任務の後の一杯は格別だ。
特殊部隊で慣らした身体は少々の酒では酔っ払うことはできないとは言え、喉を焼き腸までじっくりと染み渡ったアルコールにヤマトは深く満足気な溜め息を漏らした。
カウンターの上には本日のオススメである金目鯛の刺し身とタコの酢の物。付き出しの柿の白和えをつまみながら再びお猪口に口をつけた。
「……旨い」
思わず口をついて出た言葉に、カウンターの向こうで大将が微笑む。と、杯を置いたヤマトの前に、胡桃が入った小皿が置かれた。
「こいつは、サービス」
そう言って、ニヤリと笑う。
常連の好みを知り尽くした大将の粋なはからいに、ヤマトも喜んで礼を言うと欠片をつまんで口に放り込んだ。塩加減とローストされた胡桃の歯ごたえがまた絶妙で、舌鼓を打ちつつ小皿に伸びる手が止まらなくなる。
もう一粒。残り僅かになった胡桃に指を伸ばしたヤマトの背後で、ふと聞き慣れた声が聞こえたような気がした。思わず声のする方に顔を向ける。
「そういや、もうすぐアレですよねぇ」
「アレってなんですか?」
「嫌だなぁ。アレって言ったらアレじゃないですか」
見えているのはとろりとした眠た気な右眼だけ。ヤマトと同じ特殊部隊出身なのだから、酒に酔うなんてことはありえないというのに、白皙の頬はすでにほんのりと赤く染まっている。
「わかってるくせに意地悪言わないでよ」
詰る口調でそう言って、同伴の男に向かってとろけんばかりの笑みを浮かべていた。
「カカシ先輩と……、イルカ先生」
別段珍しい組み合わせでもない。
ナルトを介しての知り合いでもある彼らの姿は、里のそこここで何度も眼にしたことがある。
はじめの頃こそ戦忍でもない中忍と馴れ合うカカシに違和感を感じていたヤマトだが、今となっては見慣れた光景だ。
それにしても何がそんなに嬉しいんだか。
頬杖をついて穏やかに微笑むカカシの表情は、戦場での殺気と血しぶきに濡れた鬼神の如き姿とはまるで別人だ。
彼がそうさせているのか。
酔ったふりをするカカシに言い寄られ、戸惑いも顕に小首をかしげた野暮ったい男をヤマトは胡乱げな視線でチラリと見やる。
はたけカカシといえば、暗部に在籍していた頃から秋波を送るくノ一は数知れず。驚くなかれ。求めずとも言い寄ってくる女を片っ端から食い散らかしてきた男が、本気で落とそうとしているのが平凡を絵に描いたような中忍の、しかも男なのである。
「意地悪なんてしていません。わからないからわからないって言っているんです」
ぷくっと頬を膨らませた男に、カカシが目を細めて破顔する。
……かーわいい。
唇の動きが綴った言葉に目を剥いた。
信じられない話だが、ヤマトが尊敬してやまない先輩はどうやら男を心底可愛くてたまらないと思っているらしい。
「まったく。恋は盲目ってこういうことを言うんだね」
チビリ。杯に残った酒を飲み干して、冷めかけのお銚子を傾ける。
それにしても、カカシからここまであからさまな好意を向けられているのに、微塵も気づかないとは鈍感な男だ。
カカシから仕掛けているところなんて、ヤマトは見たことすらなかったというのに。
「で、何なんですか?」
イルカも随分と酔っ払っているらしい。
当然だ。耐性のあるカカシと同じように飲んでいるのだから、アルコールが身体に回らないわけがない。それでも正体を失わずにいるのだから、イルカも相当な酒豪なのだろう。
「バレンタインですよ」
「………は?」
「だーかーら、バレンタインですって」
思わずヤマトも口に放り込んだ刺し身を咀嚼せずにゴクリと飲み込んでしまった。
毎年渡されるチョコレートというチョコレートを「甘いの苦手なんだよねぇ」の一言でバッサリ切り捨てていたカカシが話題にするようなネタではない。
ショックで泣き出すくノ一を宥め慰めていたヤマトからすれば、まさに耳を疑わんばかりのセリフだった。
「バレンタインがどうかしましたか?」
「先生のことだから、きっと沢山もらうんでしょ」
「……カカシさん。御自分を棚に上げてよく俺にそんなことが言えますね」
「オレ? 全然もらえないよ」
「嘘おっしゃい。その顔で、里一番の上忍がモテないわけないじゃないですか」
貰えないのではなく、貰わないくせに。
冷血のカカシの名前をほしいままにしていた男が何をいうか。
「ほんとですもん」
しれっと言い切ったカカシに、尚もイルカが疑わしそうな目を向けた。
「ホントですって!! 疑うなんてひどいなぁ」
「いつも里外任務だったとかいうオチはいりませんから」
「そんな事ありませんよ。去年も一昨年もちゃーんと里にいましたし」
「へ――」
「寂しい独身男同士で一緒に飲んだじゃないですか。忘れちゃったの?」
「そうでしたっけ?」
「うわー。すっかり忘れてるじゃないっ!」
傷ついちゃうなぁ。しょんぼりとした姿も嘘くさいが、生来人を疑うことをしないのだろう。イルカが少しだけ慌てた様子で居住まいを正した。
「で、先生はどうなんですか?」
「俺ですか? あー、貰うって言っても生徒達や同僚からの義理チョコですよ」
「生徒の母親から貰っていたの、知ってますけど」
「いや、それはまぁその……そんなこともありましたかね?」
「目が泳いでる」
里在住の忍がモテないというわけではない。
最近では命の危険にさらされる戦忍を嫌厭するくノ一が一定数いることも確かだし、伴侶を失ったくノ一が次は内勤の忍を夫にという話は耳にしたことがある。
大らかで人当たりもいいイルカなど、まさにそんなくノ一の格好の標的だった。
「いいなぁ」
「欲しいんですか? チョコレート」
「そりゃ、ね」
「欲しいって言えばいいじゃないですか」
「首からプラカードでもかけときましょうか」
「あははっ! チョコレート募集中ってですか?」
「そ」
「カカシさんなら両手で抱えられないくらい集まりそうですね」
笑うイルカの前で、すっとカカシが真顔になった。
「ま、誰でもいいってわけじゃありませんケド」
「………え……?」
愛しい人からなら。
言葉に秘めた答えが、長く苦楽をともにしたヤマトには痛いほどわかる。
そんなカカシを前に、そっか…と呟いたイルカが、中身が半分ほどになったジョッキを持ったまま視線を下げた。
「……貰えるといいですね」
諦めたみたいな笑顔。
キュンと胸が締め付けられたのは、その顔が泣き出すのを必死で堪えているように見えたから。
「募集中ですよ」
「は……?」
「くれないんですか?」
ニンマリ。カカシの笑顔の意味を読み取って、イルカがゆでダコみたいに赤くなった。
「――キラキラしたやつなんて、あげられませんから」
「はい」
「コ、コンビニで買ったチョコですよっ!」
「先生から貰えるならなんでも嬉しいです」
「……俺も、カカシさんから欲しいです」
「じゃあ交換しましょう」
カツンとなったジョッキの音に、表情を無にしてカウンターへと向き直った。
「大将、おかわりをくれるかな」
「へいおまち」
すかさず出された熱燗に、躊躇いもせず口をつけた。
「熱…ッ!」
火傷したのははたして舌か、それとも―――。
濡れた布巾で唇を拭い、無言で小皿に残った胡桃を一気に口の中に頬張った。耳に響くのは胡桃を砕く咀嚼音。
「……………」
脈がないなんて見誤っていたのは僕のほう。思いがけない恋の火花に炙られて、どこもかしこも熱くてたまらないじゃないか。
「お勘定、ここに置いておくよ」
釣りはいらないと手だけを振って、吹きすさぶ北風に首をすくめた。
きっと明日は盛大な惚気を聞かされるのだろうと覚悟して。
「まったく、やれやれだな」
ヤマトは冴え冴えと輝く月に白い息を吹きかけた。
特殊部隊で慣らした身体は少々の酒では酔っ払うことはできないとは言え、喉を焼き腸までじっくりと染み渡ったアルコールにヤマトは深く満足気な溜め息を漏らした。
カウンターの上には本日のオススメである金目鯛の刺し身とタコの酢の物。付き出しの柿の白和えをつまみながら再びお猪口に口をつけた。
「……旨い」
思わず口をついて出た言葉に、カウンターの向こうで大将が微笑む。と、杯を置いたヤマトの前に、胡桃が入った小皿が置かれた。
「こいつは、サービス」
そう言って、ニヤリと笑う。
常連の好みを知り尽くした大将の粋なはからいに、ヤマトも喜んで礼を言うと欠片をつまんで口に放り込んだ。塩加減とローストされた胡桃の歯ごたえがまた絶妙で、舌鼓を打ちつつ小皿に伸びる手が止まらなくなる。
もう一粒。残り僅かになった胡桃に指を伸ばしたヤマトの背後で、ふと聞き慣れた声が聞こえたような気がした。思わず声のする方に顔を向ける。
「そういや、もうすぐアレですよねぇ」
「アレってなんですか?」
「嫌だなぁ。アレって言ったらアレじゃないですか」
見えているのはとろりとした眠た気な右眼だけ。ヤマトと同じ特殊部隊出身なのだから、酒に酔うなんてことはありえないというのに、白皙の頬はすでにほんのりと赤く染まっている。
「わかってるくせに意地悪言わないでよ」
詰る口調でそう言って、同伴の男に向かってとろけんばかりの笑みを浮かべていた。
「カカシ先輩と……、イルカ先生」
別段珍しい組み合わせでもない。
ナルトを介しての知り合いでもある彼らの姿は、里のそこここで何度も眼にしたことがある。
はじめの頃こそ戦忍でもない中忍と馴れ合うカカシに違和感を感じていたヤマトだが、今となっては見慣れた光景だ。
それにしても何がそんなに嬉しいんだか。
頬杖をついて穏やかに微笑むカカシの表情は、戦場での殺気と血しぶきに濡れた鬼神の如き姿とはまるで別人だ。
彼がそうさせているのか。
酔ったふりをするカカシに言い寄られ、戸惑いも顕に小首をかしげた野暮ったい男をヤマトは胡乱げな視線でチラリと見やる。
はたけカカシといえば、暗部に在籍していた頃から秋波を送るくノ一は数知れず。驚くなかれ。求めずとも言い寄ってくる女を片っ端から食い散らかしてきた男が、本気で落とそうとしているのが平凡を絵に描いたような中忍の、しかも男なのである。
「意地悪なんてしていません。わからないからわからないって言っているんです」
ぷくっと頬を膨らませた男に、カカシが目を細めて破顔する。
……かーわいい。
唇の動きが綴った言葉に目を剥いた。
信じられない話だが、ヤマトが尊敬してやまない先輩はどうやら男を心底可愛くてたまらないと思っているらしい。
「まったく。恋は盲目ってこういうことを言うんだね」
チビリ。杯に残った酒を飲み干して、冷めかけのお銚子を傾ける。
それにしても、カカシからここまであからさまな好意を向けられているのに、微塵も気づかないとは鈍感な男だ。
カカシから仕掛けているところなんて、ヤマトは見たことすらなかったというのに。
「で、何なんですか?」
イルカも随分と酔っ払っているらしい。
当然だ。耐性のあるカカシと同じように飲んでいるのだから、アルコールが身体に回らないわけがない。それでも正体を失わずにいるのだから、イルカも相当な酒豪なのだろう。
「バレンタインですよ」
「………は?」
「だーかーら、バレンタインですって」
思わずヤマトも口に放り込んだ刺し身を咀嚼せずにゴクリと飲み込んでしまった。
毎年渡されるチョコレートというチョコレートを「甘いの苦手なんだよねぇ」の一言でバッサリ切り捨てていたカカシが話題にするようなネタではない。
ショックで泣き出すくノ一を宥め慰めていたヤマトからすれば、まさに耳を疑わんばかりのセリフだった。
「バレンタインがどうかしましたか?」
「先生のことだから、きっと沢山もらうんでしょ」
「……カカシさん。御自分を棚に上げてよく俺にそんなことが言えますね」
「オレ? 全然もらえないよ」
「嘘おっしゃい。その顔で、里一番の上忍がモテないわけないじゃないですか」
貰えないのではなく、貰わないくせに。
冷血のカカシの名前をほしいままにしていた男が何をいうか。
「ほんとですもん」
しれっと言い切ったカカシに、尚もイルカが疑わしそうな目を向けた。
「ホントですって!! 疑うなんてひどいなぁ」
「いつも里外任務だったとかいうオチはいりませんから」
「そんな事ありませんよ。去年も一昨年もちゃーんと里にいましたし」
「へ――」
「寂しい独身男同士で一緒に飲んだじゃないですか。忘れちゃったの?」
「そうでしたっけ?」
「うわー。すっかり忘れてるじゃないっ!」
傷ついちゃうなぁ。しょんぼりとした姿も嘘くさいが、生来人を疑うことをしないのだろう。イルカが少しだけ慌てた様子で居住まいを正した。
「で、先生はどうなんですか?」
「俺ですか? あー、貰うって言っても生徒達や同僚からの義理チョコですよ」
「生徒の母親から貰っていたの、知ってますけど」
「いや、それはまぁその……そんなこともありましたかね?」
「目が泳いでる」
里在住の忍がモテないというわけではない。
最近では命の危険にさらされる戦忍を嫌厭するくノ一が一定数いることも確かだし、伴侶を失ったくノ一が次は内勤の忍を夫にという話は耳にしたことがある。
大らかで人当たりもいいイルカなど、まさにそんなくノ一の格好の標的だった。
「いいなぁ」
「欲しいんですか? チョコレート」
「そりゃ、ね」
「欲しいって言えばいいじゃないですか」
「首からプラカードでもかけときましょうか」
「あははっ! チョコレート募集中ってですか?」
「そ」
「カカシさんなら両手で抱えられないくらい集まりそうですね」
笑うイルカの前で、すっとカカシが真顔になった。
「ま、誰でもいいってわけじゃありませんケド」
「………え……?」
愛しい人からなら。
言葉に秘めた答えが、長く苦楽をともにしたヤマトには痛いほどわかる。
そんなカカシを前に、そっか…と呟いたイルカが、中身が半分ほどになったジョッキを持ったまま視線を下げた。
「……貰えるといいですね」
諦めたみたいな笑顔。
キュンと胸が締め付けられたのは、その顔が泣き出すのを必死で堪えているように見えたから。
「募集中ですよ」
「は……?」
「くれないんですか?」
ニンマリ。カカシの笑顔の意味を読み取って、イルカがゆでダコみたいに赤くなった。
「――キラキラしたやつなんて、あげられませんから」
「はい」
「コ、コンビニで買ったチョコですよっ!」
「先生から貰えるならなんでも嬉しいです」
「……俺も、カカシさんから欲しいです」
「じゃあ交換しましょう」
カツンとなったジョッキの音に、表情を無にしてカウンターへと向き直った。
「大将、おかわりをくれるかな」
「へいおまち」
すかさず出された熱燗に、躊躇いもせず口をつけた。
「熱…ッ!」
火傷したのははたして舌か、それとも―――。
濡れた布巾で唇を拭い、無言で小皿に残った胡桃を一気に口の中に頬張った。耳に響くのは胡桃を砕く咀嚼音。
「……………」
脈がないなんて見誤っていたのは僕のほう。思いがけない恋の火花に炙られて、どこもかしこも熱くてたまらないじゃないか。
「お勘定、ここに置いておくよ」
釣りはいらないと手だけを振って、吹きすさぶ北風に首をすくめた。
きっと明日は盛大な惚気を聞かされるのだろうと覚悟して。
「まったく、やれやれだな」
ヤマトは冴え冴えと輝く月に白い息を吹きかけた。
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