7

 「……戦闘不能?」
 そんな話をイワシが言い出したのは、前のヒートから数ヶ月経った頃だった。
 「あぁ」
 「笑えない冗談だ」
 「こんなこと俺が冗談で言うと思うのかよ」
 言わないな。即答仕掛けてそこで初めて書類を捲る手が止まった。
 「いつだ?」
 「さっき火影様のところに書類を持っていったんだけど、暗部がたくさん集まっててよぉ」
 普段人前に姿を表すことをしない暗部が集結となれば、物々しい限りだっただろう。そんなところによく入っていけたなと言いかけて、そういえばこいつは諜報部隊所属だったかと思い出す。それからもう一度「戦闘不能」と口にした。
 「おい……、誰が戦闘不能だって?」
 「だからはたけ上忍だって」
 「ははっ、……笑えねぇ」
 笑ってんじゃねぇか。そう言われて、自分が知らず口元をヒクつかせているのに気がついた。
 アカデミーと受付の兼任をしているイルカは、全ての任務を把握しているわけじゃない。依頼書に手を伸ばしたイルカを、イワシが小さく首を振って制した。
 「こっちじゃ上がってねぇ任務にあたってたみたいだ」
 「ってことは暗部の?」
 あの人、あっちの任務まで請け負っていたのか。感心するより先に呆れてしまって、イルカはがくりと頭を落とした。
 どれだけ受付で調整したって意味ねぇじゃねぇか。そんな愚痴まで零れ落ちそうになって、漸く事態の深刻さに気がついた。
 暗部が請け負う任務となると、常に危険が伴う言っても過言じゃない。嫌な予感に眉をしかめながら、冷静さを装ってとりあえず手元のコップを持ち上げた。
 「……んなこといって、確かな情報じゃないんだろ……あつッ!!」
 「動揺するのはわかるけど、とりあえず危ねぇからソレを机に置け」
 促されて、コップを置く。そこで初めて自分の手が震えていることに気がついた。
 いつだ。
 カカシが任務に出たのはいつだった?
 長期任務で里外に出ると言っていた。その間、ナルトたちのことは同僚に任せているから心配するなという言葉に、それなら安心ですねと答えると、意外と子供っぽいあの男は少しだけ機嫌が悪くなって、その後宥めるのに一刻ほどかかったのを覚えている。
 いってきますと、いつものようにそう言って出ていった。
 変わったところもなかったし、俺もいつものように行ってらっしゃいと……──ちがう、その日はイルカも早番で、カカシと一緒に家を出たのだ。
 別段変わったことはなかったように思える。当然だ。上忍たるもの中忍に気配を悟らせることなんて万が一にもない。まさか暗部の任務に就くなんて、イルカが気づけるはずがない。
 「手紙っ」
 「え?」
 「式が来ていたんだ。任務が終わった報告……」
 いつもと変わりがない手紙だった。次のヒートまでに戻るという言葉と、一人だからと言ってラーメンばかり食べないようにという忠告。あとはそう、……寂しくないか。長期任務でもないのに、そんなことを聞くためにわざわざ式を飛ばすバカがどこにいると、帰ってきたら一言いってやろうと思っていた。
 紙面の右下には、カカシが好んで使うへのへのもへじの下手くそな絵が描かれた手紙。あれが届いたのが数日前だったから、それまではカカシは無事だったと言える。いや、調子の悪さを人に悟らせる男じゃない。きっとどれだけ血を流していようが、イルカの前では平気だとヘラヘラと笑っているような、そんな男だ。
 ガタン。椅子を蹴り上げるように立ち上がり、再び座り直す。
 番の喪失という言葉がまっさきに頭に浮かんだ。本当の番でもないのに、考えただけでも全身の血が凍りつくような恐怖と寂しさを感じる。
 もし、本当にカカシを失ったら──?
 考えただけでも不安に押しつぶされそうだ。
 きっと、身を振り絞って泣くだろう。紙面上だけとはいえ何度も身体を重ねて、互いの腕の中で眠った。匂いだってもう身体中に染み付いている。失ったからといって忘れられるわけもない。
 だけど。
 「…………」
 押し寄せてきた不安を振り切るようにペンを取ると、イルカは努めて冷静さを保ちながら書類に向き直った。
 「おい、……大丈夫か?」
 カツカツと忙しない音をさせて書類をペンで打つイルカに、イワシが遠慮がちに声をかける。
 「あぁ」
 しっかりしろと、必死に自分に言い聞かせた。
 「……無事に決まってんだろ。あの人がそう簡単にくたばるもんかよ」
 「そうだよな。番のお前が言うんだから無事なんだろうよ。悪かったな、変なこと言っちまって」
 イワシの声に、顔を強張らせたまま頷いだ。
 イルカがカカシと本当の番だったなら、カカシの危機を真っ先に感じ取ることができただろう。それだけ番との絆は強固な糸で結ばれているからだ。
 だけど、番でないイルカにはわからない。
 わからないから怖くてたまらない。
 だけど。
 無事に決まっている。
 そう言い聞かせていなければ、今にも泣き出してしまいそうな自分を支えていけそうもなかった。


*****


 いつの間にかあたりはすでに暗く、街頭の灯りがぽつり、ぽつりと静まり返った道を照らしている。
 仕事中は忙しさを理由にどうにか気を紛らわすことができたけれど、報告所をでた後、いったいどこをどうやって歩いてきたのか思い出せない。
 イルカは明かりの消えた窓を見上げると、そのままぴたりと立ち止まった。
 どうしよう。
 誰もいないあの家に帰りたくない。
 塀に背中を押し付けそのままズルズルと座り込むと、イルカは立てた膝の上に額を押し付けた。
 「どうしよう……」
 忍になったときから、こんなことは予想できていたはずだ。いつだって任務には危険が伴うもので、命の保証なんてされない家業。覚悟はできていたはずだった。
 なのに、怖い。
 もし、三代目から招集がかかったら。
 カカシの訃報を告げる式が飛んできたら。
 あの部屋で、カカシの匂いが詰まった部屋で、一人で。
 たった一人で。
 「具合が悪いのか?」
 不意にかけられた声にうっそりと顔をあげると、見覚えのある顔が覗き込んでいた。
 誰だろうとぼんやりとそんなことを考えて、潤んだ瞳を何度か瞬かせる。
 「うみの? 大丈夫か?」
 「……タバタ、上忍…?」
 「こんなところに座って、酔っ払ってるってわけじゃねぇよな?」
 顔を近づけられて、なんでもないと首を振る。ついでに今にも零れ落ちそうな涙をぐいっと手の甲で拭った。
 「カカシか?」
 もう上忍たちにも知れ渡っているのだろうか。ひゅっと息を詰めたイルカの頭を、タバタが大きな手で包み込んだ。そのままぐしゃぐしゃと撫でられて、危うくこみ上げてくるものが再び溢れ出しそうになる。
 「あ~、泣くな」
 「すみませ……」
 「いや、別に泣いてくれてもかまわねぇんだけど」
 きょろきょろと周りを見渡して、タバタが座り込んだままのイルカを抱えあげる。
 「とにかく、こんなところに座っててもしかたねぇだろ。……家まで送ってやるから」
 帰るぞ。
 そう促されて、言われるままイルカはずるずると鉛を巻いたような重い足を動かして歩いた。



 ただいまと、口にしても迎えてくれる人はいない。
 これからイルカがおかえりと口にすることももうないかも知れないのだと思ったら、玄関先だというのに鼻の奥がまたツンと痛くなった。
 「しかし、なんもない家だな」
 玄関から見渡せるだだっ広い部屋を見やって、背後からタバタがそういった。
 まるでいつでも消えられるように、身辺整理を済ませているみたいだ。ボソリと口にされて、本当にそうなのかも知れないと思う。無駄なものを徹底的に削ぎ落とした人の気配のない部屋。結局棚を買うこともなく、置きっぱなしになったイルカのダンボールだけがぽつんと隅に置いてあるのが悲しい。
 「あの、ありがとうございました」
 礼を言うべく振り返ったイルカは、そこでふとタバタが真後ろにいることに気がついた。
 「タバタ上忍?」
 「……聞いてもいいか?」
 ただならぬ雰囲気に、身構えたイルカの両肩をタバタの大きな手が掴む。そのまま引き寄せられそうになって、思わず両手を突っ張って逃れようとした。
 「な、んですか?」
 「お前、もしかしてあいつと番になっていないのか?」
 どくんっと、嫌な音がした。背中を冷たい汗が流れ、手足が一気に冷たくなるのを感じる。
 迂闊だった。いくら気が動転していたとはいえ、アルファと二人きりになるなんて。
 「なんのことでしょう……」
 タバタは口元をヒクつかせたイルカをじっと見つめた後、おもむろに首まである襟元を引っ張った。
 傷痕一つない項を覗き込んで確認すると、やっぱりなと小さく口にする。
「おかしいと思ってたんだ。いつもはカカシの匂いがするのに、お前の、──…オメガの匂いがする」
 逃げようと突っ張る腕を掴まれた。暴れる身体を制するべくギリギリと物凄い力でと力を込められ、痛みに顔が歪む。
 「イ──…ッ!! タバ、タ…上忍っ!!」
 「ったく、番でもないのにマーキングするなんてとんでもねぇ独占欲だよなぁ。それが番にもしてねぇって、どうなってんだ、お前ら」
 理解に苦しむ。と言わんばかりの口調でそう言って、タバタの大きな手がイルカの顎を掴んだ。無理やり顔を持ち上げられて、視界の先に獰猛な男の顔が映る。
 「………ッ!」
 圧倒的な力の差。アルファの放つフェロモンに、身体が本能的に萎縮してしまう。
 屈したくはないと思うのに震える膝が折れ、床にへたり込んだ身体を壁際へ押し付けられた。タバタが放つアルファの匂いに引きずられる。このままじゃ無理やり発情を促されて、そうしたら、もう二度と、カカシとは───。
 「まさか大事にしすぎて手が出せないってか。ここでお前を横から掻っ攫ったら、あいつがどういう顔すんのか見ものじゃねぇか?」
 顔を寄せられて、匂いを嗅がれる。それだけで、背骨から痺れるような震えが駆け上がる。まるで大型の肉食獣に牙をむかれたウサギのように、射すくめられて身動きできない。
 「やめ……、ろ……。そんなことしても、カカシさんはなんとも思わねぇ…っ!」
 いくら肌を重ねていても、番にはならない。いつまで経っても二人は紙面上の番でしかないのだから。
 「試してみるか?」
 そんな言葉とともに、オメガに発情を促すアルファの匂いが濃くなった。
 壁に押し付けられた身体から、力が抜けていく。瞳が潤み、目尻に涙がたまる。後ろが濡れる感触がした。
 「ふざ、けんな…っ!」
 アルファの匂いなのに吐き気がする。鼻先を近づけられて、快感とともにこみ上げた嫌悪感に身震いした。
 嫌だ、いや……、いや───ッ!
 ぶるりと震えた身体が白旗を上げる。と、唐突にタバタが掴んでいた腕を解いた。ニヤリと口の端を吊り上げ、蹲るイルカを宥めるように大きな手が頭を撫ぜた。
 「なんてな。これ以上オメガのフェロモンを嗅がされたらこっちが危ねぇ」
 荒い息を吐きだして、自身を落ち着けるべく深く呼吸する。タバタがゆっくりとホールドアップの姿勢で後ろを振り返った。
 「おっかねぇ殺気垂れ流しやがって。そんなに大事なら、さっさと止めに入ったらどうだよ」
 「……里での同士討ちはご法度でしょ」
 「そんなセリフは背中にあたってる物騒なモンをしまってから言ってくんねぇかな?」
 「………?」
 いつの間にか開いていた扉の向こうに気配を感じる。懐かしくて、愛しい匂いに、潤んで見えない目を手の甲で擦る。タバタの背後からわずかに見えた銀色に、イルカはごくりと喉を上下させた。
 「………カ、シさん……?」
 まさかという思いで口にしたイルカに、泥だらけになった忍犬達が飛び込んできた。
 我も我もと集まってきた忍犬達に床へと押し倒され、涙に濡れた頬や目、顔中をペロペロと舐められる。
 「わ…ぁ…ッ!」
 「あ~、お前ら、そんなに群がったらイルカさんが窒息死しちゃうじゃない」
 いつの間にか傍にしゃがみこんでいたカカシが、ひょいっと忍犬たちを持ち上げて、ぐしゃぐしゃの顔のイルカに笑いかける。
 「………カカシさん……?」
 「ん」
 「……おかえり、なさい」
 汚れた髪に、くたびれた姿。微かに感じる血の匂いに、カカシが無傷ではないことぐらいわかる。
 だけど帰ってきた。無事に、戻ってきた。
 「カカシさんッ!」
 力の抜けた身体を必死に起こして手を伸ばした。
 ただいまと、応えてくれる人を抱きしめるために。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。

1頁目

【恋は銀色の翼にのりて】
恋は銀色の翼にのりて
恋の妙薬
とある晴れた日に

【Home Sweet Home】
Home Sweet Home
もう一度あなたと恋を
夜に引き裂かれても

2頁目

【幼馴染】
幼馴染
戦場に舞う花

【白銀の月よ】
白銀の月よ
愛しい緑の木陰よ
それゆけ!湯けむり木の葉会

あなたの愛になりたい

3頁目

【その他】
Beloved One(オメガバース)
ひとりにしないで(オメガバース)
緋色の守護者(ファンタジー)
闇を駆け抜ける力(人外)
特別な愛の歌(ヤマイル風カカイル)
拍手文