小さな頃から父親に言い含められていた言葉がある。
『よーく聞くんだぞ、イルカ。・・・手負いの暗部には近づいちゃいけねぇ』
なんで?
そういって真っ黒な眼を開いて見つめる我が子の手には今口にしたばかりの暗部の人形。
その姿に少しだけ唸った父は、ゴホンと咳払いをして我が子の髪をクシャリと撫ぜた。
『あいつらはな、普通の忍びより危険な任務を請け負ってるからだ』
『かっけーじゃん!』
『・・・格好いいか』
『うん!』
そう言って暗部人形を掲げる我が子に他意がないことぐらい知ってる。
口を酸っぱくして、事あるごとにそう言っていた父は九尾の襲来時に呆気無く亡くなってしまった。
これから一人前の忍びになるために色々な事を学ぼうとした矢先の災厄だった。
結局父から教わったのはそれだけで、それ故この一言はイルカの中でまるで遺言のように胸に刻まれてしまったのだ。
父が口煩く言い聞かせていた本当の理由。
それは彼らが凄惨な任務を請け負うあまり常に殺気だっている事も勿論だが、判別不能な劇薬に侵されている場合もあるからだ。
そんなことを思い出しながら目的地を目指して足早に歩いていたイルカは、目印になる大きな木をみつけて駈け出した。
「・・・狛面?」
緑が生い茂った大きな木の根本まで到着して、小さな声で呼んでも返事はない。
懸命に気配を探ろうとしても、相手のほうが一枚も二枚も上手だ。
不安になりながらキョロキョロとあたりを見渡して、腹に力を込めた。
「狗面ーッ!!!」
「ーーー・・なに・・?」
葉擦れの音とともに、面倒臭そうな声を出しながら逆さになった獣面が垂れ下がる。
動きやすさだけを基準にしたようなアンダーとベスト。それと、左腕に刻まれた刺青。
木の葉の暗部に所属している彼の名前は知らない。
だからイルカは毎回そう呼んで彼の所在を確認していた。
「やっぱりいた」
「いちゃ悪いわけ?」
不機嫌そうな声はいつものことだから気にしない。
太い幹にぶら下がったままの狗面にニカリと笑いかけて、イルカは腰にぶら下げた鞄から取り出した握り飯を差し出した。
「食うか?」
「・・・・・」
一瞬無言になった狗面は、くるりと身体を反転させてイルカの傍に着地する。
握り飯をひったくるように受け取って、礼も言わずに樹の根元に座り込んだ。
「なによ、また塩むすび?」
「しかたねーだろ! 今は復興ってやつで精一杯なんだから、贅沢言っちゃいけねぇんだぞ」
どこかで誰かに言われた通りの事を口にするイルカに、獣面の下の青年が舌打ちする。
「お前はひょろひょろですぐ倒れんだから、いっぱい食えよ」
「・・・・」
隣に座ったイルカが、鞄の中からもう一つと握り飯を差し出した。
イルカの前で倒れたのは一度きりだし、ひょろひょろとは人聞きが悪い。
まだ子供らしさが抜けないぽっちゃりとしたイルカとは反対に、ちょうど青年期に差し掛かろうと言う年頃だ。
肉は削げて引き締まり、しなやかな筋肉へと変貌していく時期だということを知らないイルカの頬を鉤爪がそっと撫ぜた。
「それはアンタのでしょ」
「俺は良いんだよ。配給はちゃんと朝昼晩って貰えんだからな」
そういった瞬間ギュルルと鳴り出した腹の虫に、うわっと声を上げて身体を折り曲げた。
「なんなの、その意地っ張り」
「うー、うるさいっ」
クククッと面の下の笑い声に、顔を赤くして唇を尖らせた。
「オレは一つで十分だから、アンタが食べな」
「・・・・・」
そう言って、シュルリと獣面の紐を解く様子に慌てて反対側を向く。
狗面は一度だって咎めたことはなかったが、何だか顔を見てはいけない気がして自然と身体が反応してしまう。
そんなイルカをチラリと見やって、狗面は硬く握りすぎている塩むすびを口に運んだ。
******
二人の出会いはやはりこの巨大な樹の下だ。
魔の森の近く。
あまり里人が立ち入らないこの場所に立つ大きな樹の下がイルカのお気に入りの場所だった。
その日は母親に作ってもらった握り飯を手にこの場所までやってきたイルカが、さあ食べようと鞄を開けた瞬間。
ドサリと音をたてて降ってきた物体に、目を見開いたまま固まった。
血だらけの暗部の装束。
ボロボロになるまで遊んだ暗部人形そのままだったから、見間違うことなんてない。
「・・・・うっ・・」
固まったままどれぐらいの沈黙が流れただろうか?
不意に聞こえた小さな呻き声に、足元に落ちている木の枝を拾い、降ってきた暗部へと恐る恐る近づく。
ツン。軽く突いてみても反応はない。
「・・し、・・死んで・・?」
「・・・生きてるよ」
「わぁっ!!」
すかさず聞こえた声に、吃驚して尻もちをついた。
「けっけけけ怪我してるのか?」
「怪我じゃない」
「じゃあなんでっ」
見たところ大きな外傷は無いようだが、ならば何故動かないのだろう。
腰が抜けたまま這いずって、父親の教えなど頭からふっとんでいたイルカは倒れたままの暗部に触れた。
「冷たい」
「・・ただのチャクラ切れだーよ。暫く寝てたら治るからほっといて」
「いつまで?」
「・・・いつまでって・・知らないよ」
「このままここに?」
「・・・・・」
「ねぇっ! 大丈夫?」
「・・・・・」
「・・ど、どうしよう・・誰か・・」
「もう、うるさいな」
傍に座り込んだままオロオロとするイルカに、苛ついた声をあげながら暗部が立ち上がる。
戦闘の後なのだろう。少し欠けた面の中からは、イルカが見たこともない赤い文様の眼がこちらを見つめていた。
そんな禍々しい瞳に、イルカの喉がゴクリと鳴る。
「・・・・・」
驚愕したようなイルカの表情に気づいた暗部が、まるで隠すようにその瞳を閉じて顔をそらす。
その途端、フラリと足元が崩れるのに思わず手を差し伸べた。
「危ないッ!!」
「・・っ・・」
今にも倒れそうな身体を引きずって樹の根本に座らせると、荒い息を付く暗部の手を握る。
「・・・なに・・」
「こうしてると、安心するだろ?」
幼いころ、高熱で唸るイルカの手をこうして母が握っていてくれた。
イルカとしては良かれと思ってやったことなのに、仮面の下で忌々しげな舌打ちが聞こえた。
「・・・馬鹿じゃないの」
「え・・?」
「子供じゃないんだーよ」
嘲笑う声にむうっと頬を膨らませる。
振り払う力もないくせに、口先だけは強がって気を吐く暗部の手を更に強く握りしめた。
「離してよ」
「嫌だ」
「向こうへ行けよ、鬱陶しい」
「嫌なら、お前が振り払え」
「・・・なにそれ、殺すよ」
脅しともとれる言葉にも、狗面の隣に座り込み頑として譲らなかった。
「木の葉の暗部はそんなことしねーよ! だって・・っ」
「だって、なに?」
「・・・だから」
「なに。聞こえない」
「ーーー俺の、ヒーローだからっ!!」
「ブッ・・」
叫んだイルカに、狗面が吹き出した。
アハハッと声を上げ、ゆでダコみたいに顔全体を真っ赤にしたイルカがアワアワと口を動かす間も身体をくの字にして笑い続ける。
そうして一頻り笑った後、大きな溜息をついて唇を引き結ぶイルカを見やった。
「暗部なんて、ねぇ・・。そんなお綺麗なもんじゃないーよ」
「え・・?」
「今日だって、どれだけ・・殺してきたか・・」
怠い身体を預け、荒い息の合間に悲観したような声を漏らす。
人殺しを専門に行う血に塗れた汚い暗殺集団だと。
愛情に育まれた陽だまりの中で生きている子供が知る由もない。
全てを諦めたように呟いた言葉に、強く頭を振った。
「んなの、しらねぇよッ! 里を、皆を守ってんだろッ! もっと胸を張れッ!」
「・・・・・・」
「お前が何て言っても、俺はそう思ってんだからなっ!」
「ーーーーーッ・・」
睨みつける瞳の、揺るぎない力に言葉を失った。
強がって馬鹿にしたように鼻を鳴らすのが精一杯。
だけど、綺麗事しか知らない子供の言葉に反論一つ出来ない理由を知ってる。
それは。
誰かにそう言って欲しかったからーーー。
「・・・・・」
頑固そうに眉を寄せた少年が握りしめる手を、強く握り返した。
戸惑ったように自分を見つめる濡れたような大きな黒い眼球に、表情の無い獣面が映る。
「・・・バカみたい」
ポツリ。唇からこぼれ落ちた言葉に、眼の前の幼い顔がニカリと満面の笑みを描いた。
******
「旨いか?」
「うーん」
硬い塩むすびを齧りながら、背中合わせの会話。
互いが話す度に響く感覚が心地いい。
歯切れの悪い答えから、やはりまだまだ母ちゃんの味には程遠いことを思い知る。
「塩加減とか?」
「力の配分でしょ」
それでももしかして味付けかと問うてみれば、一番難しい答えが返って来た。
「そっか・・」
「食べられないことはないけどね」
「無理に食べなくてもいいんだぞ」
「ふふっ」
「・・・ちゃんと、作れるようにならねぇとな」
「・・・・・」
ボソリと呟いた言葉に、返事は出来なかった。
九尾の襲来により里が被った被害は甚大で、少年の両親もその時の厄災で戦死したと聞いていたから。
「ごめん」
「え?」
「里を守れなくて」
あの災厄の日、次代のためにと最前線で戦うことを許されなかった事実に歯噛みする。
「俺だって」
「アンタはまだアカデミーでしょ」
「むっ、アカデミーを馬鹿にすんな」
背中越しでも彼が頬を膨らませているのがわかる。
感情的なところはつくづく忍びに向いてないな、と。心のなかで思いながらも口にするのはやめた。
「暫く会えなくなる」
「なんでっ!?」
驚いて振り返る姿にも、背中は向けたままだ。
暫く窺うように視線がさまよって、諦めたように正面を向いた気配を確認してから口を開いた。
「長期の里外任務だーよ」
「・・・いつ帰ってくるんだよ」
「さぁ」
「危ない任務なのか?」
「任務内容をほいほい話せるわけ無いでしょ」
はねつけた答えに、ぐっと言葉を飲み込んだ。
けれど一度や二度で引き下がらないことも知ってる。
「絶対に死ぬな」
「どうだろ・・頑張るけど?」
「ーーちゃんと、約束しろよ!」
「・・・・・」
約束なんて出来ない。
忍びとして任務に出れば、必ず戻れるという保証なんてどこにもないのだ。
「・・・死なないで・・・」
頼りなげに震えた声に、ドクリと胸が跳ねた。
両親を亡くしたのはつい最近のことだと知っていたのに、小さな嘘一つ付いてやれない自分の幼さに唇を噛みしめる。
だから。
「・・誰に言ってんの」
吐き出した精一杯の言葉とともに、背後に回した指先で少年の手に触れた。
「暗部は強ぇんだろ」
「まーね」
「・・・信じてるから」
ギュッと。握り返される指先の力に小さく息を吐き出した。
「・・・アンタがそう言うなら」
絞り出した言葉と共に繋ぎ合った指先を軽く引けば、少しだけ驚いた顔の少年が振り返る。
晒した素顔を認めて目を見開き、慌てて顔を伏せた。
その肩口に顔を埋めれば、子供特有の日向の匂いと暖かい手のぬくもりを感じた。
「次は、もっと旨い塩むすび握ってやるよ」
「また塩むすび?」
「ほかほかの白飯と塩だけ、誤魔化しなんてきかねぇんだからな」
クスクスと笑われるのに、硬い塩むすびを頬張りながら唇を尖らせる。
「アンタと一緒だーね」
「・・へ?」
ポカンとこちらに向いた隙を狙って、イルカが手に持ったままの塩むすびに齧りつく。
「あっ!!」
「・・この塩むすびも暫くはお預けか」
咀嚼しながら、指先についたままの米粒を舌先で舐めた。
「俺の・・っ!」
あまりの早業に、消えてしまった塩むすびと銀髪の暗部を交互に見やる。熟れた果実みたいな唇が文句を言おうと口を開いた瞬間を狙って自らの唇を押し付けた。
ちゅうっと吸って、目を白黒させるイルカの頬を鉤爪でそっと撫でる。
「わっ・・、なにす・・ーー・・っ!」
「ゴチソウサマ」
ドカンと真っ赤に染まったイルカの顔に、声を上げて笑いながら立ち上がると、集合を知らせる笛の音に獣面を被って前を向いた。
「そろそろ行く」
「お、おう!」
駆け出そうとした瞬間、不意に後ろ髪を引かれて振り返った。
「・・そういや聞いてなかった」
「?」
「アンタの名前」
「ーーーイルカ、うみのイルカ」
「イルカ・・」
「お、お前は・・っ・・・」
問いかけた瞬間には、はるか遠くに光る銀色。
太陽の光を受けて輝くその姿を、イルカは目を細めながら見つめた。
「ちゃんと、戻ってこいよっ!」
待っているから、と。
思いっきり叫んだ声に、視界から消える瞬間の煌めきが答えた気がした。
『よーく聞くんだぞ、イルカ。・・・手負いの暗部には近づいちゃいけねぇ』
なんで?
そういって真っ黒な眼を開いて見つめる我が子の手には今口にしたばかりの暗部の人形。
その姿に少しだけ唸った父は、ゴホンと咳払いをして我が子の髪をクシャリと撫ぜた。
『あいつらはな、普通の忍びより危険な任務を請け負ってるからだ』
『かっけーじゃん!』
『・・・格好いいか』
『うん!』
そう言って暗部人形を掲げる我が子に他意がないことぐらい知ってる。
口を酸っぱくして、事あるごとにそう言っていた父は九尾の襲来時に呆気無く亡くなってしまった。
これから一人前の忍びになるために色々な事を学ぼうとした矢先の災厄だった。
結局父から教わったのはそれだけで、それ故この一言はイルカの中でまるで遺言のように胸に刻まれてしまったのだ。
父が口煩く言い聞かせていた本当の理由。
それは彼らが凄惨な任務を請け負うあまり常に殺気だっている事も勿論だが、判別不能な劇薬に侵されている場合もあるからだ。
そんなことを思い出しながら目的地を目指して足早に歩いていたイルカは、目印になる大きな木をみつけて駈け出した。
「・・・狛面?」
緑が生い茂った大きな木の根本まで到着して、小さな声で呼んでも返事はない。
懸命に気配を探ろうとしても、相手のほうが一枚も二枚も上手だ。
不安になりながらキョロキョロとあたりを見渡して、腹に力を込めた。
「狗面ーッ!!!」
「ーーー・・なに・・?」
葉擦れの音とともに、面倒臭そうな声を出しながら逆さになった獣面が垂れ下がる。
動きやすさだけを基準にしたようなアンダーとベスト。それと、左腕に刻まれた刺青。
木の葉の暗部に所属している彼の名前は知らない。
だからイルカは毎回そう呼んで彼の所在を確認していた。
「やっぱりいた」
「いちゃ悪いわけ?」
不機嫌そうな声はいつものことだから気にしない。
太い幹にぶら下がったままの狗面にニカリと笑いかけて、イルカは腰にぶら下げた鞄から取り出した握り飯を差し出した。
「食うか?」
「・・・・・」
一瞬無言になった狗面は、くるりと身体を反転させてイルカの傍に着地する。
握り飯をひったくるように受け取って、礼も言わずに樹の根元に座り込んだ。
「なによ、また塩むすび?」
「しかたねーだろ! 今は復興ってやつで精一杯なんだから、贅沢言っちゃいけねぇんだぞ」
どこかで誰かに言われた通りの事を口にするイルカに、獣面の下の青年が舌打ちする。
「お前はひょろひょろですぐ倒れんだから、いっぱい食えよ」
「・・・・」
隣に座ったイルカが、鞄の中からもう一つと握り飯を差し出した。
イルカの前で倒れたのは一度きりだし、ひょろひょろとは人聞きが悪い。
まだ子供らしさが抜けないぽっちゃりとしたイルカとは反対に、ちょうど青年期に差し掛かろうと言う年頃だ。
肉は削げて引き締まり、しなやかな筋肉へと変貌していく時期だということを知らないイルカの頬を鉤爪がそっと撫ぜた。
「それはアンタのでしょ」
「俺は良いんだよ。配給はちゃんと朝昼晩って貰えんだからな」
そういった瞬間ギュルルと鳴り出した腹の虫に、うわっと声を上げて身体を折り曲げた。
「なんなの、その意地っ張り」
「うー、うるさいっ」
クククッと面の下の笑い声に、顔を赤くして唇を尖らせた。
「オレは一つで十分だから、アンタが食べな」
「・・・・・」
そう言って、シュルリと獣面の紐を解く様子に慌てて反対側を向く。
狗面は一度だって咎めたことはなかったが、何だか顔を見てはいけない気がして自然と身体が反応してしまう。
そんなイルカをチラリと見やって、狗面は硬く握りすぎている塩むすびを口に運んだ。
******
二人の出会いはやはりこの巨大な樹の下だ。
魔の森の近く。
あまり里人が立ち入らないこの場所に立つ大きな樹の下がイルカのお気に入りの場所だった。
その日は母親に作ってもらった握り飯を手にこの場所までやってきたイルカが、さあ食べようと鞄を開けた瞬間。
ドサリと音をたてて降ってきた物体に、目を見開いたまま固まった。
血だらけの暗部の装束。
ボロボロになるまで遊んだ暗部人形そのままだったから、見間違うことなんてない。
「・・・・うっ・・」
固まったままどれぐらいの沈黙が流れただろうか?
不意に聞こえた小さな呻き声に、足元に落ちている木の枝を拾い、降ってきた暗部へと恐る恐る近づく。
ツン。軽く突いてみても反応はない。
「・・し、・・死んで・・?」
「・・・生きてるよ」
「わぁっ!!」
すかさず聞こえた声に、吃驚して尻もちをついた。
「けっけけけ怪我してるのか?」
「怪我じゃない」
「じゃあなんでっ」
見たところ大きな外傷は無いようだが、ならば何故動かないのだろう。
腰が抜けたまま這いずって、父親の教えなど頭からふっとんでいたイルカは倒れたままの暗部に触れた。
「冷たい」
「・・ただのチャクラ切れだーよ。暫く寝てたら治るからほっといて」
「いつまで?」
「・・・いつまでって・・知らないよ」
「このままここに?」
「・・・・・」
「ねぇっ! 大丈夫?」
「・・・・・」
「・・ど、どうしよう・・誰か・・」
「もう、うるさいな」
傍に座り込んだままオロオロとするイルカに、苛ついた声をあげながら暗部が立ち上がる。
戦闘の後なのだろう。少し欠けた面の中からは、イルカが見たこともない赤い文様の眼がこちらを見つめていた。
そんな禍々しい瞳に、イルカの喉がゴクリと鳴る。
「・・・・・」
驚愕したようなイルカの表情に気づいた暗部が、まるで隠すようにその瞳を閉じて顔をそらす。
その途端、フラリと足元が崩れるのに思わず手を差し伸べた。
「危ないッ!!」
「・・っ・・」
今にも倒れそうな身体を引きずって樹の根本に座らせると、荒い息を付く暗部の手を握る。
「・・・なに・・」
「こうしてると、安心するだろ?」
幼いころ、高熱で唸るイルカの手をこうして母が握っていてくれた。
イルカとしては良かれと思ってやったことなのに、仮面の下で忌々しげな舌打ちが聞こえた。
「・・・馬鹿じゃないの」
「え・・?」
「子供じゃないんだーよ」
嘲笑う声にむうっと頬を膨らませる。
振り払う力もないくせに、口先だけは強がって気を吐く暗部の手を更に強く握りしめた。
「離してよ」
「嫌だ」
「向こうへ行けよ、鬱陶しい」
「嫌なら、お前が振り払え」
「・・・なにそれ、殺すよ」
脅しともとれる言葉にも、狗面の隣に座り込み頑として譲らなかった。
「木の葉の暗部はそんなことしねーよ! だって・・っ」
「だって、なに?」
「・・・だから」
「なに。聞こえない」
「ーーー俺の、ヒーローだからっ!!」
「ブッ・・」
叫んだイルカに、狗面が吹き出した。
アハハッと声を上げ、ゆでダコみたいに顔全体を真っ赤にしたイルカがアワアワと口を動かす間も身体をくの字にして笑い続ける。
そうして一頻り笑った後、大きな溜息をついて唇を引き結ぶイルカを見やった。
「暗部なんて、ねぇ・・。そんなお綺麗なもんじゃないーよ」
「え・・?」
「今日だって、どれだけ・・殺してきたか・・」
怠い身体を預け、荒い息の合間に悲観したような声を漏らす。
人殺しを専門に行う血に塗れた汚い暗殺集団だと。
愛情に育まれた陽だまりの中で生きている子供が知る由もない。
全てを諦めたように呟いた言葉に、強く頭を振った。
「んなの、しらねぇよッ! 里を、皆を守ってんだろッ! もっと胸を張れッ!」
「・・・・・・」
「お前が何て言っても、俺はそう思ってんだからなっ!」
「ーーーーーッ・・」
睨みつける瞳の、揺るぎない力に言葉を失った。
強がって馬鹿にしたように鼻を鳴らすのが精一杯。
だけど、綺麗事しか知らない子供の言葉に反論一つ出来ない理由を知ってる。
それは。
誰かにそう言って欲しかったからーーー。
「・・・・・」
頑固そうに眉を寄せた少年が握りしめる手を、強く握り返した。
戸惑ったように自分を見つめる濡れたような大きな黒い眼球に、表情の無い獣面が映る。
「・・・バカみたい」
ポツリ。唇からこぼれ落ちた言葉に、眼の前の幼い顔がニカリと満面の笑みを描いた。
******
「旨いか?」
「うーん」
硬い塩むすびを齧りながら、背中合わせの会話。
互いが話す度に響く感覚が心地いい。
歯切れの悪い答えから、やはりまだまだ母ちゃんの味には程遠いことを思い知る。
「塩加減とか?」
「力の配分でしょ」
それでももしかして味付けかと問うてみれば、一番難しい答えが返って来た。
「そっか・・」
「食べられないことはないけどね」
「無理に食べなくてもいいんだぞ」
「ふふっ」
「・・・ちゃんと、作れるようにならねぇとな」
「・・・・・」
ボソリと呟いた言葉に、返事は出来なかった。
九尾の襲来により里が被った被害は甚大で、少年の両親もその時の厄災で戦死したと聞いていたから。
「ごめん」
「え?」
「里を守れなくて」
あの災厄の日、次代のためにと最前線で戦うことを許されなかった事実に歯噛みする。
「俺だって」
「アンタはまだアカデミーでしょ」
「むっ、アカデミーを馬鹿にすんな」
背中越しでも彼が頬を膨らませているのがわかる。
感情的なところはつくづく忍びに向いてないな、と。心のなかで思いながらも口にするのはやめた。
「暫く会えなくなる」
「なんでっ!?」
驚いて振り返る姿にも、背中は向けたままだ。
暫く窺うように視線がさまよって、諦めたように正面を向いた気配を確認してから口を開いた。
「長期の里外任務だーよ」
「・・・いつ帰ってくるんだよ」
「さぁ」
「危ない任務なのか?」
「任務内容をほいほい話せるわけ無いでしょ」
はねつけた答えに、ぐっと言葉を飲み込んだ。
けれど一度や二度で引き下がらないことも知ってる。
「絶対に死ぬな」
「どうだろ・・頑張るけど?」
「ーーちゃんと、約束しろよ!」
「・・・・・」
約束なんて出来ない。
忍びとして任務に出れば、必ず戻れるという保証なんてどこにもないのだ。
「・・・死なないで・・・」
頼りなげに震えた声に、ドクリと胸が跳ねた。
両親を亡くしたのはつい最近のことだと知っていたのに、小さな嘘一つ付いてやれない自分の幼さに唇を噛みしめる。
だから。
「・・誰に言ってんの」
吐き出した精一杯の言葉とともに、背後に回した指先で少年の手に触れた。
「暗部は強ぇんだろ」
「まーね」
「・・・信じてるから」
ギュッと。握り返される指先の力に小さく息を吐き出した。
「・・・アンタがそう言うなら」
絞り出した言葉と共に繋ぎ合った指先を軽く引けば、少しだけ驚いた顔の少年が振り返る。
晒した素顔を認めて目を見開き、慌てて顔を伏せた。
その肩口に顔を埋めれば、子供特有の日向の匂いと暖かい手のぬくもりを感じた。
「次は、もっと旨い塩むすび握ってやるよ」
「また塩むすび?」
「ほかほかの白飯と塩だけ、誤魔化しなんてきかねぇんだからな」
クスクスと笑われるのに、硬い塩むすびを頬張りながら唇を尖らせる。
「アンタと一緒だーね」
「・・へ?」
ポカンとこちらに向いた隙を狙って、イルカが手に持ったままの塩むすびに齧りつく。
「あっ!!」
「・・この塩むすびも暫くはお預けか」
咀嚼しながら、指先についたままの米粒を舌先で舐めた。
「俺の・・っ!」
あまりの早業に、消えてしまった塩むすびと銀髪の暗部を交互に見やる。熟れた果実みたいな唇が文句を言おうと口を開いた瞬間を狙って自らの唇を押し付けた。
ちゅうっと吸って、目を白黒させるイルカの頬を鉤爪でそっと撫でる。
「わっ・・、なにす・・ーー・・っ!」
「ゴチソウサマ」
ドカンと真っ赤に染まったイルカの顔に、声を上げて笑いながら立ち上がると、集合を知らせる笛の音に獣面を被って前を向いた。
「そろそろ行く」
「お、おう!」
駆け出そうとした瞬間、不意に後ろ髪を引かれて振り返った。
「・・そういや聞いてなかった」
「?」
「アンタの名前」
「ーーーイルカ、うみのイルカ」
「イルカ・・」
「お、お前は・・っ・・・」
問いかけた瞬間には、はるか遠くに光る銀色。
太陽の光を受けて輝くその姿を、イルカは目を細めながら見つめた。
「ちゃんと、戻ってこいよっ!」
待っているから、と。
思いっきり叫んだ声に、視界から消える瞬間の煌めきが答えた気がした。
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