机の上に並べた冊子を吟味すること一時間。
ううむと腕組みして唸ったイルカに、忍具の手入れをしながら視線をやった。

「保育園?」

入園のご案内と書かれた冊子に目をやってそう問えば、きまり悪そうな顔をしたイルカが、はぁ・・となんとも煮え切らない答えを返す。

「・・・俺もそろそろ職場復帰しようかと思いまして」

サクヤが産まれてから半年、イルカがずっとこのままの生活をするとは思っていなかったが、カカシが考えていたよりも随分と早い申し出だ。

「アカデミーに人出が足りないって?」
「いえッ! ・・そういうわけではありませんが・・・」
「じゃあ・・?」

何故と問い返そうとすれば、綱手様から・・とボソリと答えが返って来た。
シズネだけではあの女傑の世話は手に余るらしい。
アカデミーに非常勤の教師はいても、受付や補佐官の役割もこなす忍びは少ない。
その両方をこなすイルカは、まさに内勤のスペシャリストと言えるだろう。

「なるほど」
「あの・・・」

次第に萎んでいく声とともに、イルカの顔も俯いていく。
膝の上でギュッと握られた掌は、何か言いたいことを押さえ込んでいる証だ。
それでも今回は譲れないと判断したのだろう。思い切ったように顔を上げて、膝を擦りながら近づいてきた。

「やはりダメでしょうか?」
「・・・・」

きゅっと結んだ唇に思わず口付けたくなる気持ちを押さえて、考えこむフリで腕を組んだ。
ぶっちゃけていうと、イルカが別に働かなくてもカカシの報酬だけで楽に暮らしていける。
ましてやサクヤは産まれてまだ半年あまりだ。まだまだ手はかかるし、なによりそんな小さいうちから保育園など少し可哀想な気もしないではない。
しかし。
内勤とはいえイルカは教壇の第一線で働いていた男だ。仕事に誇りも持っている。
仕事が好きで働き者で、精力的に受付までこなすバイタリティは、戦忍のカカシですら尊敬の念を覚えるほどなのだ。
カカシが家事育児と積極的に協力しているとはいえ、そんな男が、サクヤをもうけたことでここ半年ほぼ家に閉じこもりっぱなしなのは本人もストレスが溜まるだろう。

「あなたがそうしたいなら、オレがどうこういう理由はありません」
「そ、そうですか」

ホッとしたように息を付いたイルカが、机の上に並べた冊子を持ってきてカカシの前に広げた。

「第一候補はこの木の葉保育園なんです。ここはアカデミーにもよく生徒を送り出してくる園でして、なにより子供をのびのび育て、型にはめない教育方針が素晴らしいんですよ。現役を引いたくノ一も保育士として働いてますし、忍びの子供たちも多数通っています。なので、・・・サクヤも過ごしやすいのではないかと・・」
「そうだね。ここも良さそうだけど?」

積み上げられた冊子から気になる一冊を取り出せば、それはと身を乗り出してくる。
ペラリとめくってみたところ、設備や遊具も新しいし、なにより清潔そうだ。
楽しそうに園庭で遊んでいる子供たちとそれを見守る保育士たちの笑顔も自然で好ましい。

「ここも木の葉保育園と教育方針や待遇はさほど変わりません。ただ・・」

言いよどむイルカに首をかしげた。

「ただ?」
「・・に、入園料が少し」

高くて。という言葉は口にしなかった。

「どれぐらい?」
「木の葉の倍は・・」
「・・・・・」

それぐらい良いじゃないなんて言っても、きっとイルカは首を縦には振らないだろう。
一緒に暮らすようになってからも、頑なに清貧を絵に描いたような生活をしようとするのは、カカシに囲われているからではないというイルカの矜持だと知っている。
他人の戯れ言なんて関係ないのにね。
こんな時、階級の差が二人の間に立ちはだかっているような気がして少し辛い。

「あ、あと場所が少し離れているんです。勤務が終わって迎えに行くのに木の葉保育園よりも時間がかかります」
「・・・ふむ」

だから木の葉が一番良いと力説するイルカになるほどと頷いた。

「良いんじゃないですか?」

上目遣いで窺うイルカに微笑めば、イルカがホッとしたように破顔した。



*****



「いい子にしてるんだぞ」
「あー」

ちょん。少し尖った鼻先をイルカが突けば、腕の中でワシワシと赤ん坊が手足をばたつかせる。

「すみません、初日からカカシさんの世話になるなんて」
「構わないよ。あの人は直ぐって言ったら直ぐだからねぇ」

迅速果断な女傑の姿を脳裏に描き、苦笑した。
今日は仕事内容の申し送りだけだというが、復帰した途端、イルカは相当こき使われることだろう。

「ま、ありがたいことにオレは休みだから、お迎えも気にしないで」
「重ね重ね、面倒かけます」
「何いってんの」
「いててっ」

オレの子でもあるんだから、と。
眼の前で手を合わせて拝むイルカのトレードマークとも言えるてっぺんで括られた髪を引っ張った。
髪を下ろしている姿もいいが、久々に忍服に身を包み、纏めた髪に額当てという正装がイルカにはやはりしっくりとくる。

「友達沢山できるといいな」
「う?」
「ふふっ、まだ半年やそこらじゃ無理かな」

キャーッと声を上げるサクヤのぷくぷくのほっぺにキス。その姿につられて自らの頬も差し出した。

「・・・え・・?」
「ん? しないの?」
「・・するんですか・・?」
「サクヤだけにしてオレにしないのはおかしいでしょう」

さぁはやくと急かせば、少しだけ背伸びをしたイルカの唇が頬に触れた。ぽってりとした肉厚な唇の感触と一瞬だけかかる微かな吐息。サクヤを腕に抱いていなければ、思わずその腰を引き寄せてしまいそうだ。

「ふふー」
「何笑ってんですか。・・・変な人」

照れ隠しだろう仏頂面になる恋人の姿についつい顔が緩むのを止められない。
そう言えば、最近はこうして触れることも無かったと、久しぶりのいい雰囲気にカカシはご満悦だった。

「じゃ、行ってきますね」
「頑張って」
「はい。サクヤのことよろしくお願いします」
「いってらっしゃい」

そう言って、分かれ道で手を振り合う。
そんなやり取りから始まった体験入園初日は至極順調だった。
半日を園で過ごしたサクヤは終始ご機嫌で皆に愛想を振りまいていたらしいし、お迎えの時間通りに姿を見せたカカシには、笑顔でずりばいしながらやってきたそうだ。





だから安心していたのだ。





「ぎゃあぁぁぁぁっ!!!!」

まるでこの世の終わりのように悲しげな泣き声。
いや、耳を劈くような凄まじい号泣に、思わず保育士の腕からサクヤを取り戻しそうになる。

「サク・・」

小さな手を必死に伸ばし、イルカの元に戻ろうとするサクヤの姿に呆然と立ち尽くした。

「ちゃんとお預かりしますから大丈夫ですよ」
「・・でも・・っ・・」

保育士が慣れた様子であやそうとしても、身体を反り繰り返して抵抗をする様に思わず涙が出てきそうだ。

「うああぁぁぁん!!」
「サクちゃん、バイバイしようね」
「・・サク・・」
「やぁぁあぁぁあーーーん!!!」
「お迎えはお昼にお願いします」
「は、はい」
「イルカ先生、さ、はやく」
「・・よろしく、お願いします」

姿を消せと促す保育士に、頭を下げた。くるりと背中を向ければ、泣き声は一層激しいもの変わる。
カカシは何も言わなかったけれど、昨日もこんなふうだったのだろうか?

「うやぁぁああぁぁーーー・・・ぁぁんっ!!」

ショックだった。サクヤのこんなに悲しい泣き声を聞くのは初めてで、どうしようもなく胸が締め付けられる。
今直ぐにでも踵を返して、泣きじゃくる身体を抱きしめてやりたい。
五代目からの要請とはいえ、こんなに自分を求めているサクヤを犠牲にして復帰する意味がどこにあるというのか。

「・・・・」

必死で縋る声を振り切るように頭を左右に振った。
何を甘えたことを言っているのか。仕事に復帰するのは自分が決めたことだ。
だけど!
ぐっと奥歯を噛みしめて、泣き叫ぶサクヤの声を振り切るようにイルカは足早にその場を後にしたのだった。
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