開けはなした窓から入る風は、日中の焼け付くような日差しを含んだそれとは違い、少しだけ穏やかだ。
カカシの膝を枕にしてウトウトとしているイルカを見やり、その汗ばんだ身体を団扇で仰いでやる。
髪が汗で額に張り付いているのは、何も気温が高いという理由だけではない。

「せんせ。そろそろ始まるよ」

長くなった日が落ち、辺りが漸く暗くなる頃を待って声をかける。

「・・・ん・・」

浅い眠りの中にいたイルカが、カカシの声に反応してゆっくりと目を開く。熱を含んで潤んだ瞳。イルカが膝の上で頭を動かす度にフワリと微かに甘い匂いが立ち上る。
イルカより体温の低い手を額に当ててやれば、気持ちよさそうに目を閉じる。
はふぅと甘い呼気を吐く唇に、思わずむしゃぶりつきたくなった。
まだ発情期前だというのにこれでは、我慢ができそうになくて困る。
そんな自分に思わず苦笑してしまった。

「あぁ、始まった」

夜空に大きな花が咲き、遅れてドォンと音が鳴る。
漆黒の夜空に浮かび上がる極彩色の花束。

『とっておきの場所があるんです』

そう言って興奮気味に話したのは、一週間前のイルカだった。

膝枕で寝そべったまま、ぼんやりと窓の外へ視線をやったイルカが「綺麗だな」と呟く。

「起きて見ますか?」

促せば、緩慢な動きで熱っぽい身体を起き上がらせる。ふわりふわりと鼻腔を擽る匂いは、まだ発情期前だなんて信じられないほどだ。

「きれいだ」

打ち上げられては花開く。カカシの肩に頭を寄せて、「そう言えば」とイルカがポツリと口を開いた。

「子供の頃、一度だけ家族三人で花火を見に行ったことがあるんです」
「へぇ」

珍しいこともあるものだ。
イルカの両親は上忍で、あの頃の里は人手不足だったから、里外任務も多かっただろう。

「父ちゃんが町内会の福引で当てた観覧席で、その日、両親ともたまたま非番だったんですよ」
「そりゃラッキーだね」
「えぇ。知ってます? 観覧席って弁当とお茶がついててね、花火を見る前に食べるんですけど、それがものすごく豪華で。父ちゃんなんて浮かれちまって、始まる前からビール何本も空けて母ちゃんに怒られるし」

くく。そう言って肩を揺らす。

「いざ打ち上がってみれば、頭の天辺から花火が降ってくるみたいでっ! 俺も子供だったからビックリして泣いちまって、・・・あんまりギャアギャアでっかい声で泣きわめくもんだから父ちゃんはなさけねぇなんて言って呆れちまうし、母ちゃんは笑うわで花火どころじゃなかったんですよ」
「それは大変だ」

でも、他にも泣いている子供もいたから。なんてイルカが恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。

「帰りがまた大変でね」
「とんでもない人混みらしいね」

カカシ自身経験は無いが、木の葉花火大会といえば火の国中から人が集まると聞いている。

「俺はぐずって半泣きになるし、父ちゃんはイライラして怒るし。・・・でも、おぶってもらった父ちゃんの背中はデカかったなぁ」

カカシの知らないイルカの幼いころの記憶。
穏やかに懐かしみながらも、どこか哀しみをたたえた表情に手を伸ばした。

「・・家族そろって花火を見たのはそれが最後です」

その数年後にあの災厄がやってきたのだ。
憂いても詮無いことだとわかっていつつ、瞼を伏せたイルカに胸が痛んだ。

「泣きじゃくって花火なんてちゃんと見てねぇはずなのに、どうしてかな。あの日の記憶は鮮明に残っている・・」

くしゃりと笑ったイルカを引き寄せ、顔を寄せる。
どぉんとまた遠くで花火が散った音がした。

「・・とっておきの場所で、カカシさんと一緒に見たいと思っていたけど」

カカシが休暇だと知った時のイルカの喜びようを思い出す。
当日まで秘密だから、楽しみにしていてくださいね、と。数日前から準備に精を出していたのだ。

「こうして家でのんびり見るのもいいもんですね」

発情期前の体調不良は、まだオメガとして成熟していないイルカが陥る症状の一つだ。

「オレは先生と一緒に見られるならどこでもかまわないよ」

熱っぽい体を引き寄せれば、少しはだけた浴衣からのぞく素肌がしっとりと濡れていた。
夜空にひときわ大きな花火が打ち上がり、流れるような曲線を描いてキラキラと瞬きながら消えていく。
それは幼い頃のイルカが見たような、天から降ってくるものではないけれど。

「すごい・・」

感嘆の溜息をついたイルカの首筋に顔を寄せれば、潤んだ瞳で見つめ返される。

ぶわりと吹き上がった甘い匂いが、ヒートの訪れを伝えていた。
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