あの日、イルカは家の縁側で猫と一緒に遊んでいた。
たまに家にやってくる可愛い野良猫で、餌をやったり、ボールで遊んだりと、一人っ子のイルカには馴染んだ遊び相手だった。
バタバタと両親の騒がしい音が聞こえ、「サクモさんが」とか、「カカシくん…」などと見知った人の声を聞きつけ、イルカは猫の頭を撫ぜると、母親の元へ向かう。
母ちゃんと、声をかけようとして、真っ青になり涙ぐんでいる母を見つけ、イルカは眼をパチパチと瞬きした。
「イルカ」
気付いた父が、イルカの頭を撫で少しお留守番できるか?と聞くので、小さく頷くと、両親はまた慌てたように家を後にした。
イルカは縁側から聞こえる野良猫の鳴き声にフラリと足を向けると、くわぁっと欠伸をする猫に、笑いかける。
陽の光の当たる縁側はポカポカと気持ちよく、イルカもそこにゴロリと横になると柔らかい猫の毛を撫ぜながらニコリと笑った。
暖かく、気持ちの良い陽気が睡魔を連れてやってきて、それに誘われるようにイルカはウトウトとその瞼を閉じた。
どれぐらい時間が経ったのか、騒がしい物音に寝惚け眼を擦り目覚めると、辺りはすっかり日も暮れていて、空腹にお腹がぐうっと鳴った。
「母ちゃん」
お腹空いた、と続けようとした言葉は、獣のような悲痛な叫び声にゴクリと喉の奥に吸い込まれてしまう。
何か大変なことが起こっているらしいと、子供心に緊張しながら、イルカは母がいるだろう部屋の襖を開いた。
そこには、半狂乱になって叫ぶカカシと、それを必死に抱きしめる両親の異様な光景があった。
イルカは部屋の入り口に立ち止まったまま、身動き一つ出来なかった。
カカシがどうして叫んでいるのか、何がどうなっているのかわからなくて、ただブルブルと足先から襲ってくる恐怖に立ちすくむだけだ。
「カカシ…」
イルカに気付いた両親が、向こうに行ってなさいと怒鳴るのに、イルカは首を振る。
カカシが泣いている。
そう。
あの、なんでも出来るカカシが、こんなに辛そうに泣いているのに。
逃げる事なんて出来ない。
「カカシッ!!」
イルカは胸の奥から込み上げてくる恐怖と、訳のわからない衝動に駆られて、ボロボロと涙を零しながらカカシに抱きついた。
カカシと同じように、大声をあげながら泣きじゃくって、プツリと意識を失ったように動かなくなったカカシに、「カカシが死んじゃう」と、パニックになってまた泣いた。
サクモさんが亡くなった事を知らされた時、もう二度とカカシは父親には会えないのだと思った。
死が身近になかったイルカだが、何故だかそう思ったのだ。
夜中に叫んで飛び起きるカカシに、イルカも同じように飛び起きて、震える身体にしがみついた。
信じられないくらいびっしょりと汗をかき、荒い息を吐き出すカカシに、幼いイルカはどうすれば良いのかわからなくて。
大丈夫だと嘘をつくカカシがどうしようもなく悲しくて、涙が止まらなかった。
イルカの両親は、そんな二人を穏やかに見守り続けた。
「カカシくんのそばにいてあげてね」
母は何度もそう言ってイルカの頬を撫ぜた。
「わかった!」
母に頼まれるまでなく、もちろんそのつもりだったし、イルカ自身がカカシのそばから離れたくなかったのだ。
暫くすると、カカシも大分と落ち着いて、任務に出ることもあればイルカと縁側でのんびり昼寝をすることもあった。
能面のようだった顔に、ささやかだが表情が戻り、イルカと一緒にイタズラをしたり、ごくたまにだがクナイの扱い方や簡単な忍術を教えてくれる事もあった。
ただ、やはりまだ怖い夢は見るらしく、そんな時はカカシに抱きしめられたまま眠った。
頭から布団をかぶり、お互いの額を寄せて、ふざけあって唇を合わせた。
ずっと一緒にいようと、イルカがカカシに言い、カカシもイルカに同じように応えた。
狭くて暗い布団の中は、儚く脆い二人だけの城だった。
カカシが家を出て数年の年月が流れた。
上忍に昇格したと伝えに来たカカシに、イルカは手放しで喜んだ。
いつもの飄々とした表情の中に、得意げな色が垣間見えてイルカも同じように得意になった。
誰よりも綺麗で強いカカシは、イルカの憧れであり誇りだった。
「俺もカカシみたいな忍びになるよ」
そう言うイルカに、カカシも大きく頷いて約束だよと微笑んだ。
カカシが上忍としての初任務に出かけていってから、イルカの家への訪れはピタリと止んだ。
そんなことは今まででも偶にあったので、最初の頃は気にしていなかったように思う。
しかし、そろそろ一月を超える頃になると、さすがのイルカもおかしいと訝しみはじめていた。
「カカシ、まだ帰って来ねぇのかな?」
そういって何度も母に問いかけてみたが、その度に母は困ったような顔でそうねとつぶやきながらイルカの頭を撫ぜた。
イルカはそんな母の言葉を無邪気に信じて、カカシが帰ってくるのを待っていた。
飄々としてるけど、ちょっぴり得意げな表情のカカシが、今にもひょっこりと顔を出すんじゃないかと、毎日縁側に腰掛けて帰りを待っていた。
「遅いな…」
夕焼けが庭を朱に染める頃、隣で野良猫がナァと鳴いた。
*****
カカシが病院に運び込まれていると知ったのは、そんな矢先のことだった。
今でなら任務には危険がつきものだとわかるのに、その当時のイルカはそんな事に考えが及ばなかったのだ。
あまりにもカカシが優秀で、いつもなんでもないように帰ってくるから。
心配かけまいと、そんなふうにカカシが振舞っていた事を今でならちゃんと理解できる。
イルカは何も知らない守られた子供だった。
「なんでカカシと会えないんだよ!」
木の葉病院の受付で、足を踏みならして怒鳴る子供に、医療忍及び受付事務員は硬い表情で首を横に振った。
絶対にダメだと顔をしかめる大人達に、イルカは顔を真っ赤にして頬を膨らませる。
こうなったら忍び込むしかないと、隙を見つけては侵入した病室で、首根っこを捕まえられてキツく叱られた。
ペコペコと謝る母に、舌を出したイルカはゴツンと拳骨を落とされ涙目になる。
「なんで会いに行っちゃいけないんだよ!」
病院からの帰り道、そういって文句たらたら怒鳴るイルカに、母はゆっくりとしゃがみこみ、イルカと同じ視線の高さになって静かに言葉を紡いだ。
あのね…と、聞かされた言葉は、イルカには到底信じられないもので。
イルカはその大きな瞳を見開いて暫く母の顔を見ていた。
「カカシくんは、今はイルカに会えないんですって」
「・・・なんで・・・?」
問いかける声に答えはなかった。
ただ悲しい顔をする母が、イルカの頬を優しく撫ぜた。
「…カカシが俺に、会いたくないわけないだろ」
盛り上がってくる涙を、細い指が何度も拭っていく。
「嘘つくなよ、母ちゃん」
「…ごめんね、イルカ」
静かに刺さった言葉の棘が、チクチクと何度もイルカの小さな胸を苛んだ。
カカシの得意げな表情や、一緒にいるよと囁き合った声が、脳裏で母の言葉を嘘だと否定する。
「嘘つくなッ!」
「待って、イルカッ!!」
叫ぶイルカは、悲しい顔をする母に背を向けて走り出した。
何度も何度も病院に通った。
病室を探して木にも登ったし、カカシがいるかもしれない病室の窓を、日がな一日外からずっと見上げていた。
母が伝えた言葉は嘘だと、証明したかったから。
カカシがイルカから離れるわけがないと。
あの日、狭くて暗い二人だけの世界の中で囁き合った約束を信じたかったのだ。
佇む病院の木の下で、迎えに来た母に抱きついて泣いた。
どうしてカカシがイルカに会いたくないのか、わからなくて。
涙で滲んだ眼をゴシゴシと手の甲で擦るイルカを、母はいつも優しく抱きしめてくれた。
それでも。
カカシがイルカの前に現れる事は、ついぞなかった。
「カカシ・・・俺のこと、嫌いになったの・・・?」
呟くイルカの声は、優しく吹く風によって遠くに飛ばされ掻き消された。
いつまでもカカシはイルカの前を歩き、導き共に歩む存在だと思っていた。
そうやって、イルカの日常はずっと続いていくものだとただ無心に信じていたのだ。
病室のベッドに腰掛けて、カカシはそんなイルカを見ていた。
変わってしまった左眼を閉じ、仲間を殺めた右手を握りしめる。
自分に憧れ目指してきた者が、仲間を殺めたと知った時、イルカはカカシをなんと思うだろう。
蔑み糾弾されるのが恐ろしく、カカシは握った掌にじっとりと汗をかく。
イルカは多分、忍になるだろう。
そしてまた、リンのように何者かに操られた時、カカシはイルカを手にかけなければならないかも知れないのだ。
穢れた手を見つめ、まるでまだ血で汚れているかのように何度もその手を拭った。
「・・・・ッ」
それでもイルカに会いたい。
会いたい。
募る想いは、抑えるほどにどんどんと増していくようだった。
自分を呼ぶあの屈託のない声を聞き、いつまでも甘ったるいような日向の匂いを嗅いで、狭い布団に二人でくるまり、何もなかったかのように眠ってしまいたかった。
陽だまりの中の日々はもう、カカシには遠い夢のようだった。
ゆっくりと、カカシは無機質な面に手を伸ばす。
顔を隠し、暗がりに属する者へとその身をも落とす。
獣を模ったその面は、仲間を手にかけた己には相応しい代物に思えた。
*****
やがて、運命の一夜はやってくる。
恐ろしい九つの尾を持つ獣が、逃げ惑い泣き叫ぶ人々を無情にも引き裂き、数多の物を喰らい飲み込んで行った。
焼け野原になった壊滅状態の里で、生き残った者は嘆き、世を呪い、またその屍の上を歩いていく。
無傷だった者は皆無に等しく、親を失った子供達は皆同様に腹を空かせ、蹲って眠る場所を探した。
「・・・・・」
カカシは里を見渡す事の出来る火影岩の上にいた。
災厄の中、師である四代目火影は自らと己の嬰児の身を捧げて九尾を封印し、その短い命を散らした。
色の違う彼の瞳には、全てが無に帰したような里の中で、それでも復興へと雄々しく立ち上がる里人の姿が、モノクロの映像として映った。
その中で、たった一人。
自分よりも幼い子供を抱きしめるイルカの姿が、カカシの眼に鮮やかな色を持って飛び込んできた。
「…は…ッ」
小さく息を吐き出して、カカシは獣の仮面をずらすとその姿を食い入るように見つめた。
幼い子を抱きしめ、安心させようと無理矢理に笑おうとするイルカの、頼りなげな微笑みが痛ましい。
「あれの両親も、もう亡い」
不意に聞こえてきた声に、カカシはゆっくりと振り返った。
「…三代目」
「あれの事はワシに任せよ」
お前には他にやる事があると、暗に含ませた言葉にカカシは再びイルカに目をやる。
傷ついた者を癒し慰める彼の姿は、あの日からひとつも変わってはいないのに。
その黒い瞳の中には大きな絶望が宿っている。
「戻りますか…?」
里も、人も、そしてイルカも。
「・・・・・」
答えを聞くことなく、カカシはまた獣の面で表情の消えた顔を隠す。
もともと答えを求めて問うた言葉ではなかったのかもしれない。
「・・・戻る、か・・」
一瞬の内に煙にと消えた、まだ少年の面影を残した男の残像を、三代目火影猿飛ヒルゼンは難しい顔をして見詰めたあと、ゆっくりと瞳を閉じる。
木の葉の里に、次の時代の幕が開かれようとしていた。
たまに家にやってくる可愛い野良猫で、餌をやったり、ボールで遊んだりと、一人っ子のイルカには馴染んだ遊び相手だった。
バタバタと両親の騒がしい音が聞こえ、「サクモさんが」とか、「カカシくん…」などと見知った人の声を聞きつけ、イルカは猫の頭を撫ぜると、母親の元へ向かう。
母ちゃんと、声をかけようとして、真っ青になり涙ぐんでいる母を見つけ、イルカは眼をパチパチと瞬きした。
「イルカ」
気付いた父が、イルカの頭を撫で少しお留守番できるか?と聞くので、小さく頷くと、両親はまた慌てたように家を後にした。
イルカは縁側から聞こえる野良猫の鳴き声にフラリと足を向けると、くわぁっと欠伸をする猫に、笑いかける。
陽の光の当たる縁側はポカポカと気持ちよく、イルカもそこにゴロリと横になると柔らかい猫の毛を撫ぜながらニコリと笑った。
暖かく、気持ちの良い陽気が睡魔を連れてやってきて、それに誘われるようにイルカはウトウトとその瞼を閉じた。
どれぐらい時間が経ったのか、騒がしい物音に寝惚け眼を擦り目覚めると、辺りはすっかり日も暮れていて、空腹にお腹がぐうっと鳴った。
「母ちゃん」
お腹空いた、と続けようとした言葉は、獣のような悲痛な叫び声にゴクリと喉の奥に吸い込まれてしまう。
何か大変なことが起こっているらしいと、子供心に緊張しながら、イルカは母がいるだろう部屋の襖を開いた。
そこには、半狂乱になって叫ぶカカシと、それを必死に抱きしめる両親の異様な光景があった。
イルカは部屋の入り口に立ち止まったまま、身動き一つ出来なかった。
カカシがどうして叫んでいるのか、何がどうなっているのかわからなくて、ただブルブルと足先から襲ってくる恐怖に立ちすくむだけだ。
「カカシ…」
イルカに気付いた両親が、向こうに行ってなさいと怒鳴るのに、イルカは首を振る。
カカシが泣いている。
そう。
あの、なんでも出来るカカシが、こんなに辛そうに泣いているのに。
逃げる事なんて出来ない。
「カカシッ!!」
イルカは胸の奥から込み上げてくる恐怖と、訳のわからない衝動に駆られて、ボロボロと涙を零しながらカカシに抱きついた。
カカシと同じように、大声をあげながら泣きじゃくって、プツリと意識を失ったように動かなくなったカカシに、「カカシが死んじゃう」と、パニックになってまた泣いた。
サクモさんが亡くなった事を知らされた時、もう二度とカカシは父親には会えないのだと思った。
死が身近になかったイルカだが、何故だかそう思ったのだ。
夜中に叫んで飛び起きるカカシに、イルカも同じように飛び起きて、震える身体にしがみついた。
信じられないくらいびっしょりと汗をかき、荒い息を吐き出すカカシに、幼いイルカはどうすれば良いのかわからなくて。
大丈夫だと嘘をつくカカシがどうしようもなく悲しくて、涙が止まらなかった。
イルカの両親は、そんな二人を穏やかに見守り続けた。
「カカシくんのそばにいてあげてね」
母は何度もそう言ってイルカの頬を撫ぜた。
「わかった!」
母に頼まれるまでなく、もちろんそのつもりだったし、イルカ自身がカカシのそばから離れたくなかったのだ。
暫くすると、カカシも大分と落ち着いて、任務に出ることもあればイルカと縁側でのんびり昼寝をすることもあった。
能面のようだった顔に、ささやかだが表情が戻り、イルカと一緒にイタズラをしたり、ごくたまにだがクナイの扱い方や簡単な忍術を教えてくれる事もあった。
ただ、やはりまだ怖い夢は見るらしく、そんな時はカカシに抱きしめられたまま眠った。
頭から布団をかぶり、お互いの額を寄せて、ふざけあって唇を合わせた。
ずっと一緒にいようと、イルカがカカシに言い、カカシもイルカに同じように応えた。
狭くて暗い布団の中は、儚く脆い二人だけの城だった。
カカシが家を出て数年の年月が流れた。
上忍に昇格したと伝えに来たカカシに、イルカは手放しで喜んだ。
いつもの飄々とした表情の中に、得意げな色が垣間見えてイルカも同じように得意になった。
誰よりも綺麗で強いカカシは、イルカの憧れであり誇りだった。
「俺もカカシみたいな忍びになるよ」
そう言うイルカに、カカシも大きく頷いて約束だよと微笑んだ。
カカシが上忍としての初任務に出かけていってから、イルカの家への訪れはピタリと止んだ。
そんなことは今まででも偶にあったので、最初の頃は気にしていなかったように思う。
しかし、そろそろ一月を超える頃になると、さすがのイルカもおかしいと訝しみはじめていた。
「カカシ、まだ帰って来ねぇのかな?」
そういって何度も母に問いかけてみたが、その度に母は困ったような顔でそうねとつぶやきながらイルカの頭を撫ぜた。
イルカはそんな母の言葉を無邪気に信じて、カカシが帰ってくるのを待っていた。
飄々としてるけど、ちょっぴり得意げな表情のカカシが、今にもひょっこりと顔を出すんじゃないかと、毎日縁側に腰掛けて帰りを待っていた。
「遅いな…」
夕焼けが庭を朱に染める頃、隣で野良猫がナァと鳴いた。
*****
カカシが病院に運び込まれていると知ったのは、そんな矢先のことだった。
今でなら任務には危険がつきものだとわかるのに、その当時のイルカはそんな事に考えが及ばなかったのだ。
あまりにもカカシが優秀で、いつもなんでもないように帰ってくるから。
心配かけまいと、そんなふうにカカシが振舞っていた事を今でならちゃんと理解できる。
イルカは何も知らない守られた子供だった。
「なんでカカシと会えないんだよ!」
木の葉病院の受付で、足を踏みならして怒鳴る子供に、医療忍及び受付事務員は硬い表情で首を横に振った。
絶対にダメだと顔をしかめる大人達に、イルカは顔を真っ赤にして頬を膨らませる。
こうなったら忍び込むしかないと、隙を見つけては侵入した病室で、首根っこを捕まえられてキツく叱られた。
ペコペコと謝る母に、舌を出したイルカはゴツンと拳骨を落とされ涙目になる。
「なんで会いに行っちゃいけないんだよ!」
病院からの帰り道、そういって文句たらたら怒鳴るイルカに、母はゆっくりとしゃがみこみ、イルカと同じ視線の高さになって静かに言葉を紡いだ。
あのね…と、聞かされた言葉は、イルカには到底信じられないもので。
イルカはその大きな瞳を見開いて暫く母の顔を見ていた。
「カカシくんは、今はイルカに会えないんですって」
「・・・なんで・・・?」
問いかける声に答えはなかった。
ただ悲しい顔をする母が、イルカの頬を優しく撫ぜた。
「…カカシが俺に、会いたくないわけないだろ」
盛り上がってくる涙を、細い指が何度も拭っていく。
「嘘つくなよ、母ちゃん」
「…ごめんね、イルカ」
静かに刺さった言葉の棘が、チクチクと何度もイルカの小さな胸を苛んだ。
カカシの得意げな表情や、一緒にいるよと囁き合った声が、脳裏で母の言葉を嘘だと否定する。
「嘘つくなッ!」
「待って、イルカッ!!」
叫ぶイルカは、悲しい顔をする母に背を向けて走り出した。
何度も何度も病院に通った。
病室を探して木にも登ったし、カカシがいるかもしれない病室の窓を、日がな一日外からずっと見上げていた。
母が伝えた言葉は嘘だと、証明したかったから。
カカシがイルカから離れるわけがないと。
あの日、狭くて暗い二人だけの世界の中で囁き合った約束を信じたかったのだ。
佇む病院の木の下で、迎えに来た母に抱きついて泣いた。
どうしてカカシがイルカに会いたくないのか、わからなくて。
涙で滲んだ眼をゴシゴシと手の甲で擦るイルカを、母はいつも優しく抱きしめてくれた。
それでも。
カカシがイルカの前に現れる事は、ついぞなかった。
「カカシ・・・俺のこと、嫌いになったの・・・?」
呟くイルカの声は、優しく吹く風によって遠くに飛ばされ掻き消された。
いつまでもカカシはイルカの前を歩き、導き共に歩む存在だと思っていた。
そうやって、イルカの日常はずっと続いていくものだとただ無心に信じていたのだ。
病室のベッドに腰掛けて、カカシはそんなイルカを見ていた。
変わってしまった左眼を閉じ、仲間を殺めた右手を握りしめる。
自分に憧れ目指してきた者が、仲間を殺めたと知った時、イルカはカカシをなんと思うだろう。
蔑み糾弾されるのが恐ろしく、カカシは握った掌にじっとりと汗をかく。
イルカは多分、忍になるだろう。
そしてまた、リンのように何者かに操られた時、カカシはイルカを手にかけなければならないかも知れないのだ。
穢れた手を見つめ、まるでまだ血で汚れているかのように何度もその手を拭った。
「・・・・ッ」
それでもイルカに会いたい。
会いたい。
募る想いは、抑えるほどにどんどんと増していくようだった。
自分を呼ぶあの屈託のない声を聞き、いつまでも甘ったるいような日向の匂いを嗅いで、狭い布団に二人でくるまり、何もなかったかのように眠ってしまいたかった。
陽だまりの中の日々はもう、カカシには遠い夢のようだった。
ゆっくりと、カカシは無機質な面に手を伸ばす。
顔を隠し、暗がりに属する者へとその身をも落とす。
獣を模ったその面は、仲間を手にかけた己には相応しい代物に思えた。
*****
やがて、運命の一夜はやってくる。
恐ろしい九つの尾を持つ獣が、逃げ惑い泣き叫ぶ人々を無情にも引き裂き、数多の物を喰らい飲み込んで行った。
焼け野原になった壊滅状態の里で、生き残った者は嘆き、世を呪い、またその屍の上を歩いていく。
無傷だった者は皆無に等しく、親を失った子供達は皆同様に腹を空かせ、蹲って眠る場所を探した。
「・・・・・」
カカシは里を見渡す事の出来る火影岩の上にいた。
災厄の中、師である四代目火影は自らと己の嬰児の身を捧げて九尾を封印し、その短い命を散らした。
色の違う彼の瞳には、全てが無に帰したような里の中で、それでも復興へと雄々しく立ち上がる里人の姿が、モノクロの映像として映った。
その中で、たった一人。
自分よりも幼い子供を抱きしめるイルカの姿が、カカシの眼に鮮やかな色を持って飛び込んできた。
「…は…ッ」
小さく息を吐き出して、カカシは獣の仮面をずらすとその姿を食い入るように見つめた。
幼い子を抱きしめ、安心させようと無理矢理に笑おうとするイルカの、頼りなげな微笑みが痛ましい。
「あれの両親も、もう亡い」
不意に聞こえてきた声に、カカシはゆっくりと振り返った。
「…三代目」
「あれの事はワシに任せよ」
お前には他にやる事があると、暗に含ませた言葉にカカシは再びイルカに目をやる。
傷ついた者を癒し慰める彼の姿は、あの日からひとつも変わってはいないのに。
その黒い瞳の中には大きな絶望が宿っている。
「戻りますか…?」
里も、人も、そしてイルカも。
「・・・・・」
答えを聞くことなく、カカシはまた獣の面で表情の消えた顔を隠す。
もともと答えを求めて問うた言葉ではなかったのかもしれない。
「・・・戻る、か・・」
一瞬の内に煙にと消えた、まだ少年の面影を残した男の残像を、三代目火影猿飛ヒルゼンは難しい顔をして見詰めたあと、ゆっくりと瞳を閉じる。
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