『元気でな』
父親であるカカシの火影就任と同時に、決定事項だと無理やり暗部への入隊を命じられたサクヤに贈られたイルカからの言葉だ。
いつもの受付でのやり取りのように、ニカリと笑って父親と同じ色の髪をくしゃりとかき混ぜられた。
そんな言葉を言われるのが嫌で。
必死で手を伸ばしてその肩口に縋ろうとするのに、成長途中の身長はまだイルカには全然及ばない。
『なんだよ、子供みたいに』
笑い声と共に抱きしめられた腕の力強さとは反対に、その肩口が震えていたことを覚えている。
子供だよ。まだあんたから離れたくない子供なんだ。
こんなに優しい声で「サク」って。幼い頃から変わらない愛称でオレを呼ぶくせに、どうして手放そうとするんだよ。
そう言って、精一杯駄々をこね悪態をついても、木の葉の忍びであるイルカが火影の意思に逆らえないことなんて知ってる。
だから余計に腹が立つのだ。
『ちゃんと、カカシさんの言うこと聞くんだぞ』
『やだよ暗部なんて。オレは母さんみたいな教師になりたいの』
『ばーか。お前が教師になるなんて10年早い。あと、外で母さんって言うなよ』
『母さんは母さんでしょ』
『んー、まぁそうだけど・・。一応重要機密事項だからな』
鼻の頭を掻いてそう言うと、ふにゃんと目尻が下がった。
『お前のことだから、俺は心配なんてしてねぇよ』
『なんで? 心配してよ』
『カカシさんに似て優秀なお前が何言ってんだ』
『・・大怪我して帰ってくるから』
ボソリと言った言葉に、一瞬にして眉を顰められた。
瞬間湯沸器の如く般若の面に変わったイルカが拳を振り上げる。
降ってくるのはお決まりの拳骨で。避けずに食らった愛のムチの衝撃に、思わず悲鳴が漏れた。
『サクヤ』
押し殺した声は、イルカが本気で怒っている時のものだ。
『ーーッ、いってぇ・・!!』
頭を押さえたサクヤの眼に、握りしめた拳を震わせたイルカの、今にも泣きそうな顔が映る。
そういえば。父親であるカカシも、よくチャクラ切れで病院へ運ばれていたと聞いたことがある。その度に病院まで駆けつけたイルカの心痛はいかばかりだったろう。
『・・ごめんなさい』
『ったく』
呆れた声と共に、その黒い瞳が潤むのを見逃さなかった。
『元気でな』
『・・・・・』
『待ってるから』
無理やり笑った顔が瞳に焼き付く。
大きな手が、何度も何度も名残惜しげに頭を撫ぜるのにまかせて、このまま時が止まればいいなんて願ったあの日。
招集を伝える白い鳥が、二人の頭上を旋回するのが酷く疎ましかった。
*****
ザンッと降り立った樹の幹の上、誰にも気づかれないように気配を消しながら太い樹木の陰に身体を潜ませた。
生い茂る木の葉の隙間から白い獣面を覗かせたサクヤは、遠くにかけがえのない人の姿を見つけてホッと息をつく。
平屋造りの一軒家。その縁側に腰掛けぼんやりと空を見上げているのは、サクヤが今も慕ってやまない人だ。
「ーー・・・っ・・」
懐かしさに思わず身を乗り出せば、強い力で肩を掴まれた。
「なに?」
「火影様への報告が先だ」
同じ獣面の男がくぐもった声で制止する。
聞こえるように舌打ちし、肩に置かれた手を振り払う。
後ろ髪を引かれる思いでその場を去ろうとした瞬間、イルカの元に飛んできた連絡用の式に目線を止めた。
あんな非の打ち所のない美しい式を飛ばす人物を、サクヤは一人しか知らない。
当代の火影である父親の姿を脳裏に描き、面の中で思いっきり顔を顰めた。
この数年、馬車馬のように働かされ、一度として里に帰還することを許されなかった。
実の息子に対する仕打ちじゃないでしょ。
心のなかでそうゴチて、式に気づいたイルカが手を差し伸べるのを見やった。
ポフン。小さな煙をたてて変化したそれに、ゆっくりと目を通した後、少しだけ曇る顔と微かな溜息。
「・・・・・」
あんのクソ親父。きっと今日も家には帰れないんだ。
火影邸がある方向を見つめるイルカの姿に、ぎりりと歯噛みする。
もともと広い家だったけれど、三人で住んでいた頃はナルトやイルカの生徒たちが遊びに来たりと、何かと騒がしかったのに。
イルカ一人だけが残された家は、まるで抜け殻のようにガランとしていて、とても寂しく思えた。
「やっぱやーめた」
「は?」
「火影への報告はアンタがしておいてよ」
「何を言ってる」
咎める声に、フンッと鼻を鳴らした。
「オレはこっちのが大事なの」
「おいっ! 待てっ!!」
あんな顔を見せられて、放っておくことなんて出来るわけないじゃない。
制止する声を無視してサクヤは樹の幹を蹴った。
目指すは懐かしい我が家と、ずっと会いたくてたまらなかった人。
誰にも追いつかせないスピードで木と木の間を駆け抜け、勢いをつけて飛び降りる。
「ーーー・・ただいまーーッ!」
「えっ!? ーー・・サッ・・ーーサクッ!?」
木の葉とともにいきなり空から降ってきた暗部に、驚きのあまりその黒い瞳をおもいっきり開いたイルカが、ポカンと口も開けたまま固まる。
顔を横に走る派手な傷痕と、長い髪を頭の天辺で一つに括った髪型は昔も今も変わらない。
その懐かしい身体に、飛び降りた勢いのまま抱きついた。
「帰って来たよっ!」
もう昔のように、必死に手を伸ばさなくてもその背に腕を回すことが出来る。
そのことが嬉しくてたまらないのに、反対に離れていた期間を思い出すと切なくなる。
ギュッと。抱きしめてくれる腕は今も昔も変わらなくて、そのことに泣きたくなりながらしがみついた。
「・・・おかえり」
染みこむような優しい声。
この声を聞けない日があったなんて嘘みたいだ。
「ただいま」
知ってる? 暗部へと送り出された日、寂しくて一人で泣いちゃったんだよ。
そう伝えたいのに、ただ抱きしめられてるだけでそんな思いも溶けていくようだ。
「顔、見せてくれ。・・サク」
「・・・ん」
シュルリと紐を解き獣面を外せば、優しく頬に触れられた。
離れていた時間を埋めるように何度も。
ただそっと触れられているだけなのに、何故だかカァッと顔が赤くなった。
自他共に認めるマザコンのサクヤだが、離れていた分だけその思慕は深くなったように思う。
「か、かあさん・・」
「母さんって言うな」
「ーー・・だって・・ッ、んぬっ!」
ぎゅむっと鼻先をつままれて顔をのけぞらせた。
アハハと声を上げて笑うイルカに少しだけホッとして、懐かしい我が家の匂いを思い切り身体中に吸い込んだ。
*****
「全然教えてくれねぇんだから、あの人」
ツヤツヤに光る白米が入った茶碗をほいっと渡された。
机の上に並べられたのは、サンマの塩焼きに切干大根、茄子の味噌汁。悔しいことに父親の好物ばかりである。
酷ぇよな。なじる口調でそう言って、脂がのったサンマの上にたっぷりと大根おろしを乗せて口に放り込んだ。
「帰ってくるって知ってたら、お前が好きなの作って待ってたのに」
「相変わらず忙しいんだ、父さん」
「あー、まぁな。泊まりこみも多くて・・」
ボソリと呟いて、それを否定するように首を振った。
「火影様ってのはそんなもんなんだよ」
取り繕うように言うイルカにふうんと唇を尖らせた。
寂しいと、けして口にしない強さが悲しい。だけどそんなイルカを前にして、それ以上父を咎める言葉は自分からは紡げなかった。
ズズッと味噌汁をすすり、久しぶりの手料理に舌鼓をうつ。
けして料理上手というわけではないが、なんだか落ち着くのは母の味というヤツなのだろう。
実際、料理はカカシのほうが断然上手だ。
だけどやっぱりこの味でなくては、と。
ふっくら炊けた白米を噛みしめてふふっと笑った。
「なんだよ」
「んー・・やっぱ家は良いなぁって思って」
「そっか」
「ねぇ、母さん。明日はハンバーグ作って」
「・・・こんなにカカシさんに似てんのに、味覚は俺なんだよなぁ・・」
ガクッと肩を落としたイルカに、ぷうっと頬を膨らませた。
親子なんだから当たり前だけれど、好きでカカシに似たわけじゃない。
だけどサクヤがカカシに似ていれば似ているほどイルカは嬉しいらしい。
本当は、全部イルカに似たかった。イルカのように里に常駐し、教師として子供たちを指導する立場に就けば、ずっと傍にいられたのに。
傍で守れるのに。
そんなことを言えば、イルカは悲しむだろうか?
「父さんのはジジくさすぎんの。子供は肉が好きなんだよ」
「ぶはっ! お前それ、カカシさんが聞いたら泣くぞ」
「いーの、少しぐらい泣かせたって」
何の仕打ちか、数年間もイルカから遠ざけられたのだ。こっちのほうが泣きたいぐらいだ。
・・・実際泣いたし。
むうっと口をへの字にする愛息子に笑いながら、まだ少し子供らしさの残っている頬を軽く引っ張る。
そんな仕草でさえ昔を思い出して泣きたくなる。
今日だけは少しぐらい甘えたって許されるんじゃないかと思った時。
「今日は母さんと一緒に寝たい」
するりと口から溢れ出た言葉に、一瞬驚いた顔をしたイルカが弾けるように笑った。
*****
夜の闇に包まれて、草木も眠りに落ちた頃。
音も立てずに忍び込んだ部屋の中、枕を並べて眠っている親子の姿に小さな溜息が漏れた。
こんなことだろうと思った。呟きは口には出さないけれど、スヤスヤと幸せそうな寝息をたてて眠っている我が子の姿に苦笑する。
「報告にも来ないで困った子だーね」
呆れた様な口調だが、その身から流れるチャクラは優しいものだ。
でも、と。寝ているときはイルカに面影が似ているサクヤの髪を優しく撫ぜた。
「元気そうでなにより」
ふっと笑って、隣で眠るイルカの傍に移動する。
「せんせ」
カカシを知っている誰もが、聞けば腰を抜かすほどに甘い声。
こんな蕩けそうな声で名前を呼ぶのを知っているのは、きっと家族である自分たちだけだ。
「・・・? カカシさん?」
「ただーいま」
「おかえりなさい・・」
「なんでこんなところで寝てるの? 寝室に居ないから探したじゃない」
装備も解かずに真っ直ぐにここへやってきたことは言わずに、ぼんやりと自分を見上げるイルカに微笑みかける。
「あー・・、久しぶりなんでつい」
「子離れしてないんだから」
「・・それをあなたが言いますか」
何だかんだとサクヤに甘い自分を知っているイルカの咎める声。
クスクスと笑い声を交えながらの言い合いがまるで睦言のようだ。
「今日は戻られないんじゃ・・」
「やんちゃ坊主が報告義務を怠ったからね。心配で様子を見に」
「え!? ・・・ったく、困ったやつだな」
「オレよりあなた優先なのは昔も今も変わらないね」
「拗ねないでくださいよ。帰還予定も教えてくれなかったくせに」
「あなたをびっくりさせようと思って」
「ビックリしましたよ。急に暗部が空から降ってくるんですから」
「ぶっ!」
カカシが思わず吹き出すのに、イルカが慌ててその口を掌で抑えた。
「しー。サクが起きます」
人差し指を唇の前にたてる仕草に、ついつい相好が崩れてしまう。
「ね、せんせ。寝室に戻りましょう」
「え? でも・・・」
「折角戻ってきたオレを一人で寝させるつもり?」
「・・・カカシさん・・」
隣で眠っているサクヤを気遣う様子に、少しだけ眉をひそめた。
大方一緒に寝たいだの、寂しいだのとイルカにせがんだのだろう。甘え上手なところは一体誰に似たというのか。
ーーーオレか・・。
なんだかんだと情に訴えてイルカの懐に入り込んだ事を思い出し、頭を掻いた。見た目ばかりでなくこんなところまで似ている事を喜ぶべきなのか、それとも・・。
「・・・んっ・・」
まだ幼さの残る顔で眠るサクヤが、布団の中で身じろぎする。
「とにかく。いつまでもここで話してたらサクヤが起きてしまうでしょ」
「・・そうですね」
ポンポンと。子供の頃にしていたように軽くリズムをとる手を掴んで引き離したいような焦燥感を押し殺す。
我が子を名残惜しそうに見つめるイルカの視線に、つい大人気なく嫉妬しそうな自分に自嘲した。
*****
ボソボソと、何やら囁くような声が聞こえたような気がして、ゆっくりと片目だけを開いた。
暗部としていつも臨戦態勢でいた時とはまた別の、なんとも穏やかな目覚めに意識が次第に覚醒していくのが心地いい。
柔らかで肌触りの良いシーツの感触。それが硬くて土の匂いが染み込んだ薄暗い野営テントの中でない事を教えてくれる。
そうか。ここはずっと帰りたいと思っていた我が家なのだと、隣で眠っているはずのイルカを探して指先が布団の中を這った。
『・・・っと・・心配してたんですよ』
手探りの指先が誰もいないシーツの上を這うのに、「母さん?」と口にしようとして、不意に聞こえてきた声にギクリと身体を強張らせた。
薄暗い部屋の向こう側。少しだけ開いた襖の中で何かが蠢く気配と声に耳を澄ませる。
『どうして?』
『・・・だってっ・・』
『可愛い子には旅をさせろって。昔から言うでしょ』
『・・・っ・・』
どうやらそんな軽い考えで、自分は火影の護衛ではなく長期里外任務を課せられたのか。
イルカの様子からしてサクヤの行方は、長年務め上げた受付としての情報網を使っても探しだすことができなかったらしい。
特殊部隊に所属するということは、その死すら無かったものとして闇に葬り去られる。
サクヤが暗部に入隊して数年。外部と連絡をとることを禁じられ、どれほどの心配をイルカにかけたことだろう。
『暗部に配属することは、あなたも了承していたじゃない』
冷静に問われた言葉に、暗闇で渋々ながらも頷く影が見えた。
『それは・・』
『少し会えなかったぐらいでそんな顔して』
『あー・・当たり前じゃないですかっ』
暗部なんて浮世離れした集団。普通の忍びであるイルカには多分想像もつかない世界だ。
『変わりませんよ』
『・・え?』
『里を守るという点では、暗部も正規部隊も』
それは両方の世界を知ってるから言える言葉だと、わかっているくせにしれっと答えるさまが憎らしい。
しかもそれが正論とくれば余計にだ。
反論できないイルカに苦笑して、カカシがその頬を指先で摘んだ。
『はいはい。そんなに怒らないで』
『怒ってません』
『うそ、そんな顔したって可愛いだけですからね』
『か、かわ・・っ! 』
カーッとなったイルカの顔が目に浮かぶようだ。そして、それをとんでもなくだらしない顔で見つめるカカシの顔も。
バカバカしい。ついそう口にしそうになって思い切り渋面を作った。
『ふふふっ』
『ちょっ・・、どこ触ってんですかっ』
『どこって、そりゃあーー』
『言わんでいいですって、んぁ・・っ!』
『ククッ。そんな色っぽい声ださないでよ。止まんなくなっちゃうでしょ』
『アンタが触んなきゃ出ないんですよっ』
こんな変な声。そう言って背を向けるイルカを背後から腕の中に抱きしめた。
『それってもう条件反射で感じちゃうってこと?』
『なに言ってーー・・ア・・ァ・・・ッ・・!』
『大きな声出すとサクヤに聞こえるよ』
『・ ・・このっ・・バカッ!』
ゴソゴソという衣擦れの音とともに、甘い攻防が聞こえる。
・・・帰ってきてそうそう勘弁してよ。
いつまでたってもお熱い両親の姿にガバリと布団を頭から被ったサクヤは、渾身の力で両耳を力いっぱい塞ぐのだった。
*****
「ほんっと信じられない」
がぶりと食らいついたハンバーグからは、じゅわりと肉汁が溢れだす。
「あー・・、もうなんて言っていいか・・アチッ!」
それを横目に鼻先を掻いたイルカが、なんとも居心地悪そうに身じろぎし、勢い良く熱い茶を啜って悲鳴を上げた。
「母さんは別にいーの。オレが怒ってんのは父さんになんだから」
「そう言うなよ。昨日だって本当だったら帰れないほど忙しいのにお前の顔見にわざわざ・・」
「はい、嘘。んなの口実に決まってる」
だってオレが目覚める頃にはもうこの家には居なかったじゃない。
多分我慢できなくなって、隊長あたりに仕事を押し付けて戻ってきたに決まってる。
それに。
可愛い息子の顔を見に来ただけなら、イルカを別室に誘う必要もないのだ。
「・・・サク」
咎める声に、フンッと鼻を鳴らしてハンバーグを口の中いっぱいに頬張った。
襖の向こう。
寝乱れた姿のまま布団の上にぼんやりと横たわっているイルカが、起き上がったサクヤに気づいて慌てて身繕いをしたのが今も目に焼き付いてる。
結局あれからまぁ、・・したんだろうな。
なんだか面白くない気分で眉を顰め、咀嚼途中でゴクリと飲み込んだ。
全く父親のくせに大人げない事この上ない。
昨日だって、久しぶりに家に帰ってきた我が家で存分に甘えていたのに、あっという間に掻っ攫われる始末だ。
物心ついた時からカカシにはしてやられてばかりのような気がする。
「せっかく、母さんと二人きりだったのに」
「おいおい」
「一緒に寝ることすら許さないって、一体どんだけ狭量なんだよアノヒト」
「サク・・。俺はお前の将来が心配だよ」
「だって」
「だってじゃねぇだろ。離れてる間に彼女くらい出来たのかとおもいきや・・」
「そんなの必要ないし」
「おまえな・・」
ふーっと溜息をついたイルカに唇を尖らせた。
「・・・・・」
思い出すほど面白くないことばかりで、思わず真顔になった。
幼いころはそれが悔しくてワァワァ泣いてイルカにしがみついていたけれど、気づいた時にはいつのまにか子供部屋に一人で寝かされていた。
大人の余裕を見せつけられて、何度歯噛みしたことだろう。
「ムカつく」
ボソリと呟いたサクヤに苦笑した。
いつもは表情豊かなサクヤだが、真顔になればなるほど父親に似ているその顔は、イルカが知らなかった頃のカカシの姿を垣間見るようで少し歯がゆい。
・・こんなふうに子供らしくいられただろうかと思わずにはいられないのだ。
だけど。
その肩に背負いきれないほどの痛みや悲しみを負っている男だからこそ、傍にいようと思ったのかもしれない。
「お前が知らないだけだよ」
ズズッと熱いお茶を啜って喉に流し込み、キョトンとするサクヤに微笑んだ。
*
『今になって四代目の気持ちがわかる気がします』
行為の後、スプーンみたいにピッタリと合わさった格好で背中から抱きすくめられて、独り言のように呟かれた言葉に、黙ったままその続きを待った。
『きっと心配で堪らなくて、手元に置いておきたかったんだな・・・』
それが過酷な任務を強いられる暗部という部隊であっても。火影直轄の部隊だからこそその動向はカカシの手の中だ。
サクヤが入隊してから、消息一つ知らされないことを不満に思っていないと言えば嘘になるけれど、そんな言葉を聞かされてしまったら愚痴すらこぼせなくなる。
鍛えられた腕にそっと頬を擦り寄せれば、背後で微かに笑う気配。
可愛くて仕方なくて、だけどイルカのように愛情を直接示すのではない不器用さがまた愛しい。
*
「知らないってどういうこと?」
背中から感じる温もりと、心情を吐露したカカシの言葉を思い出す。
「あんなに優しい父ちゃん、どこ探したって見つからねぇよ」
優しくなんてないじゃない。そう言って、ぷうっと頬を膨らませる我が子に、あの不器用な優しさがいつか伝わればいいと思った。
そうーー。
いつか、きっと。
父親であるカカシの火影就任と同時に、決定事項だと無理やり暗部への入隊を命じられたサクヤに贈られたイルカからの言葉だ。
いつもの受付でのやり取りのように、ニカリと笑って父親と同じ色の髪をくしゃりとかき混ぜられた。
そんな言葉を言われるのが嫌で。
必死で手を伸ばしてその肩口に縋ろうとするのに、成長途中の身長はまだイルカには全然及ばない。
『なんだよ、子供みたいに』
笑い声と共に抱きしめられた腕の力強さとは反対に、その肩口が震えていたことを覚えている。
子供だよ。まだあんたから離れたくない子供なんだ。
こんなに優しい声で「サク」って。幼い頃から変わらない愛称でオレを呼ぶくせに、どうして手放そうとするんだよ。
そう言って、精一杯駄々をこね悪態をついても、木の葉の忍びであるイルカが火影の意思に逆らえないことなんて知ってる。
だから余計に腹が立つのだ。
『ちゃんと、カカシさんの言うこと聞くんだぞ』
『やだよ暗部なんて。オレは母さんみたいな教師になりたいの』
『ばーか。お前が教師になるなんて10年早い。あと、外で母さんって言うなよ』
『母さんは母さんでしょ』
『んー、まぁそうだけど・・。一応重要機密事項だからな』
鼻の頭を掻いてそう言うと、ふにゃんと目尻が下がった。
『お前のことだから、俺は心配なんてしてねぇよ』
『なんで? 心配してよ』
『カカシさんに似て優秀なお前が何言ってんだ』
『・・大怪我して帰ってくるから』
ボソリと言った言葉に、一瞬にして眉を顰められた。
瞬間湯沸器の如く般若の面に変わったイルカが拳を振り上げる。
降ってくるのはお決まりの拳骨で。避けずに食らった愛のムチの衝撃に、思わず悲鳴が漏れた。
『サクヤ』
押し殺した声は、イルカが本気で怒っている時のものだ。
『ーーッ、いってぇ・・!!』
頭を押さえたサクヤの眼に、握りしめた拳を震わせたイルカの、今にも泣きそうな顔が映る。
そういえば。父親であるカカシも、よくチャクラ切れで病院へ運ばれていたと聞いたことがある。その度に病院まで駆けつけたイルカの心痛はいかばかりだったろう。
『・・ごめんなさい』
『ったく』
呆れた声と共に、その黒い瞳が潤むのを見逃さなかった。
『元気でな』
『・・・・・』
『待ってるから』
無理やり笑った顔が瞳に焼き付く。
大きな手が、何度も何度も名残惜しげに頭を撫ぜるのにまかせて、このまま時が止まればいいなんて願ったあの日。
招集を伝える白い鳥が、二人の頭上を旋回するのが酷く疎ましかった。
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ザンッと降り立った樹の幹の上、誰にも気づかれないように気配を消しながら太い樹木の陰に身体を潜ませた。
生い茂る木の葉の隙間から白い獣面を覗かせたサクヤは、遠くにかけがえのない人の姿を見つけてホッと息をつく。
平屋造りの一軒家。その縁側に腰掛けぼんやりと空を見上げているのは、サクヤが今も慕ってやまない人だ。
「ーー・・・っ・・」
懐かしさに思わず身を乗り出せば、強い力で肩を掴まれた。
「なに?」
「火影様への報告が先だ」
同じ獣面の男がくぐもった声で制止する。
聞こえるように舌打ちし、肩に置かれた手を振り払う。
後ろ髪を引かれる思いでその場を去ろうとした瞬間、イルカの元に飛んできた連絡用の式に目線を止めた。
あんな非の打ち所のない美しい式を飛ばす人物を、サクヤは一人しか知らない。
当代の火影である父親の姿を脳裏に描き、面の中で思いっきり顔を顰めた。
この数年、馬車馬のように働かされ、一度として里に帰還することを許されなかった。
実の息子に対する仕打ちじゃないでしょ。
心のなかでそうゴチて、式に気づいたイルカが手を差し伸べるのを見やった。
ポフン。小さな煙をたてて変化したそれに、ゆっくりと目を通した後、少しだけ曇る顔と微かな溜息。
「・・・・・」
あんのクソ親父。きっと今日も家には帰れないんだ。
火影邸がある方向を見つめるイルカの姿に、ぎりりと歯噛みする。
もともと広い家だったけれど、三人で住んでいた頃はナルトやイルカの生徒たちが遊びに来たりと、何かと騒がしかったのに。
イルカ一人だけが残された家は、まるで抜け殻のようにガランとしていて、とても寂しく思えた。
「やっぱやーめた」
「は?」
「火影への報告はアンタがしておいてよ」
「何を言ってる」
咎める声に、フンッと鼻を鳴らした。
「オレはこっちのが大事なの」
「おいっ! 待てっ!!」
あんな顔を見せられて、放っておくことなんて出来るわけないじゃない。
制止する声を無視してサクヤは樹の幹を蹴った。
目指すは懐かしい我が家と、ずっと会いたくてたまらなかった人。
誰にも追いつかせないスピードで木と木の間を駆け抜け、勢いをつけて飛び降りる。
「ーーー・・ただいまーーッ!」
「えっ!? ーー・・サッ・・ーーサクッ!?」
木の葉とともにいきなり空から降ってきた暗部に、驚きのあまりその黒い瞳をおもいっきり開いたイルカが、ポカンと口も開けたまま固まる。
顔を横に走る派手な傷痕と、長い髪を頭の天辺で一つに括った髪型は昔も今も変わらない。
その懐かしい身体に、飛び降りた勢いのまま抱きついた。
「帰って来たよっ!」
もう昔のように、必死に手を伸ばさなくてもその背に腕を回すことが出来る。
そのことが嬉しくてたまらないのに、反対に離れていた期間を思い出すと切なくなる。
ギュッと。抱きしめてくれる腕は今も昔も変わらなくて、そのことに泣きたくなりながらしがみついた。
「・・・おかえり」
染みこむような優しい声。
この声を聞けない日があったなんて嘘みたいだ。
「ただいま」
知ってる? 暗部へと送り出された日、寂しくて一人で泣いちゃったんだよ。
そう伝えたいのに、ただ抱きしめられてるだけでそんな思いも溶けていくようだ。
「顔、見せてくれ。・・サク」
「・・・ん」
シュルリと紐を解き獣面を外せば、優しく頬に触れられた。
離れていた時間を埋めるように何度も。
ただそっと触れられているだけなのに、何故だかカァッと顔が赤くなった。
自他共に認めるマザコンのサクヤだが、離れていた分だけその思慕は深くなったように思う。
「か、かあさん・・」
「母さんって言うな」
「ーー・・だって・・ッ、んぬっ!」
ぎゅむっと鼻先をつままれて顔をのけぞらせた。
アハハと声を上げて笑うイルカに少しだけホッとして、懐かしい我が家の匂いを思い切り身体中に吸い込んだ。
*****
「全然教えてくれねぇんだから、あの人」
ツヤツヤに光る白米が入った茶碗をほいっと渡された。
机の上に並べられたのは、サンマの塩焼きに切干大根、茄子の味噌汁。悔しいことに父親の好物ばかりである。
酷ぇよな。なじる口調でそう言って、脂がのったサンマの上にたっぷりと大根おろしを乗せて口に放り込んだ。
「帰ってくるって知ってたら、お前が好きなの作って待ってたのに」
「相変わらず忙しいんだ、父さん」
「あー、まぁな。泊まりこみも多くて・・」
ボソリと呟いて、それを否定するように首を振った。
「火影様ってのはそんなもんなんだよ」
取り繕うように言うイルカにふうんと唇を尖らせた。
寂しいと、けして口にしない強さが悲しい。だけどそんなイルカを前にして、それ以上父を咎める言葉は自分からは紡げなかった。
ズズッと味噌汁をすすり、久しぶりの手料理に舌鼓をうつ。
けして料理上手というわけではないが、なんだか落ち着くのは母の味というヤツなのだろう。
実際、料理はカカシのほうが断然上手だ。
だけどやっぱりこの味でなくては、と。
ふっくら炊けた白米を噛みしめてふふっと笑った。
「なんだよ」
「んー・・やっぱ家は良いなぁって思って」
「そっか」
「ねぇ、母さん。明日はハンバーグ作って」
「・・・こんなにカカシさんに似てんのに、味覚は俺なんだよなぁ・・」
ガクッと肩を落としたイルカに、ぷうっと頬を膨らませた。
親子なんだから当たり前だけれど、好きでカカシに似たわけじゃない。
だけどサクヤがカカシに似ていれば似ているほどイルカは嬉しいらしい。
本当は、全部イルカに似たかった。イルカのように里に常駐し、教師として子供たちを指導する立場に就けば、ずっと傍にいられたのに。
傍で守れるのに。
そんなことを言えば、イルカは悲しむだろうか?
「父さんのはジジくさすぎんの。子供は肉が好きなんだよ」
「ぶはっ! お前それ、カカシさんが聞いたら泣くぞ」
「いーの、少しぐらい泣かせたって」
何の仕打ちか、数年間もイルカから遠ざけられたのだ。こっちのほうが泣きたいぐらいだ。
・・・実際泣いたし。
むうっと口をへの字にする愛息子に笑いながら、まだ少し子供らしさの残っている頬を軽く引っ張る。
そんな仕草でさえ昔を思い出して泣きたくなる。
今日だけは少しぐらい甘えたって許されるんじゃないかと思った時。
「今日は母さんと一緒に寝たい」
するりと口から溢れ出た言葉に、一瞬驚いた顔をしたイルカが弾けるように笑った。
*****
夜の闇に包まれて、草木も眠りに落ちた頃。
音も立てずに忍び込んだ部屋の中、枕を並べて眠っている親子の姿に小さな溜息が漏れた。
こんなことだろうと思った。呟きは口には出さないけれど、スヤスヤと幸せそうな寝息をたてて眠っている我が子の姿に苦笑する。
「報告にも来ないで困った子だーね」
呆れた様な口調だが、その身から流れるチャクラは優しいものだ。
でも、と。寝ているときはイルカに面影が似ているサクヤの髪を優しく撫ぜた。
「元気そうでなにより」
ふっと笑って、隣で眠るイルカの傍に移動する。
「せんせ」
カカシを知っている誰もが、聞けば腰を抜かすほどに甘い声。
こんな蕩けそうな声で名前を呼ぶのを知っているのは、きっと家族である自分たちだけだ。
「・・・? カカシさん?」
「ただーいま」
「おかえりなさい・・」
「なんでこんなところで寝てるの? 寝室に居ないから探したじゃない」
装備も解かずに真っ直ぐにここへやってきたことは言わずに、ぼんやりと自分を見上げるイルカに微笑みかける。
「あー・・、久しぶりなんでつい」
「子離れしてないんだから」
「・・それをあなたが言いますか」
何だかんだとサクヤに甘い自分を知っているイルカの咎める声。
クスクスと笑い声を交えながらの言い合いがまるで睦言のようだ。
「今日は戻られないんじゃ・・」
「やんちゃ坊主が報告義務を怠ったからね。心配で様子を見に」
「え!? ・・・ったく、困ったやつだな」
「オレよりあなた優先なのは昔も今も変わらないね」
「拗ねないでくださいよ。帰還予定も教えてくれなかったくせに」
「あなたをびっくりさせようと思って」
「ビックリしましたよ。急に暗部が空から降ってくるんですから」
「ぶっ!」
カカシが思わず吹き出すのに、イルカが慌ててその口を掌で抑えた。
「しー。サクが起きます」
人差し指を唇の前にたてる仕草に、ついつい相好が崩れてしまう。
「ね、せんせ。寝室に戻りましょう」
「え? でも・・・」
「折角戻ってきたオレを一人で寝させるつもり?」
「・・・カカシさん・・」
隣で眠っているサクヤを気遣う様子に、少しだけ眉をひそめた。
大方一緒に寝たいだの、寂しいだのとイルカにせがんだのだろう。甘え上手なところは一体誰に似たというのか。
ーーーオレか・・。
なんだかんだと情に訴えてイルカの懐に入り込んだ事を思い出し、頭を掻いた。見た目ばかりでなくこんなところまで似ている事を喜ぶべきなのか、それとも・・。
「・・・んっ・・」
まだ幼さの残る顔で眠るサクヤが、布団の中で身じろぎする。
「とにかく。いつまでもここで話してたらサクヤが起きてしまうでしょ」
「・・そうですね」
ポンポンと。子供の頃にしていたように軽くリズムをとる手を掴んで引き離したいような焦燥感を押し殺す。
我が子を名残惜しそうに見つめるイルカの視線に、つい大人気なく嫉妬しそうな自分に自嘲した。
*****
ボソボソと、何やら囁くような声が聞こえたような気がして、ゆっくりと片目だけを開いた。
暗部としていつも臨戦態勢でいた時とはまた別の、なんとも穏やかな目覚めに意識が次第に覚醒していくのが心地いい。
柔らかで肌触りの良いシーツの感触。それが硬くて土の匂いが染み込んだ薄暗い野営テントの中でない事を教えてくれる。
そうか。ここはずっと帰りたいと思っていた我が家なのだと、隣で眠っているはずのイルカを探して指先が布団の中を這った。
『・・・っと・・心配してたんですよ』
手探りの指先が誰もいないシーツの上を這うのに、「母さん?」と口にしようとして、不意に聞こえてきた声にギクリと身体を強張らせた。
薄暗い部屋の向こう側。少しだけ開いた襖の中で何かが蠢く気配と声に耳を澄ませる。
『どうして?』
『・・・だってっ・・』
『可愛い子には旅をさせろって。昔から言うでしょ』
『・・・っ・・』
どうやらそんな軽い考えで、自分は火影の護衛ではなく長期里外任務を課せられたのか。
イルカの様子からしてサクヤの行方は、長年務め上げた受付としての情報網を使っても探しだすことができなかったらしい。
特殊部隊に所属するということは、その死すら無かったものとして闇に葬り去られる。
サクヤが暗部に入隊して数年。外部と連絡をとることを禁じられ、どれほどの心配をイルカにかけたことだろう。
『暗部に配属することは、あなたも了承していたじゃない』
冷静に問われた言葉に、暗闇で渋々ながらも頷く影が見えた。
『それは・・』
『少し会えなかったぐらいでそんな顔して』
『あー・・当たり前じゃないですかっ』
暗部なんて浮世離れした集団。普通の忍びであるイルカには多分想像もつかない世界だ。
『変わりませんよ』
『・・え?』
『里を守るという点では、暗部も正規部隊も』
それは両方の世界を知ってるから言える言葉だと、わかっているくせにしれっと答えるさまが憎らしい。
しかもそれが正論とくれば余計にだ。
反論できないイルカに苦笑して、カカシがその頬を指先で摘んだ。
『はいはい。そんなに怒らないで』
『怒ってません』
『うそ、そんな顔したって可愛いだけですからね』
『か、かわ・・っ! 』
カーッとなったイルカの顔が目に浮かぶようだ。そして、それをとんでもなくだらしない顔で見つめるカカシの顔も。
バカバカしい。ついそう口にしそうになって思い切り渋面を作った。
『ふふふっ』
『ちょっ・・、どこ触ってんですかっ』
『どこって、そりゃあーー』
『言わんでいいですって、んぁ・・っ!』
『ククッ。そんな色っぽい声ださないでよ。止まんなくなっちゃうでしょ』
『アンタが触んなきゃ出ないんですよっ』
こんな変な声。そう言って背を向けるイルカを背後から腕の中に抱きしめた。
『それってもう条件反射で感じちゃうってこと?』
『なに言ってーー・・ア・・ァ・・・ッ・・!』
『大きな声出すとサクヤに聞こえるよ』
『・ ・・このっ・・バカッ!』
ゴソゴソという衣擦れの音とともに、甘い攻防が聞こえる。
・・・帰ってきてそうそう勘弁してよ。
いつまでたってもお熱い両親の姿にガバリと布団を頭から被ったサクヤは、渾身の力で両耳を力いっぱい塞ぐのだった。
*****
「ほんっと信じられない」
がぶりと食らいついたハンバーグからは、じゅわりと肉汁が溢れだす。
「あー・・、もうなんて言っていいか・・アチッ!」
それを横目に鼻先を掻いたイルカが、なんとも居心地悪そうに身じろぎし、勢い良く熱い茶を啜って悲鳴を上げた。
「母さんは別にいーの。オレが怒ってんのは父さんになんだから」
「そう言うなよ。昨日だって本当だったら帰れないほど忙しいのにお前の顔見にわざわざ・・」
「はい、嘘。んなの口実に決まってる」
だってオレが目覚める頃にはもうこの家には居なかったじゃない。
多分我慢できなくなって、隊長あたりに仕事を押し付けて戻ってきたに決まってる。
それに。
可愛い息子の顔を見に来ただけなら、イルカを別室に誘う必要もないのだ。
「・・・サク」
咎める声に、フンッと鼻を鳴らしてハンバーグを口の中いっぱいに頬張った。
襖の向こう。
寝乱れた姿のまま布団の上にぼんやりと横たわっているイルカが、起き上がったサクヤに気づいて慌てて身繕いをしたのが今も目に焼き付いてる。
結局あれからまぁ、・・したんだろうな。
なんだか面白くない気分で眉を顰め、咀嚼途中でゴクリと飲み込んだ。
全く父親のくせに大人げない事この上ない。
昨日だって、久しぶりに家に帰ってきた我が家で存分に甘えていたのに、あっという間に掻っ攫われる始末だ。
物心ついた時からカカシにはしてやられてばかりのような気がする。
「せっかく、母さんと二人きりだったのに」
「おいおい」
「一緒に寝ることすら許さないって、一体どんだけ狭量なんだよアノヒト」
「サク・・。俺はお前の将来が心配だよ」
「だって」
「だってじゃねぇだろ。離れてる間に彼女くらい出来たのかとおもいきや・・」
「そんなの必要ないし」
「おまえな・・」
ふーっと溜息をついたイルカに唇を尖らせた。
「・・・・・」
思い出すほど面白くないことばかりで、思わず真顔になった。
幼いころはそれが悔しくてワァワァ泣いてイルカにしがみついていたけれど、気づいた時にはいつのまにか子供部屋に一人で寝かされていた。
大人の余裕を見せつけられて、何度歯噛みしたことだろう。
「ムカつく」
ボソリと呟いたサクヤに苦笑した。
いつもは表情豊かなサクヤだが、真顔になればなるほど父親に似ているその顔は、イルカが知らなかった頃のカカシの姿を垣間見るようで少し歯がゆい。
・・こんなふうに子供らしくいられただろうかと思わずにはいられないのだ。
だけど。
その肩に背負いきれないほどの痛みや悲しみを負っている男だからこそ、傍にいようと思ったのかもしれない。
「お前が知らないだけだよ」
ズズッと熱いお茶を啜って喉に流し込み、キョトンとするサクヤに微笑んだ。
*
『今になって四代目の気持ちがわかる気がします』
行為の後、スプーンみたいにピッタリと合わさった格好で背中から抱きすくめられて、独り言のように呟かれた言葉に、黙ったままその続きを待った。
『きっと心配で堪らなくて、手元に置いておきたかったんだな・・・』
それが過酷な任務を強いられる暗部という部隊であっても。火影直轄の部隊だからこそその動向はカカシの手の中だ。
サクヤが入隊してから、消息一つ知らされないことを不満に思っていないと言えば嘘になるけれど、そんな言葉を聞かされてしまったら愚痴すらこぼせなくなる。
鍛えられた腕にそっと頬を擦り寄せれば、背後で微かに笑う気配。
可愛くて仕方なくて、だけどイルカのように愛情を直接示すのではない不器用さがまた愛しい。
*
「知らないってどういうこと?」
背中から感じる温もりと、心情を吐露したカカシの言葉を思い出す。
「あんなに優しい父ちゃん、どこ探したって見つからねぇよ」
優しくなんてないじゃない。そう言って、ぷうっと頬を膨らませる我が子に、あの不器用な優しさがいつか伝わればいいと思った。
そうーー。
いつか、きっと。
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