を目ざとく見つけ、一気に声色が刺々しくなる。
三代目との記録に使われた日記の事をカカシがよく思っていないことなど知っている。
けれどこれは。
「サクモさん・・・あなたのお父上との記録ですよ」
「父さんの?」
「まだ書きかけだったので、持ち歩いていたんです」
「へぇ」
こんなに早く亡くなるとは思わなかったから、サクモとの思い出は少なく、頁は漸く半分を超えたばかりだ。
「あなたのことも、ここに」
蝋燭の灯りの下で頁を開いてみせれば、興味を引かれたのか覗き込んでくる。
「産まれたと知らせを受けて、直ぐに駆けつけたんです」
「・・・・・」
「今まで見たどの赤ん坊よりも可愛くてね、いつまでも見ていたいくらいでした」
そう言って見上げれば、赤面した白い肌と、僅かに緩んだ口元。
照れてるのがなんとも愛おしくて、思わずその頬に手を伸ばした。
「あなたはサクモさんにもよく似ていますね」
「そりゃ、親子ですから」
「そうでした」
頬に触れた指を掴まれて、掌に口付けられる。
あの日、差し出した指を握った小さな手が、今はイルカを包み込むように大きく力強い。
ほわんと見つめるイルカの姿に、眉を顰めるカカシが頭を抱えた。
「・・カカシさん・・?」
「つくづくこの顔が嫌になります」
「?」
はーっと盛大なため息をついて、ガリガリと頭を掻くカカシが困惑した様に眉を下げる。
勿体無い。誰もが羨む整った顔立ちなのにと口にしようと思えば、鼻先を弾かれた。
「父さんとは何も無かったんでしょうね?」
「は?」
「全くあなたときたら、三代目に似てりゃ誰でも良いんですか?」
「な、何を言って・・」
「曾祖父さんといい、父さんといい・・一体オレは何人の先祖に嫉妬すりゃいいのよ」
最後の方はほぼボヤキだ。
そんな姿が可愛くて、ついつい笑ってしまえば苦虫を噛み潰したような顔のカカシが唇を尖らせた。
「あなたが一番ですよ、カカシさん」
「え・・っ」
「言ったでしょう、初めて会った時からって」
互いを認識しあったのはカカシが本宅で暮らし始めてからだけれど、イルカの記憶にはちゃんと残っている。
まさかあの赤ん坊とこんな関係になるなんてその時は思わなかったと言ったら、また機嫌を損ねるだろうか?
「でももうこれは必要ないものです」
そう言って、燕尾色の革のカバーがかけられた日記を愛おしげに指先で撫ぜた。
「・・・イルカさん?」
頁をめくり、古びたインクが滲んだ紙の上に指先を滑らせる。
懐かしい人たちとの思い出と足跡。
一人残されるイルカにとって、これは彼らと共に生きた証だった。
だけど。
「・・・もう、必要ない」
ステンドグラスから差し込む色とりどりの光に照らされたカカシの姿に、神の姿を見つけた気がしてイルカはうっとりと目を細めて微笑む。
痛々しい傷痕が残る顔を見上げれば、優しい唇が降りてくる。
縋るモノなど何もなかったけれど、今は。
「あなたがいるから」
慈しみ合う比翼の鳥のように、片時も離れることなく共に歩いて行こう。
果てしない時の中を、二人で。
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