帰宅した時間を見計らうようにして部屋を訪れたカカシを、イルカは何も言わずに中へと迎え入れた。
あんなことがあった後なんだから、少しは警戒ぐらいしたらどうなの?
なんておかしな小言をいいそうになったものの、神妙な顔をしたイルカに勧められるままカカシは固い座布団の上に腰をおろす。
さて、話をすると言っても何を話せばいいものやら。
机を挟んで対面したイルカは、受付であった時のように視線を伏せ、一点を見つめたままだ。
この間は襲ってゴメンーね。
そんな軽々しい謝罪で済まされるものじゃないことは自覚してる。今はただ、ひたすらに真摯な態度で許しを請うしかないのだ。
そう腹をくくり、口を開いた瞬間。

「あの…」
「先日は、申し訳ありませんでしたっ!!!」
「わっ…!」

教師として鍛え上げられた喉だ。その音量にカカシが固い座布団から飛び上がる。ついでに猫背気味の背中までピンと伸びた。

「な、なに」

狼狽したのは仕方ない。
なんせ目の前のイルカと言えば、机に額を打ち付けんばかりに顔を伏せ、微動だにしないままである。
こんな時、顔を上げて下さいなんて言えばいいのかもしれないが、内心カカシの心臓は驚きのあまりバクバクと早鐘を打っていたのである。

「みっともないところを見せちまって、カカシさんにはご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんて」

そんなこと思ってはいない。
むしろ一線を越えてしまいたかったなんて、契約済みのオメガの息の根を止めるようなことを口に出来るわけがないけれど。

「オレの方こそ…」

漸く絞り出した言葉に、イルカがゆっくりと頭をあげる。はにかむように笑われて、余計に胸が苦しくなった。
ボソボソと叱られた子供のような声しか出せない自分が恥ずかしい。
ヒートに誘発されたとはいえ襲いかかったのはカカシの方だ。あの時のイルカの怯えた顔を思い出すと、申し訳なさにいたたまれなくなる。

「ごめん」

頭を下げたカカシに、イルカが驚いたような顔をする。
上忍は謝罪しないとでも思っていたのだろうか。いや、「アルファ」はだろうか。
イルカを苦しめているカテゴリーに自分も含まれているのだと思ったら、口の中に苦いものが広がっていくような気がした。

「気にしないでください」

ポツリ。正座して畏まったままイルカがそう呟く。

「カカシさんのせいじゃありませんから」
「それって、オレを誘惑したこと?」

カカシの言葉に、僅かに微笑んでいた顔が強張った。爪が食い込むほどきつく握られた拳が、膝の上で固くなる。
命を蝕むほどのフェロモン。
薬が発達した今でもその激しい発情を完全に抑えることは難しいと言われている。
二度と番うことの出来ないオメガは、命尽きるその瞬間までその苦しみに苛まれるしかない運命なのだ。

「ハハッ…、口に出して言われるとさすがにキツイな」

振り絞るような声。今にも泣き出しそうに見えるのは、きっと気のせいなんかじゃない。

「話って?」
「え?」
「…受付で。まさか謝罪するためだけにここに呼び出したわけではないでしょう?」

カカシの言葉に、イルカが狼狽えて視線を彷徨わせるのを見る。
話すべきか、否か。
迷っているはその態度からも明白だ。
わざわざ呼び出しておいて迷うなんて、覚悟が足りないんじゃない? 責めるのは簡単だけれど、あの時イルカが誘わなければきっと口にしたのはカカシの方だ。
ならばと、温くなった茶を口に含んだ。

「一つ確認したいことが」
「なんでしょう」
「アルファとの接触の後、発情したことはありますか?」
「は…?」

報告所には、里中の忍びが集まってくる。
そこには任務帰りの殺気立ったアルファもやってくるだろう。年に数件、火影宛にそういった被害報告が挙がってきているとも耳にしていた。

「アルファに襲われてヒートに陥ったことは?」

直接的だな。こんな言い方しかできない自分に呆れてしまう。
案の定、質問の意図を察したイルカがムッとしたように唇を引き結んだ。
当たり前だ。襲われて痴態を晒したかなんて誰が告白したいものか。

「答えて、先生」
「なにをおっしゃっているのか…」
「わからないわけ無いはずだ。答えは否、そうでしょう」
「――答えたくありません」

その言葉に、イルカが「話さないこと」を選択したのだと知った。
同時に襲ってくる例えようもない怒りと喪失感に、目の前が真っ暗になる。
番に捨てられる。結ばれていた番の契約を一方的に解かれたオメガはこんな気持ちになるのだろうか。

「どうして…?」
「カカシさんには関係のない話です」
「関係ない? オレを誘惑しておいて関係ないって」
「それについては謝罪しました。この話はもうこれで終わりにしましょう」

イルカの態度に、初めて自分がやけに焦っていることに気づいた。
目の前のオメガを他の誰にも奪われたくない。そんな独占欲が自分にあるなんて思わなかった。

「では質問を変えます。あの日どうして発情したのか考えませんでしたか?」
「それは――」

イルカだって感じたはずだ。
項に触れた時、身体中に走った痺れ。ヒートでわけがわからなくなっていたなんて言い訳は許さない。

「…お茶が冷めちまった。淹れなおしてきます」
「待ってよ。先生だって分かっているはずです。だからオレをここに呼んだんでしょうっ!?」

動いた瞬間、机の上に置かれた湯呑みが倒れて飲みかけの茶が零れる。そんなことも構わずに、立ち上がろうとうするイルカの腕を掴んだ。

「答えて」
「―――はな、せ……ッ!」

振り払おうとするイルカの身体を制し、畳の上に押さえつける。脳裏に浮かぶ既視感。あの時、彼の身体から立ち上る甘い芳香に前後不覚になっていたのはカカシのほうだ。
無意識に口布で覆われた鼻をすんと鳴らしてみる。あの日の匂いを確認するように。
カカシの仕草に気づいたイルカの顔が一瞬にして真っ赤に染まり、抵抗できないと知ると悔しそうにフイと顔をそらした。
あぁ、もうどうしてそんな顔を。
必死で押さえつけていたアルファの本能がむくりと鎌首をもたげるのを感じる。
無自覚に刺激され、胸のうちからあふれる劣情を押し殺しながらそっと耳元に囁いた。

「番を持つオメガのフェロモンは番にしか作用しない。解消されたとはいえ、契約に縛られている先生のフェロモンにオレが惑わされるはずがないんです」
「……何がいいたいんです」
「つまり、オレと先生は魂の――」
「違うっ…!」

間髪いれず否定したイルカに苛立ちすら感じる。それこそが答えだと口にしたも同然なのに。
ならばと両手を頭上で縫い止め、実力行使とばかりに指先を項へと伸ばした。

「強情だな。なら、もう一度ココに触れればアンタは認めてくれるの?」
「ヒ――…ッ!」

首筋に這わせた指先で咬創の残る項に触れる。
ガタガタと震え出すイルカが精一杯逃れようとするのを、嘲笑うように唇を寄せて舌を伸ばした。
じわりと吹き出す汗の匂い。その中にあの日の甘い芳香を思い出し、自分がやけに興奮しているのを感じた。
舌先が触れるまであと少し。

「…た、魂の番なのかもって認めたら、この状況が変わるとでも言うのかよ…ッ!」

覚悟を決めたように見据えられた視線。
吐き捨てるような言葉に、戻らない時間の残酷さを痛感する。

「変わらないだろっ!」
「イルカ先生…」
「…変わらないんだ。俺は捨てられたオメガで、二度と…もう二度と誰かと番うことなんて出来ない」

それは、たとえ魂の番であっても同じことだ。
だから放っておいてくれと。
小さく呟かれた言葉に長い溜息が漏れた。
腕の拘束を解き、抱えるようにしてイルカを起こすと、涙でくしゃくしゃになった顔を自らの肩に伏せさせた。

「…それでもオレはあなたの傍にいたいよ」

傍にいたい。
たとえ身体を繋げることが出来なくても。


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もう一度あなたと恋を
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