恋に堕ちるのは一瞬だと言うけれど、堕ちたことに気づくまで、恋という存在を認識することはない。



*****



「なに見てるんです?」

「ん〜?」

ヒョコヒョコと動く短い尻尾を、ぼんやり眺めていたカカシは、呆れたような物言いの後輩にうろんげな視線を向けた。

「なによ?テンゾー」
「いえ、別に…。珍しいなぁと思いまして」


含み笑いを堪えたような後輩の言葉に、カカシは眉をしかめる。

「いいでしょ、気になるんだから」
「うみの中忍ですか?」

確認する後輩に、まぁねと呟いて、演習場で子供達に囲まれながらもみくちゃにされているイルカに視線を戻す。
野外授業にしてものどかだ。

「平和だーね」
「それ、先輩には似合わないセリフですね」

うららかな小春日和。
アカデミーの校庭が見える木の上で、エロ本片手に寝そべったまま、そんな風につぶやいたカカシに、テンゾウは呆れて声を上げた。

「なによ。今日はやけに刺々しいじゃない」
「滅相も無い」

慌てて言い繕うテンゾウも、子供達と一緒になって満面の笑顔を見せる中忍に視線を馳せる。

「あんな人がまだ里に残っていると思うと、僕達のやってきたことも報われるような気がしますね」

眩しいように目を細めたテンゾウの顔は、艶やかな猫の面に隠されたままだ。

「・・・・・。」

途端に眉をひそめ、本をパタンと閉じたカカシの唇がわずかに歪む。

「センパイ?」
「ああいうのがタイプなの?テンゾウ」
「は?」
「まぁ、まわりにはいないタイプだけどね」
「ちょっとやめてくださいよ。変なこと言うの」

からかうような言葉とは裏腹に、カカシの目は笑ってはいない。

「だから変な勘違いしないでくださいよ!」

大慌てのテンゾウに、カカシは口元を歪めてベストから書類を引き出す。

うみのイルカ
ごくごく普通の一般的な中忍であり、アカデミーの熱血教師。
教師も受付もそつなくこなし、元生徒たちには慕われ、同僚の評判も概ね良好。
おまけに三代目の覚えもめでたいときた。
ざっと調べても、ナルトを擁護している事実は省き、彼自身を非難する声など出てこないのではないだろうか?

「それ、どこから持ってきたんですか…」
「ん〜。まぁ、三代目のところ」
「先輩…本気で気になってるんですね…」

呆れたテンゾウに、カカシはポイと書類を渡す。

「後で戻しといてよ」
「なッ! 自分で戻して下さいよ!」
「テンゾウも気になるでしょ? それに、お前以外に頼れる後輩もいないし…」
「センパイ…」

ボソリと呟くカカシに、テンゾウは少し乗せられて、仕方ないですねと頷いてしまう。

クスリと笑ったカカシは、再び演習場へと視線を戻した。
視線の先、子供達と触れ合うイルカの姿からは、まるで日向の匂いしかしない。
陽気で健康そうな表情と、穏やかな雰囲気。

ふいに、カカシは自分の掌をぐっと握りしめる。

…数え切れないほど人を殺めた手…。

自らが生き抜くために、仲間すら殺めた穢れた手。

そうして生きてきた自分を、今更卑下するつもりはないけれど、真逆の生き方をしている人を目の当たりにすると、胸がざわめかないわけではない。

なんとも居心地が悪いのだ。

「…あんな人、俺達には毒にしかならないけどね」

まるで月と太陽のように背中合わせの存在。
穏やかな里そのもののような男に、カカシは羨望とも嫉妬ともつかない感情がグルグルと回るのを感じる。

同じところに引き上げてもらいたい?
いや、そうではない。
穢して堕としたいのか…。

「…あの人、九尾に両親を殺されたらしいよ」

小さく呟いたカカシに、テンゾウがゆっくりと視線を戻す。

「で、その元凶の元担任で…」

件の事件の際、自ら身を呈してナルトを庇い、背に傷を負ったのは話に新しい。

親の仇を慈しみ育てたと言うのだ。

「聖人君子?…ありえないよねぇ…」

クククッと笑いながら、カカシは子供達にもみくちゃにされているイルカを冷めた目で見やった。



*****



ナルトを卒業させた。

もちろん、実力が伴ったと評価してのことだし、贔屓なんてしていない。
でも、ナルトを受け持ってくれる上忍師がいないんじゃないだろうか?とか、なんで俺は上忍じゃないんだろう…なんて考えると、人一倍頑丈な胃もシクシク痛む。
悩んでも仕方がないことなどわかっている。

今日もしがない万年中忍でしかない自分を呪って、イルカは大きな溜息をついた。
里外での任務経験も乏しく、もちろん華々しい戦歴だってない。
卒業後のナルトを導く術など持ち合わせていないのだ。
そんなわけで、元生徒の今後を考え、今日もヤキモキしながら三代目の御前で、ウロウロと歩き回っている。

「イルカよ、少しは落ち着かんか」
「三代目…」

煙管からプカリと煙を吐き出して、三代目火影、猿飛ヒルゼンはジロリとイルカを睨む。

「ナルトか」
「すいません、俺…」

手にした書類をペラペラとめくりながら三代目が問うのに、イルカが小さく頷く。

「上忍師のことなら心配はいらんぞ。適任者を割り当てておる」

ニヤリと笑う三代目に、イルカはパッと顔を輝かせた。

「まぁ、今年は何かと粒が揃っておったからな。上忍師の選考には儂も頭を悩ませておったところじゃが…丁度いい奴がおってな」
「どなたですか?」

思わず駆け寄ったイルカに、三代目が手にした書類を手渡す。

「はたけカカシじゃ」
「…はたけ上忍…?」
「知らぬわけではなかろう」

三代目の問いかけに、イルカは大きく頷く。
はたけカカシ。
里の英雄、白い牙はたけサクモが一子。
6歳で中忍、12歳で上忍になった天才忍者。
彼の名は、里内はおろか他国にまで轟いている。
幼い頃からほとんどを里外で過ごす戦忍で、噂では暗部にも属していたとかいないとか。
彼が率いた大隊は、戦場で凄まじい戦績をあげると言われている。
イルカの世代で、彼に憧れない忍などいないのではないだろうか。

万年中忍の自分とは、天と地もの差がある里の誉れ。

「あやつは信頼にたる人物じゃ」
「もちろんです」

即答して、イルカはカカシの調査書に視線を落とした。

「うさ…」
「うさ?」

思わず出た言葉に、三代目がピクリと眉を動かす。

「あ、いえ…」

慌てて口を押さえたイルカは、書類にあるはたけカカシの写真をじっと見つめた。

口布に、左目は額当てで覆われた顔。唯一見える右目は眠たそうに細められている。
…この人が、1000の技を持つというあの写輪眼のカカシ。

なんだか、胡散臭そうな人だなぁ…。

噂でしか知らない里の誉れの姿を初めて目にして、イルカが思ったのはそんな感想だった。

「しかし…」

熱心に書類を見つめるイルカに、三代目は煙管をコンコンと机に打ち付けた。

「ナルトが無事下忍になれるかはまだわからんぞ。何せあやつはここ数年、下忍の合格者を出してはおらぬ」
「え…」
「なるようにしかならんのぅ」

そう言って瞳を閉じた三代目に、イルカは気持が沈んでいくのを感じていた。

ただでさえ、里内で忌み嫌われているナルトだ。
九尾の脅威は未だ里人の心に暗い影を根強く落としている。
ナルトを擁護するイルカにも、些細な嫌がらせは日常茶飯事なのだ。
いくらはたけカカシといえど、ナルトに悪い印象を持っていないと誰が言えるだろう。

ぐっと奥歯を噛み締めて、イルカは表情の読めないカカシの写真を見つめて願う。

火影になりたい。
火影になると、笑顔で語る幼い少年の最初の夢の一歩が、どうか踏みにじられることがないように、と…。



*****



数日前、懸念していたナルトの下忍認定試験も無事終了し、とかく本日のイルカは機嫌がいい。

澄み切った青い空、爽やかな風が横切る頬をくすぐる。
機嫌がいいことに加えてあんまりにも天気がいいものだから、外で飯でも食おうかなぁ〜と通りがかった演習場の前で、ふと眼に入った青年を見つけて、イルカは足取り軽く近づいた。

「こんにちは」
「・・・どうも」

ベンチに行儀悪く寝そべって、間違っても教育によろしいとは言えないエロ本を日除けがわりにしていた上忍が、チラリとも視線をよこさずに返事をする。
相変わらずの胡散臭い風貌だ。

「いいお天気ですね。お隣よろしいですか?」

ニコリと笑うイルカに、胡散臭い上忍、はたけカカシは、うろんげな表情で足を地面に下ろして座り直した。

座っても良いのかな?
空いたスペースに座り、チラリと右側を伺う。
上忍はこちらには興味がないらしく、手すりに片肘をついて素知らぬ顔だ。

口布に額当てを斜めにしているから、イルカからは表情どころか顔が全く見えない。
鼻が高いな。
不意にそんなことを思った。

「あんまり天気が良いんで、外で飯にしようと思って」

イルカはそう言いながら手に持っていた包みを開く。
今朝は時間がなかったから、塩むすびだ。
まぁ、時間があっても大したものはつくれないのだが。

パクリと一口齧り、口の中に広がる絶妙の塩加減に思わず笑みがこぼれる。
料理ってのは、やっぱり塩だよなぁ〜。

「ウマッ!塩むすび最高!」

満足の出来に、ついつい口に出してしまう。

「はたけ上忍もおひとついかがですか?」

美味いものは分かち合ったほうがなお良い、というのがイルカの信条だ。

むんずと掴んだ塩むすびを、そっぽを向いている上忍に差し出した。

「・・・・・!」

死角から突然差し出された塩むすびに、上忍は驚いたように片方だけ出ている右目を大きく開いてイルカを見る。

「あ・・・」

塩むすびとイルカを交互に見ている上忍に、イルカはカーっと一気に体温が上がっていくのを感じた。

イルカにとってはたけカカシは、誰からも受け入れてもらえなかったナルトを引き受けてくれた大事な上忍師だ。
しかもイルカ世代にとっては憧れとも言える里の天才。

その人が隣にいるのだ。
舞い上がらずにはおれようか。

しかし、カカシにとってはどうだろう。
幼い頃から戦場育ちで、里にいた期間は短い。
数多いる里人や忍の中で、どれだけの人を認識しているのだろう。
ましてや先日、ナルト達の件で挨拶をしただけの中忍のことなど覚えているとは思えない。

「あ、あの・・・」

ついつい舞い上がって、馴れ馴れしい態度を取ってしまったと、急激に上がった体温が氷水をかけられたように急降下する。

すいません…と呟き、すごすごと塩むすびを引っ込めようとしたイルカに、カカシが小さく小首を傾げた。

「あ〜、イルカ…先生?」
「はい!」
「あいつらの元担任の」

あいつら。
そんな言葉に気安さが滲み出てる気がして、イルカは嬉しさのあまり大きく頷いた。

「そうです!」
「あぁ…、噂はかねがね」

ニコリと笑うカカシが、塩むすびでなくイルカに向かって手を伸ばす。
長く美しい指先が、口元に触れた。
そのまま下唇をすっと撫ぜられる。

「あ、あの・・・」

ビクリとするイルカに、カカシが右目をかまぼこみたいな形にして。

「米粒、ついてましたよ」

ヒョイ、と口元を隠していた口布を指先に引っ掛けて引き下げ、つまんだ米粒を自分の口に入れ、美味いねと呟くと、イルカが差し出したままの塩むすびを手に取り、一口齧る。

言葉を失うイルカをチラリを横目で見て、静かに咀嚼してから頬を緩め笑った。

「・・・確かに、塩むすび最高」



*****



あの後、何を話したのかイルカはほとんど覚えていない。

確か今後の指導のためにとナルトと九尾のことを少し聞かれて、「ナルトはナルトですから」と答えたのに、カカシが驚いたような顔をしたのを覚えてるぐらいだ。
なぜ彼が驚くのかわからなかったが、「先生は愛されて育ったんですね」とカカシは呟いた。
・・・嫌味だったのかな?
ふとそう思ったイルカだが、いやいやそんな表情じゃなかったと思い直す。

それよりも口布を引き下げた彼の顔が、想像していた以上に整っていたのと、笑った表情が整った顔に反して人懐こく崩れたのにぼぅっとした。

見惚れたのだ。

言葉もなく動きを止めたイルカに、カカシはクスリと笑って口布を引き上げた。

女のようでは決してない。
顎の骨格もしっかりとしてるし、表情にまろみも感じなかった。
ただ陶器のような肌に人形みたいな顔。のばされた指先一つとっても美しいと言える整った造形だった。

「・・・・・」

アカデミーのトイレで手を洗いながら、鏡に映った自分の顔をじっと確認する。

…平凡だ。

太い眉、黒々とした眼。
派手な鼻キズ。
自分で言うのもなんだが、決して不細工ということはない…ないと思う…。が、全体的に男らしくもっさりした印象だ。

彼はなんというか、全てが繊細な造りだったように思う。
縦に走る顔の傷さえその美しさを損なってはいなかった。

頰に手をやって、自分の顔を撫ぜてみる。
なんというか…壮絶だったな…。
彼が触れた下唇をなぞり、ふうっとため息をついた。

「イルカァ…。お前さっきから何やってんだよ」

自分の顔を撫で、ため息をつくイルカに、同僚が鏡越しからやや引き気味に声をかけた。

「わぁッ!いや、なんでも…」
「ナルシストか、お前は」
「ちがっ!!」

慌てて振り返るイルカに、イワシは腕を組んでニヤニヤ笑った。

「いやいや。今日も可愛いぜ〜。イルカ先生」
「やめろよ」
「よッ!受付の花」
「だからやめろって!」

イルカは受付の花と呼ばれることをひどく嫌っている。
受付の花だなんて、女でもあるまいし。
いや、そもそも花などと呼ばれる歳でもない。
さらに傷つくのが、【受付の花】だなんて、忍びとして使い物にならないと暗に含ませてからかわれているように感じるからだ。

「そんな怒るなよ〜」

イルカの気持ちを知ってか知らずか、イワシはカラカラと笑う。

「良いじゃねぇか。そのおかげで今日も受付業務は円滑に進むんだから」
「・・・・・」

ムッとして黙り込むイルカに、手を洗い終わった同僚が、乾かすためにプラプラさせながら、そうだ!と口を開く。

「今日飲みに行かね?」
「ん〜?今日か?」
「ナルトも無事下忍になれたことだし、慰労の意味を込めてどうよ?」

ま、理由なんてどうでもいいからうまい酒が呑みてぇ〜と笑う同僚に、イルカもそうだなと呟く。

最近はヤキモキすることが多くて、ゆっくり酒を呑む機会もなかった。

「久々に呑むか」

頷くイルカに、イワシはニヤリと笑った。

「そうと決まれば、受付の花の実力、存分に発揮しろよ!」
「だからその呼び方やめろって!」
「今日は残業無しだぞ〜」

殴られる前にさっさとトイレを後にしたイワシに、イルカは拳をぶつける場所をなくして、ドンと壁を殴った。



*****



【酒処木の葉】は、料理の種類も多く、酒の品揃えも抜群の居酒屋である。
酒のすすむ少し濃い味付けと、皿にドカンと盛られた料理の量も申し分ない。
しかも里外勤務の少ないアカデミー教師の財布にも優しい素晴らしい店だ!

少しだけ引っ掛けて帰りたい人のためのカウンターから、少人数のテーブル席、宴会にも使用できる大部屋も兼ね揃えた、まさに全ての忍び達のために作られたと言っても過言ではない【酒処木の葉】を、イルカはとても気に入っている。

受付の花の実力を存分に出し切って、バッチリ定時に仕事を終わらせたイルカは、イワシと店の暖簾をくぐったところで知った顔を見つけ、顔を輝かせた。

「あ! アスマさん!」
「よう」

気安く手を上げて応じてくれるアスマは、以前火影邸で暮らしていた頃からの昔馴染みだ。
今日は上忍師達の飲み会らしく、アスマを始めガイ、紅など、そうそうたるメンバーが大部屋に集っていた。

「一人か?」
「いえ、同僚と一緒です」
「イルカよ! 一緒に飲もう!」

年がら年中青春まっただ中のガイが、ニカリと親指を立てて誘ってくるのに、イルカが断ろうと口を開きかけたところでイワシの「え〜! 良いんすか?」という声が背後から聞こえ、ぐいっと背を押された。

「おい!」
「いいじゃん、こんなチャンス滅多にねーもん」

よしっとガッツポーズをするイワシに、イルカは呆れた顔をする。

上忍師と一緒に飲む機会はアカデミー教師及び受付業務担当者にはあまりない。

特に集まっているメンバーは里の上忍の中でもトップクラスの忍びたちだ。
誰もがお知り合いになりたいと機会を虎視眈々と狙っている。
九尾の事件で両親を亡くし火影邸に引き取られていたイルカは、アスマ経由で上忍師たちとも繋がりはあるが、内勤の者達は普段彼らとは砕けた会話すらすることはなかった。

「まぁ入れよ」
「何呑むの? イルカセンセ〜達」

アスマの隣でやや出来上がっている紅が、徳利片手に妖艶な笑みを浮かべて手招きする。

「あ、じゃまずはビールで」
「駆けつけ3杯だぞ、イルカ!」

体育会系のガイがガハハと笑いながら店員を呼んで注文をする。
・・・マジか。
これは明日二日酔い確定だなと、ヒクつく笑いで礼を言って、座敷に入ったところで静かに飲んでいるカカシを見つけた。

「・・・はたけ上忍!」
「どーも」

相変わらずというか、いつもテンション低いな。
周りの喧騒も我関せずという具合で酒を舐めているカカシに、イルカはそんなことを思った。
この人が大声で笑ったりすることってあるんだろうか?

「何だ知り合いか?」
「いえあの・・・」
「お昼におにぎりもらった仲なのよ、オレたち」
「は・・・?」

お前が?
嘘だろう?
そんな表情をしてアスマが手に持ったタバコの灰をポロリと落とす。

「はい・・・」

事実なのでイルカが頷くと、驚いた顔をしていた男がニヤリと唇を歪めてみせた。
上忍におにぎりなんて、今考えるとなんて恐れ多い・・・。

「へぇ」
「なによ」
「いや・・・おもしれぇ」

何面白いのかわからないが、アスマはそう言ってイルカをカカシの隣に誘導する。

目の前には駆けつけ3杯のビールジョッキがさぁ飲めと言わんばかりにドンッと並ぶ。
イワシはと視線を巡らすと、気の毒なことにガイやゲンマ、ライドウに捕まって青春一気をさせられていた。
すまん・・・亡骸は拾って帰る。
イルカは心のなかでそう拝んで、目の前のジョッキに手を伸ばした。

「くーーーッ!」

やっぱり仕事上がりのビールは最高だ。
一日の疲れが流されていく。
惜しむらくはこのビリビリしたドライな炭酸を何度も味わいたいので、飲み終わったところで新しくおかわりしたいのだが、万年青春まっただ中のガイにはそんなことは伝わらない。

「イルカ先生はビール派?」

クイッとお猪口を煽ったカカシが手酌で継ぎながら尋ねて来る。

「なんでも飲みますよ。はたけ上忍は日本酒ですか?」
「べつにオレもなんでも。酔わないしね」

そうなんだ。
さすが天才忍者。
そういや元暗部って噂だっけ。
少々のアルコールでは酔わないように訓練されてるんだと、イルカは再度ジョッキに口をつけてチラリとカカシを盗み見た。

普通にお猪口に口をつけてるだけなのに、この色男っぷりはどうだろう。
絵になるってのはこういう人のことを言うんだなぁ〜。

「日本酒イケるなら、それ呑み終わったら付き合ってよ」

チョンチョンとジョッキを指さして、カカシがその綺麗な顔で笑う。
ドキンっと脈打つ心臓に、イルカは慌てて大きく頷いた。
・・・青春一気呑みをしてもいい。
はたけ上忍が望むならと、慌てて一杯目のビールを流しこむ。

「・・・ッ、ゴホッ!!」
「ちょっ! 大丈夫?」

無理に呑み干そうとしたために気管に入って咽るイルカに、カカシは笑いながらその背を撫ぜた。
繊細な指先が背中を擦るたび、余計に咽て顔が赤くなる。
・・・恥ずかしい。
滲んだ涙を手の甲でぐいっと拭い、イルカが大丈夫ですと振り返った瞬間、あまりに綺麗な顔が目の前にあって、時間が止まったように大きく眼を見開いた。

「・・・・・ッ!」

・・・・どうしよう。
心臓の音が聞こえそうだ。

「おしぼり」

イルカの動揺には素知らぬ振りのカカシが、はいっとおしぼりをさしだしてくれる。
顔から火が出そうになりながら、イルカはそれを受け取ると、口に当てて思いっきり咳き込んだ。

「おもしれぇ」
「なに? アスマ〜」
「お前はだまって呑んでろ」

撓垂れ掛かる紅を抱き寄せて、アスマはプカリと煙を吐き出す。

何考えてやがるのかはしらねぇが、口布まで下げて本気でおとしにかかってやがる。
あのカカシがと、アスマはニヤける顔を抑えることが出来ない。

「大丈夫?」
「・・・は、はい」

漸く落ち着いたイルカが、顔を覗き込むカカシにブンブンと頷いてみせた。

「ゆっくり呑んで。待ってるから焦らないで」

ニコリと笑う表情に、イルカもつられて笑い返す。
さりげない優しさを見せるカカシに、顔はとびきり格好いいけれど、陰気で胡散臭い人だと思っていたことを反省し、イルカは小さく心のなかで謝罪した。



*****



「はー、それにしてもはたけ上忍って〜、いい男ですねぇ・・・」

ビールを三杯目飲み干し、お銚子数本ともなると、いい感じで酔っ払ってきたイルカが、トロンとした眼で隣のカカシをじっと見つめる。
もはや不躾などという言葉はイルカの辞書にはない。

「そう?」
「はい! どうして顔を隠してるのか、わっかりまーせん!」

俺だったら〜、もうその顔使い放題です!
入れ食いですよ、入れ食い!!
断言してニカッとわらうイルカがカカシの鼻先に人差し指をつきつける。

「そうしてるつもりなんですけどね〜」

笑うカカシがイルカのお猪口に酒を注ぎながら酔ったふりでイルカの肩を抱いた。

「威力発揮してるといいな」
「発揮してますよ〜!」
「そう?」
「もうメロメロです」
「ふふふっ」

お互いの額をくっつけくすぐったそうに笑う。
そんな砕けた表情が可愛くて、イルカはまたカカシの前にお猪口を掲げた。

「カンバーイ!」

カチンと音をたてる杯が楽しい。
1000の技を持つコピー忍者がこんな気さくな人だったなんて、全然知らなかった。
今日はいい酒になったなぁ、と顔をほころばせていると、隣でワァッ!っと歓声がわく。

「?」

声のする方に視線をやると、ベロベロになったイワシがガイと飲みぐらべを繰り広げていた。
何やら目の前にある酒を全部飲んだらガイの恋愛遍歴を聞かせてくれると言うものらしい。
・・・ガイ先生の恋愛遍歴・・・。
知りたいような知りたくないような。
ごくりと喉を鳴らしたイルカは、思わず心のなかでイワシを応援した。

「ういっくッ」
「イワシくん! まだまだだぞ!」

アルコールの過剰摂取でそろそろ限界のイワシと、青春、青春と余裕のガイ。
勝敗は明らかにガイが有利に思えた。

「頑張るなイワシッ!!! ガイの恋愛話なんて聞きたくねぇ!」
「筋肉だぜ。絶対筋肉と恋愛してんだ〜!!」

イワシが頑張れば頑張るほど野次と悲鳴が上がる呑みくらべは、大方の予想に反してジョッキを手に持ったまま後ろに倒れこんだガイの敗戦となって幕は降ろされた。

「ガイ先生ッ!!」

思わず駆け寄ろうとしたイルカが、足がもつれて転びかけるのをカカシが反射的に受け止める。

「わ・・・」

ボフンッと鼻先からカカシの胸に飛び込んだ。

「・・・ッ! すいませんッ!!!」
「いえ・・・」

がばっと身体を起こし離れようとするものの、倒れこんだ身体をそのまま抱きしめる力が強くて動けない。

「・・・は、はたけ上忍・・・?」

なんだろう?
キョトンと見上げるイルカに、カカシは片目だけでヘラリと笑う。

「カカシって呼んで」
「は?」
「カカシって呼ばなきゃ離さない〜」
「あ!酔ってるますね、はたけ上忍ッ!」
「だからカカシ!」

めっとでも言うように顔をしかめるカカシが、急にイルカの脇腹をくすぐった。

「ひゃっ!!」

悶えるイルカをがっしりと抱きしめて離さないカカシが、弱いところばかりをくすぐるのに、腕を突っぱねて逃れようとする。

「ほら、はやく」
「やだやだ! やめてッ!!」
「カカシ」
「アッ! やだッ! ・・・カカシ、さんッ!!!」
「もう一回」
「・・あぁッ!! カカシィ・・ッ・・!」

なんか、かなりいい感じだった。
悶えるイルカが、切れ切れに名前を呼ぶのにカカシは思った以上に満足した。

「・・ん。ごうか〜く」
「・・・は、・・・」

ピタリと止んだくすぐりに、荒い息を吐くイルカが息も絶え絶えにカカシの腕の中から這い出る。
何だったんだ今のは・・・。
色んな所を擽られてゾワゾワする身体を撫ぜたイルカが、それよりもと倒れているガイに視線を向ける。

「ガイ先生」

四つん這いでガイのもとまで這って行き、グースカといびきをかいて寝ている姿にホッとしつつ、机に片肘ついてVサインを送るイワシを、イルカは呆れた表情で見やる。

「お前なぁ・・・」
「やったぞ〜イルカァ」
「でも、ガイが寝ちまったら恋愛話もきけねーぞ」
「いやいやマジで聞きたくねぇし」

どうするよと口にするライドウに、ゲンマがいらねぇと首をふる。
そこでハタと動きを止めて、イルカと一緒に外の側までやってきたカカシに視線を向ける。

「じゃ、ガイの代わりにカカッさんの恋愛遍歴を」
「おぉ! ソッチのほうが色気ありそう〜」
「はたけ上忍の手管。ぜひ、教えて欲しいっす」

共感する三人に、カカシは思いっきり嫌そうな顔をした。

「なんでオレなのよ」
「カカッさんはガイの永遠のライバルでしょ」
「恋愛ももちろん勝負してるんすよね?」

勝手にライバル視にされているだけなのに、とんでもないとばっちりである。
グイグイと三人に押してこられ、カカシが苦虫を噛んだような顔をする。
イルカも期待を込めた視線でそんなカカシを見つめた。

「やめとけ。こんな来る者拒まずって男の話を聞いたら自分が虚しくなるだけだぞ」

動向を見守っていたアスマが、助け舟とは名ばかりのとんでもない発言する。

「ちょっと!」
「やっぱそうなんすか」
「そういや、この間くノ一たちが上忍待機所で揉めてたなぁ」
「三股、四股当たり前って噂ホントだったんだ・・・」
「木の葉くノ一百人斬りって聞いたぞ」

イルカを含め四人で顔突き合わせて話し合うのに、カカシがオロオロと周りを見渡し、慌てて口を開いた。

「うそ! 嘘だから!」

今更弁解しても、ジトッと見つめる視線がまたまた・・・と羨望とも呆れともつかない言葉を雄弁に語っている。

アスマめ、余計なことを。
奥歯を噛み締めながらジロリと睨むと、諸悪の根源はニヤニヤと笑いながらウマそうに煙を吐き出した。
その腕の中にはすっかり出来上がっている紅が、いい気分で眠っている。

「・・・とにかく、噂は噂だからね」

真相はこの際横に置いておくことにしたカカシは、ゆっくりとそう言い放つ。
せっかくいい雰囲気だったのに、とんだヤリチン野郎だと思われたらたまらない。

大丈夫だよねぇ?
信じないでねと、けして真実を口にしないカカシは、そう祈りながらもニヤニヤ笑う仲間たちにささやかな殺気を放ち、しきりに感心したような表情のイルカを見やった。



*****



「センパイ・・・また見てるんですか?」
「ん〜」

お決まりのエロ本を開いてはいるものの、上の空のカカシにテンゾウはまったくとため息を付いて演習場へ視線をやる。

そこには眩しいほどに溌剌とした姿の件の教師が、子供たちにもみくちゃにされている。

「良いでしょ、気になるんだから」

無表情で答え、イルカにしかわからないように自分の気配をそっと流す。
ピクリと反応したイルカが辺りをキョロキョロを見渡すのに、カカシはそれを食い入るように見つめた。

ひとしきり辺りを見渡した後、演習場から少し離れた大きな木を見上げ、顔を輝かせたイルカが無邪気な笑顔を溢す。

「カカシさ〜ん!!」

子供たちに抱きつかれながら手を振るイルカに、カカシは微笑んで手を振り返した。
イルカに見つからないようにと樹の幹に身を潜めたテンゾウは、そんなカカシに苦笑する。

いい加減、気づけばいいのに。
研ぎ澄まされた刃のような男の、なんとも腑抜けた姿が全てを物語っている。

恋に堕ちるのは一瞬だと言うけれど、堕ちたことに気づくまで、恋という存在を認識することはない。

彼がそれに気づくのはいつなのか。

これは暫く楽しめそうだと、テンゾウは猫の面の中でフフフっと笑った。
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