好きにならずにいられない

 清しく響く鹿威しの音色。
 開け放たれた障子の向こうには、手入れされた見事な庭園が見える。
 普段なら足を踏み入れることさえかなわない高級料亭にて、ふかふかの座布団に正座したままイルカはこの場にふさわしくない重苦しいため息を付いた。

「まぁまぁ。そう緊張なさらずとも、うみの中忍」
「…はぁ…」

 ホホホと笑う老女の声にも、上の空で応えることしか出来ない。
「任務で少し遅れると連絡がありましたから、そろそろこちらにいらっしゃるでしょう」

「・・そうですか」

 どうかこのまま現れないで欲しい。
 チラリと脳裏をかすめた願いは、かなわないことと知っている。
 度重なる延期の末に、漸く決定した見合いの席だ。
 相手方の任務調整には火影様が介入したと、先ほど仲人である老女から聞かされたばかりである。

「あちら様は里の中でも高名な忍でいらっしゃいますので、なかなか日取りがあわなくて。こちらもセッティングに苦労いたしました」
「アルファはランクの高い任務に就くことが多いですからね」
「そうなんですよ。うみの中忍は受付のお仕事も兼務されていらっしゃるから私より良くご存知でしたわね。理解ある伴侶を得られると、あちら様もさぞお喜びでしょう」
「……そうでしょうか?」
「当然でしょう。これは里の意思ですから」
「里の意思、ですか…」
「えぇ。優秀なアルファを増やす事、それが里の総意です。マッチングシステムはそのためにつくられたと言っても過言ではありません。…うみの中忍は本当に良い方とご縁がありましたね」

 ほんとうにそう思っているのだろうか。
 それとも、木の葉に籍をおく忍には拒絶する事ができないとわかっていて口にしているのか。
 引く手あまたのアルファが押し付けとも取れるオメガとの見合いを望むわけがない。
 数度に亘る見合いの延期も、相手方の抵抗の意思が如実に現れているように思えた。
 しかしそれは、望まぬ見合いに駆り出されることに辟易していたイルカにとっても好都合。互いに望まぬ見合いなら、破断にするのは容易いだろう。

「………」

 ニコニコと微笑みを浮かべる老女に愛想笑いをし、決意を込めて膝の上で硬く拳を握りしめた。
 今から遡ること十数年前。
 度重なる大戦で激減したアルファを増やすべく、里の上層部はある政策をうちたてた。
 六つの性を判別するべく木の葉の里人全ての細胞を採取し、相性によるマッチングシステムを確立したのだ。
 それによって引き合わされたアルファとオメガは娶せられ、オメガはアルファとなる子を輩出する道具になる。
 陳腐な話だ。
 里に富をもたらすアルファのためだけの政策。そこにはオメガの人権なんてものは存在しない。
 イルカはその道具であるオメガだった。
 幼いころにオメガ判定を受けたイルカが覚えていることは、頭を撫ぜてくれた父の大きな手と、苦しいほど抱きしめた母の温かい身体。まだ何も知らない子供だったから、我が子がオメガだと判定された両親の心の機微にも気づくことなどなく、イルカは無邪気に笑っていられたのだ。
 とはいえ大戦後に生き残ったアルファはただでさえ数も少なく、希少な存在である。
 オメガ判定を受けてはいても、数の少ないアルファと番うどころか死ぬまで誰とも添うことなく、生涯独身で生涯を終える。そう覚悟して今まで生きてきた。
 そんな自分にまさか見合い話が持ち上がるなんて。
 はぁ…、と。また重苦しため息が漏れる。
 普段なら見ることすらかなわない立派な庭園を楽しむ余裕もないまま、白くなった拳をひたすら見続けてどれぐらい経っただろう。

「いらっしゃいましたよ」

 老女の声とともに現れた気配に顔をあげて、仰天した。

「―――カ、カカシさんっ!?」

 木の葉の里には珍しい銀髪と顔の半分を覆う口布。見てくれだけでも目を引くその人は、他里のビンゴブックにも名を連ねる里の上忍だった。

「…どーも…おや、イルカ先生」
「え? え…どどど、どうしてここにっ?」
「あらあら嫌ですわ、うみの中忍ったら。お相手の方になんてことおっしゃるのかしら」
「……おあいて…?」

 一瞬言われた意味が解らなくて、あんぐりと口を開けたままカカシと老女を交互に見比べた。
 苦笑する老女とは対照的に、カカシと言えば相変わらず無表情のまま(顔のほぼ全てが隠れているのだから当たり前なのだが)、のそりと座敷に入ってくると机をはさんだ向かい側に腰を下ろす。

「あ―…スミマセン。こんな格好で」
「えっ! あ、いえ、そんなことは…」

 遅刻の理由であった任務帰りというのは本当だったのだろう。高級料亭には似つかわしくないくたびれた忍服には、血がついていないだけマシだと言うぐらいな有様で、所々に泥や煤がこびりついている。
 服を着替える時間も惜しんで来たと言われれば聞こえが良いが、望まぬ見合いに身を取り繕うことも面倒だったと言われているようで、なんだか少しだけ悲しくなった。

「お二人ともお顔見知りのようなので、紹介は不要のようですね」
「えぇ、まぁ」

 狭い忍の世界だ。特にカカシのことは、木の葉に在籍する忍なら知らぬものなどいないだろう。

「……あの…」
「はい」
「ほ、本当に…カ、カカシさんが…その……」

 番候補なのかと訪ねようとして、何を馬鹿な質問をする気だと口を噤んだ。
 見合いの席までやってきて、人違いだなんてあるわけないじゃないか。
 動揺するにも程があると内心で自らを罵倒する。
 だけどどうにも信じがたくて目を白黒させるイルカの目の前で、カカシが盛大に吹き出した。

「ふふっ、…面白い顔」
「はっ? えぇっ!?」
「あ―、スミマセン。でも…ククッ…」

 いつも冷えた月のようだと感じていた瞳が糸のように弧を描く。笑えば随分と雰囲気が変わるのだと今更ながらに気がついた。

「まぁ、人の顔を面白いだなんて。失礼ですよ、はたけ上忍」
「いや、失礼…っ。ごめんね、イルカ先生」
「…いえ…気にしてません」

 男なのだから顔にはそれほど頓着してはいない。面白いと笑われたのは初めてだが。
 唖然としたままのイルカの前で、カカシが運ばれてきた湯呑みに手を伸ばす。静かに茶をすすると、さり気なく老女に目配せするのが見えた。

「お二人ともいい具合に打ち解けられたようですので、後はお任せしてもよろしいですわね」

 それが合図のように、お決まりのセリフを口にする。小さく頷いたカカシに、老女が微笑みながら腰を浮かせる。

「では、私はこれで失礼致します…」
「――ま、待ってくださいっ!」

 いきなり二人きりにされることに驚いて、思わず大きな声を出した。
 里の忍として顔見知りだとは言え、カカシとはそれほど親しくもない間柄だ。
 大体何を話していいやらわからないし、気まずい空気が流れるに決まっている。
 役目を終えたとばかりにそそくさと座敷をあとにする老女の背中を、この先どうすれば良いのかと途方に暮れながら見送るしかなかった。

「…………」

 どうしよう。
 どうしたら良いのか。
 想像通り気まずい空気が流れる中、いたたまれなくて俯きながら考える。
 なにか話さなければと気ばかりが焦るのに、会話の糸口さえつかむことが出来ない。
 同じ木の葉の忍びとはいえ、上忍であるカカシとは階級も身を置く環境もすべて違う。共通の話題といえば唯一教え子達だけで、それも中忍試験の件で言い争いをしてからは、口にだすのも憚られるものになった。
 里の上層部が推進するマッチングシステムといえど、この見合いは互いにとってあまりにも好ましいものではない。
 カカシだとて初顔合わせでこんな同性の中忍が番候補などと言われて、困惑しているに違いないのだ。
 退屈そうに庭園を見やるカカシの瞳が、それを物語っているように思えた。
 
「………」

 背中に冷たい汗が流れていくのを感じながら、目の前の湯のみ茶碗に手を伸ばす。カラカラの喉を潤すべく、冷めきった緑茶を一気に喉の奥に流し込む。
 このまま火影室に駆け込んでこの見合いの破棄を願い出ようと、そう決意した時。

「取り敢えず、庭に出てみましょうか」
  
 庭園を見つめていたカカシの口から、なんとものんびりとした声が飛び出した。

「…は?」

 なんだその見合いの席にありがちなセリフ、と。口にしなかっただけ褒めて欲しい。
 しかし顔には出ていたのだろう、カカシがまた眼を細くする。

「あー…、なんでも岩隠の里からわざわざ庭師を呼びつけて作らせたそうですよ、ここの庭」
「はぁ…」

 実のところ、庭を愛でるような高尚な趣味なんて持っていない。
 確かに眼を奪われるほどに美しいのだけれど、完成された美っていうものはどこもかしこも計算され尽くしていて息苦しく感じるからだ。だけどそれを今ここで口にすることが出来ないのは、上忍に対する劣等感だろうか。

「興味ありませんって顔だーね」
「へっ?」

 心の中を読まれたようでぎょっとした。
 だけど見つめる瞳はけしてイルカを卑下するような色合いを帯びていない事に安堵して、素直に頷いた。

「恥ずかしながらこんな立派な料亭に足を踏み入れたことがなくて。…正直言うとさっきから居心地が悪くて仕方ありません」

 居心地が悪いのはなにも料亭のせいだけでは無いのだけれど、とりあえずそう口にした。

「実はオレも」
「え? カカシさんもですか?」
「アスマなんかは別だけど、オレはもっと大衆的な居酒屋のほうが好きかな」
「……意外です…」
「そう?」

 これがギャップというのだろうか。ニコリと微笑む姿にドキリとする。
 普段はほぼ無表情なカカシの姿に動揺して、思わずマジマジとその顔を凝視した。

「照れるからあんまり見つめないで」
「えっ! …あっ、し、失礼しましたっ!」

 ガリガリと頭を掻くカカシに咎められて、座布団の上から飛び上がった。
 慌てながらもチラリと正面を盗み見てみれば、耳まで赤くなっている白皙の面につられてイルカの顔も赤くなる。
 誰もが認めるトップクラスの上忍だから、見られることには慣れているハズなのにという思いと、恥ずかしそうに伏せた銀色の睫毛に視線がまた釘付けになる。
 照れるって。
 照れるって何だよ、もう。

「あ…、あの……不躾ですみません…」
「…いえ」

 互いに赤面している現状に、緊張して強張っていた気持ちがふっと楽になるのを感じた。
 場所を変えませんか? と口をついて出た言葉にカカシが頷く。
 二人で料亭を後にしたのは、それから直ぐのことだった。







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