「癒やしと食の温泉施設だ? こんなのどこにでもあるんじゃね?」

ミーティング用ディスプレイが暗転するのと同時に、ブラインドが開けられた部屋には一気に明るい陽が差し込んだ。
眩しさに目をしばたたかせる暇もなく、バサリと夢を詰め込んだ書類が無残にも机の上に投げ捨てられる音が耳に届く。

「もっと画期的及び革新的なアイデアが求められていることは確かだな」

頷くのはそこここから集められた精鋭たちで、開いて見られることさえなかった書類はあっさりと左端へと追いやられた。
見る価値もない。
そう言われたようで、(実際にそうなのだ)内臓がキリキリと引き絞られる痛みを訴える。
背中を嫌な汗がじとりと滑り落ちた。

「……ですがっ!!」
「ユーザーに興味、関心を持ってもらえるようなアトラクションや施設を提供するのが俺たちが集められた目的、だったよな」
「温泉施設なんて今じゃどこの企業もやり尽くした燃えカス同然の事業じゃねぇか」
「期待していた人材に肩透かしを食らったってのはこういうことですかね」
「夢を追いかけるのは結構だが、現実は直視したほうがいい」
「まって、待ってくださいっ! これは――……」
「うみのさん…だったかな? ボク達に与えられた時間に限りがあるっていうことはわかっているはずだよね。ここにいる全員が必要ないと言っている君の「企画」とやらを、これ以上時間をかけて議論するのは勿体無いとは思わないかい?」
「………それは…っ……」
「センパ……、はたけマネージャーのお考えは?」
「ん~?」

机に頬杖を付き、無言で展開を見守っていた男が名前を呼ばれてチラリと視線を上げた。

「そうだねぇ」

窓から差し込む太陽の光を受けてキラキラと煌くのは目を奪わんばかりの立派な灰毛。目が飛び出んばかりのお高いスーツに身を包んだイケ猿が、左右色違いの瞳で一人ひとりの顔をゆっくり見渡すとニコリと微笑んだ。

「少し熱くなっているようですし、一旦休憩でもしましょうか」



勝利のキスはどんな味?



「はい、お疲れさん」

ピタリと額に当たった熱さに目を見開いて、気配すらさせず背後に立った男の手から熱々の缶コーヒーを受け取った。

「カカシさん…」
「こんなところに座っていたら、身体が冷えちゃいますよ〜」

冷えは万病のもとって昔から言いますからねぇなんて戯けた口調で呟いて、狭い非常階段の途中に座り込んでいるイルカの隣に腰を下ろした。スーツの下はりっぱな毛皮で覆われているとはいえ、イルカよりも細腰の男は肉厚がないだけに寒そうだ。

「っこらしょっ……っと、う〜、冷たっ!!」
「おっさんクセェ」
「こら、心配して探しに来た恋人にそんな言い方はないでしょ」
「…心配なんて」
「それくらいはさせてください」

本当は手助けのひとつでもしたくて堪らない男のボヤキ。
多分カカシが一言いえば、どん詰まりの今の状況から一気に道は開かれるだろう。
だけど。

『援護射撃はいりません』

とは、木の葉リゾート計画のプロジェクトの一員としてイルカが内示を受けたときにカカシに宣言した言葉だ。
このプロジェクトのために、イルカは休日と給料のほぼ全てを割いてきたといっても過言ではない。いつか日の目を見るようにと、ずっと温めてきたのだ。もちろん仕事である以上カカシが依怙贔屓をするとは思わないが、プロジェクトマネージャーが恋人だからといって甘やかされたくなかった。
カカシもそれをわかっているからこそ、イルカが窮地に陥っている瞬間も口出し一つしなかったのだ。

「もどかしい、って思っていますよね」
「落ち込むイルカさんを見ているだけで、小さな胸が傷むくらいには」
「ありがとうございます」
「はい?」
「……それでも黙っていてくれるから」

プシュッとプルトップを開ける音。喉の奥に流し込んだ甘すぎるコーヒーが身体中に染み渡る。
それがまるで、ケツは持ってやるから思い切ってやってみろというカカシの優しさのようで。
掌から伝わってくる温もりにほっと息をついた。

「癒やしと食の温泉施設を作ることが俺の夢です」
「知っています」

プロジェクトへの内示が出た夜、いつもなら手も出せないくらい高い酒を買って祝杯を上げたことも。
へべれけに酔っ払ったベッドの中で、カカシの耳にタコができるほど喜びと夢を語り尽くしたことも。
全部知っていて、応援してくれる猿がいるのだから。

「絶対この企画を通してみせます」

だから心配してくれるなと、強い意志を込めた瞳が言っている。
本当ならゴールまでのレールを引いて、はずれないよう転ばないよう手取り足取り導いてやりたい。
だけどそれをイルカが望んでいないことなど嫌という程知っているのだから。
ふうっと諦め混じりのため息を付いて、極上の面が微笑んだ。

「まずは彼奴等を納得させるところからですね」

一癖も二癖もある連中だ。一筋縄ではいかないだろう。
だけどそんなことなんだって言うんだ。
苦労すればこそ勝利の美酒は格別だろう?

「頑張れますか?」
「やらなきゃ猿がすたるでしょう?」

不敵に宣うイル猿に、カカシは色違いの瞳を見開いて頼もしげな笑みを浮かべた。
傷つくこともあるだろう。
悔しさに、夜が眠れなくなることも。
だけどそのために、カカシがいるのだ。
切り札は最後の瞬間までとっておけ、っていうもんねぇ。

「では、イルカさんのお手並み拝見といきましょう」
「吠え面かかせてやります」

臨戦態勢。ぶわっと毛皮を膨らませたイルカに笑い声を上げて。
笑いあったまま重ねた唇は、勝利を勝ち取るための誓いのキス。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。