「アンタなんか・・ッ!」
投げつけられた風呂敷包みは、避ける気もない男の顔に見事にクリーンヒットした。
そんな態度が気に食わないのか、手当たり次第に投げつける物を無言で受け止めていたカカシは、陶器の花瓶が飛んで来るのを見て、流石にこれはとサラリと躱す。
「避けるなッ!」
ガチャン。壁にぶち当たり、見事に粉々になった花瓶の残骸に心のなかで手を合わせて、眼の前の激昂する恋人に苦笑した。
「いや、流石に避けるでしょ」
「なんだとッ!!」
「イルカさん・・、少し落ち着いて・・」
「止めないで下さいッ! ヤマトさんッ」
「あのねぇ、イルカせんせ・・」
一応病院なんですけど、ここ。
「黙れッ! このバカ上忍ッ!!」
呆れた物言いにも、怒りは収まらないらしい。
また更に何かを投げつけようと、病室内を物色する視線に困り果てた。
事の発端は、カカシの専売特許とも言えるチャクラ切れである。
つい先日請けた任務でちょっとばかり無理をして、病院に担ぎ込まれたまでは良かったものの、駆けつけたイルカは漸く意識を取り戻した恋人を心配するどころか、憤怒の表情で怒りを顕にしている。
「言いましたよねッ!」
「うーん・・」
「あんなに無理するなって・・・っ」
「・・・」
「――・・何回もっ、何回も・・・」
眼の前でブルブルと震える拳に、眉毛をハの字に下げるカカシが困った顔で頭を掻いた。
「あー・・・、スミマセン」
「謝るくらいならっ!」
「任務ですから」
そう言われれば、相手が言い返せないことを知っていて口にするから質が悪い。
当然ぐっと言葉を飲み込んだイルカが、悔しそうに唇を噛み締めてそっぽを向いた。
「で・・、テンゾウ。オレはどれぐらい寝てた?」
「一週間程でしょうか」
「事後処理は」
「遺体の回収に暗部が数名、持ち帰った巻物の調査を諜報部が進めています」
「そ。世話かけたね」
「いえ」
話はこれで終わりだと言わんばかりに横柄に頷いて、視線が壁を向いたままの恋人に向けられる。
途端に柔らかく緩んだ隻眼を見つめながら、ヤマトは呆れたように溜息をついた。
「せーんせ」
ベッドの中から手を伸ばせば、弾丸のように腕の中に飛び込んでくる身体。
怒りの鉄拳は、心配で思いつめたが故の愛情の裏返しだって知ってる。
裂傷のある左眼に触れた指先が瞼を撫ぜるのに任せて、カカシは頭頂部で一括りにしているイルカの髪紐を解いた。
パサリと解けて落ちるだけで、見た目の印象は大分と違う。
いつもは少し吊り気味の目元も、髪を解けばこんなに優しい顔立ちなのだと、自分にしか見せない表情についヘラリと顔が緩んでしまう。
「・・なに、しまりのない顔してんですか」
「ふふっ」
「――笑い事じゃ・・」
「―――・・ッ!」
ぽたりと落ちてくる涙に驚いて両目を見開けば、堪え切れずに眼の前の顔がクシャリと歪んだ。
「あー・・」
嗚咽とともにぼとぼとと涙が流れるのは、イルカが漸く安堵した証だ。
カカシが意識を取り戻すまでの間、どれだけ最悪の事態を想像しただろうと思うと胸が痛む。
「イル・・」
「・・今度こそ・・」
「え・・?」
「・・もうダメだって・・――」
「・・・・・・」
グスンと鼻をすすり、頼りなげに漏れた声に堪らなくなって眼の前の身体を力いっぱい抱きしめた。
「大丈夫ですよ」
いつものことでしょ。耳元で囁くように伝えた言葉に、涙に濡れた黒眼が咎める様な視線を投げつけてくるのが痛い。
本当は、かなり危なかった。
ヤマトや他の暗部が駆けつけてくれなければ、ここでこんな風にヘラヘラ笑ってはいられなかっただろうと、いまだ部屋の中で佇んでいる男に向けて唇の端を持ち上げた。
「・・心配しました」
「ん」
ギュッと背中に回される指が震えているのに胸が締め付けられる。
愛しい人にこんな思いをさせている事が辛い、と。
そう言えば、何をバカなことを言ってるのだ、忍びなのだからとイルカはそう言って無理に笑顔を作るのだろう。
そんなことを思いながら、密着させた身体を弄って、アンダーの中に手を這わせた。
ピクリと反応する敏感な身体。思わず笑いが漏れるのを必死で押しとどめて、潜りこませた指先で脇腹を辿る。
「んっ」
「イルカせんせ」
黒髪をかき分け、信じられない程の甘い声が耳元で囁く。
「半月ぶりだもんねぇ」
「・・っ」
「一人寝は寂しかったでしょ」
「あっ・・、どこを触って・・」
「せんせったら感じやすいんだから」
ゴソゴソと弄る手から逃れようとするのを強引に押さえつけて愛撫すれば、飢えた身体はカカシの指先を待ち望んでくたりと柔らかくなる。
「・・・んっ、んん・・」
「ふふっ」
「ひゃあッ!」
引き上げられたアンダーの中、少し硬めの銀髪に擽られて小さな悲鳴が漏れた。
「あー・・・」
ゴホン、ゴホン。
態とらしく咳払いをすれば、真っ赤に熟れたイルカの顔が振り向いたと同時に盛大な舌打ちが聞こえた。
「―――わぁぁああ・・ッ!」
「なによ。まーだいたの、テンゾ」
無粋だねぇと続いた言葉に、猫目と言われる瞳の瞳孔が開く。
居たの知ってましたよね。さっきアイコンタクトとりましたよね、センパイ。
厭わしげな視線を向けるカカシに反論しようと口を開いた瞬間。
「あ、アンタって人は――っ!!」
「わ・・!」
ゴツンッ!! 病室に響き渡る怒鳴り声とともに、イルカの拳がカカシの頭に落とされた。
「イ―――・・ッ!!!」
「い、今の今までチャクラ切れで意識が無かったくせにっ」
「えぇっ?」
「起きたら直ぐだなんて・・この、エロ上忍ッ!」
「あああの、イルカ先生?」
詰られて狼狽える里の誉れの姿もなかなかに笑えるものである。
オロオロしながらも怒れる恋人をとりなそうと必死なカカシの手をバシリと叩き落とすと、転がるようにベッドから滑り降りる。
「まって、せんせ・・」
「―――体力全快する迄、暫くセックス禁止ですッ!!!」
「えぇ――・・っ!!!」
恥ずかしげにセックスと言った言葉は聞かなかったことにしておこう。
そんなことを同時に思った二人の上忍は、そう叫んで走り去って行くイルカの後ろ姿を呆然と見送ったのだった。
*****
結構です、と。そう口にして、佇んだまま動かない男に訝しみながら小首を傾げた。
何も言わず押し黙っていることに、猛烈な居心地の悪さを感じてしまう。
ヤマト上忍。
先輩であるカカシは、彼をまた別の名で呼ぶ。
それはすなわち、眼の前の男が木の葉の精鋭部隊である暗殺戦術特殊部隊出身であることを物語っている。
「・・・あの・・」
伺うように声を潜め、黒目がちな瞳を動かしもしない上忍に視線を合わせた。
聞けば同じ年だというが、纏う空気はイルカよりもずっと大人っぽい。
けして身体の丸みのせいじゃないぞ。と、心のなかで思いながら、カカシと同じ戦忍特有の鍛えられた身体に少しばかり嫉妬した。
「・・・どうかされましたか?」
沈黙に耐えきれず問いかけると、漸く気づいたように視線が絡まる。まるで吸い込まれそうな漆黒だと、ついその瞳の奥に魅入ってしまう。
「そんな風に見るんですね」
「は?」
「困ったな」
「はぁ」
ははっと何故か照れくさげに笑う姿に訳がわからずポカンとすれば、ゆっくりと机の上に両手が乗せられた。
「こんなところで言い難いのですが」
「・・・・・」
あ、嫌な予感がする。
言いにくいなら場所を移してくれてもいいのにな。そんなことを思うのに、ずいっと迫ってくる眼力に何も言い出せなくなってしまう。
「イルカさん」
間近に迫った唇が開くと、耳元でゾクリとするような低音を響かせひっそりと名前を呼ばれた。
「・・・は、はい?」
「その・・・カカシ先輩のことなのですが」
「・・・・うぇ・・」
予感的中。
暗部時代の後輩であるヤマトを、カカシが良いように使っているのは知っていた。
まさかこんな私用にまでこき使っているとは予想もしていなかったが。
「警護にあたっている暗部から、病室を抜けだそうとする先輩を監視するのが大変だというクレームが多数寄せられていまして」
百戦錬磨の上忍だ。今はチャクラ切れで弱っているとはいえ、本気になればそれぐらいのことはしでかすだろう。
「ただ・・・、いまだチャクラの消耗が激しく、意識は戻ったものの数日は病室にて絶対安静の状態です」
「・・知ってます」
目覚めた後、イルカの前では平気な顔をしていたが、身体を温めるチャクラさえ練れていなかった。
「それもこれもあなたが見舞いに来られないとかで」
「・・・っ・・」
「毎日式を送っても返ってこない、病室に顔も見せない」
「・・・・・・」
「あなたに何かあったんじゃないかと、大変心配されています」
「ご、ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」
お願いします。もっと声を張ってください。
耳元でボソボソと、まるで秘めた睦言でも囁かれているような気分で視線を彷徨わせれば、素知らぬふりを装いながらもチラ見する同僚たちの姿が映る。
はたからみれば、受付で上忍に迫られている中忍そのものだ。穴があったら入ってそのまま埋まってしまいたい。
「恋人の見舞いにも来られないなんて、せんせ忙しいのかな。大体あの人働きすぎなんだーよ。ちょっと綱手様に文句の一つでも言わなきゃねぇ」
「・・・――・はぁ・・ッ!?」
不意にカカシの口調で喋り出したヤマトにギョッとした。
この人、今モノマネしたのか!? なんで!?
「・・・似てませんか?」
「あ・・、ハハッ・・。お、お上手です・・」
「ありがとうございます」
ヤマトさんってこんな人だったのか。という感想は置いておいて、隣で笑いを堪えているイワシの頭を殴りたい。
「そういう訳でして、どうにか時間を作って来ていただけないかと、ここまでお迎えに上がりました」
暗部上がりの上忍迎えによこすとか、何考えてんだよカカシさん・・・!
「そ、それは・・」
「無理ですか?」
「ここはもう良いぜ、イルカ」
「でも・・」
「せっかく迎えに来てもらって、手ぶらで帰っていただくわけにゃいかねぇだろ」
「・・・・・」
こうなることがわかってて、この人を受付までよこしたんだと思ったら、流石にイラッとした。
ただでさえカカシとの妙な場面を見られた後で、顔を合わせるのも赤面モノだったっていうのに。
あの色ボケ上忍め。思い通りになんてなってやらねぇぞ。
「イルカ先生」
「・・折角ですが、まだ仕事が残っていますので」
これもまた任務だと、言い切ったイルカに眼の前の猫目が優しく緩む。
暗部出身だからか? こんなところはカカシに似ていると思った。
「分かりました。では、そう伝えておきます」
「ヤマトさんにまでご足労いただきまして、申し訳ありません」
「いえ。ついででしたから」
ニコリと品のいい微笑みを浮かべ踵を返す。
すっと背筋の通った背中を見送りながら、まだ暫くは絶対に見舞いに行くものかと心に誓うイルカだった。
******
『・・・写輪眼なんてっ・・なければ・・・っ!!』
死人のようになって病院に担ぎ込まれたカカシの姿を見て、そう叫んだイルカに怒りを覚えた。
その瞳がカカシにとってどれほど大切な物か知りもしないくせに。
大量にチャクラを消費する写輪眼は、こうして何度もカカシの命を脅かす。
しかし。その瞳術が幾度となく仲間を救い、カカシ自身をも救ってきたことは事実だ。
そして何よりも、それは彼が大事にする仲間の形見でもあった。
何も知らず、こうして里で待つだけの忍びに何がわかるものかと。
そう思った時―――。
震える指先が、左眼の上の裂傷を優しく撫ぜた。
無事で良かった。守ってくれてありがとう。
そう呟きながら。血がこびり付いた銀色の睫毛の上をなぞれば、伏せた瞳からぽとりと涙がこぼれ落ちる。
憎しみでも、怒りでも、ましてや悲しみでもない。
溢れるのはただただ暖かいチャクラで、冷たくなったカカシの身体をまるごと温めるように包み込む。
「・・カカシさん」
そう呼ぶ声に、チャクラ切れで意識もなく、指先ひとつ動かせないカカシの睫毛がピクリと瞬いた。
おかえりなさい。
声にならない言葉を唇が紡ぐ。
はたして。
薄っすらと開いた紅い瞳の中に、泣き笑いのイルカの顔は映ったのだろうか?
「イルカ先生、まだ怒ってるのかな?」
回想にふけっていたヤマトの耳に、刺々しい声が響いた。
「どうでしょう」
「お前、何も先生に言ってないだろうね?」
「勿論です」
「嘘ついたら殺すよ、テンゾ」
鋭さに少しだけギクリとする。
「あのですね、先輩・・」
流石にそんな下らない嘘なんて付きませんと口にすれば、胡乱げな視線が投げかけられた。
「今日も来ないつもりかな、イルカせんせ」
「・・・・・」
「ったく、お前があのとき直ぐに姿を消さないから」
せんせが気を悪くしたんじゃないの。と、盛大に漏らされた愚痴に思い切り眉をしかめた。
見せつけるつもりで事に及ぼうとしたくせに、その言い様は何だという言葉は思っていても口にはしない。
「ほんっと恥ずかしがりやなんだから」
戦地での姿とは程遠い、デレッと崩れた相好に言葉も出ない。
この人が、まさかこんなふうになるなんてと驚愕しながらも、カカシがここへ運ばれてきた日のことを思い出す。
「そりゃ、おとされますよね」
命のやり取りを常とし、殺伐とした日々を生きている戦忍だ。
全身全霊で包み込むような、あんな凄まじい温もりを感じてしまったら、きっともう手放せなくなる。
「・・・なに?」
「いえ」
羨ましいでしょ、という言葉は顔に書いてある。
だからほんの少しだけ、嫉妬という名のささやかな意地悪を許してもらおう。
へそを曲げたイルカは暫くここへは現れないだろうし、その間に里外の任務へ旅立つのだ。
だって。
痴話喧嘩は、猫も食わないのだから。
投げつけられた風呂敷包みは、避ける気もない男の顔に見事にクリーンヒットした。
そんな態度が気に食わないのか、手当たり次第に投げつける物を無言で受け止めていたカカシは、陶器の花瓶が飛んで来るのを見て、流石にこれはとサラリと躱す。
「避けるなッ!」
ガチャン。壁にぶち当たり、見事に粉々になった花瓶の残骸に心のなかで手を合わせて、眼の前の激昂する恋人に苦笑した。
「いや、流石に避けるでしょ」
「なんだとッ!!」
「イルカさん・・、少し落ち着いて・・」
「止めないで下さいッ! ヤマトさんッ」
「あのねぇ、イルカせんせ・・」
一応病院なんですけど、ここ。
「黙れッ! このバカ上忍ッ!!」
呆れた物言いにも、怒りは収まらないらしい。
また更に何かを投げつけようと、病室内を物色する視線に困り果てた。
事の発端は、カカシの専売特許とも言えるチャクラ切れである。
つい先日請けた任務でちょっとばかり無理をして、病院に担ぎ込まれたまでは良かったものの、駆けつけたイルカは漸く意識を取り戻した恋人を心配するどころか、憤怒の表情で怒りを顕にしている。
「言いましたよねッ!」
「うーん・・」
「あんなに無理するなって・・・っ」
「・・・」
「――・・何回もっ、何回も・・・」
眼の前でブルブルと震える拳に、眉毛をハの字に下げるカカシが困った顔で頭を掻いた。
「あー・・・、スミマセン」
「謝るくらいならっ!」
「任務ですから」
そう言われれば、相手が言い返せないことを知っていて口にするから質が悪い。
当然ぐっと言葉を飲み込んだイルカが、悔しそうに唇を噛み締めてそっぽを向いた。
「で・・、テンゾウ。オレはどれぐらい寝てた?」
「一週間程でしょうか」
「事後処理は」
「遺体の回収に暗部が数名、持ち帰った巻物の調査を諜報部が進めています」
「そ。世話かけたね」
「いえ」
話はこれで終わりだと言わんばかりに横柄に頷いて、視線が壁を向いたままの恋人に向けられる。
途端に柔らかく緩んだ隻眼を見つめながら、ヤマトは呆れたように溜息をついた。
「せーんせ」
ベッドの中から手を伸ばせば、弾丸のように腕の中に飛び込んでくる身体。
怒りの鉄拳は、心配で思いつめたが故の愛情の裏返しだって知ってる。
裂傷のある左眼に触れた指先が瞼を撫ぜるのに任せて、カカシは頭頂部で一括りにしているイルカの髪紐を解いた。
パサリと解けて落ちるだけで、見た目の印象は大分と違う。
いつもは少し吊り気味の目元も、髪を解けばこんなに優しい顔立ちなのだと、自分にしか見せない表情についヘラリと顔が緩んでしまう。
「・・なに、しまりのない顔してんですか」
「ふふっ」
「――笑い事じゃ・・」
「―――・・ッ!」
ぽたりと落ちてくる涙に驚いて両目を見開けば、堪え切れずに眼の前の顔がクシャリと歪んだ。
「あー・・」
嗚咽とともにぼとぼとと涙が流れるのは、イルカが漸く安堵した証だ。
カカシが意識を取り戻すまでの間、どれだけ最悪の事態を想像しただろうと思うと胸が痛む。
「イル・・」
「・・今度こそ・・」
「え・・?」
「・・もうダメだって・・――」
「・・・・・・」
グスンと鼻をすすり、頼りなげに漏れた声に堪らなくなって眼の前の身体を力いっぱい抱きしめた。
「大丈夫ですよ」
いつものことでしょ。耳元で囁くように伝えた言葉に、涙に濡れた黒眼が咎める様な視線を投げつけてくるのが痛い。
本当は、かなり危なかった。
ヤマトや他の暗部が駆けつけてくれなければ、ここでこんな風にヘラヘラ笑ってはいられなかっただろうと、いまだ部屋の中で佇んでいる男に向けて唇の端を持ち上げた。
「・・心配しました」
「ん」
ギュッと背中に回される指が震えているのに胸が締め付けられる。
愛しい人にこんな思いをさせている事が辛い、と。
そう言えば、何をバカなことを言ってるのだ、忍びなのだからとイルカはそう言って無理に笑顔を作るのだろう。
そんなことを思いながら、密着させた身体を弄って、アンダーの中に手を這わせた。
ピクリと反応する敏感な身体。思わず笑いが漏れるのを必死で押しとどめて、潜りこませた指先で脇腹を辿る。
「んっ」
「イルカせんせ」
黒髪をかき分け、信じられない程の甘い声が耳元で囁く。
「半月ぶりだもんねぇ」
「・・っ」
「一人寝は寂しかったでしょ」
「あっ・・、どこを触って・・」
「せんせったら感じやすいんだから」
ゴソゴソと弄る手から逃れようとするのを強引に押さえつけて愛撫すれば、飢えた身体はカカシの指先を待ち望んでくたりと柔らかくなる。
「・・・んっ、んん・・」
「ふふっ」
「ひゃあッ!」
引き上げられたアンダーの中、少し硬めの銀髪に擽られて小さな悲鳴が漏れた。
「あー・・・」
ゴホン、ゴホン。
態とらしく咳払いをすれば、真っ赤に熟れたイルカの顔が振り向いたと同時に盛大な舌打ちが聞こえた。
「―――わぁぁああ・・ッ!」
「なによ。まーだいたの、テンゾ」
無粋だねぇと続いた言葉に、猫目と言われる瞳の瞳孔が開く。
居たの知ってましたよね。さっきアイコンタクトとりましたよね、センパイ。
厭わしげな視線を向けるカカシに反論しようと口を開いた瞬間。
「あ、アンタって人は――っ!!」
「わ・・!」
ゴツンッ!! 病室に響き渡る怒鳴り声とともに、イルカの拳がカカシの頭に落とされた。
「イ―――・・ッ!!!」
「い、今の今までチャクラ切れで意識が無かったくせにっ」
「えぇっ?」
「起きたら直ぐだなんて・・この、エロ上忍ッ!」
「あああの、イルカ先生?」
詰られて狼狽える里の誉れの姿もなかなかに笑えるものである。
オロオロしながらも怒れる恋人をとりなそうと必死なカカシの手をバシリと叩き落とすと、転がるようにベッドから滑り降りる。
「まって、せんせ・・」
「―――体力全快する迄、暫くセックス禁止ですッ!!!」
「えぇ――・・っ!!!」
恥ずかしげにセックスと言った言葉は聞かなかったことにしておこう。
そんなことを同時に思った二人の上忍は、そう叫んで走り去って行くイルカの後ろ姿を呆然と見送ったのだった。
*****
結構です、と。そう口にして、佇んだまま動かない男に訝しみながら小首を傾げた。
何も言わず押し黙っていることに、猛烈な居心地の悪さを感じてしまう。
ヤマト上忍。
先輩であるカカシは、彼をまた別の名で呼ぶ。
それはすなわち、眼の前の男が木の葉の精鋭部隊である暗殺戦術特殊部隊出身であることを物語っている。
「・・・あの・・」
伺うように声を潜め、黒目がちな瞳を動かしもしない上忍に視線を合わせた。
聞けば同じ年だというが、纏う空気はイルカよりもずっと大人っぽい。
けして身体の丸みのせいじゃないぞ。と、心のなかで思いながら、カカシと同じ戦忍特有の鍛えられた身体に少しばかり嫉妬した。
「・・・どうかされましたか?」
沈黙に耐えきれず問いかけると、漸く気づいたように視線が絡まる。まるで吸い込まれそうな漆黒だと、ついその瞳の奥に魅入ってしまう。
「そんな風に見るんですね」
「は?」
「困ったな」
「はぁ」
ははっと何故か照れくさげに笑う姿に訳がわからずポカンとすれば、ゆっくりと机の上に両手が乗せられた。
「こんなところで言い難いのですが」
「・・・・・」
あ、嫌な予感がする。
言いにくいなら場所を移してくれてもいいのにな。そんなことを思うのに、ずいっと迫ってくる眼力に何も言い出せなくなってしまう。
「イルカさん」
間近に迫った唇が開くと、耳元でゾクリとするような低音を響かせひっそりと名前を呼ばれた。
「・・・は、はい?」
「その・・・カカシ先輩のことなのですが」
「・・・・うぇ・・」
予感的中。
暗部時代の後輩であるヤマトを、カカシが良いように使っているのは知っていた。
まさかこんな私用にまでこき使っているとは予想もしていなかったが。
「警護にあたっている暗部から、病室を抜けだそうとする先輩を監視するのが大変だというクレームが多数寄せられていまして」
百戦錬磨の上忍だ。今はチャクラ切れで弱っているとはいえ、本気になればそれぐらいのことはしでかすだろう。
「ただ・・・、いまだチャクラの消耗が激しく、意識は戻ったものの数日は病室にて絶対安静の状態です」
「・・知ってます」
目覚めた後、イルカの前では平気な顔をしていたが、身体を温めるチャクラさえ練れていなかった。
「それもこれもあなたが見舞いに来られないとかで」
「・・・っ・・」
「毎日式を送っても返ってこない、病室に顔も見せない」
「・・・・・・」
「あなたに何かあったんじゃないかと、大変心配されています」
「ご、ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」
お願いします。もっと声を張ってください。
耳元でボソボソと、まるで秘めた睦言でも囁かれているような気分で視線を彷徨わせれば、素知らぬふりを装いながらもチラ見する同僚たちの姿が映る。
はたからみれば、受付で上忍に迫られている中忍そのものだ。穴があったら入ってそのまま埋まってしまいたい。
「恋人の見舞いにも来られないなんて、せんせ忙しいのかな。大体あの人働きすぎなんだーよ。ちょっと綱手様に文句の一つでも言わなきゃねぇ」
「・・・――・はぁ・・ッ!?」
不意にカカシの口調で喋り出したヤマトにギョッとした。
この人、今モノマネしたのか!? なんで!?
「・・・似てませんか?」
「あ・・、ハハッ・・。お、お上手です・・」
「ありがとうございます」
ヤマトさんってこんな人だったのか。という感想は置いておいて、隣で笑いを堪えているイワシの頭を殴りたい。
「そういう訳でして、どうにか時間を作って来ていただけないかと、ここまでお迎えに上がりました」
暗部上がりの上忍迎えによこすとか、何考えてんだよカカシさん・・・!
「そ、それは・・」
「無理ですか?」
「ここはもう良いぜ、イルカ」
「でも・・」
「せっかく迎えに来てもらって、手ぶらで帰っていただくわけにゃいかねぇだろ」
「・・・・・」
こうなることがわかってて、この人を受付までよこしたんだと思ったら、流石にイラッとした。
ただでさえカカシとの妙な場面を見られた後で、顔を合わせるのも赤面モノだったっていうのに。
あの色ボケ上忍め。思い通りになんてなってやらねぇぞ。
「イルカ先生」
「・・折角ですが、まだ仕事が残っていますので」
これもまた任務だと、言い切ったイルカに眼の前の猫目が優しく緩む。
暗部出身だからか? こんなところはカカシに似ていると思った。
「分かりました。では、そう伝えておきます」
「ヤマトさんにまでご足労いただきまして、申し訳ありません」
「いえ。ついででしたから」
ニコリと品のいい微笑みを浮かべ踵を返す。
すっと背筋の通った背中を見送りながら、まだ暫くは絶対に見舞いに行くものかと心に誓うイルカだった。
******
『・・・写輪眼なんてっ・・なければ・・・っ!!』
死人のようになって病院に担ぎ込まれたカカシの姿を見て、そう叫んだイルカに怒りを覚えた。
その瞳がカカシにとってどれほど大切な物か知りもしないくせに。
大量にチャクラを消費する写輪眼は、こうして何度もカカシの命を脅かす。
しかし。その瞳術が幾度となく仲間を救い、カカシ自身をも救ってきたことは事実だ。
そして何よりも、それは彼が大事にする仲間の形見でもあった。
何も知らず、こうして里で待つだけの忍びに何がわかるものかと。
そう思った時―――。
震える指先が、左眼の上の裂傷を優しく撫ぜた。
無事で良かった。守ってくれてありがとう。
そう呟きながら。血がこびり付いた銀色の睫毛の上をなぞれば、伏せた瞳からぽとりと涙がこぼれ落ちる。
憎しみでも、怒りでも、ましてや悲しみでもない。
溢れるのはただただ暖かいチャクラで、冷たくなったカカシの身体をまるごと温めるように包み込む。
「・・カカシさん」
そう呼ぶ声に、チャクラ切れで意識もなく、指先ひとつ動かせないカカシの睫毛がピクリと瞬いた。
おかえりなさい。
声にならない言葉を唇が紡ぐ。
はたして。
薄っすらと開いた紅い瞳の中に、泣き笑いのイルカの顔は映ったのだろうか?
「イルカ先生、まだ怒ってるのかな?」
回想にふけっていたヤマトの耳に、刺々しい声が響いた。
「どうでしょう」
「お前、何も先生に言ってないだろうね?」
「勿論です」
「嘘ついたら殺すよ、テンゾ」
鋭さに少しだけギクリとする。
「あのですね、先輩・・」
流石にそんな下らない嘘なんて付きませんと口にすれば、胡乱げな視線が投げかけられた。
「今日も来ないつもりかな、イルカせんせ」
「・・・・・」
「ったく、お前があのとき直ぐに姿を消さないから」
せんせが気を悪くしたんじゃないの。と、盛大に漏らされた愚痴に思い切り眉をしかめた。
見せつけるつもりで事に及ぼうとしたくせに、その言い様は何だという言葉は思っていても口にはしない。
「ほんっと恥ずかしがりやなんだから」
戦地での姿とは程遠い、デレッと崩れた相好に言葉も出ない。
この人が、まさかこんなふうになるなんてと驚愕しながらも、カカシがここへ運ばれてきた日のことを思い出す。
「そりゃ、おとされますよね」
命のやり取りを常とし、殺伐とした日々を生きている戦忍だ。
全身全霊で包み込むような、あんな凄まじい温もりを感じてしまったら、きっともう手放せなくなる。
「・・・なに?」
「いえ」
羨ましいでしょ、という言葉は顔に書いてある。
だからほんの少しだけ、嫉妬という名のささやかな意地悪を許してもらおう。
へそを曲げたイルカは暫くここへは現れないだろうし、その間に里外の任務へ旅立つのだ。
だって。
痴話喧嘩は、猫も食わないのだから。
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