まだおぼつかない足取りで、よちよちと3歩足を進めた所でポテンと尻もちをついた。
目の前にある背の低い机に捕まって再度立ち上がるものの、進もうとして今度は顔から地面にバタリと倒れる。
途端にうわーんと泣き出す我が子に、イルカは苦笑しながら歩み寄った。
「自分で転んだんだろ」
泣くなと抱き上げて、イルカはボロボロと涙を零す子供の顔を拭ってやる。
大きな黒い瞳からは珠のような涙がこぼれ、しゃくりあげる声は小鳥のように可愛らしい。
「サク~、ほらウサギさんだぞ」
手に持ったうさぎのぬいぐるみを顔の前で動かすと、子供は目をパチパチと瞬かせて、もみじのような手を伸ばした。
まだあまり人語を話せない子供は、与えたうさぎのぬいぐるみを手に嬉しそうに齧りついている。
洗濯したばかりだがもうすでにヨダレまみれだ。
子供の名前は、はたけサクヤ。
まごうことなくカカシとイルカの子供である。
話せば長くなるものの、カカシに騙されて妙な薬を飲まされ女体化したイルカが、あろうことか奇跡的に妊娠して産まれた子供だ。
イルカが産んだカカシの子というのは周知の事実なれど、暗黙の了解で里の重要機密事項とされている。
すなわち『皆知ってるけど知らないふりをしてますよ~』ってやつだ。
ありがたいこった。
ちなみにこれは、男達のみに当てはまる機密事項というやつで、カカシに懸想していたくノ一達は知らない振りなどしてくれない。
黒髪ならイルカの子供として『うみの』の姓を名乗らせようと考えていたイルカだったが、生まれてきたのは輝くような銀髪に黒い瞳、顔はカカシそっくりのなんとも可愛い赤ん坊だった。
黒髪って優性遺伝じゃなかったのか?
そう思ったものの、生まれてきたのは銀髪なのだから仕方がない。
しかし・・・。
その身体能力は残念ながらイルカに似たようで、誠に鈍い。
鈍いうえに泣き虫だ。
あちらで転んでは号泣、イルカの姿が見えなくなれば探し回ってまた号泣。
おかげでイルカは職場に復帰したものの、なかなか自由には働けないでいる。
カカシさんの子なのに、何だかなぁ~。
腕の中でぬいぐるみをヨダレまみれにしている我が子に向けて、イルカは小さくため息をついた。
父親であるカカシは、そのことについて実は歓迎しているようだ。
任務の苛酷さをその身をもって知っているカカシは、子供には里で穏やかに暮らして欲しいと思っているのだろう。
それについてはイルカも否定出来ない。
出来ないわけだが。
あのはたけの子がこんなでは・・・と蔑みや呆れの声を聞くたびに、肩身の狭い思いをしてるのもまた事実だ。
「あ~う」
見つめられていることに気づいたのか、サクヤが嬉しそうに笑いながらイルカに手を伸ばす。
よだれでネトネトの手が、イルカの頬をパチパチ叩くのに、パクリとその小さな手を口に入れた。
ミルク臭いというか、何とも甘ったるい子供の匂いに、イルカは愛しさが込み上げてくる。
なんといってもカカシそっくりの顔だ。
これを可愛いと言わずしてなんと言おうか。
「まぁ・・・いいか。サクはサクだもんな」
プクプクとした頬にキスをする。
キャーと声を上げて笑う子供に、イルカも同じように微笑んだ。
「お茶入ったよ」
不意に背後から声が聞こえ、腕の中のサクヤをヒョイッと奪われる。
振り返ればカカシがサクヤを腕に抱いてニコリと笑ってた。
同じ顔が二つ。
カカシがサクヤに優しく笑いかける姿に、思わずイルカは顔を強ばらせた。
「先生?」
「いえ・・」
訝しげに問いかけるカカシに曖昧に答えて、イルカは卓袱台の前に座った。
カカシとの子供を儲けていても、同性同士なので結婚はしていない。
住まいを一緒にと何度も請われているが、今のボロアパートは職場が近いのと、なんとなく乗り気になれなくてそのままになっている。
なので、サクヤは里外任務の多いカカシの家でなく、イルカの家で育った。
一緒にいる時間が多い分、イルカにべったりなのは言うまでもないが、見かけによらず子煩悩なカカシは、任務帰りでヘトヘトに疲れている時ですらサクヤの世話を嫌がらない。
お陰でサクヤは人見知りすることもなくカカシにもちゃんと懐いている。
まぁ、イルカを騙してまで子供を望んだのはカカシなのだから、当たり前と言っちゃ当たり前のことなのだが、とにかくカカシはサクヤに甘かった。
・・・イルカがつい我が子に嫉妬するぐらいに。
あぁ駄目だ。
子供に嫉妬するとか、何言ってんだよ俺は。
今もカカシがサクヤに優しく微笑んでるのを見るだけで、何だかおかしな気持ちになる。
ーーーあんな顔、最近俺にしたか?
なんて馬鹿なことを考えてしまうのに、イルカは自己嫌悪に陥ってお茶を啜った。
*****
ガラリと報告所の扉を開けると、騒がしかったはずの場所が水を打ったように静まり返った。
なんだ?と思う間もなく、気まずげな同僚達の顔がサッと逸らされる。
「・・・・・」
嫌な場面に出くわしたなと、報告所に足を踏み入れたイルカは、刺すようなくノ一達の視線を感じて、子供を抱く腕に力を込めた。
「うぅ~」
窮屈になって居心地が悪くなったのであろうサクヤが、不機嫌な声を出す。
報告所に置いてあるサクヤ専用のベビーベッドへ寝かせて、受付に座ったイルカにイワシが小さく声をかけた。
「よう」
「お疲れ・・・なんかあったか?」
「いや・・」
妙な雰囲気に問いかけるものの、イワシはらしくもなく言葉を濁している。
この空気からして良くないことは確かだろう。
「・・・お姉さま達の悪口大会」
「は?」
「はたけ上忍がらみの」
書類を作成するふりをしながらコソコソ話すイワシに、イルカはまたかとウンザリした。
もちろん、悪口を言われているのはカカシではない。
はたけカカシを誑かしたうみのイルカに対してだ。
もう一度言おう。
誑かした、だ。
全くもって腹立たしいのだが、事もあろうにイルカがカカシに懸想して、女体化してまでモノにしたと、まことしやかに噂されているのだ。
女体化してまでって、どんな力技だよ。
事実は全くもって逆なのだが、誰もカカシがイルカを騙して孕ませたとは思っていない。
まぁ、いくらでも女にもてるカカシだ。
なにも男に走る理由はないだろうと考えるのは分からなくもない。
でもだ。
俺だって別に男に走る理由なんてないんだよ!!!!
グッと拳を握りしめ、心のなかで絶叫したイルカの耳に、サクヤの頼りない声が聞こえた。
イルカの感情はサクヤに敏感に伝わる。
「・・サク・・」
泣き虫なサクヤがえぐえぐと眼に涙を溜めているのを見て、イルカは無理やり笑顔を作った。
でもまぁ、いくら出来が悪いと言っても、カカシの子であるサクヤに無体を働こうなどと言う者は少ない。
しかもカカシが溺愛している愛息子とあれば手出しはできまい。
だからいつでも矢面に立たされるのはイルカの方なのだ。
無防備な子供に何かされるのではという危険がないことにはホッとするが、イルカだって毎回の嫌味や嫌がらせに辟易しないわけでもない。
「勘弁してくれよ・・・」
力なく呟いたイルカに、イワシがお気の毒様と慰めた。
同僚のイワシは数少ない事実を知る人物だが、事務方の中忍達がいくら真実を話そうと、認めたくないくの一たちの耳には届かない。
「はたけ上忍に伝えといたほうが良くねぇか?」
「ん~・・・でもなぁ・・・」
心配してくれるイワシはありがたいが、激務のカカシに余計な面倒は掛けたくない。
別に自分が我慢すればいいことだと、イルカはそう思っていた。
嫌がらせは、明らかな記入漏れなんかは可愛いもので、書類に刃物が仕込んであったり、任務依頼書に添付してあったはずの書類がないと怒鳴られたり、挙句の果てには報告書を受け取るときに「男に色目使ってんじゃないわよ、浅ましい」と、覚えのない暴言を吐かれたりした。
今日は人が多いこともあってあからさまな嫌がらせはないが、チクチクと刺すような視線が痛い。
なんで俺がこんな目に・・・と嘆かわしく思うものの、もう後戻りはできない。
ふうっと溜息をついたイルカの眼に、数人のくの一がサクヤに近づくのが見えた。
殺気はないので、書類を確認しながらチラチラとその様子を伺う。
「サクちゃん」
「うー」
「あはッ! 可愛い~、はたけ上忍そっくり」
ベビーベッドに座り込んで格子を掴んでいるサクヤが、不安げな顔でイルカに視線を送る。
頼むから泣くなよ。
祈るような願いは、くの一がサクヤを抱き上げた所で悲しく砕け散った。
わあぁッと号泣したサクヤに、くの一達が慌ててなだめようと身体を揺するも、逃れようとのけぞるサクヤが必死の抵抗を見せる。
「ちょっッ!!」
「貸しなさいよ」
「嫌よ、大丈夫。もうすぐ泣き止むから」
「アンタじゃ駄目だって! ねー、サクちゃん」
「ねぇ、私も抱っこしたい! 私に貸してよッ」
暴れるサクヤを取り合うくの一たちに、イワシがチラリとイルカを見た。
鳴き声はもう悲鳴に近いくらいだ。
「・・・良いのか?」
「・・・・」
このままじゃ絶対に泣き止まないことを知ってるイワシがぐいっと肘でイルカを押す。
いけっと顎で指示されて、イルカはしかたなく立ち上がり、わぁわぁと言い合っているくの一達の前にゆっくりと進み出る。
「・・・サク・・」
イルカを見つけたサクヤが、天の助けとばかりにその小さい手を伸ばした。
涙とよだれ、鼻水でもう顔はグチャグチャだ。
なんで泣くんだよ。
お前が泣かなきゃ、嫌な目には合わないのに、とは言っても仕方ない。
必死に手を伸ばすサクヤを抱こうと手を差し伸べた所で、くの一達の鋭い視線が突き刺さる。
「・・・すいません、うるさくて・・」
泣かせたのはイルカではないが、こういったことは先に謝るに限る。
「ほんと、性格はアンタにそっくり。可愛くな~い」
「はたけ上忍に中身も全部似れば良かったのに」
「これじゃ上忍どころか忍びにもなれないんじゃない?」
チラっとイルカを見て唇を歪める。
「ちゃんとした出来のいい跡継ぎが必要よねぇ」
「わたし、立候補しよっかな~」
「まだ結婚もされてないからフリーだしね」
私も~などと楽しそうな声が響く中、腕の中で身動くサクヤをギュッと抱きしめた。
言葉の刃はイルカの胸を深くえぐる。
腕の中でしゃくりあげるサクヤの汚れた顔をタオルで拭ってやって、イルカはくの一達に頭を下げて机に戻る。
「んぇっ・・・」
「・・・大丈夫だよ」
泣き腫らした眼からまたじんわりと涙が浮かんでくる。
イルカのベストを掴む手が、ギュッと強く握りしめられた。
サクヤは感受性が強い。
イルカを傷つけると知っているから、くの一達に懐かないだけだ。
わかっているけれど。
せめて少しでも愛想良くしてくれたらと、イルカは思わずにいられなかった。
*****
カカシが買ってきた積み木で遊ぶサクヤを、のんびりと眺めていた。
口に入れたり、まだうまく握れない手で転がしたりとご機嫌だ。
こうしていると全く手がかからないのに、今日も報告所では散々だった。
「うー」
「ありがとう」
差し出す積み木を受け取って、イルカはニコリと笑う。
溢れんばかりのぷくぷくとした頬をつつくと、キョトンとした眼がイルカを見つめた。
「こんなにおりこうさんなのにな」
昼間に浴びせられた心ない言葉に、胸を痛める。
何もわからないサクヤが無邪気に笑うのが切なかった。
ガチャリと音がして、任務帰りのカカシが玄関に姿を現したのを見つけ、サクヤがハイハイで玄関へと向かうのを追いかける。
相変わらず埃まみれだが、錆びた匂いはしていない。
ホッとして抱きつこうとしたイルカよりはやく、サクヤが手を伸ばした。
「ただいま」
穏やかな優しい声でそう言うと、小さな身体を腕の中に抱き上げる。
「いい子にしてた?」
「う~」
「可愛いねえ」
涎でベトベトの手が、カカシの頬に触れるのに、くすぐったそうに笑う。
「・・・・・」
そのまま部屋に入っていってしまう後ろ姿を、イルカはぼんやりと目で追った。
いつもなら、カカシが抱きしめるはイルカだけだったのに。
今はもう違うのだ。
こんなことを思ってしまうのはおかしいとわかっている。
わかっているのに、マイナスに傾いた思考を止めることが出来ない。
「先生?」
不思議そうに振り返り名前を呼ばれても、直ぐに返事が出来ずにイルカはその姿をぼんやりと見つめる。
急に、感情が抑えられなくなった。
「・・・あの・・」
「?」
「・・俺、凄く疲れてて・・・」
駄目だと思うのに、込み上げる気持ちが嘘の言葉を綴る。
「一人でいたいんです・・」
なるべく二人の姿を見ないようにイルカは言葉を紡いた。
「暫くサクヤを預かってもらえませんか?」
「え?」
驚いたように瞳が見開かれた。
それには気づかないふりで、イルカはサクヤのオムツやミルク、離乳食を適当に鞄に詰めていく。
なにか聞かれる前に、出て行って欲しい。
ただそれだけだった。
任務帰りで疲れているだろうカカシに、無理やり鞄を押し付けて、今入ってきたばかりの玄関へと身体を押した。
「・・イルカせんせ?」
戸惑う声がどうしたのと語ってる。
自分だって、何がしたいのかわからない。
だからこれ以上、醜い気持ちが大きくなる前に目の前から消えてくれ。
「任務が入ったら、式を飛ばしてください。・・・サクヤを迎えに行きます」
「・・暫く休みを貰ったから大丈夫だけど・・でも、どうして」
「すいません」
取り付く島もない言いように、カカシがイルカの腕を掴んだ。
「それは、ここにも来るなってこと?」
責めるでもない、ただ問いかけるだけの言葉がかけられる。
頷くイルカに、カカシは暫く考え込んだ後、わかりましたと答えた。
サクヤを連れて玄関を出て行く後ろ姿をぼんやりと見つめた。
不安げにイルカを呼ぶサクヤの小さな手を、今すぐにでも握って抱きしめてやりたいのに、もう一人の自分が嫌だと主張する。
扉が閉まった瞬間、イルカはズルズルと床に座り込んだ。
さっきまで暖かかった部屋が、酷く寒々しく感じる。
途端に押し寄せてくる後悔と寂寥感に、イルカは額を押さえながら長い溜息をついた。
目の前にある背の低い机に捕まって再度立ち上がるものの、進もうとして今度は顔から地面にバタリと倒れる。
途端にうわーんと泣き出す我が子に、イルカは苦笑しながら歩み寄った。
「自分で転んだんだろ」
泣くなと抱き上げて、イルカはボロボロと涙を零す子供の顔を拭ってやる。
大きな黒い瞳からは珠のような涙がこぼれ、しゃくりあげる声は小鳥のように可愛らしい。
「サク~、ほらウサギさんだぞ」
手に持ったうさぎのぬいぐるみを顔の前で動かすと、子供は目をパチパチと瞬かせて、もみじのような手を伸ばした。
まだあまり人語を話せない子供は、与えたうさぎのぬいぐるみを手に嬉しそうに齧りついている。
洗濯したばかりだがもうすでにヨダレまみれだ。
子供の名前は、はたけサクヤ。
まごうことなくカカシとイルカの子供である。
話せば長くなるものの、カカシに騙されて妙な薬を飲まされ女体化したイルカが、あろうことか奇跡的に妊娠して産まれた子供だ。
イルカが産んだカカシの子というのは周知の事実なれど、暗黙の了解で里の重要機密事項とされている。
すなわち『皆知ってるけど知らないふりをしてますよ~』ってやつだ。
ありがたいこった。
ちなみにこれは、男達のみに当てはまる機密事項というやつで、カカシに懸想していたくノ一達は知らない振りなどしてくれない。
黒髪ならイルカの子供として『うみの』の姓を名乗らせようと考えていたイルカだったが、生まれてきたのは輝くような銀髪に黒い瞳、顔はカカシそっくりのなんとも可愛い赤ん坊だった。
黒髪って優性遺伝じゃなかったのか?
そう思ったものの、生まれてきたのは銀髪なのだから仕方がない。
しかし・・・。
その身体能力は残念ながらイルカに似たようで、誠に鈍い。
鈍いうえに泣き虫だ。
あちらで転んでは号泣、イルカの姿が見えなくなれば探し回ってまた号泣。
おかげでイルカは職場に復帰したものの、なかなか自由には働けないでいる。
カカシさんの子なのに、何だかなぁ~。
腕の中でぬいぐるみをヨダレまみれにしている我が子に向けて、イルカは小さくため息をついた。
父親であるカカシは、そのことについて実は歓迎しているようだ。
任務の苛酷さをその身をもって知っているカカシは、子供には里で穏やかに暮らして欲しいと思っているのだろう。
それについてはイルカも否定出来ない。
出来ないわけだが。
あのはたけの子がこんなでは・・・と蔑みや呆れの声を聞くたびに、肩身の狭い思いをしてるのもまた事実だ。
「あ~う」
見つめられていることに気づいたのか、サクヤが嬉しそうに笑いながらイルカに手を伸ばす。
よだれでネトネトの手が、イルカの頬をパチパチ叩くのに、パクリとその小さな手を口に入れた。
ミルク臭いというか、何とも甘ったるい子供の匂いに、イルカは愛しさが込み上げてくる。
なんといってもカカシそっくりの顔だ。
これを可愛いと言わずしてなんと言おうか。
「まぁ・・・いいか。サクはサクだもんな」
プクプクとした頬にキスをする。
キャーと声を上げて笑う子供に、イルカも同じように微笑んだ。
「お茶入ったよ」
不意に背後から声が聞こえ、腕の中のサクヤをヒョイッと奪われる。
振り返ればカカシがサクヤを腕に抱いてニコリと笑ってた。
同じ顔が二つ。
カカシがサクヤに優しく笑いかける姿に、思わずイルカは顔を強ばらせた。
「先生?」
「いえ・・」
訝しげに問いかけるカカシに曖昧に答えて、イルカは卓袱台の前に座った。
カカシとの子供を儲けていても、同性同士なので結婚はしていない。
住まいを一緒にと何度も請われているが、今のボロアパートは職場が近いのと、なんとなく乗り気になれなくてそのままになっている。
なので、サクヤは里外任務の多いカカシの家でなく、イルカの家で育った。
一緒にいる時間が多い分、イルカにべったりなのは言うまでもないが、見かけによらず子煩悩なカカシは、任務帰りでヘトヘトに疲れている時ですらサクヤの世話を嫌がらない。
お陰でサクヤは人見知りすることもなくカカシにもちゃんと懐いている。
まぁ、イルカを騙してまで子供を望んだのはカカシなのだから、当たり前と言っちゃ当たり前のことなのだが、とにかくカカシはサクヤに甘かった。
・・・イルカがつい我が子に嫉妬するぐらいに。
あぁ駄目だ。
子供に嫉妬するとか、何言ってんだよ俺は。
今もカカシがサクヤに優しく微笑んでるのを見るだけで、何だかおかしな気持ちになる。
ーーーあんな顔、最近俺にしたか?
なんて馬鹿なことを考えてしまうのに、イルカは自己嫌悪に陥ってお茶を啜った。
*****
ガラリと報告所の扉を開けると、騒がしかったはずの場所が水を打ったように静まり返った。
なんだ?と思う間もなく、気まずげな同僚達の顔がサッと逸らされる。
「・・・・・」
嫌な場面に出くわしたなと、報告所に足を踏み入れたイルカは、刺すようなくノ一達の視線を感じて、子供を抱く腕に力を込めた。
「うぅ~」
窮屈になって居心地が悪くなったのであろうサクヤが、不機嫌な声を出す。
報告所に置いてあるサクヤ専用のベビーベッドへ寝かせて、受付に座ったイルカにイワシが小さく声をかけた。
「よう」
「お疲れ・・・なんかあったか?」
「いや・・」
妙な雰囲気に問いかけるものの、イワシはらしくもなく言葉を濁している。
この空気からして良くないことは確かだろう。
「・・・お姉さま達の悪口大会」
「は?」
「はたけ上忍がらみの」
書類を作成するふりをしながらコソコソ話すイワシに、イルカはまたかとウンザリした。
もちろん、悪口を言われているのはカカシではない。
はたけカカシを誑かしたうみのイルカに対してだ。
もう一度言おう。
誑かした、だ。
全くもって腹立たしいのだが、事もあろうにイルカがカカシに懸想して、女体化してまでモノにしたと、まことしやかに噂されているのだ。
女体化してまでって、どんな力技だよ。
事実は全くもって逆なのだが、誰もカカシがイルカを騙して孕ませたとは思っていない。
まぁ、いくらでも女にもてるカカシだ。
なにも男に走る理由はないだろうと考えるのは分からなくもない。
でもだ。
俺だって別に男に走る理由なんてないんだよ!!!!
グッと拳を握りしめ、心のなかで絶叫したイルカの耳に、サクヤの頼りない声が聞こえた。
イルカの感情はサクヤに敏感に伝わる。
「・・サク・・」
泣き虫なサクヤがえぐえぐと眼に涙を溜めているのを見て、イルカは無理やり笑顔を作った。
でもまぁ、いくら出来が悪いと言っても、カカシの子であるサクヤに無体を働こうなどと言う者は少ない。
しかもカカシが溺愛している愛息子とあれば手出しはできまい。
だからいつでも矢面に立たされるのはイルカの方なのだ。
無防備な子供に何かされるのではという危険がないことにはホッとするが、イルカだって毎回の嫌味や嫌がらせに辟易しないわけでもない。
「勘弁してくれよ・・・」
力なく呟いたイルカに、イワシがお気の毒様と慰めた。
同僚のイワシは数少ない事実を知る人物だが、事務方の中忍達がいくら真実を話そうと、認めたくないくの一たちの耳には届かない。
「はたけ上忍に伝えといたほうが良くねぇか?」
「ん~・・・でもなぁ・・・」
心配してくれるイワシはありがたいが、激務のカカシに余計な面倒は掛けたくない。
別に自分が我慢すればいいことだと、イルカはそう思っていた。
嫌がらせは、明らかな記入漏れなんかは可愛いもので、書類に刃物が仕込んであったり、任務依頼書に添付してあったはずの書類がないと怒鳴られたり、挙句の果てには報告書を受け取るときに「男に色目使ってんじゃないわよ、浅ましい」と、覚えのない暴言を吐かれたりした。
今日は人が多いこともあってあからさまな嫌がらせはないが、チクチクと刺すような視線が痛い。
なんで俺がこんな目に・・・と嘆かわしく思うものの、もう後戻りはできない。
ふうっと溜息をついたイルカの眼に、数人のくの一がサクヤに近づくのが見えた。
殺気はないので、書類を確認しながらチラチラとその様子を伺う。
「サクちゃん」
「うー」
「あはッ! 可愛い~、はたけ上忍そっくり」
ベビーベッドに座り込んで格子を掴んでいるサクヤが、不安げな顔でイルカに視線を送る。
頼むから泣くなよ。
祈るような願いは、くの一がサクヤを抱き上げた所で悲しく砕け散った。
わあぁッと号泣したサクヤに、くの一達が慌ててなだめようと身体を揺するも、逃れようとのけぞるサクヤが必死の抵抗を見せる。
「ちょっッ!!」
「貸しなさいよ」
「嫌よ、大丈夫。もうすぐ泣き止むから」
「アンタじゃ駄目だって! ねー、サクちゃん」
「ねぇ、私も抱っこしたい! 私に貸してよッ」
暴れるサクヤを取り合うくの一たちに、イワシがチラリとイルカを見た。
鳴き声はもう悲鳴に近いくらいだ。
「・・・良いのか?」
「・・・・」
このままじゃ絶対に泣き止まないことを知ってるイワシがぐいっと肘でイルカを押す。
いけっと顎で指示されて、イルカはしかたなく立ち上がり、わぁわぁと言い合っているくの一達の前にゆっくりと進み出る。
「・・・サク・・」
イルカを見つけたサクヤが、天の助けとばかりにその小さい手を伸ばした。
涙とよだれ、鼻水でもう顔はグチャグチャだ。
なんで泣くんだよ。
お前が泣かなきゃ、嫌な目には合わないのに、とは言っても仕方ない。
必死に手を伸ばすサクヤを抱こうと手を差し伸べた所で、くの一達の鋭い視線が突き刺さる。
「・・・すいません、うるさくて・・」
泣かせたのはイルカではないが、こういったことは先に謝るに限る。
「ほんと、性格はアンタにそっくり。可愛くな~い」
「はたけ上忍に中身も全部似れば良かったのに」
「これじゃ上忍どころか忍びにもなれないんじゃない?」
チラっとイルカを見て唇を歪める。
「ちゃんとした出来のいい跡継ぎが必要よねぇ」
「わたし、立候補しよっかな~」
「まだ結婚もされてないからフリーだしね」
私も~などと楽しそうな声が響く中、腕の中で身動くサクヤをギュッと抱きしめた。
言葉の刃はイルカの胸を深くえぐる。
腕の中でしゃくりあげるサクヤの汚れた顔をタオルで拭ってやって、イルカはくの一達に頭を下げて机に戻る。
「んぇっ・・・」
「・・・大丈夫だよ」
泣き腫らした眼からまたじんわりと涙が浮かんでくる。
イルカのベストを掴む手が、ギュッと強く握りしめられた。
サクヤは感受性が強い。
イルカを傷つけると知っているから、くの一達に懐かないだけだ。
わかっているけれど。
せめて少しでも愛想良くしてくれたらと、イルカは思わずにいられなかった。
*****
カカシが買ってきた積み木で遊ぶサクヤを、のんびりと眺めていた。
口に入れたり、まだうまく握れない手で転がしたりとご機嫌だ。
こうしていると全く手がかからないのに、今日も報告所では散々だった。
「うー」
「ありがとう」
差し出す積み木を受け取って、イルカはニコリと笑う。
溢れんばかりのぷくぷくとした頬をつつくと、キョトンとした眼がイルカを見つめた。
「こんなにおりこうさんなのにな」
昼間に浴びせられた心ない言葉に、胸を痛める。
何もわからないサクヤが無邪気に笑うのが切なかった。
ガチャリと音がして、任務帰りのカカシが玄関に姿を現したのを見つけ、サクヤがハイハイで玄関へと向かうのを追いかける。
相変わらず埃まみれだが、錆びた匂いはしていない。
ホッとして抱きつこうとしたイルカよりはやく、サクヤが手を伸ばした。
「ただいま」
穏やかな優しい声でそう言うと、小さな身体を腕の中に抱き上げる。
「いい子にしてた?」
「う~」
「可愛いねえ」
涎でベトベトの手が、カカシの頬に触れるのに、くすぐったそうに笑う。
「・・・・・」
そのまま部屋に入っていってしまう後ろ姿を、イルカはぼんやりと目で追った。
いつもなら、カカシが抱きしめるはイルカだけだったのに。
今はもう違うのだ。
こんなことを思ってしまうのはおかしいとわかっている。
わかっているのに、マイナスに傾いた思考を止めることが出来ない。
「先生?」
不思議そうに振り返り名前を呼ばれても、直ぐに返事が出来ずにイルカはその姿をぼんやりと見つめる。
急に、感情が抑えられなくなった。
「・・・あの・・」
「?」
「・・俺、凄く疲れてて・・・」
駄目だと思うのに、込み上げる気持ちが嘘の言葉を綴る。
「一人でいたいんです・・」
なるべく二人の姿を見ないようにイルカは言葉を紡いた。
「暫くサクヤを預かってもらえませんか?」
「え?」
驚いたように瞳が見開かれた。
それには気づかないふりで、イルカはサクヤのオムツやミルク、離乳食を適当に鞄に詰めていく。
なにか聞かれる前に、出て行って欲しい。
ただそれだけだった。
任務帰りで疲れているだろうカカシに、無理やり鞄を押し付けて、今入ってきたばかりの玄関へと身体を押した。
「・・イルカせんせ?」
戸惑う声がどうしたのと語ってる。
自分だって、何がしたいのかわからない。
だからこれ以上、醜い気持ちが大きくなる前に目の前から消えてくれ。
「任務が入ったら、式を飛ばしてください。・・・サクヤを迎えに行きます」
「・・暫く休みを貰ったから大丈夫だけど・・でも、どうして」
「すいません」
取り付く島もない言いように、カカシがイルカの腕を掴んだ。
「それは、ここにも来るなってこと?」
責めるでもない、ただ問いかけるだけの言葉がかけられる。
頷くイルカに、カカシは暫く考え込んだ後、わかりましたと答えた。
サクヤを連れて玄関を出て行く後ろ姿をぼんやりと見つめた。
不安げにイルカを呼ぶサクヤの小さな手を、今すぐにでも握って抱きしめてやりたいのに、もう一人の自分が嫌だと主張する。
扉が閉まった瞬間、イルカはズルズルと床に座り込んだ。
さっきまで暖かかった部屋が、酷く寒々しく感じる。
途端に押し寄せてくる後悔と寂寥感に、イルカは額を押さえながら長い溜息をついた。
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【恋は銀色の翼にのりて】
恋は銀色の翼にのりて
恋の妙薬
とある晴れた日に
【Home Sweet Home】
Home Sweet Home
もう一度あなたと恋を
夜に引き裂かれても
恋は銀色の翼にのりて
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【Home Sweet Home】
Home Sweet Home
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2頁目
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幼馴染
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【白銀の月よ】
白銀の月よ
愛しい緑の木陰よ
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幼馴染
戦場に舞う花
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白銀の月よ
愛しい緑の木陰よ
それゆけ!湯けむり木の葉会
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3頁目
【その他】
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ひとりにしないで(オメガバース)
緋色の守護者(ファンタジー)
闇を駆け抜ける力(人外)
特別な愛の歌(ヤマイル風カカイル)
拍手文
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