目覚めて一番最初に眼にしたのは、真っ白な天井だった。
消毒液の匂いと、ベッドを仕切るように引かれたカーテンに絶望感を覚える。
ここは、イルカが死んでも行きたくないと願った木の葉病院内だった。
具合は悪かったけど、まさか倒れるなんて思わなかったなと、イルカは溜息を付いた。
「気がつかれましたか」
枕もとに立っていた医療忍が、そんなイルカに声をかける。
「はい・・・」
「ドクターがお話があるそうです。起きられそうならご案内します」
身体を見られたのだろうか?
そればかりが気になって、表情はドンドンと強張っていく。
医療忍の柔らかな微笑みも、イルカの心を和ませる事はない。
・・・医師が。
一体何の話だと、イルカはクラクラする頭を抱えた。
「大丈夫ですか? うみの中忍」
「あぁ・・・はい」
と言っても、病院に運ばれてしまったのだ。
ここで逃げ出すわけにもいくまい。
頷いてベッドから起き上がると、案内する医療忍の後に続いた。
通された部屋は診察室ではなく、小さな個室だった。
ポツンと一人で椅子に座り、所在なげに辺りを見回すイルカだったが、ガチャリと入ってきた数人の医師の姿に、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「うみの中忍?」
「はい」
答えるイルカに小さく頷いて、対面に座った医師達が沢山の数値が並んだカルテをめくった。
医師に囲まれる患者というのはあまり心臓によろしくないものだ。
う〜ん、とか、むう・・・など考えこむ様子や、ヒソヒソと医師同士が囁き合う様子に、イルカは何事だと目の前の医師を食い入るように見つめるのだが、肝心の彼らといえばカルテを前に唸りっぱなしである。
変化したままのアレの話ではないのか?
そうだ、アレはかなり珍妙な現象である。
イルカだって最初軽くパニックになったぐらいだ。
自分でそう考え、納得するも医師達の尋常でない様子に不安は増すばかりだ。
「あの・・・」
「あぁ・・、すいません・・ん〜・・・」
何とも歯切れが悪い。
そんなに悪い病なのかと、イルカはまたムカムカとしてきた胃を抑えて溜息をついた。
彼らの様子からいって、病状は随分と進行しているようだ。
一体何の病なのか、いっそはっきり言ってくれと口にしようとした所で、信じられない医師の言葉が耳をかすめる。
「・・・え?」
「・・・血液検査、エコー、心音・・・何度も検査確認致しましたが・・・」
「間違いないかと・・・」
ペラリとカルテをめくり、苦渋の表情で目の前の医師が口を開く。
いや、その血液検査の前に何を言っていたんだとイルカは目を見開いて眉をひそめる彼らを凝視した。
「うみの中忍・・・男性・・・」
「・・・男性・・ですねぇ・・?」
「はい」
間違いない。
男だ。
今はふざけた薬のせいで妙なものが出来ているが。
「・え〜、・・・誠に不可解ですが・・」
「これはおめでとうございますというべきでしょうか・・・」
「・・・妊娠、されています」
「ーーうそ・・・」
思わず口をついた言葉だったが、「我々も信じられません・・・」と頷く目の前の医師に、どうぞと渡された一枚の写真には、小さな丸いものが確かに写っていた。
*****
あれからどうやって家に帰ってきたかうろ覚えだ。
ただ、気がついたら部屋の中でぼんやりと座っていた。
もう外は日も暮れて、あたりは暗くなっている。
とりあえず頭をスッキリさせようとシャワーを浴びて、濡れた髪を拭きながら卓袱台の前に座り込んだ。
「・・・・・」
机の上に置いた母子手帳とエコー写真を見つめ、まだ信じられない思いで自分の腹を撫ぜる。
三ヶ月ですと告げた医師の言葉が脳裏をグルグルと回る。
妊娠?
まさか。
そんなわけあるはずないだろうと頭が否定するのに、目の前の写真が事実を告げている。
誰の子だと、医者は聞かなかった。
いや、聞けなかったわけだが、それが今はありがたい。
はたけカカシの子供だと知れれば、里中が大騒ぎになること請け合いだ。
しかも自分との子供だなんて。
「ふっ・・・」
笑っちゃうねと、イルカは自嘲気味に唇を歪めた。
あまりに衝撃の事実過ぎて、医師の話もうろ覚えだが、とにかく今は安静にすることと、身体を冷やさないこと・・・後はなんだ?
腹痛や出血があったら安静にしてすぐに式を飛ばすことぐらいだったかな・・・。
意外とちゃんと覚えてるもんだなと、苦笑した。
今が三ヶ月だということだから、最初にあの妙な薬を飲んだ時かと、イルカは机に突っ伏した。
受精して、薬の効果が切れる前に着床した為に身体から消えることなく子宮が定着したというわけだ。
ここ暫く続いていた胸焼けや貧血は、体調不良でなくつわりだったと考えると納得もいく。
それにしても・・・。
一発命中すぎるだろ、カカシさん。
どんだけ濃いんだよ。
いや、それよりも後先考えず、何であんな妙な薬を飲んだんだ俺はと、自分を殴りたくなってきた。
「・・・どうしよう」
産むか堕ろすかと聞かれたら、迷う事なく産む方を選択する。
しかし、それを選択したとしても生活があるのだ。
アカデミーや受付。
それに突発で任務だって入ってくる。
さすがに激しい任務はムリだろうし、これから出てくるだろう腹はどうやったって隠せない。
どうしよう。
そんな言葉ばかりが脳裏を巡った。
「いや・・・そうじゃなくて・・・」
一番考えなくてはいけないことを後回しにしていた。
妙な話だが、もちろんカカシが父親なのだから扶養義務があるし、養育費だって請求できる。
イルカが働けなくなった時はあの高給取りからたんまりせしめればいいわけだ。
カカシだって有り余る金を持て余してるはずだから、それぐらい文句も言わず出すだろう。
いや、本題はそんなことじゃない。
お金なんてイルカだって少しぐらいは蓄えがある。
一人ぐらい・・・カカシの支えがなくとも何とか育てられる。
本題はそんなことじゃないのだ。
ーーーカカシは子供が欲しいのだろうか?
そんな話はしたこともないし、色っぽい話は数多あれど、誰かを孕ませたなどという不届きな噂は聞いたことがない。
すなわちそれは、出来ないように避妊していたか、隠密に処理したかのどちらかだ。
イルカとはもともと同性同士なのでそもそも妊娠などということは考えていなかっただろうし、今回の件は完全なイレギュラーだ。
だから、このことを知ったカカシがもし。
「・・・・堕ろせって言ったら・・・?」
そう口にした途端、ドクリと心臓が嫌な感じに跳ねた。
どうしたら良いのだろう。
まだ平坦な腹を撫で、卓上の写真を手に取る。
答えは決まってる。
・・・絶対に堕ろすことなんて出来ない。
産むか堕胎か、思い切って二者択一で打ち明けるべきかと考えて、堕胎を命じられた時の衝撃に感情が耐えられないとイルカは頭を振る。
隠すしかない。
結論は一瞬だった。
イルカが覚悟を決めた時、コンコンと小さく玄関の扉が鳴った。
カカシの気配に、慌てて写真を握りしめ母子手帳共々机の引き出し奥に突っ込む。
「はい」
冷静に。
あの聡い上忍に気付かれないように。
呼吸を整えてイルカは玄関へ向かうと、ゆっくりと扉を開いた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
目の前の銀髪がフワリと揺れるとギュッと抱きしめられた。
硝煙と埃、そして微かな汗と煤の臭い。
彼が請け負う任務の苛酷さと、無事に帰ってきてくれた安堵とで胸が締め付けられる。
「・・・お疲れ様です」
そう言って背中に回した指に力を込めたイルカを、カカシが心配そうに覗きこんだ。
「受付で先生が倒れたって聞いて・・・」
「・・えぇ」
大丈夫ですか?と瞳が語る。
イルカは頭のなかで落ち着いてと呟いた。
「胃腸が弱ってたみたいで」
テヘヘと笑うイルカに、カカシが表情を曇らせた。
「あんまりにも腹を下すから、暫く飯を抜いてたら空腹で倒れちゃいました」
そう言って舌を出したイルカに、カカシが眉間の皺を深くする。
「・・・今はもう大丈夫なんですか?」
「えぇ、少しはマシに」
原因がわかればこの吐き気も何とか耐えられそうだ。
まだ食事をしたいとは思わないが、そう言っておけばカカシも疑わないだろう。
「・・・すいません。帰ってこられたのに何も用意出来てなくて・・」
「構いませんよ。無理しないで」
笑うカカシがイルカの頬を撫ぜるとそのまま顎を持ち上げられる。
チュッと口付けられて、眼が合うと、少し怪訝な顔をした。
「カカシさん?」
「あぁ、いえ・・」
見上げるイルカに、戸惑ったような顔をして首をふる。
「何か作るんで入ってください」
玄関先で抱き合ったままだと笑うイルカに、カカシも照れたように頭を掻く。
「心配で顔を見に来ただけなんです」
「でも、せっかく来てくださったんだから、お茶ぐらい」
「じゃあ・・・」
埃まみれだから先にシャワー貸してくださいと言うカカシにどうぞと返す。
浴室に消えていく背中を見つめて、イルカはそっと息を吐いた。
お茶の香りは不思議と気持ち悪くはならない。
むしろ心が落ち着くと、熱い湯を注いだ急須から立ち上る香りに鼻をひくつかせていたイルカは、背後から抱きしめられてビクリと身体を震わせた。
「わっ・・!」
「いい匂い」
いつもの安物ですよ、と笑って、まだ濡れたままで雫を垂らしているカカシの髪をタオルで包む。
ゴシゴシと水気を拭き取るイルカに、向かい合わせのカカシは眼を閉じて気持ちよさそうにされるがままになっている。
「気持ちいい」
「子供みたいですね」
「大きい子供ですいません」
ふふっと笑うカカシが、髪を拭くイルカの頬に触れた。
「久しぶりのイルカ先生だ」
「二月ぶりですね」
「会いたかったよ」
抱きしめられて、泣きたくなった。
もしもまだ妊娠したと知らなかったら、このまま甘えてグズグズに溶けてしまえたのに。
ぐいっと身体を押しやって、訝しげな顔をするカカシを居間へと誘う。
卓袱台の上に湯のみと急須を置いて、隣同士に座った。
チラチラとイルカを見ていたカカシが、湯のみを手にして口を開く。
「・・顔色悪い」
「・・・・・」
「チャクラも随分不安定だし、医療忍はなんて?」
「え?」
「身体」
「あの・・き、急性の腸炎じゃないかって・・」
答えながら胸が詰まった。
ーーー嘘だ。
あなたの子供を妊娠したんだと、言ってしまいたい。
だけど、子供なんて面倒だ、堕ろしてくれとカカシの口から言われたら、イルカは自分がどうなってしまうのかわからなかった。
心配するカカシに、イルカは首を左右に振る。
大丈夫だと作り笑いを貼り付けて、伸ばされる腕に身体を預けた。
「・・・やっぱり、今日泊まってもいいですか?」
「え・・・」
「駄目・・?」
「あの・・・急に吐いたりしますよ」
「背中さすります」
「・・・酔っ払いじゃないんですから」
思わず笑ってしまった。
それでも、どうやら目の前の男は前言撤回するつもりはないらしく。
イルカは仕方なく頷いて小さなため息を漏らした。
*****
ベッドの中で背を向けたイルカを、腕の中に抱き込んでくる強い力に、まさかと身体を強張らせた。
「・・・するんですか・・?」
久しぶりの逢瀬を断るのは変に思われるだろうかと考えるものの、このまましてしまったら身体に負担がかかるんじゃないかと思うと不安で冷や汗が吹き出てくくる。
暫く収まっていた吐き気もこみ上げてきて、イルカは口元を抑えた。
「体調悪いイルカ先生に無理はさせませんよ」
別に身体だけが好きなわけじゃありませんから。
真面目な顔でそう言って、カカシはイルカの髪に顔を埋めた。
「・・・痩せたね」
暫くろくに食べられなかった。
体重は測っていなかったが、数キロは減っただろうと思う。
「もともと忍びとしては少し太めですから」
「太めの方が抱き心地が良いのに」
「・・・このままキープします」
「あ! ダメです! 早く元に戻ってッ」
慌てるカカシに、イルカは笑う。
カカシの手が、不意にそんなイルカの下腹に触れた。
腕の中に抱き込んで、そのまま何度かゆっくりと撫ぜる仕草に、思わず身体を震わせたイルカは、身体を固くして唇を噛んだ。
「・・・・ッ・・」
違う。
この仕草は偶然だと自分に言いきかせて、ドキドキと動機が激しくなるのを必死に堪えようと思うのに、一度嗚咽が漏れると止まらなくなる。
「イルカ先生?」
戸惑うようなカカシの声に、掌で口を押さえながら首を左右に振る。
駄目だ。
隠し通すなんて無理だ。
「・・うっ・・ッ・・」
ひくひくとしゃくりあげるイルカに驚いたカカシが、身体を起こして覗き込むのにイルカが枕に顔を押し付けて身体を丸めた。
「どうしたの? イルカ先生」
急に泣き出したイルカを、オロオロしながら肩を揺する。
「・・カ、カシさん・・・お、俺・・・」
「ん?」
「・・あなたに、・・嘘を・・」
「嘘?」
怪訝そうなカカシに、イルカがボロボロと涙をこぼしながらゆっくりとベッドから起き上がった。
泣きながらフラフラと寝室を出て行く後ろ姿を、カカシが慌てて追いかける。
「・・・カカシさん」
机の前に立ち止って、イルカが背を向けたまま強張った声でカカシを呼んだ。
「正直に、答えてください」
「イルカ先生?」
「・・・こ・・子供は迷惑ですか・・・?」
「子供?」
何を言われているのかわからなくて、カカシは首を傾げる。
心細そうに震える背中を今すぐにでも抱きしめてやりたいのに、イルカは机の前に突っ立ったままカカシを拒否している。
「迷惑も何も・・・」
問われてる意味がわからないと口にしようとした瞬間、引き出しを開けたイルカが、何かを掴んで振り返った。
カカシに差し出そうとしたそれが、震える手の中から零れ落ちる。
「・・・・?」
何だろうと拾い上げて眼を見開いた。
それは、里が発行する母子手帳と、モノクロのノイズ混じりの真新しい写真で。
「・・イル・・」
「迷惑なら迷惑だと、はっきり言ってください」
涙で顔をクシャクシャにしたイルカが、吐き捨てるようにそう口にした。
「・・・妊娠したの?」
「・・・ッ・・・」
「イルカ先生が・・・?」
静かに問う声に、イルカが奥歯を噛み締めて俯く。
何かに耐えるように。
不安でいっぱいの顔に胸が痛くなる。
ごめんねと呟いたカカシに、俯いたイルカの表情が一気に絶望の色に染まっていく。
カカシは、青ざめて今にも倒れそうなイルカの震える身体に手を伸ばした。
「・・・俺、・・一人でも大丈夫ですから・・」
「・・・・」
「・・あなたに迷惑、かけません」
夜着をギュッと握り締め何かを決意したようなそんな声に、カカシはため息をつく。
どうして迷惑だなんて思うの?
そう問い返したいのに、イルカは顔を強張らせたまま頑なに俯くだけだ。
「だから・・・」
「・・・嬉しいです」
「・・え?」
「嬉しいに決まってるでしょ」
「・・・う、そ・・」
弾かれたように顔を上げ呆然と見上げるイルカに、カカシは笑ってその身体を抱きしめた。
「一体何のためにあの薬を飲ませたと思ってたの?」
一種の賭けのようなものだったが、まさかこんなにうまくいくとは思ってもいなかった。さすがは大蛇丸というところだろう。
ヘラリと笑うカカシに、イルカの顔が一気に赤くなる。
「・・・アンタ・・・なんてことを・・」
「だから、ごめんねって」
「・・俺が、一体どれだけ悩んだかッ!!!」
こんな身体になって、あろうことか妊娠までしちまうなんて!
ありえない。
誰か間違いだと言ってくれと、死ぬほど悩んだのに。
叫んで力一杯胸を打ち付けて暴れるイルカを、無理やり腕の中に抱きしめて、カカシはくちづけの雨を降らす。
「ごめん、イルカセンセ」
「変態ッ!! アンタなんて、・・・最低だッ!!!」
叫んで抵抗する身体から力が抜け、ズルズルと座り込むのに、抱きかかえてその涙を拭った。
「・・体調悪いの、つわりだったんだね」
「ーーーアンタのせいで・・ッ!!」
「ん・・」
何度もごめんねと謝りながら、拭っても拭っても溢れてくる涙に、カカシは苦笑して唇を這わした。
涙の味が口いっぱいに広がる。
こんな事をするなんて信じられないと、罵りながら泣きじゃくるイルカが愛しくて、愛しくて堪らなかった。
暫くして、漸く落ち着いてきたイルカの泣きすぎて真っ赤に腫れた瞼を撫ぜて、カカシが神妙な顔で口を開く。
「大事にします」
「・・・はぁ・・・」
整った顔って、真面目な顔をすればするほど人形みたいだなぁなんて、泣きすぎて思考能力が低下した頭で考えながら、イルカはカカシの言葉に気のない返事をした。
「結婚しましょう」
「・・・・・」
一瞬、聞き間違いかと思考がストップし、耳にしたとんでもないセリフにイルカはガバリとカカシの腕から逃れ、勢い余って尻餅をついた。
「・・いてっ」
「だから結婚」
ズリズリと後ずさるイルカを追って、カカシが腕を伸ばしてくる。
「・・け、結構ですッ・・!!」
「ありがとうございます! 幸せにします!!」
「・・ちがっ! 違います・・!」
「『結構』って言ったじゃないですか」
「それは、そういう意味じゃ・・ッ・・!!!」
第一、同性同士で結婚なんて出来るわけないじゃないかと叫ぶのに、お構いなしなカカシが逃げるイルカを難なく捕まえ、逃げられないように腕の中に抱き込んでしまう。
大きな掌が、優しくイルカの下腹を撫ぜた。
「・・・楽しみですね」
木の葉の大隊を指揮する戦忍とは思えないほどほんわかとした微笑みを浮かべ、愛しげに撫ぜるその姿に、イルカは思わず言葉を失った。
「イルカ先生に似てるといいな」
まだまだ先の話なのに、そんなふうに呟くカカシに、涙が零れそうになる。
ずっと悩んでいた涙ではない。
嬉しくて、泣きそうになったのだ。
イルカはもちろんカカシに似てほしいと思うのだが、木の葉の里でこのルックスは目立つだろう。
結婚は出来ないけれどと心のなかで呟いて、イルカは自分の下腹を撫ぜる手に、自分の手を重ねた。
「・・どっちに似ても可愛いですよ」
だって我が子なのだから。
*****
お人払いをと、願い出た言葉は、馬鹿言ってんじゃないよこの忙しい時にという綱手のなんとも無体な言葉で退けられた。
申し訳無さそうに俯きながら仕事を進めるシズネを横目に、イルカは諦めて重い口を開く。
「・・・子供が出来ました」
「ほう」
面倒そうにイルカを見ていた綱手は、その言葉を耳にすると途端に目を輝かせてニヤニヤと笑い出す。
つまらない毎日に、小さな遊びを見つけ出した、そんな顔だ。
「お前みたいな真面目な男はちゃんと手順を踏んで、生娘みたいな女と結婚するもんだと思っていたがねぇ。」
順番が逆じゃないか。
人の悪い表情はそう語っている。
俺だって、そうだと思っていましたよと、イルカは小さくため息をついた。
「で? 相手は誰だい」
「・・・・・」
「言えないのかい?」
呆れたね。
そんな綱手の表情にも、答えることはしない。
「まぁいい。で、勿論責任は取るんだろうね」
「・・・まぁ・・・」
「じゃあなんの相談だい?」
「・・・産前産後の長期休暇と、育児休暇の申請をお願いしたく・・・」
「は?」
「さ、産休と・・・」
「お前が?」
ポカンと口を開けている綱手に、なんだかおかしいなと思いイルカも首を傾げる。
「あの、・・・さすがに臨月近くになると、太ったでは隠し切れないと思いまして」
「臨月以前にもっと前から隠し切れないだろう」
綱手の言葉に、イルカもはぁ、何とも情けない声を出す。
「男の俺が産休というのも変ですので、長期の里外任務に出たことにして、たまった有給休暇を・・」
「ちょいと待ちな」
「はい」
「お前になんで産前産後の休暇が必要なんだい?」
「・・・え・・・?」
そこでイルカはハタと気づく。
さっきから話しが通じていないとは思っていたが、綱手はよもやイルカが妊娠しているとは思っていないのだ。
話からして、イルカがどこぞの女を孕ませたとでも思っていたのだろう。
考えてみれば、男が妊娠するほうがおかしな話なのだから。
「・・・ですから・・、子供が出来たと・・・」
「それは聞いた」
「・・え・・・っと・・わ、私にです・・・」
「・・・・・」
何とも白けた空気が流れた。
ポカンと口を開けている綱手と、イルカを見たまま固まっているシズネ。
そして、身も世もないほど肩身を狭くしているイルカである。
「・・・お前の相手ってのは・・まさか、カカシかい・?」
しかしそこは綱手、初代火影の血を引いてるだけあって順応性は高い。
「最初から話な」
ふーっと執務室の椅子に身体を預けて、綱手は何かを決意したようなイルカを見やる。
よし。
食いついてきた。
長期休暇の件もあるが、もともと綱手に助力を請う為にここにきたのだ。
イルカは心の中でガッツポーズをしながら、綱手に全てを晒す事にした。
「・・・あんのバカ、勝手なことを」
全て聴き終わった後、綱手はそう言ってここにはいない里の誉れを罵った。
「大蛇丸の作った秘薬だって!?」
「綱手様ッ!!」
「あたしゃそんな話は聞いてないよ!」
「お声が大きいッ!」
興奮する綱手に、シズネが唇に指を当ててシーッと宥めるのだが、綱手は一向に声のトーンを落とす気配がない。
執務室が破壊されそうな勢いで怒鳴る綱手にドキドキしながら、イルカじっと嵐が去るのを待った。
ひとしきり怒鳴った後、綱手は黙ったままのイルカに視線をやる。
「・・・で、お前は良いのかい?」
はたけカカシの子供を産むことを、容認するのかと。
探るような視線を送る綱手に、イルカは小さく頷いた。
こうなってしまったことに今更どうこう言うつもりはない。
ただ、騙されて孕まされた事は許しがたい。
イルカは結構根に持っていた。
「・・・子供に関しましては、重要機密事項に認定を願います」
それと・・・と前置きし、イルカは綱手に向けてこっそりと耳打ちした。
ニヤリと笑う綱手が、真新しい巻物の紐をスルリと解く。
「・・カカシは今どこに?」
「任務で里外に」
答えるイルカに、綱手は悪戯っ子のように笑いながら巻物に筆を走らせた。
「あいつにゃこれが一番堪えるだろうねぇ」
ニヤニヤと笑いながら、バンッと力任せに判を押して、素早く印を結ぶと式を飛ばした。
「・・・・・」
優雅に空を飛んでいく綱手の式を見つめながら、イルカはそっと下腹を撫ぜた。
カカシに科せられたのは、半年間の長期里外任務。
毎晩愛しい恋人の、僅かだが膨らんできた腹を愛でることを楽しみにしている男にとって、それは身を切られるような辛さだろう。
「これぐらいの仕返しは、許されるよな」
まだ見ぬ我が子に語りかけ、イルカは一人破顔した。
*****
とある晴れた日に、イルカは重くなった身体を支えながら里全体を見渡せる火影岩の上に登ると、大門へと視線を馳せた。
見つめる先に約半年ぶりに眼にする煌めく銀色の光を見つけ、小さく歓喜の声をあげると、満面の笑みを浮かべて大きく手を振った。
イルカに気づいて手を振り返すカカシに、早く逢いたいと逸る気持ちが身重の身体を軽くする。
よーしっと呟きながら、イルカは火影岩の先端へ向かって助走を始めた。
そんな様子を大門から見ていたカカシが、大慌てで『止まれ』という仕草をするのにも構わず、イルカは弾みをつけると思い切りよく火影岩からピョンっと飛んだ。
「ーーーイルカ先生ッ!!」
宙に飛び出したイルカの身体を、瞬身の術で目の前に現れたカカシが、らしくもなく大汗をかきながらキャッチする。
「おかえりなさい! カカシさんッ!!」
久しぶりの愛しい恋人に力いっぱい抱きつきながら、イルカは弾けるように声を上げて笑った。
【完】
消毒液の匂いと、ベッドを仕切るように引かれたカーテンに絶望感を覚える。
ここは、イルカが死んでも行きたくないと願った木の葉病院内だった。
具合は悪かったけど、まさか倒れるなんて思わなかったなと、イルカは溜息を付いた。
「気がつかれましたか」
枕もとに立っていた医療忍が、そんなイルカに声をかける。
「はい・・・」
「ドクターがお話があるそうです。起きられそうならご案内します」
身体を見られたのだろうか?
そればかりが気になって、表情はドンドンと強張っていく。
医療忍の柔らかな微笑みも、イルカの心を和ませる事はない。
・・・医師が。
一体何の話だと、イルカはクラクラする頭を抱えた。
「大丈夫ですか? うみの中忍」
「あぁ・・・はい」
と言っても、病院に運ばれてしまったのだ。
ここで逃げ出すわけにもいくまい。
頷いてベッドから起き上がると、案内する医療忍の後に続いた。
通された部屋は診察室ではなく、小さな個室だった。
ポツンと一人で椅子に座り、所在なげに辺りを見回すイルカだったが、ガチャリと入ってきた数人の医師の姿に、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「うみの中忍?」
「はい」
答えるイルカに小さく頷いて、対面に座った医師達が沢山の数値が並んだカルテをめくった。
医師に囲まれる患者というのはあまり心臓によろしくないものだ。
う〜ん、とか、むう・・・など考えこむ様子や、ヒソヒソと医師同士が囁き合う様子に、イルカは何事だと目の前の医師を食い入るように見つめるのだが、肝心の彼らといえばカルテを前に唸りっぱなしである。
変化したままのアレの話ではないのか?
そうだ、アレはかなり珍妙な現象である。
イルカだって最初軽くパニックになったぐらいだ。
自分でそう考え、納得するも医師達の尋常でない様子に不安は増すばかりだ。
「あの・・・」
「あぁ・・、すいません・・ん〜・・・」
何とも歯切れが悪い。
そんなに悪い病なのかと、イルカはまたムカムカとしてきた胃を抑えて溜息をついた。
彼らの様子からいって、病状は随分と進行しているようだ。
一体何の病なのか、いっそはっきり言ってくれと口にしようとした所で、信じられない医師の言葉が耳をかすめる。
「・・・え?」
「・・・血液検査、エコー、心音・・・何度も検査確認致しましたが・・・」
「間違いないかと・・・」
ペラリとカルテをめくり、苦渋の表情で目の前の医師が口を開く。
いや、その血液検査の前に何を言っていたんだとイルカは目を見開いて眉をひそめる彼らを凝視した。
「うみの中忍・・・男性・・・」
「・・・男性・・ですねぇ・・?」
「はい」
間違いない。
男だ。
今はふざけた薬のせいで妙なものが出来ているが。
「・え〜、・・・誠に不可解ですが・・」
「これはおめでとうございますというべきでしょうか・・・」
「・・・妊娠、されています」
「ーーうそ・・・」
思わず口をついた言葉だったが、「我々も信じられません・・・」と頷く目の前の医師に、どうぞと渡された一枚の写真には、小さな丸いものが確かに写っていた。
*****
あれからどうやって家に帰ってきたかうろ覚えだ。
ただ、気がついたら部屋の中でぼんやりと座っていた。
もう外は日も暮れて、あたりは暗くなっている。
とりあえず頭をスッキリさせようとシャワーを浴びて、濡れた髪を拭きながら卓袱台の前に座り込んだ。
「・・・・・」
机の上に置いた母子手帳とエコー写真を見つめ、まだ信じられない思いで自分の腹を撫ぜる。
三ヶ月ですと告げた医師の言葉が脳裏をグルグルと回る。
妊娠?
まさか。
そんなわけあるはずないだろうと頭が否定するのに、目の前の写真が事実を告げている。
誰の子だと、医者は聞かなかった。
いや、聞けなかったわけだが、それが今はありがたい。
はたけカカシの子供だと知れれば、里中が大騒ぎになること請け合いだ。
しかも自分との子供だなんて。
「ふっ・・・」
笑っちゃうねと、イルカは自嘲気味に唇を歪めた。
あまりに衝撃の事実過ぎて、医師の話もうろ覚えだが、とにかく今は安静にすることと、身体を冷やさないこと・・・後はなんだ?
腹痛や出血があったら安静にしてすぐに式を飛ばすことぐらいだったかな・・・。
意外とちゃんと覚えてるもんだなと、苦笑した。
今が三ヶ月だということだから、最初にあの妙な薬を飲んだ時かと、イルカは机に突っ伏した。
受精して、薬の効果が切れる前に着床した為に身体から消えることなく子宮が定着したというわけだ。
ここ暫く続いていた胸焼けや貧血は、体調不良でなくつわりだったと考えると納得もいく。
それにしても・・・。
一発命中すぎるだろ、カカシさん。
どんだけ濃いんだよ。
いや、それよりも後先考えず、何であんな妙な薬を飲んだんだ俺はと、自分を殴りたくなってきた。
「・・・どうしよう」
産むか堕ろすかと聞かれたら、迷う事なく産む方を選択する。
しかし、それを選択したとしても生活があるのだ。
アカデミーや受付。
それに突発で任務だって入ってくる。
さすがに激しい任務はムリだろうし、これから出てくるだろう腹はどうやったって隠せない。
どうしよう。
そんな言葉ばかりが脳裏を巡った。
「いや・・・そうじゃなくて・・・」
一番考えなくてはいけないことを後回しにしていた。
妙な話だが、もちろんカカシが父親なのだから扶養義務があるし、養育費だって請求できる。
イルカが働けなくなった時はあの高給取りからたんまりせしめればいいわけだ。
カカシだって有り余る金を持て余してるはずだから、それぐらい文句も言わず出すだろう。
いや、本題はそんなことじゃない。
お金なんてイルカだって少しぐらいは蓄えがある。
一人ぐらい・・・カカシの支えがなくとも何とか育てられる。
本題はそんなことじゃないのだ。
ーーーカカシは子供が欲しいのだろうか?
そんな話はしたこともないし、色っぽい話は数多あれど、誰かを孕ませたなどという不届きな噂は聞いたことがない。
すなわちそれは、出来ないように避妊していたか、隠密に処理したかのどちらかだ。
イルカとはもともと同性同士なのでそもそも妊娠などということは考えていなかっただろうし、今回の件は完全なイレギュラーだ。
だから、このことを知ったカカシがもし。
「・・・・堕ろせって言ったら・・・?」
そう口にした途端、ドクリと心臓が嫌な感じに跳ねた。
どうしたら良いのだろう。
まだ平坦な腹を撫で、卓上の写真を手に取る。
答えは決まってる。
・・・絶対に堕ろすことなんて出来ない。
産むか堕胎か、思い切って二者択一で打ち明けるべきかと考えて、堕胎を命じられた時の衝撃に感情が耐えられないとイルカは頭を振る。
隠すしかない。
結論は一瞬だった。
イルカが覚悟を決めた時、コンコンと小さく玄関の扉が鳴った。
カカシの気配に、慌てて写真を握りしめ母子手帳共々机の引き出し奥に突っ込む。
「はい」
冷静に。
あの聡い上忍に気付かれないように。
呼吸を整えてイルカは玄関へ向かうと、ゆっくりと扉を開いた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
目の前の銀髪がフワリと揺れるとギュッと抱きしめられた。
硝煙と埃、そして微かな汗と煤の臭い。
彼が請け負う任務の苛酷さと、無事に帰ってきてくれた安堵とで胸が締め付けられる。
「・・・お疲れ様です」
そう言って背中に回した指に力を込めたイルカを、カカシが心配そうに覗きこんだ。
「受付で先生が倒れたって聞いて・・・」
「・・えぇ」
大丈夫ですか?と瞳が語る。
イルカは頭のなかで落ち着いてと呟いた。
「胃腸が弱ってたみたいで」
テヘヘと笑うイルカに、カカシが表情を曇らせた。
「あんまりにも腹を下すから、暫く飯を抜いてたら空腹で倒れちゃいました」
そう言って舌を出したイルカに、カカシが眉間の皺を深くする。
「・・・今はもう大丈夫なんですか?」
「えぇ、少しはマシに」
原因がわかればこの吐き気も何とか耐えられそうだ。
まだ食事をしたいとは思わないが、そう言っておけばカカシも疑わないだろう。
「・・・すいません。帰ってこられたのに何も用意出来てなくて・・」
「構いませんよ。無理しないで」
笑うカカシがイルカの頬を撫ぜるとそのまま顎を持ち上げられる。
チュッと口付けられて、眼が合うと、少し怪訝な顔をした。
「カカシさん?」
「あぁ、いえ・・」
見上げるイルカに、戸惑ったような顔をして首をふる。
「何か作るんで入ってください」
玄関先で抱き合ったままだと笑うイルカに、カカシも照れたように頭を掻く。
「心配で顔を見に来ただけなんです」
「でも、せっかく来てくださったんだから、お茶ぐらい」
「じゃあ・・・」
埃まみれだから先にシャワー貸してくださいと言うカカシにどうぞと返す。
浴室に消えていく背中を見つめて、イルカはそっと息を吐いた。
お茶の香りは不思議と気持ち悪くはならない。
むしろ心が落ち着くと、熱い湯を注いだ急須から立ち上る香りに鼻をひくつかせていたイルカは、背後から抱きしめられてビクリと身体を震わせた。
「わっ・・!」
「いい匂い」
いつもの安物ですよ、と笑って、まだ濡れたままで雫を垂らしているカカシの髪をタオルで包む。
ゴシゴシと水気を拭き取るイルカに、向かい合わせのカカシは眼を閉じて気持ちよさそうにされるがままになっている。
「気持ちいい」
「子供みたいですね」
「大きい子供ですいません」
ふふっと笑うカカシが、髪を拭くイルカの頬に触れた。
「久しぶりのイルカ先生だ」
「二月ぶりですね」
「会いたかったよ」
抱きしめられて、泣きたくなった。
もしもまだ妊娠したと知らなかったら、このまま甘えてグズグズに溶けてしまえたのに。
ぐいっと身体を押しやって、訝しげな顔をするカカシを居間へと誘う。
卓袱台の上に湯のみと急須を置いて、隣同士に座った。
チラチラとイルカを見ていたカカシが、湯のみを手にして口を開く。
「・・顔色悪い」
「・・・・・」
「チャクラも随分不安定だし、医療忍はなんて?」
「え?」
「身体」
「あの・・き、急性の腸炎じゃないかって・・」
答えながら胸が詰まった。
ーーー嘘だ。
あなたの子供を妊娠したんだと、言ってしまいたい。
だけど、子供なんて面倒だ、堕ろしてくれとカカシの口から言われたら、イルカは自分がどうなってしまうのかわからなかった。
心配するカカシに、イルカは首を左右に振る。
大丈夫だと作り笑いを貼り付けて、伸ばされる腕に身体を預けた。
「・・・やっぱり、今日泊まってもいいですか?」
「え・・・」
「駄目・・?」
「あの・・・急に吐いたりしますよ」
「背中さすります」
「・・・酔っ払いじゃないんですから」
思わず笑ってしまった。
それでも、どうやら目の前の男は前言撤回するつもりはないらしく。
イルカは仕方なく頷いて小さなため息を漏らした。
*****
ベッドの中で背を向けたイルカを、腕の中に抱き込んでくる強い力に、まさかと身体を強張らせた。
「・・・するんですか・・?」
久しぶりの逢瀬を断るのは変に思われるだろうかと考えるものの、このまましてしまったら身体に負担がかかるんじゃないかと思うと不安で冷や汗が吹き出てくくる。
暫く収まっていた吐き気もこみ上げてきて、イルカは口元を抑えた。
「体調悪いイルカ先生に無理はさせませんよ」
別に身体だけが好きなわけじゃありませんから。
真面目な顔でそう言って、カカシはイルカの髪に顔を埋めた。
「・・・痩せたね」
暫くろくに食べられなかった。
体重は測っていなかったが、数キロは減っただろうと思う。
「もともと忍びとしては少し太めですから」
「太めの方が抱き心地が良いのに」
「・・・このままキープします」
「あ! ダメです! 早く元に戻ってッ」
慌てるカカシに、イルカは笑う。
カカシの手が、不意にそんなイルカの下腹に触れた。
腕の中に抱き込んで、そのまま何度かゆっくりと撫ぜる仕草に、思わず身体を震わせたイルカは、身体を固くして唇を噛んだ。
「・・・・ッ・・」
違う。
この仕草は偶然だと自分に言いきかせて、ドキドキと動機が激しくなるのを必死に堪えようと思うのに、一度嗚咽が漏れると止まらなくなる。
「イルカ先生?」
戸惑うようなカカシの声に、掌で口を押さえながら首を左右に振る。
駄目だ。
隠し通すなんて無理だ。
「・・うっ・・ッ・・」
ひくひくとしゃくりあげるイルカに驚いたカカシが、身体を起こして覗き込むのにイルカが枕に顔を押し付けて身体を丸めた。
「どうしたの? イルカ先生」
急に泣き出したイルカを、オロオロしながら肩を揺する。
「・・カ、カシさん・・・お、俺・・・」
「ん?」
「・・あなたに、・・嘘を・・」
「嘘?」
怪訝そうなカカシに、イルカがボロボロと涙をこぼしながらゆっくりとベッドから起き上がった。
泣きながらフラフラと寝室を出て行く後ろ姿を、カカシが慌てて追いかける。
「・・・カカシさん」
机の前に立ち止って、イルカが背を向けたまま強張った声でカカシを呼んだ。
「正直に、答えてください」
「イルカ先生?」
「・・・こ・・子供は迷惑ですか・・・?」
「子供?」
何を言われているのかわからなくて、カカシは首を傾げる。
心細そうに震える背中を今すぐにでも抱きしめてやりたいのに、イルカは机の前に突っ立ったままカカシを拒否している。
「迷惑も何も・・・」
問われてる意味がわからないと口にしようとした瞬間、引き出しを開けたイルカが、何かを掴んで振り返った。
カカシに差し出そうとしたそれが、震える手の中から零れ落ちる。
「・・・・?」
何だろうと拾い上げて眼を見開いた。
それは、里が発行する母子手帳と、モノクロのノイズ混じりの真新しい写真で。
「・・イル・・」
「迷惑なら迷惑だと、はっきり言ってください」
涙で顔をクシャクシャにしたイルカが、吐き捨てるようにそう口にした。
「・・・妊娠したの?」
「・・・ッ・・・」
「イルカ先生が・・・?」
静かに問う声に、イルカが奥歯を噛み締めて俯く。
何かに耐えるように。
不安でいっぱいの顔に胸が痛くなる。
ごめんねと呟いたカカシに、俯いたイルカの表情が一気に絶望の色に染まっていく。
カカシは、青ざめて今にも倒れそうなイルカの震える身体に手を伸ばした。
「・・・俺、・・一人でも大丈夫ですから・・」
「・・・・」
「・・あなたに迷惑、かけません」
夜着をギュッと握り締め何かを決意したようなそんな声に、カカシはため息をつく。
どうして迷惑だなんて思うの?
そう問い返したいのに、イルカは顔を強張らせたまま頑なに俯くだけだ。
「だから・・・」
「・・・嬉しいです」
「・・え?」
「嬉しいに決まってるでしょ」
「・・・う、そ・・」
弾かれたように顔を上げ呆然と見上げるイルカに、カカシは笑ってその身体を抱きしめた。
「一体何のためにあの薬を飲ませたと思ってたの?」
一種の賭けのようなものだったが、まさかこんなにうまくいくとは思ってもいなかった。さすがは大蛇丸というところだろう。
ヘラリと笑うカカシに、イルカの顔が一気に赤くなる。
「・・・アンタ・・・なんてことを・・」
「だから、ごめんねって」
「・・俺が、一体どれだけ悩んだかッ!!!」
こんな身体になって、あろうことか妊娠までしちまうなんて!
ありえない。
誰か間違いだと言ってくれと、死ぬほど悩んだのに。
叫んで力一杯胸を打ち付けて暴れるイルカを、無理やり腕の中に抱きしめて、カカシはくちづけの雨を降らす。
「ごめん、イルカセンセ」
「変態ッ!! アンタなんて、・・・最低だッ!!!」
叫んで抵抗する身体から力が抜け、ズルズルと座り込むのに、抱きかかえてその涙を拭った。
「・・体調悪いの、つわりだったんだね」
「ーーーアンタのせいで・・ッ!!」
「ん・・」
何度もごめんねと謝りながら、拭っても拭っても溢れてくる涙に、カカシは苦笑して唇を這わした。
涙の味が口いっぱいに広がる。
こんな事をするなんて信じられないと、罵りながら泣きじゃくるイルカが愛しくて、愛しくて堪らなかった。
暫くして、漸く落ち着いてきたイルカの泣きすぎて真っ赤に腫れた瞼を撫ぜて、カカシが神妙な顔で口を開く。
「大事にします」
「・・・はぁ・・・」
整った顔って、真面目な顔をすればするほど人形みたいだなぁなんて、泣きすぎて思考能力が低下した頭で考えながら、イルカはカカシの言葉に気のない返事をした。
「結婚しましょう」
「・・・・・」
一瞬、聞き間違いかと思考がストップし、耳にしたとんでもないセリフにイルカはガバリとカカシの腕から逃れ、勢い余って尻餅をついた。
「・・いてっ」
「だから結婚」
ズリズリと後ずさるイルカを追って、カカシが腕を伸ばしてくる。
「・・け、結構ですッ・・!!」
「ありがとうございます! 幸せにします!!」
「・・ちがっ! 違います・・!」
「『結構』って言ったじゃないですか」
「それは、そういう意味じゃ・・ッ・・!!!」
第一、同性同士で結婚なんて出来るわけないじゃないかと叫ぶのに、お構いなしなカカシが逃げるイルカを難なく捕まえ、逃げられないように腕の中に抱き込んでしまう。
大きな掌が、優しくイルカの下腹を撫ぜた。
「・・・楽しみですね」
木の葉の大隊を指揮する戦忍とは思えないほどほんわかとした微笑みを浮かべ、愛しげに撫ぜるその姿に、イルカは思わず言葉を失った。
「イルカ先生に似てるといいな」
まだまだ先の話なのに、そんなふうに呟くカカシに、涙が零れそうになる。
ずっと悩んでいた涙ではない。
嬉しくて、泣きそうになったのだ。
イルカはもちろんカカシに似てほしいと思うのだが、木の葉の里でこのルックスは目立つだろう。
結婚は出来ないけれどと心のなかで呟いて、イルカは自分の下腹を撫ぜる手に、自分の手を重ねた。
「・・どっちに似ても可愛いですよ」
だって我が子なのだから。
*****
お人払いをと、願い出た言葉は、馬鹿言ってんじゃないよこの忙しい時にという綱手のなんとも無体な言葉で退けられた。
申し訳無さそうに俯きながら仕事を進めるシズネを横目に、イルカは諦めて重い口を開く。
「・・・子供が出来ました」
「ほう」
面倒そうにイルカを見ていた綱手は、その言葉を耳にすると途端に目を輝かせてニヤニヤと笑い出す。
つまらない毎日に、小さな遊びを見つけ出した、そんな顔だ。
「お前みたいな真面目な男はちゃんと手順を踏んで、生娘みたいな女と結婚するもんだと思っていたがねぇ。」
順番が逆じゃないか。
人の悪い表情はそう語っている。
俺だって、そうだと思っていましたよと、イルカは小さくため息をついた。
「で? 相手は誰だい」
「・・・・・」
「言えないのかい?」
呆れたね。
そんな綱手の表情にも、答えることはしない。
「まぁいい。で、勿論責任は取るんだろうね」
「・・・まぁ・・・」
「じゃあなんの相談だい?」
「・・・産前産後の長期休暇と、育児休暇の申請をお願いしたく・・・」
「は?」
「さ、産休と・・・」
「お前が?」
ポカンと口を開けている綱手に、なんだかおかしいなと思いイルカも首を傾げる。
「あの、・・・さすがに臨月近くになると、太ったでは隠し切れないと思いまして」
「臨月以前にもっと前から隠し切れないだろう」
綱手の言葉に、イルカもはぁ、何とも情けない声を出す。
「男の俺が産休というのも変ですので、長期の里外任務に出たことにして、たまった有給休暇を・・」
「ちょいと待ちな」
「はい」
「お前になんで産前産後の休暇が必要なんだい?」
「・・・え・・・?」
そこでイルカはハタと気づく。
さっきから話しが通じていないとは思っていたが、綱手はよもやイルカが妊娠しているとは思っていないのだ。
話からして、イルカがどこぞの女を孕ませたとでも思っていたのだろう。
考えてみれば、男が妊娠するほうがおかしな話なのだから。
「・・・ですから・・、子供が出来たと・・・」
「それは聞いた」
「・・え・・・っと・・わ、私にです・・・」
「・・・・・」
何とも白けた空気が流れた。
ポカンと口を開けている綱手と、イルカを見たまま固まっているシズネ。
そして、身も世もないほど肩身を狭くしているイルカである。
「・・・お前の相手ってのは・・まさか、カカシかい・?」
しかしそこは綱手、初代火影の血を引いてるだけあって順応性は高い。
「最初から話な」
ふーっと執務室の椅子に身体を預けて、綱手は何かを決意したようなイルカを見やる。
よし。
食いついてきた。
長期休暇の件もあるが、もともと綱手に助力を請う為にここにきたのだ。
イルカは心の中でガッツポーズをしながら、綱手に全てを晒す事にした。
「・・・あんのバカ、勝手なことを」
全て聴き終わった後、綱手はそう言ってここにはいない里の誉れを罵った。
「大蛇丸の作った秘薬だって!?」
「綱手様ッ!!」
「あたしゃそんな話は聞いてないよ!」
「お声が大きいッ!」
興奮する綱手に、シズネが唇に指を当ててシーッと宥めるのだが、綱手は一向に声のトーンを落とす気配がない。
執務室が破壊されそうな勢いで怒鳴る綱手にドキドキしながら、イルカじっと嵐が去るのを待った。
ひとしきり怒鳴った後、綱手は黙ったままのイルカに視線をやる。
「・・・で、お前は良いのかい?」
はたけカカシの子供を産むことを、容認するのかと。
探るような視線を送る綱手に、イルカは小さく頷いた。
こうなってしまったことに今更どうこう言うつもりはない。
ただ、騙されて孕まされた事は許しがたい。
イルカは結構根に持っていた。
「・・・子供に関しましては、重要機密事項に認定を願います」
それと・・・と前置きし、イルカは綱手に向けてこっそりと耳打ちした。
ニヤリと笑う綱手が、真新しい巻物の紐をスルリと解く。
「・・カカシは今どこに?」
「任務で里外に」
答えるイルカに、綱手は悪戯っ子のように笑いながら巻物に筆を走らせた。
「あいつにゃこれが一番堪えるだろうねぇ」
ニヤニヤと笑いながら、バンッと力任せに判を押して、素早く印を結ぶと式を飛ばした。
「・・・・・」
優雅に空を飛んでいく綱手の式を見つめながら、イルカはそっと下腹を撫ぜた。
カカシに科せられたのは、半年間の長期里外任務。
毎晩愛しい恋人の、僅かだが膨らんできた腹を愛でることを楽しみにしている男にとって、それは身を切られるような辛さだろう。
「これぐらいの仕返しは、許されるよな」
まだ見ぬ我が子に語りかけ、イルカは一人破顔した。
*****
とある晴れた日に、イルカは重くなった身体を支えながら里全体を見渡せる火影岩の上に登ると、大門へと視線を馳せた。
見つめる先に約半年ぶりに眼にする煌めく銀色の光を見つけ、小さく歓喜の声をあげると、満面の笑みを浮かべて大きく手を振った。
イルカに気づいて手を振り返すカカシに、早く逢いたいと逸る気持ちが身重の身体を軽くする。
よーしっと呟きながら、イルカは火影岩の先端へ向かって助走を始めた。
そんな様子を大門から見ていたカカシが、大慌てで『止まれ』という仕草をするのにも構わず、イルカは弾みをつけると思い切りよく火影岩からピョンっと飛んだ。
「ーーーイルカ先生ッ!!」
宙に飛び出したイルカの身体を、瞬身の術で目の前に現れたカカシが、らしくもなく大汗をかきながらキャッチする。
「おかえりなさい! カカシさんッ!!」
久しぶりの愛しい恋人に力いっぱい抱きつきながら、イルカは弾けるように声を上げて笑った。
【完】
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