「んまぁ」

口元に、生ぬるい湿った感触を感じて目を覚ました。
寝ぼけ眼を開いた瞬間に飛び込んできたのは大写しになった我が子の顔面で、カカシは思わず「ヒッ!」と叫んでしまうのを堪えた。

「サ、サクヤ……?」
「わう」

ちゅぱ。口に含んだヨダレまみれの指を差し出されて、寝そべったまま両腕で抱きあげる。ぷくぷくとした身体がぶらりと宙に浮いた。

「きゃあぁっ」
「おや、随分とご機嫌じゃない」

今泣いた烏が〜、とはよく言ったものだ。

『カカシさんといい子でお留守番するんだぞ』

まさか自分が置いていかれるとは思わなかったのだろう。玄関先で手を振るイルカを大号泣で送り出したサクヤは、泣きつかれて眠るまでしつこくぐずり続けた。
そんなサクヤをあやしたりなだめすかしたりして漸く寝かしつけたカカシだったが、うっかり自分も一緒に眠ってしまったらしい。我が子の大福みたいな肌に残る涙の跡を拭って、柔らかい身体をそっと胸に抱いた。
うつ伏せになった身体から感じる優しい重みと温もりにほっとする。むぐむぐと動かす唇を指先で触れれば、ちゅうと吸い付かれた。

「なに? お腹すいたの?」
「あう」

そういえば、なだめることに必死でミルクをやるのを忘れていたか。
起き上がって台所へ向かえば、ごろりと腹ばいになったサクヤがたどたどしいながらも足先で畳を蹴って進もうとしていた。

「ふえぇぇん」
「あ〜、ちょっとまってて」

手っ取り早く、火遁と水遁のあわせ技で作った湯にミルクを溶かす。人肌に冷めるのをじりじりと待って、泣き出す寸前のサクヤを抱きかかえた。

「はいはい、おまたせ」
「ん、ま」

哺乳瓶の先端で唇をつつけば、小さな口が上手に含んで吸い付いてくる。一心に哺乳瓶に吸い付くサクヤを見ながら、まさか自分にこんなに穏やかな生活が訪れるとはと、カカシはなんともこそばゆい気持ちになった。
それもこれも、全部イルカ先生のおかげだね。
戦場を駆り、生死の境を行き来していた頃には想像できなかった生活に、うっかり浸ってしまいそうになる。
それが悪いことではないとわかっていながらも、身体の芯まで染み付いた衝動が自らを危険に晒してしまうことも知っている。
ま、そんなだから自宅待機なんてくらっているんだけど。
チャクラ切れで運び込まれた病院に、血相変えて飛び込んできたイルカの顔が脳裏に浮かぶ。
振り乱した髪に、左右違いのつっかけ。半泣きの状態でカカシの無事を確認したイルカは、その足で受付まで乗り込み、職権を行使してカカシが請け負った任務をすべてキャンセルし、自宅待機をもぎ取ったのだ。
心配されるのはくすぐったいけれど、悪い気はしない。ふっ、と笑えば、カカシの顔を見上げていたサクヤが、哺乳瓶を抱えながらふにゃりと笑い返した。
その顔がイルカにそっくりだなんて。

「……可愛いねぇ」
「んあぅ」

可愛くてしょうがないなんて親馬鹿なセリフを、まさか自分が口にするとは思わなかった。

「ん? もう良いの?」

残り少なくなった哺乳瓶を揺らしてやると、思い出したように吸い付いてくる。最後まで飲みきったのを確認してから、涎とミルクで汚れた口元を拭いてやった。

「お腹いっぱいになった?」
「んぷぅ」

タオルケットの上に仰向けに寝かせれば、ころりと腹ばいになる。
腕の力で突っ張って顔を上げるものの、力尽きてはまたころりとひっくり変えるサクヤの隣に、カカシもごろりと横になった。

「か、うんっ」
「あ〜、はいはい」

イチャパラを胸に伏せ、転がってきたサクヤに鼻を寄せて、ミルクくさい匂いを胸いっぱいに吸い込む。
柔らかくて温かくて頼りなくて。わしわしとっ空を掻く紅葉みたいな掌に手をのばすと、ぎゅっと握りしめられた。

「ふふっ」

開け放たれた窓から入る爽やかな風が頬を優しく撫ぜていく。遠くから聞こえる子供たちの笑い声と、差し込む光。我が子の甘い匂いに誘われるままウトウトとしかけたカカシは、縁側から飛び込んできた式鳥に気づいて身体を起こした。

「テンゾウ?」

旧知のチャクラに手を差し出せば、式鳥はぽふんと小さな破裂音を鳴らして結び紙へと変化した。


*****


「あの、」

木の葉の里にほど近い場所。血しぶきにまみれた地に降り立った男を見て、テンゾウは一瞬言葉を失って絶句した。
正確には、男にではない。
男が腕に抱いた小さな物体にだ。

「それは………」

すよすよ。よほど豪胆、いや、鈍感なのだろうか。腕に抱かれてぐっすりと眠っている物体は、こんな状況だというのに全く起きる気配がない。
時折ガクンっと首がおちそうになるのに、テンゾウは慌てて手を伸ばしそうになるのをぐっと堪えた。

「あ〜、パックンに留守番を拒否されちゃってねぇ」

しれっと答えた男が、「ま、しょうがないよね」なんて嘯くのに、怒りを通り越して呆れてしまった。
そういう問題ではない。
そもそも戦場と呼ばれる場所に、赤ん坊を連れてくる馬鹿がどこにいる。そう口にしなかっただけ褒めてもらいもんだ。

「拙者、イルカに怒られるのは嫌じゃ、とか言うんだよ。知らないうちにパックンまで先生に懐柔されちゃって。誰が契約主だと思ってんだろうねぇ」

それはきっと、イルカさんに旨い餌でももらっているのだろうとは思ったが、どちらにせよ文句を言いながらもカカシが嬉しそうなので、テンゾウは黙っていることにした。

「なに不満そうな顔をしてんのよ」
「いえ……」
「だいたいお前が呼んだんじゃない」
「……自宅待機でお暇をされているかと思いましたので」
「暇? あぁ、暇していたよ。だから来てやったんでしょ」

二人の言い合いに、まわりの暗部連中が目線を合わせずにそっぽを向く。
誰だってこんな言い合いに参戦したいわけでも、カカシを窘めたいわけでもない。
テンゾウだとて、カカシがチャクラ切れを理由に自宅待機を(イルカに)言い渡されていることを知っている。だから、戦闘要請ではなく、戦略を仰ぐ式を飛ばしただけなのだ。
それがのこのこ子連れで戦場に出てきた挙げ句、お前が呼んだのだろうと責められなければいけないのか。

「……ありがとうございます」

そうだ。この人に世間一般の常識なんてものは通用しないのだ。怒るだけ無駄。そして、赤ん坊を同行させてしまった手前、イルカが戻る前にすべて片付けなければ、自分にも被害が及ぶことは明白。
テンゾウは切り替えが早かった。

「し、詳細は先程申し伝えた通りです。木の葉国境近くで発生した抜け忍の組織及び隠れ家を襲撃。暗部隊で残党の捜索を決行したものの、取り逃がした抜け忍が数名木の葉周辺に潜んでいるものと思われます」
「ん」

 手渡された巻物を広げ、カカシが小さく指をさす。

「放っていた忍犬たちからの情報によると、怪しいのはここと、こっちの一帯かな。暗部はこれから三隊に分かれて徹底的にあぶり出しを図る。テンゾウは南を指揮。絶対に里への侵入を許すな」
「はっ」
「探知ができるものはオレと、他は?」
「ロ隊に一人」
「ではそいつを同行させてみつけ次第殲滅しろ。残りはオレについてきて」
「あの、先輩」
「なに?」
「三隊とおっしゃいましたが」
「それがなに?」
「僕と、先輩の隊と……」
「サクヤ」
「はぁ!?」

ころり。木の根元に転がされた赤子を見て、素っ頓狂な声を漏らしたのはテンゾウだけではない。ざわついて顔を見合わせた暗部達に、カカシが何か文句でも?といいたげに狗を模した面をずらした。

「ダイジョーブ。オレとお前らとで殲滅すれば、何の問題もないでしょ」

有無を言わさぬ笑顔を前に、暗部たちは絶対に負けられない戦いを心に誓った。
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