カカシたちが姿を消して暫くの後。

「おい、見てみろよ」

木の陰に姿を隠した男たちが、木の根元に転がった赤子を発見し訝しげに顔を見合わせた。

「こんなところに赤ん坊だと?」

追撃を食らった後なのだろう。全身はくたびれ、立っているのもやっとな者もいれば、チャクラ切れギリギリでなんとか持ちこたえている様子の者もいる。
誰もが次の戦闘が最後になる。そう覚悟していた矢先に現れた赤ん坊である。
こんな血なまぐさい場所に迷い子などありえない。置き去りか、はたまた捨て子か。本来ならば、子供を攫って戦忍として育てるのが彼ら組織のやり方だ。物心付く前から洗脳してしまえば、従順な駒として使い捨てることができる。それが捨てられた子供ならば尚のこと手間が省ける──、頭をよぎった考えは、赤子の傍らに寄り添っている強面の大型犬を眼にした瞬間、待てと警鐘をならした。
触れれば即首筋を噛み切られるのではないか。見た目からして威圧感しかない大型犬の姿に、男たちはゴクリと喉を上下させた。

「これって、罠じゃねぇのか?」
「見てみろよ、あの髪……」

太陽の光を浴びてキラキラと光る銀髪が、嫌な予感に更に拍車をかける。

「あきらかに罠だ」

このまま何も見なかったことにして去るが得策。誰もがそう思ったとき、のそりと立ち上がった大型犬が、眠る赤ん坊の頬をべろりと舐めた。

「うやん」
「わふっ」

舐められて目を覚ました赤子が、冷たい鼻先を押し付けられた反動で落ち葉の上へところりと転がる。地面を覆う落ち葉が、赤子の体の下で潰されて乾いた音を立てた。

「あう」

カサリ、クシャリ。その音が楽しいのか、はたまた潰れる感触が心地いいのか、指を伸ばしては枯れ葉を掴む赤子の尻を、大型犬が警戒心も顕に鼻先で木の根元へと押しやろうとする。

「きゃう」

舌っ足らずな甘え声。遊んでもらっていると思っているのだろう。誰もが相好を崩す可愛さに、思わず身を乗り出した瞬間、ころりと仰向けに転がった赤子の視界に男たちの姿が映り込んだ。

「あーうっ! きゃあっ!!」

しんっと静まり返った森の中に、子供特有の甲高い声が大きく響く。振り返った大型犬が、鋭い牙をむき出しにして唸り声を上げた。

「見つかったっ!」

一気に走る緊張に、男達のうちの一人が勢い余ってクナイを投げる。
シュンッと風を切る音を立て、鋭い刃が赤子の数センチ側へと突き刺さった。

「ガウッ!」
「ばかやろうっ! 何やってんだっ!!」
「すまねぇ、お頭……っ!!」
「チッ! 仕方ねぇっ」

罵声とともに、次々とクナイや手裏剣の雨が降り注ぐ。

「わぁう」

地面を打ち付ける衝撃。落ち葉から這い出てきた虫を追う赤子の頬や身体を、クナイが掠めていく。

「あいつっ! 避けてやがるっ!」
「さっさと殺っちまえ!!」

森中に響いた怒鳴り声に、赤子が一瞬動きを止める。その視線が、今まさにクナイを投げ込もうとする男達の姿を捉えた。
ビリビリと肌を焼く殺気。臨戦態勢の大型犬が、一際鋭い声で吠えたてる。その咆哮に、赤子がびくりと身体を震わせた瞬間────

「うややぁぁああんっ!!」
「くそっ!」

泣き出した赤子めがけて刃が次々と投げ込まれる。

「かーっ!! いやーのぉぉぉっ!!」

カチン。
届いたのはかすかな打撃音。男たちがその危険極まりない音に気づくと同時に、赤子の正面へと大型犬が立ちはだかった。

「な、なんだ、今の音……?」

怯む男たちの足元めがけ、稲妻の如き亀裂が走り抜ける。地鳴りとともに地面が大きく揺れ、男たちが身を隠していた樹木ごとパクリと口を開けた裂け目に飲み込まれた。

「ひぃっ!!」
「た、退避っ!」
「めぇっ!!」

亀裂から飛び出してきた男たちを指差し赤子が声を上げる。飛んできたのは巨大な火の玉で、ギリギリで避けた男たちが地面に膝をついた時だった。

「───雷……」
「……切はやめて下さい、センパイ──……ッ! 木遁、四柱牢の術っ!!」

叫びながら飛び出してきた男が印を結ぶと、土中から伸びてきた材木が逃げ惑う男たちをあっという間に牢へと絡め捕らえた。

「ふう。大丈夫かい? サクヤ」
「あう〜」
「だから問題ないって言ったじゃない」

左手に青い火花を散らしながら赤子の隣に降り立った銀髪の男が、牢に囚われた男たちに鋭い視線を投げつける。
銀髪に、狗の面。そして、左目の写輪眼。
あれは……。

「はたけカカシ……?」

がくりと跪く男たちの前で、カカシは抱っこをせがむ赤子を抱き寄せて「お前も結構やるじゃない」と笑った。


*****


「ただいまー…っと」

玄関の扉を開けた瞬間、飛び込んできたほほえましい光景に、イルカは慌てて掌で口を覆った。
教材が詰まった鞄を肩からおろし、靴を脱ぐのももどかしい思いで室内へ上がると、抜き足差し足で眠る親子の側へと近づく。
寝落ちたのはカカシが先か。
仰向けになったカカシの腹に、しがみつく形で眠っている我が子の姿に思わずくくくっと笑いが漏れる。

「……せんせ?」
「すみません。起こしちまって」
「おかえり」
「ただいま帰りました」

傍らに膝を付き、眠るサクヤにただいまと顔を寄せると、ふわりと石鹸の香りがした。

「もしかして、風呂に入れてくれたんですか?」
「かなり汚れちゃったから」
「……まさか忍犬たちと砂遊びでもさせたんじゃないでしょうね」
「ま、そんなとこ」
「ダメじゃないですか。口寄せだってチャクラを使うのに」
「でも、忍犬と一緒だとサクヤが喜ぶでしょ」

生まれる前の予想とは反対に、カカシは子育てにも熱心だ。まだ赤ん坊だというのに部屋の中は次々と買ってくる玩具や子供向けの忍具でいっぱいだし、サクヤが泣けば自分が疲れていても一晩中だって抱いていてくれる。
入浴だって、最初はおっかなびっくりだったものの、今ではイルカが入れるよりも丁寧だ。

「そりゃ喜びますけど」

それじゃあ自宅待機の意味がないじゃねぇかと唇を尖らせると、まぁいいじゃないと言いながら優しい腕が伸びてくる。

「なんですか?」
「先生も一緒に寝ましょうよ」
「そろそろ晩飯の時間ですよ」
「少しだけ。サクヤもまだ眠ってることですし」

起こしたら可哀想だと強請られて、しかたねぇなとイルカも隣へごろりと横になった。
指先を伸ばし、顔の半分を覆う口布を引き下ろす。イルカが病院に駆けつけたときには蒼白だった頬に、うっすらと赤みが戻ってきていることを確認してホッとする。顔を縦に走る傷跡に指を伸ばして触れると、カカシがゆっくりと顔を近づけてきた。
おくれ毛を指先が弄び、耳たぶを擽られる。
優しい刺激に小さく息を吐くと、ちゅっと音をたてて唇が啄まれた。わずかに離れた唇を追いかけて、今度は深く重なり合う。鼻先をこすり合わせ、カカシに強請られるままに舌を差し出す。口内に導かれて吸われると、腰に甘い痺れが走った。

「……す、少しは回復しました?」
「もう十分。こんなに休んでいたら身体が鈍っちゃうよ」
「馬鹿言っちゃけいません。俺が言うのもなんですが、体調管理も忍の仕事の内っ! ましてやカカシさんは……」
「しー、黙って」
「っと」

二人の間でサクヤがむずがって顔を顰める。紅葉みたいな小さな手で目を擦ると、つぶらな瞳がゆっくりと開いた。

「……いー」

イルカを見つけて、黒目がちな瞳がふにゃんと笑った。

「おはよう、サク。いい子にしてたか?」
「あう」
「ったく、せっかくチャクラを使わせたんだから、邪魔しないでもう少し寝てなさいって」

そう言って、カカシがとんとんと背中を優しく叩いてやる。

「……チャクラってなんですか?」
「ん〜、それはこっちの話」

再びウトウトとしだしたサクヤに微笑みながら、カカシは訝るイルカを抱き寄せて口づけた。
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