「ほんっと、サイテーだよ」

ポツリ。呟いたサクヤの頬を、寄り添っていたブルがペロリと舐めた。

「あんなやつ大嫌いだ」

じんわり涙が滲んだ声色に、心配げにブルが小さく喉を鳴らす。それがまるで慰められているみたいで、自然と大きな体にしがみついた。
八忍犬の中でも体格のいいブルは、サクヤが幼い頃から一番長く一緒にすごした子守犬だ。その背に跨がって散歩する姿は「絵本から飛び出したみたいに可愛い」などと言われ、里人から微笑ましく思われていたものだが、今では泣く子も黙る暗部として極秘任務をこなせるほどに成長した。
本来ならこんな姿はブルにだって見せたくないというのに、もたれかかった樹木の周りにはいつの間にかカカシの忍犬たちが勢揃いしてサクヤを取り囲んでいる。
皆それぞれくつろいだ姿を装ってはいるが、サクヤの一挙手一投足を見逃すまいとしているのがわかってしまうだけに悔しくなる。
これじゃあまるで成長したのは身体だけみたいじゃないか。

「…もう子供じゃないんだから、放っておいてよ」

ブルの短い体毛に顔を埋めて放った言葉を、優しい忍犬たちは聞こえぬふりをする。アンテナを張っていながらものんびりと寝そべる姿が憎らしいけれど、ささくれ立つ気持ちが少しだけ収まってくるから不思議だ。
ふてくされている自覚はある。
いつまで経っても敵わない相手に手玉に取られる悔しさは、物心ついたときからいつも感じていたことだ。見た目もそっくりな自分たちはいつだって比べられてきたし、今も比べられる存在であることを疎ましく思うこともあったけれど。
嬉しそうにするんだよなぁ。

『六代目にそっくりですね』

そう言われるたびに、サクヤのいちばん大事な人は鼻先を指で引っ掻いて、照れくさいような表情を浮かべるのだ。
はにかんだ笑顔で、「やっぱりカカシさんの子だからな」なんて言われてしまうと、それが嫌だなんて一言だって言えなくなる。
イルカが喜んでくれるなら。
あの狡猾で性悪な父親にそっくりなことさえ誇らしく思えてくるのだから。
それにしても。

「なんであんなヤツのこと好きなんだろ」

イルカならもっと良い人だっていただろう。
そもそもそんな事になったらサクヤはこの世に存在しないわけだが、そう言うとイルカは少しだけ驚いた顔をして、そうかもな、と口にする。だけどその直後に「でも、カカシさんほどの男はいねぇからよ」なんて無自覚に惚気けられるからサクヤはまたなんとも悔しい思いをしてしまうのだ。
まったくもって口惜しい。

「そんな事言うなよ」
「そうだぞ。カカシにだって良いところはいっぱいあるワン」

いままでそしらぬふりを続けていた忍犬たちが、口々に主を養護する。

「俺がいない間、母さんをあの家に一人っきりにしといて何が良いところだよ」

カカシが火影に就任したのと同時に、サクヤは暗部へと入隊し長期任務で里を離れた。
聞けば里の復興に奔走していたカカシはほとんど家へは帰らなかったらしい。
長期任務期間中にイルカと交わした手紙には、まだまだ子供だったサクヤを励ます言葉の数々が綴られていたが、それは寂しいと口にすることさえ許されないイルカが自分に宛てた言葉でもあったのだろう。
大事なわが子を心配して、心配しすぎて。
けれどけしてついてはいけない現実に歯噛みして。
グスン。イルカの心情を慮り、サクヤがブルの背中で洟をすする。

「あやつの事情も察してやれ」
「カカシのやつも、帰りたくても帰れないよってボヤいてたしな」
「ケケケ。俺はしょっちゅうイルカの様子を見にいかされたぞ」
「そう言ってサボっていただけだろう」
「イルカに木の葉印の缶詰を貰っていたのを知らないとでも思っていたのか」
「なんだって!? お前ばっかりズルい!」
「オレにも木の葉印の缶詰を食わせろ」
「やめんか! 今はそんな話をしとる場合ではないではなかろう」

妙なことで喧嘩をはじめた忍犬たちを、パックンが諌める。

「とにかく、里を復興させるにはカカシでなければならなかった。それはお主も知っておろう」
「イルカだって理解してるワン」
「そんなの里のためって言われたらしょうがないじゃない」
「サクヤ…」

唇を尖らせたサクヤに、八忍犬たちの嘆息が落ちる。
サクヤだとて、子供ながらもそのあたりの事情はわかっているつもりだ。
火影となったカカシが、壊滅状態に陥った里を再興するため昼夜を問わず心血を注いだことは聞いている。里が異例の速さで復興を遂げたのは、ひとえにカカシの采配によるところが大きいとも。
だけど今、サクヤが憤っている問題はそこではない。
ようやく戻れた里で、イルカにベッタリのバラ色生活を送るはずのサクヤを邪魔しているのは、あろうことか仕事を理由に家に寄り付かなかったカカシだった。
今日も今日とて日課となったイルカ争奪戦。
楽しいはずの食卓はあっという間に険悪な雰囲気に変わり、事態はもはや収集がつかない状態になっていた。

『これだけ毎日家に顔を出せるんなら、オレが任務に出ている間だって戻ってこられたハズじゃない』
『その頃とは里の情勢も違うからねぇ』
『二人とも、喧嘩はやめろ』
『…母さんを一人にしておいた張本人が、いまさら何いってんだよ』
『だから今こうして帰ってきているでしょ。第一先生が文句も言っていないのに、お前が口出しすることじゃない』

イチャパラ片手に面倒臭そうなセリフ。イルカがぎこちない笑顔を浮かべて頷くのに眉を寄せた。
文句を言わないわけじゃない。
言わせない状況を作ったのはどこの誰だと思っているんだ。
余裕の表情を浮かべるカカシに腸が煮えくり返ってくる。

『……ずっと帰ってこなきゃ良かったのに』

けして本心ではないけれど。
ボソリと口から滑り出た言葉に、空気が一気に冷え切ったものに変わる。その瞬間、イルカが小さく「馬鹿…」と呟いて天を仰ぐのが見えた。

『あのねぇ、サクヤ』

スローモーションで閉じられたエロ本。
剣呑な光をまとった両眼が、ぐっと唇を引き結ぶサクヤを見据えた。

『あんまり可愛くないことばっかり言ってたら、また里外任務に行かせるよ』

信じられない。
火影ともあろう男が、権力を傘に脅しをかけるなんて。
ふいっと顔をそらしたカカシへ背を向けて、サクヤは家を飛び出した。
慌てて引き止めるイルカの声は途中で途切れ、代わりとばかりに追いかけてきたのはカカシが使役する八忍犬で。

「あんのバカ親父」

悔しさをにじませて、ブルの短い体毛に突っ伏したままぐりぐりと顔を押し付ける。

「まったく、あいつも困ったもんじゃ」
「怒るなよ、サクヤ」
「ケケケ。カカシがお前と張り合うのはいつものことだろ」
「今度拙者達からも言い聞かせておくから、そろそろ機嫌をなおせ」

いくらイルカが愛息子を溺愛しているからとはいえ、我が子にヤキモチを焼くなんて。
呆れ果てながらもとりなそうと、忍犬たちがぺろりぺろりと代わる代わるにサクヤを舐める。膨れていたサクヤも思わず相好を崩した。

「やめてよ、くすぐったい」
「イルカも心配してるよ」
「戻ろうよ、サクヤ」
「やだ」

赤ん坊の頃からぐずるサクヤを幾度も宥めてきた忍犬たちだ。膨れっ面のままブルに抱きつくサクヤに嘆息し、仕方ないとばかりにふわふわの体毛に覆われた身体を密着させてきた。慣れ親しんだ柔らかい感触と温もりは、まだまだ子供のサクヤを優しい眠りに誘うのにそう時間はかからなかった。


*****


「眠ってる…」
「寝顔は可愛いんですけどねぇ」
「起きていたって可愛いですよ」

そりゃあもうとびきり。
そう言って、スヤスヤと規則正しい寝息をたてる愛息子の柔らかな髪を撫ぜた。
目元には涙のあと。それがまだ我が子の幼さを感じさせて、胸の奥がキュンと締め付けられる。
二人の到着を待っていた忍犬たちが、我先にと起き上がってしっぽを振るのにシーッと合図を送った。

「カカシッ!」
「お前たち、迎えに来るのが遅いではないか」

追いかけようとしたイルカを強引に寝室へと連れ込んで、今までしっぽりやっていたとは流石に言えず、カカシは曖昧に微笑んだ。

「あ〜、皆、ありがとね。もう戻ってもいいから」
「ケケケ。あまりサクヤを泣かせるなよ」
「まだ子供なんだからな」
「カカシのことバカ親父って言っていたワン」
「アキノ、余計なことを言うんじゃない」
「…嘘でしょ」

消える寸前に聞こえた告げ口。
ショックとばかりに呟いたカカシに、イルカが苦笑いする。

「カカシさんが意地悪ばっかりするからですよ」
「こいつだって憎まれ口ばっかりたたくじゃない」
「それはアンタがわざとサクヤを煽るからでしょう」
「オレだって、ちょっとは懐いてほしいのよ」

幼い頃は、カカシの腕の中でよく眠っていた。笑った顔がイルカによく似ていて、凄惨な任務で荒んだ気持ちをどれだけ癒やしてくれただろう。

「それが今じゃ、顔を合わせるたびに喧嘩腰で」

はぁっと大げさについたため息に、思わずイルカが吹き出す。

「反抗期ですかね?」
「先生には絶対服従なのに?」
「そりゃあ俺は―――」

超えるべき相手だと思われてはいないからだ。
まだまだ子供っぽさの抜けない華奢な身体でありながら、サクヤは既にイルカを守るべき存在だと認識している。
それがまたカカシにそっくりだと思えて、イルカは複雑な気持ちになった。

「母親には敵わないってことですか」
「…ハハッ」

カカシの言葉に微笑んで、がっちりとブルにしがみついて眠っているサクヤの腕を取る。

「さ、家へ帰ろうなぁ、サクヤ」
「オレが背負うよ」
「良いんですか?」
「当然じゃない」

力の抜けた身体を背負い立ち上がる。生意気ばかり言っているサクヤだが、背負った身体はあまりにも細い。
背中越しにじわりと背中に広がった子供の高い体温は、カカシに我が子の幼さを感じさせた。

「…まだこんなに小さいんですねぇ」

呟いて、初めて上忍師として受け持ったナルト達よりも更に幼いことにあらためて気づく。隣を歩くイルカがクスリと笑ってみせた。

「少しは反省しましたか?」
「ん〜、でもあれはサクヤが悪いでしょ」

一体どこから聞いてきたのやら。
火影に就任して数ヶ月。火影屋敷に居を移し、目の回るような日々を送ってきた。実際のところ、離れて暮らすことに堪えていたのはカカシの方だったから、思わず意地の悪い言葉が出てしまったのは不徳の致すところだ。

「だけど、なにもひっぱたくことないじゃない」
「我が子にあんな意地悪言う親がどこにいますか」

隠れた口布の下。白皙の肌の上にはイルカが作った見事な紅葉の痕がついている。

「それに、ちゃんと帰ってきていたでしょ」
「…………」

思い出したのか、イルカが隣で黙り込む。
お忍びと称し、変装して度々火影室を抜け出していたのは補佐官であるシカマルとイルカしか知らない。もちろんこれからもサクヤにそれを教えるつもりのない話だ。

「言えばいいじゃないですか」
「何を?」
「顔を出しているのは、お前の顔が見たいからだって」
「――――ッ!」

可愛い顔で眠っている我が子をみやりながら、イルカが呟いた言葉に思わず立ち止まった。

「お前のことが可愛くって堪らねぇのに、素直じゃねぇ父ちゃんだよなぁ」

絶句したカカシに、イルカがカラカラと満面の笑みを見せる。

「……やめてよ」
「おや、恥ずかしいんですか? 火影様」
「別に」
「サクヤが聞いたらびっくりするだろうな」
「先生っ」

振り返ってカカシを急かすイルカの仕草に苦笑しながらおいかける。
ゆらゆらと左右する心地いい揺らぎに、サクヤは夢うつつのまま瞳を開いた。

「……ん…っ……」

届いたのは、耳に馴染んだ楽しげな話し声だろうか。
むずがるように小さな吐息を漏らしたサクヤの背中を、温かな手がもう少し寝ていろとばかりに優しく撫ぜる。
色濃く染まる茜色の視界には、広くて大きな背中と大好きな笑顔がぼんやりと映っていた。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。