8

古いコタツの上に料亭の重箱、そして茄子の味噌汁。
壁にあちこちヒビの入ったアパートには、里の誉れと名高い現役暗部の男としがない万年中忍教師。
どうにもアンバランスな感じが否めなくて、重箱をつつきながら居心地悪く身じろぎする。
その里の誉れといえば、高級食材に箸を付けず何故か味噌汁ばかりを啜っている。
こんなに旨いのにな。
アワビに肝醤油を絡めて放り込めば、少しの苦味が口の中に広がる。
柔らかい弾力に舌鼓を打ちつつ、チラリと隣のカカシを見やった。

「食べないんですか?」
「んー」

ズズッと、またお椀に口を付けて味噌汁をすすった男が気のない返事をする。

「旨いのに」
「知ってる」

直ぐに返って来た返事は、もう食べ飽きたと言っているように思えて、咀嚼中の刺し身がぐっと喉に詰まった。


『あの人のことだから珍しがって構ってるだけだ。飽きたらそれもなくなんだろ』


そういったゲンマの言葉が蘇る。
今は物珍しい家庭の味そのものの味噌汁に興味があるだけで、いつかこの高級料亭の重箱のように、食べ飽きて関心すらなくなってしまう日が来るのだろう。
そう、イルカの事も。
そう思ったら、何故だか悲しくなった。

「味噌汁、旨いですか?」
「ん」
「・・・良かった」

ポツリと呟いた声に、チラリと目線を上げたカカシと眼があった。

「サンマがあれば最高だったね」
「またサンマですか」
「好きなんだもん」
「こんな高級料理前にして、何言ってんですか」
「そうか、そんな弁当よりサンマを買ってきたらよかった」
「ぶはっ!」

ぽんっと手を叩くみたいにそう言ったカカシに吹き出す。
きっと家庭の味に興味があるのだろう。『毎日フレンチは飽きるから、偶にはラーメンが食べたいの』そんなことを同僚のくノ一が言っていた気がする。

「またうちのアパートをくっさくするつもりですか」
「いーでしょ、隙間だらけなんだから」
「うっ。そりゃそうですけど、それでも数日は魚臭いんですよ」
「・・じゃあ、空気清浄機でも買ってくればいい?」
「へっ!?」

いきなり何を言い出すんだ、この上忍は。
何だかんだ言ってエアコンすら十年以上前の物を使っているこの部屋で、空気清浄機なんて未来の家電製品だぞ。

「一番いいのを買ってきたら、また焼いてくれる?」
「か、買わなくて良いです! そんなもん買わなくても焼きますから」
「いいの?」
「・・・いー、いいです」
「良かった」

何だか上手く丸め込まれたような気がするが、笑うと意外に幼くなる顔にドキリとした。
ボロ小屋に孔雀が迷い込んできたみたいだったのに、いまはちょっと慣れてない犬が遊びに来たみたいだ。

「こういう素朴な味もいいもんだーね」
「素朴で悪かったですね」
「褒めてんのよ」
「嫌味じゃないんですか?」
「・・・単純そうな顔して、意外とひねくれてんだから」

呆れた顔のカカシが失礼なことを言うのに少しだけムッとするが、旨そうに味噌汁の椀に口をつけるのが嬉しい。
何だかんだ言ったって、こうして家の中で誰かと食事をするのは随分と無かった気がする。
こういうのも何だか懐かしいな、と。子供の頃を思い出しながら頬張った分厚い肉を咀嚼する。
聞くところによると、カカシも幼いころに両親をなくしてずっと天涯孤独だったそうだから、もしかしたら人恋しいのかもしれない。
そう思ったら、急に押しかけて飯を食っているこの何を考えているのかよく分からない上忍のことも少しだけ理解できそうな気がした。

「はー、腹いっぱいだ」

流石に満腹になって膨れた腹をさすっていたら、目線だけをチラッと動かすカカシが持っていた椀を机に置いた。

「ゲンマとはよく呑みに?」
「へっ?」

いきなり何を言い出すのだろう?
さっきはどうでもいいような返事をしたくせにと、訝しげに小首を傾げた。

「今日、呑みに行ってたんでしょ」
「ええまぁ」
「知り合いだったんだ」
「・・三代目の護衛をされていたので、それで」

何か棘のある声に思わず言い訳じみた答えを返してしまった。
どういう意味だろう。
火影の采配で動くことの多い特別上忍である彼らとは、外回りの上忍よりも何かと懇意にしている。
最近はイルカもアカデミーの仕事が忙しく、顔を合わせたのは久しぶりだったが、カカシが何を聞きたいのかがさっぱりわからなかった。

「何かされた?」
「なにか、とは?」
「例えばそう――・・キスとか」
「・・・ゴホッ!」

見ていたのかと思われるセリフにぐっと詰まって咳込んだ。
途端にカカシの目線が剣呑な光を放つのに、お茶で流しこんだ喉がゴクリと鳴る。
けしてキスをされたわけではない。すんでのところで掌で阻止したし、ゲンマも元からそんなことをするつもりもなく、ちょっとからかっただけだ。

「されたんだ」
「ーーいやっ・・そんな・・わわッ!」

いきなり腕を掴まれて引っ張られた。
目の前にはカカシの顔。開いている写輪眼に驚愕して眼を見開いた瞬間、乱暴に唇が塞がれた。

「ーー・・ンン、ンーーーッ!!」

合わさった唇からぬるりと差し込まれた舌に口内を荒らされる。
歯列をなぞり、上顎へ。いつのまにか頭を固定されて腕の中に抱き込まれてしまっている。
それより信じられないのが、自分がカカシの背中に手を回していることだ。
これじゃまるで恋人同士のキスのようじゃないかと思った瞬間、わずかに離れた唇が理解できない言葉を発した。

「・・っ男煽るような真似して」
「へ?」
「アンタ、全然わかってない」
「・・なに・・・?」
「だからちゃんと」

解らせるようにしなくちゃ、と。囁くように言われた言葉は、再び合わさってきた唇に塞がれて、確認する間もなく呆気無く消え去った。
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恋は銀色の翼にのりて
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