任務や演習の予定が入ったカレンダーをぼんやりと見つめて、イルカは小さく溜息をついた。
夕食が終わり、相手にしてくれないイルカを見限って一人遊びをしていたサクヤは、犬の積み木を手にしながらうつらうつらと船を漕いでいる。
そろそろ電池切れかな。
カレンダーを見つめながらそんな様子を横目で確認したイルカは、ぽてりと床に突っ伏した我が子を布団に運ぶべく腰を上げた。
「うやぁん」
「ん、ちゃんと布団で寝ような」
抱きかかえたままぽんぽんと背中を叩けば、胸元に顔をすり寄せてくる。
甘い子供の匂いと高い体温を感じながら暫く揺すってやると、腕の中の小さな身体がずしりと重くなった。
用意してあった布団に寝かせ、自らも横になりながらも視線はカレンダーへと向かう。
「・・・バレンタインデー、か」
ふーっと一息ついて、イルカはぼすんっと枕に顔を埋めるのだった。
*****
「さぁ、戦場だぞ、サク!」
「じょー!」
久しぶりにやってきた木の葉デパートの最上階。そこは来る告白イベントに向けて殺気立つ女達の戦いの場所である。
気合をいれるイルカの腕の中で、何もわかっていないサクヤもイルカにつられて気合いを入れる。
自分の休みとカカシが任務で里にいないこの日が勝負だったのだが、あいにくの休日と重なって、フロアはまるで人の海だ。
職員室のくノ一達に聞いたところによると、五大陸から集められた珍しいチョコレートや、限定物、はたまた様々なバレンタイングッズを求めて木の葉デパートには火の国中から女が押し寄せてくるらしい。
更には友達に渡す物はもちろん、自分へのご褒美・・・なんてのも買い求めるのだそうだ。
そんなわけで意気込んでは来てはみたものの、腕にサクヤを抱えたままイルカは催事場の入り口で気合だけ入れて立ちすくんでいた。
「いー?」
「ーーわかってる、さぁ行くぞ」
そう言いつつも足が進まない。
せめてサクヤを誰かに預けて来るべきだったかと思ったものの、この中に男一人で飛び込むのも勇気はない。
そんなこんなで二の足を踏んでいれば、不意に肩を叩かれた。
「イルカ先生! こんなところで何してるんですか?」
「サクラ・・・」
助けに船とはこのことである。
ガシッと手を握りしめた元恩師の姿に、勘の良い教え子はニコリと微笑んだ。
「カカシ先生?」
賢い教え子はみなまでは言わない。
サクヤをもうけた以上、カカシとの関係を隠しだてしてるわけでも恥ずかしいと思っているわけでもないが、やはり同性同士というのはなんとなく触れ回りたくはないものだ。
何も言わずコクリと頷いたイルカの前で、サクラは頼もしい笑顔で任せてとイルカの手を握り返した。
「何を買うか、決めて来られましたか?」
「何をって・・・う、わわ・・・さ、サクラ、ちょっと待ってくれっ」
「いやーのぉ」
「すまん、サク。ちょっとだけ我慢してくれ」
押し合いへし合いの人混みだ。
ともすれば逸れそうになるのをピンクの髪だけを目印についていく。
忍びといえど、ここまで人が密集していては思うようには動けまいと思うのだが、流石に慣れているのかサクラはスイスイと水をかき分けるように進んでいく。
「はぁ、しかし暑いな・・・」
真冬というのにガンガンにかかった暖房と人の熱気でのぼせてしまいそうだ。
「で、どこのチョコが目当てなんですか?」
「どこ・・って・・・?」
「ブランドですよ。例えば、鉄の国からは抹茶を練り込んだ生チョコとか、霧の国からはウォッカを混ぜたの、火の国は大名御用達のプレミアムチョコなんてのもあるんですよ」
そう言われてもわからない。
バレンタインデーに貰うチョコと言えば、同僚のくノ一からの義理チョコや、子供達からの袋入りのチョコだ。どれを食べても美味しいと思うし、そもそも高級なチョコレートなど食べた記憶がない。
「わからん」
「先生ったら、下調べもしないで来たんですか?」
呆れたような言葉にも言い返す気力がない。
とにかく早くここから離れたいし、腕の中でぐったりしているサクヤの様子も気になる。
「あー、あんまり甘くなくてだな、酒が入ってるのが良いかなってぐらいしか考えてなくてだな・・・」
甘いものが苦手なカカシを思い浮かべた。イルカが買ってきたと言えばきっと美味しいと言って食べてくれるのだろうが、出来ることなら本当に美味しいと思って欲しい。
「じゃあビターで大人な感じのものが良いですよね」
「あぁ、そのビターとか言うのを探すか」
そう言いつつも、人の海を見渡してため息が出る。
この中からどうやって探せば良いのかと途方に暮れそうだ。
「この時期なら大陸中のパティスリーやショコラティエが作ったチョコレートが試食できるし、そこから選ぶのもいいかも」
「ショ、ショコラ・・なんだって?」
「ショコラティエですよ、イルカ先生」
「・・・・・・」
どうせ覚えられないと、二度目は聞き返さなかった。
「ここなんていいんじゃないですか?」
「っ・・あぁ・・」
「どうぞ~」
スルスル人混みをかき分けて進むサクラに漸く追いついて、顔を上げれば可愛いフリルの制服を着たお嬢さんが楊枝にさしたチョコレートを差し出してくれた。
「ありがとうございます」
パクリと口に含めば、なんとも複雑な味がする。複雑すぎてよくわからないが、色んな物が混じってんだろうな、と。作った人が聞けば頭に角が生えそうな事を思いながらも飲み込んだ。
「んんーッ!! おいしーいッ!」
きゅっと顔を綻ばせるサクラを横目に、イルカもとりあえず頷いてみる。
「サクーもぉっ!」
「お前はまだダメだ」
「やーの、やー・・・」
「ま、待て、今は泣くなッ!!」
ふえぇと顔が歪むのに、あわてて口を抑えこんだ。
「仕方ねぇ、ちょっと舐めるだけだからな」
「あう」
どうぞと笑いながら渡してくれるお嬢さんにお礼を言いつつ、小さなチョコを更に小さくしてサクヤの口に放り込む。
モゴモゴと口を動かすサクヤが、途端に腕の中でぴょこぴょこと跳ねるのに苦笑した。
「うまー」
「・・・俺よりちゃんとわかってんじゃねーか」
「先生ったら。でも、コレはちょっとカカシ先生には甘いかもね」
「だな。もっとカカオの濃度が濃いほうがいい気がする」
「じゃあ、次に行きましょう!」
水を得た魚のようにフロアを縦横無尽に動き回るサクラを追いかけ、イルカはそれから数時間高級なチョコレートを探し続けた。
*****
「つ、疲れたー・・・!!」
「たぁー」
まだ買い物を続けるというサクラを見送って、辿り着いた我が家でぐったりと畳の上に倒れるように寝転んだ。全く女の子という奴は、美味いもののためならとんでもない体力と精神力を奮い立たせるもんだ。
しかし、そんなサクラのおかげで戦利品はちゃんとゲット出来た。
紙袋からして高級そのもののチョコレートは、沢山試食をした中で一番美味しいと思えたシャンパンを練り込んだものだ。
これだけで一楽のラーメン何杯食べられるかと思うと勿体無い気もしないでもないが、ここは我慢だ。
「・・・・・」
本当はチョコレートなんて渡さなくてもカカシは愛情を疑ったりしない。
イベントなんてまるごと無視したって何も言わないし、チラリと顔にも出したりしないだろう。
でも。
カカシがもしも女性と結ばれていたなら、きっとその日はチョコレートを貰ったと思うから。
もちろんモテる男だから、当日は抱えきれないほどの紙袋を抱えて帰ってくることなんてわかってる。
だけど、俺のは特別だって言って欲しいと思うのは、きっと独占欲なのかな。
「・・・俺のだけって思っちゃダメだよな」
「いー?」
誰からも貰わないで。そんな思いは冗談だって口にできなけれど、ボソリと呟いた言葉に、隣で寝転ぶ我が子が小さな掌で頬をパチパチと叩きながら覗きこむ。
「いい匂いだなー、サク」
漂う匂いに鼻をひくつかせれば、ほんのりと甘いチョコレートの香りがした。
*****
「ただいまー・・っと・・・」
いつもなら玄関の扉を開いた瞬間駆けつけてくる騒がしい気配が感じられず、不思議に思いながら室内の気配を探った。
子供部屋の中に二つ。穏やかな寝息が聞こえてくるのに口布の中で笑みが溢れる。
そういえば今日は休日で、イルカは休みだったかと、肩に担いだリュックを下ろして脚半をほどいた。
「・・疲れた」
上忍師になったからといって、普段の任務が免除されるわけではない。
今回も綱手の「ちょいとひとっ走りいっとくれ」の言葉とともに託されたのは忍びの足でも3日はかかる遠い地だった。
依頼された任務を遂行して往復で一週間と少し。最近はそれだけでも離れて暮らすのが辛いなと思うようになってしまった自分に苦笑する。
部屋に入り、寝入っている二人を起こさないように装備を外しながら寝顔を見つめた。
カカシにそっくりだと皆が言うサクヤだが、並んで寝てる姿はイルカによく似ている。
「ふふっ、可愛いねぇ」
「・・っ・・カカシさん・・?」
「あー・・、起こしちゃいましたか」
イルカとて忍びである以上、少しの物音にも敏感だ。
寝ているサクヤが起きないように気をつけて、二人共小声になる。
「おかえりなさい」
「ただーいま」
「・・・スミマセン、気づかなくて」
「気にしないで? 一緒に寝ちゃった?」
一瞬変な間があって、背後を窺ったイルカに小首を傾げた。
「はい・・、任務お疲れ様でした」
「・・? なに?」
チラチラと動く視線に、カカシも背後を振り返る。
おかしなことはなにもない。ただリュックが置いてあるだけだ。
「あの、報告所へはいかれました?」
「もちろん。なにか急ぎの任務でも入ってましたか?」
受付業務もこなすイルカだ。カカシへの依頼もほぼ把握していると言って良い。
「いえ、そういうわけでもなくて・・、あの・・」
「なに? なにかあった?」
自分の居ない間に何かあったのかと身を乗り出せば、いいえと首が左右に振られる。
それでもその瞳は何か言いたそうで、思わず閉じている左眼を開きそうになった。
「渡したいものがあって」
「え?」
立ち上がり部屋を出て行くイルカの背中を追えば、戸棚の奥から綺麗なリボンがかけられた小箱が眼の前に差し出された。
「これ、どうぞ!」
「・・・・・!!」
そういや今日はその日だったな。帰り際や受付でくノ一から差し出された紙袋を思い出していると、顔から湯気でも出しそうに真っ赤な顔をしたイルカが小箱を差し出したまま俯き出す。
「あの、・・男からなんて変かと思ったんですけど・・ってか、やっぱり変ですよねっ」
なかなか受け取らないカカシに、チラリと上目遣いで窺った後、縮まった身体を更に縮めて差し出した手を引っ込めようとした。
「ーーありがとうございます」
すかさず掴めば、吃驚したように目を見開いて、溢れるような笑顔。それだけで胸が一杯になった。
イルカのことだから、女性ばかりが集まる場所に買いに行くのは勇気がいっただろう。それでもカカシのために買ってきてくれたと思うだけで、愛しくてたまらなくなる。
それなのに。
「・・あの、一番に食べて欲しくて・・」
チラチラとまた背後のリュックを見やるのに、あぁ、と思い当たった。
「貰ってませんよ」
「へっ・・?」
「なんとなく貰う気になれなくて。でもまさかイルカ先生から貰えるなんて思ってもみなかったな」
ガリガリと頭を掻いて、嬉しいと口にした。
嬉しい。可愛い。愛しい。
騙すようにして手に入れたから、イルカにとってこの関係は本意ではなく、サクヤがいるから仕方なくこうして一緒に暮らしているのではないかと、正直不安だった。
だけど、先ほどイルカがみせた仕草や表情が他の女性への嫉妬だとわかってしまうと、もう嬉しくてたまらなくなる。
このまま押し倒してしまいたいぐらいだといえば、きっとイルカは更に顔を真赤にして怒りだすだろう。
だけど。
「嬉しいです」
「わっ!」
口布をおろし、満面の笑みを浮かべて思い切り抱きしめた。
「凄く嬉しい」
「そ、そんなに喜んで貰えるなんて・・って、どこ触ってんですかっ・・」
「んー、今物凄く嬉しくてたまんないから、せんせのことめちゃくちゃにしたい」
「っちょ、・・っとまって・・!」
「いーでしょ、せんせ」
「ちょっと、待ってくださいっ!!」
ぐいっと押し返されて不満気な顔をすれば、イルカが二人の間で潰れそうになっている小箱を握りしめている。
「これ・・」
「食べさせて」
腕を回し、腰を掴んだまま離さずに口を開ける。一瞬だけ呆れた顔をしたイルカだが、綺麗にラッピングされたリボンを解くと一粒のチョコレートを摘んで口に放り込んだ。
少し苦いカカオと、洋酒の香りがほんのり口の中に広がる。
「あぁ、甘くないね」
「カカシさんが甘いの苦手だからそれを選んだんです。・・美味しいですか?」
「旨いよ」
「本当に?」
不安げに覗きこむような表情に笑ってしまう。イルカが自分のことを思って選んでくれたものだ。美味くないわけがないじゃないか。
「先生も食べてみて」
「え・・ーー・・っ・・!」
後頭部に手を回し、ぐいっと引き寄せれば驚く顔に笑いながら唇を重ねた。噛み砕いたチョコレートごと舌を差し入れて絡め、腰をガッシリと掴んだまま下肢を擦りあわす。極めつけは耳元でとろけるような甘い声。
「・・ねっ、美味しいでしょ」
「ーーー・・う・・ンンーーッ!」
「このままベッドに行く?」
「・・・ッ・・」
チョコの香りがする吐息を交わしながら囁けば、イルカがトロンとした眼を向けて小さく頷いた。
チラリと確認した子供部屋では、愛しい我が子は夢の中。
どうやら今日は邪魔されずに済みそうだと、心のなかでほくそ笑んでイルカの身体を抱え上げた。
長い夜はまだこれから・・・。
夕食が終わり、相手にしてくれないイルカを見限って一人遊びをしていたサクヤは、犬の積み木を手にしながらうつらうつらと船を漕いでいる。
そろそろ電池切れかな。
カレンダーを見つめながらそんな様子を横目で確認したイルカは、ぽてりと床に突っ伏した我が子を布団に運ぶべく腰を上げた。
「うやぁん」
「ん、ちゃんと布団で寝ような」
抱きかかえたままぽんぽんと背中を叩けば、胸元に顔をすり寄せてくる。
甘い子供の匂いと高い体温を感じながら暫く揺すってやると、腕の中の小さな身体がずしりと重くなった。
用意してあった布団に寝かせ、自らも横になりながらも視線はカレンダーへと向かう。
「・・・バレンタインデー、か」
ふーっと一息ついて、イルカはぼすんっと枕に顔を埋めるのだった。
*****
「さぁ、戦場だぞ、サク!」
「じょー!」
久しぶりにやってきた木の葉デパートの最上階。そこは来る告白イベントに向けて殺気立つ女達の戦いの場所である。
気合をいれるイルカの腕の中で、何もわかっていないサクヤもイルカにつられて気合いを入れる。
自分の休みとカカシが任務で里にいないこの日が勝負だったのだが、あいにくの休日と重なって、フロアはまるで人の海だ。
職員室のくノ一達に聞いたところによると、五大陸から集められた珍しいチョコレートや、限定物、はたまた様々なバレンタイングッズを求めて木の葉デパートには火の国中から女が押し寄せてくるらしい。
更には友達に渡す物はもちろん、自分へのご褒美・・・なんてのも買い求めるのだそうだ。
そんなわけで意気込んでは来てはみたものの、腕にサクヤを抱えたままイルカは催事場の入り口で気合だけ入れて立ちすくんでいた。
「いー?」
「ーーわかってる、さぁ行くぞ」
そう言いつつも足が進まない。
せめてサクヤを誰かに預けて来るべきだったかと思ったものの、この中に男一人で飛び込むのも勇気はない。
そんなこんなで二の足を踏んでいれば、不意に肩を叩かれた。
「イルカ先生! こんなところで何してるんですか?」
「サクラ・・・」
助けに船とはこのことである。
ガシッと手を握りしめた元恩師の姿に、勘の良い教え子はニコリと微笑んだ。
「カカシ先生?」
賢い教え子はみなまでは言わない。
サクヤをもうけた以上、カカシとの関係を隠しだてしてるわけでも恥ずかしいと思っているわけでもないが、やはり同性同士というのはなんとなく触れ回りたくはないものだ。
何も言わずコクリと頷いたイルカの前で、サクラは頼もしい笑顔で任せてとイルカの手を握り返した。
「何を買うか、決めて来られましたか?」
「何をって・・・う、わわ・・・さ、サクラ、ちょっと待ってくれっ」
「いやーのぉ」
「すまん、サク。ちょっとだけ我慢してくれ」
押し合いへし合いの人混みだ。
ともすれば逸れそうになるのをピンクの髪だけを目印についていく。
忍びといえど、ここまで人が密集していては思うようには動けまいと思うのだが、流石に慣れているのかサクラはスイスイと水をかき分けるように進んでいく。
「はぁ、しかし暑いな・・・」
真冬というのにガンガンにかかった暖房と人の熱気でのぼせてしまいそうだ。
「で、どこのチョコが目当てなんですか?」
「どこ・・って・・・?」
「ブランドですよ。例えば、鉄の国からは抹茶を練り込んだ生チョコとか、霧の国からはウォッカを混ぜたの、火の国は大名御用達のプレミアムチョコなんてのもあるんですよ」
そう言われてもわからない。
バレンタインデーに貰うチョコと言えば、同僚のくノ一からの義理チョコや、子供達からの袋入りのチョコだ。どれを食べても美味しいと思うし、そもそも高級なチョコレートなど食べた記憶がない。
「わからん」
「先生ったら、下調べもしないで来たんですか?」
呆れたような言葉にも言い返す気力がない。
とにかく早くここから離れたいし、腕の中でぐったりしているサクヤの様子も気になる。
「あー、あんまり甘くなくてだな、酒が入ってるのが良いかなってぐらいしか考えてなくてだな・・・」
甘いものが苦手なカカシを思い浮かべた。イルカが買ってきたと言えばきっと美味しいと言って食べてくれるのだろうが、出来ることなら本当に美味しいと思って欲しい。
「じゃあビターで大人な感じのものが良いですよね」
「あぁ、そのビターとか言うのを探すか」
そう言いつつも、人の海を見渡してため息が出る。
この中からどうやって探せば良いのかと途方に暮れそうだ。
「この時期なら大陸中のパティスリーやショコラティエが作ったチョコレートが試食できるし、そこから選ぶのもいいかも」
「ショ、ショコラ・・なんだって?」
「ショコラティエですよ、イルカ先生」
「・・・・・・」
どうせ覚えられないと、二度目は聞き返さなかった。
「ここなんていいんじゃないですか?」
「っ・・あぁ・・」
「どうぞ~」
スルスル人混みをかき分けて進むサクラに漸く追いついて、顔を上げれば可愛いフリルの制服を着たお嬢さんが楊枝にさしたチョコレートを差し出してくれた。
「ありがとうございます」
パクリと口に含めば、なんとも複雑な味がする。複雑すぎてよくわからないが、色んな物が混じってんだろうな、と。作った人が聞けば頭に角が生えそうな事を思いながらも飲み込んだ。
「んんーッ!! おいしーいッ!」
きゅっと顔を綻ばせるサクラを横目に、イルカもとりあえず頷いてみる。
「サクーもぉっ!」
「お前はまだダメだ」
「やーの、やー・・・」
「ま、待て、今は泣くなッ!!」
ふえぇと顔が歪むのに、あわてて口を抑えこんだ。
「仕方ねぇ、ちょっと舐めるだけだからな」
「あう」
どうぞと笑いながら渡してくれるお嬢さんにお礼を言いつつ、小さなチョコを更に小さくしてサクヤの口に放り込む。
モゴモゴと口を動かすサクヤが、途端に腕の中でぴょこぴょこと跳ねるのに苦笑した。
「うまー」
「・・・俺よりちゃんとわかってんじゃねーか」
「先生ったら。でも、コレはちょっとカカシ先生には甘いかもね」
「だな。もっとカカオの濃度が濃いほうがいい気がする」
「じゃあ、次に行きましょう!」
水を得た魚のようにフロアを縦横無尽に動き回るサクラを追いかけ、イルカはそれから数時間高級なチョコレートを探し続けた。
*****
「つ、疲れたー・・・!!」
「たぁー」
まだ買い物を続けるというサクラを見送って、辿り着いた我が家でぐったりと畳の上に倒れるように寝転んだ。全く女の子という奴は、美味いもののためならとんでもない体力と精神力を奮い立たせるもんだ。
しかし、そんなサクラのおかげで戦利品はちゃんとゲット出来た。
紙袋からして高級そのもののチョコレートは、沢山試食をした中で一番美味しいと思えたシャンパンを練り込んだものだ。
これだけで一楽のラーメン何杯食べられるかと思うと勿体無い気もしないでもないが、ここは我慢だ。
「・・・・・」
本当はチョコレートなんて渡さなくてもカカシは愛情を疑ったりしない。
イベントなんてまるごと無視したって何も言わないし、チラリと顔にも出したりしないだろう。
でも。
カカシがもしも女性と結ばれていたなら、きっとその日はチョコレートを貰ったと思うから。
もちろんモテる男だから、当日は抱えきれないほどの紙袋を抱えて帰ってくることなんてわかってる。
だけど、俺のは特別だって言って欲しいと思うのは、きっと独占欲なのかな。
「・・・俺のだけって思っちゃダメだよな」
「いー?」
誰からも貰わないで。そんな思いは冗談だって口にできなけれど、ボソリと呟いた言葉に、隣で寝転ぶ我が子が小さな掌で頬をパチパチと叩きながら覗きこむ。
「いい匂いだなー、サク」
漂う匂いに鼻をひくつかせれば、ほんのりと甘いチョコレートの香りがした。
*****
「ただいまー・・っと・・・」
いつもなら玄関の扉を開いた瞬間駆けつけてくる騒がしい気配が感じられず、不思議に思いながら室内の気配を探った。
子供部屋の中に二つ。穏やかな寝息が聞こえてくるのに口布の中で笑みが溢れる。
そういえば今日は休日で、イルカは休みだったかと、肩に担いだリュックを下ろして脚半をほどいた。
「・・疲れた」
上忍師になったからといって、普段の任務が免除されるわけではない。
今回も綱手の「ちょいとひとっ走りいっとくれ」の言葉とともに託されたのは忍びの足でも3日はかかる遠い地だった。
依頼された任務を遂行して往復で一週間と少し。最近はそれだけでも離れて暮らすのが辛いなと思うようになってしまった自分に苦笑する。
部屋に入り、寝入っている二人を起こさないように装備を外しながら寝顔を見つめた。
カカシにそっくりだと皆が言うサクヤだが、並んで寝てる姿はイルカによく似ている。
「ふふっ、可愛いねぇ」
「・・っ・・カカシさん・・?」
「あー・・、起こしちゃいましたか」
イルカとて忍びである以上、少しの物音にも敏感だ。
寝ているサクヤが起きないように気をつけて、二人共小声になる。
「おかえりなさい」
「ただーいま」
「・・・スミマセン、気づかなくて」
「気にしないで? 一緒に寝ちゃった?」
一瞬変な間があって、背後を窺ったイルカに小首を傾げた。
「はい・・、任務お疲れ様でした」
「・・? なに?」
チラチラと動く視線に、カカシも背後を振り返る。
おかしなことはなにもない。ただリュックが置いてあるだけだ。
「あの、報告所へはいかれました?」
「もちろん。なにか急ぎの任務でも入ってましたか?」
受付業務もこなすイルカだ。カカシへの依頼もほぼ把握していると言って良い。
「いえ、そういうわけでもなくて・・、あの・・」
「なに? なにかあった?」
自分の居ない間に何かあったのかと身を乗り出せば、いいえと首が左右に振られる。
それでもその瞳は何か言いたそうで、思わず閉じている左眼を開きそうになった。
「渡したいものがあって」
「え?」
立ち上がり部屋を出て行くイルカの背中を追えば、戸棚の奥から綺麗なリボンがかけられた小箱が眼の前に差し出された。
「これ、どうぞ!」
「・・・・・!!」
そういや今日はその日だったな。帰り際や受付でくノ一から差し出された紙袋を思い出していると、顔から湯気でも出しそうに真っ赤な顔をしたイルカが小箱を差し出したまま俯き出す。
「あの、・・男からなんて変かと思ったんですけど・・ってか、やっぱり変ですよねっ」
なかなか受け取らないカカシに、チラリと上目遣いで窺った後、縮まった身体を更に縮めて差し出した手を引っ込めようとした。
「ーーありがとうございます」
すかさず掴めば、吃驚したように目を見開いて、溢れるような笑顔。それだけで胸が一杯になった。
イルカのことだから、女性ばかりが集まる場所に買いに行くのは勇気がいっただろう。それでもカカシのために買ってきてくれたと思うだけで、愛しくてたまらなくなる。
それなのに。
「・・あの、一番に食べて欲しくて・・」
チラチラとまた背後のリュックを見やるのに、あぁ、と思い当たった。
「貰ってませんよ」
「へっ・・?」
「なんとなく貰う気になれなくて。でもまさかイルカ先生から貰えるなんて思ってもみなかったな」
ガリガリと頭を掻いて、嬉しいと口にした。
嬉しい。可愛い。愛しい。
騙すようにして手に入れたから、イルカにとってこの関係は本意ではなく、サクヤがいるから仕方なくこうして一緒に暮らしているのではないかと、正直不安だった。
だけど、先ほどイルカがみせた仕草や表情が他の女性への嫉妬だとわかってしまうと、もう嬉しくてたまらなくなる。
このまま押し倒してしまいたいぐらいだといえば、きっとイルカは更に顔を真赤にして怒りだすだろう。
だけど。
「嬉しいです」
「わっ!」
口布をおろし、満面の笑みを浮かべて思い切り抱きしめた。
「凄く嬉しい」
「そ、そんなに喜んで貰えるなんて・・って、どこ触ってんですかっ・・」
「んー、今物凄く嬉しくてたまんないから、せんせのことめちゃくちゃにしたい」
「っちょ、・・っとまって・・!」
「いーでしょ、せんせ」
「ちょっと、待ってくださいっ!!」
ぐいっと押し返されて不満気な顔をすれば、イルカが二人の間で潰れそうになっている小箱を握りしめている。
「これ・・」
「食べさせて」
腕を回し、腰を掴んだまま離さずに口を開ける。一瞬だけ呆れた顔をしたイルカだが、綺麗にラッピングされたリボンを解くと一粒のチョコレートを摘んで口に放り込んだ。
少し苦いカカオと、洋酒の香りがほんのり口の中に広がる。
「あぁ、甘くないね」
「カカシさんが甘いの苦手だからそれを選んだんです。・・美味しいですか?」
「旨いよ」
「本当に?」
不安げに覗きこむような表情に笑ってしまう。イルカが自分のことを思って選んでくれたものだ。美味くないわけがないじゃないか。
「先生も食べてみて」
「え・・ーー・・っ・・!」
後頭部に手を回し、ぐいっと引き寄せれば驚く顔に笑いながら唇を重ねた。噛み砕いたチョコレートごと舌を差し入れて絡め、腰をガッシリと掴んだまま下肢を擦りあわす。極めつけは耳元でとろけるような甘い声。
「・・ねっ、美味しいでしょ」
「ーーー・・う・・ンンーーッ!」
「このままベッドに行く?」
「・・・ッ・・」
チョコの香りがする吐息を交わしながら囁けば、イルカがトロンとした眼を向けて小さく頷いた。
チラリと確認した子供部屋では、愛しい我が子は夢の中。
どうやら今日は邪魔されずに済みそうだと、心のなかでほくそ笑んでイルカの身体を抱え上げた。
長い夜はまだこれから・・・。
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